今日は(も)ちょっと変な話。
寝る前に本を読んでいたら、この文章から目が離せなくなった。
全身を巡ってきた血液は、右心房から右心室を通って肺動脈へ。
そして肺から還ってきた血液は心臓の左心房から左心室を通り、
大動脈から全身へ送り出される。
こういうことが、1分間に何回も、
生まれてから今まで半世紀以上も、1度の間違いもなく起き続けている。
私は思わず、自分の胸に手をあてた。
手の下で、私の心臓が、正しく動き続けている。
手をずらすと、肺があり、胃があって、膵臓や脾臓、肝臓があり、腎臓がある。
子宮や卵巣、長い腸がある。
骨があり、血液があり、筋肉があって、歯があって爪がある。
目と鼻と口と耳の上には、脳がある。
眠っているときも、遊んでいるときも、食べているときも、
悲しくても嬉しくても、
休むことなく、動き続けて、それで私が生かされている。
これは途方もなく不思議な奇跡じゃないか。
考えたこともなかった。
体調を崩すと、健康のありがたみを上っ面で感じたけれど、
健康でいるときこそ、健康であることに感謝するべきだ。
指を突き指しても、他の9本は痛くないことに。
爪や髪が伸びることに。
何の苦もなく一人で着替えができることに。
歩いてどこへでも行けることに。
見たいものを見ることができることに。
食べたいものを、おいしく食べられることに。
そうして、私の疑問はいつものところに戻る。
なにが、心臓を動かしているんだろう。
息を吸って吐いて、と意識しなくても呼吸しているけれど、
何がそうさせているのだろう。
死んでしまった小鳥を庭で見つけたとき、
朝まで息をしていた父の呼吸が止まったとき、
それを止めたのは、何なのだろう。と、思う。
その身体を、父だと思っていたけれど、
生きるのをやめたとき、それは父だったものになってしまう。
亡くなった夜、父が母に会いにいったように、
身体が生きるのをやめても、父は確かにい続けているのだ。
この私が私だと思っているこの身体は、私なんだろうか。
今日一日、私は自分に起き続けている奇跡を思って過ごしていた。