太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

伝説

2012-07-28 22:16:36 | 日記
夫の母は、謎が多い。

ハワイに来てかれこれ1年余、私は夫の母があわてているところを見たことがない。

見た目は、小柄な普通の白人のオバハン。

しかし中身は、大学教授という仕事にピッタリな、冷静沈着、理性的、合理的、医者になればよかったんじゃないかと思う。



何人かで話しているときに、話の流れから、夫の母からいろんな体験談が出てくる。

息子である夫も知らなかったような話もあって、しかもその内容が少々ぶっとんでいる。



夫の母は、アメリカ本土のどこかの河で、当時10歳ぐらいの孫と一緒にカヌーに乗った。

しばらくすると何かの拍子にカヌーがひっくり返ってしまったのだという。

二人とも川に投げ出され、夫の母は必死に孫を助けようとしたが距離が縮まらず、カヌーのガイドをしていた男性が

孫を助けてくれた。

「あーよかったと思って、私はそのまま流されていたら、滝に落ちちゃったの」

「ああ、滝にね・・ エッ!滝に落ちたぁーー?? 

「そう、孫を助けることに気を取られていて、滝があるのに気づかなかったのね」

「そ、それで?」

「落ちたところで泳いで岸についたの」

「どのぐらいの高さの・・・」

「うーん、5,6mぐらいかしら」

「滝に向かって流されてるってわかったとき、どんな気持ちがしたの」

「どんなって、ああここに滝があったんだなと思ったわ」



私だったら、もうこれで死ぬんだと思って、人生の走馬灯がぐるぐるしたに違いない。

落ちる時には落ちるがよろし、というような感じで落ちてゆくことは到底無理。




また別のある時、夫の母は、また本土のどこかで、今度は孫二人を連れて電車に乗るために駅にいた。

孫1は7歳ぐらい、孫2は3歳ぐらい。

二人の手を引いて、入ってきた電車に乗ったのはいいが、出発間際に孫2の帽子がプラットホームに落ち、


「孫2がそれを取ろうと降りて、あっと思った瞬間にドアが閉まってしまったの」


ホームで泣き叫ぶ孫2がだんだん小さくなる。それを見て泣き出した孫1の手を引いて、車掌室まで行き、

事情を話して駅に連絡をしてもらったらしい。

「孫2が離れている間に誘拐されたらとか、事故にあったらとか思わなかった?」

「だってもう置いてきちゃったんだもの、考えても仕方がないじゃない。そのときできることをするしかないわ」

私は想像する。

夫の母はそのときも、慌てず騒がず、的確に、足取りもしっかりとしていただろう。

孫を預かっておいて、ヨメに顔向けできないとか、ゆめ、そんなことは思わないだろう。



私は何につけ騒ぎが大きい、と思う。

喜怒哀楽も騒がしくできているので、やたら感動したり、盛り上がったり盛り下がったり、こちらも忙しい。

だから、そういうものを求めて彼女と向き合うと、

私は肩透かしばっかり食うことになる。

夫の母だって、ちゃんと嬉しかったり、感動したりしているのだろうけど、私が共有できる温度じゃないというだけだ。

慌てるのは一瞬で、すぐに次の行動や思考に切り替えられるのかもしれない。

それを私は、「慌てる」という感情をずーっと温存したまま行動し続けるので、混乱極まる。



私の実家の母も、腹の据わった人だけれど、

何か違う。母は、もうちょっと湿度が高い感じ。


いずれにしろ、私はどちらの母の生き方も、やりかたも真似ができない。

きっと彼女達から見れば、私のように大騒ぎしながら生きてゆくやりかたは、真似ができないんだろうなあ(したいとも思わないだろうが)











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