昨日、職場の掃除とペンキ塗りをしたら、
夕方になったら右腕から肩から、だるくて痛くてたまらない。
夫にマッサージしてもらい、マッサージ器で1時間ぐらいごりごりやって、
ベッドに入ったら、またダルさがぶり返してきて眠れない。
右腕をさすり、
「よく働いてくれてありがとう、大好き」
と繰り返し繰り返し心で言っているうちに、すー、と痛みが引いて行った。
他のみんなは平気なんだろうかなあ。
若ぶっていても、体は正直。
先日、買い物をしていたら
「センセイ」
と呼ばれて振り向いたら、きれいな女の子がニコニコ笑って立っていた。
誰だったかな・・・・
後ろに母親のステファニーがいて、それでようやくそれがAちゃんだとわかった。
Aは9年前、私が家で日本語を教えていた生徒だ。
当時Aは小学1年生で、くりくりした大きな目の、それはかわいらしい子だった。
飽きっぽい7歳のために、教材を工夫して作り、2年ほど教えただろうか。
子供とあまりかかわることがない私にとって、本音で生きる7歳児は未知のイキモノで、
大人と子供というスタンスよりも、人と人として向き合ったほうがいいとわかったのは、だいぶあとになってからだ。
その時、私が働いていた本屋で、人間関係で苦しいことがあって、私はAに悩み相談をした。
「同じクラスの友達が、急にあなたに冷たくしたりしたらどうする?」
と聞いた。
「どんなふうに?」
「前は普通に仲良くしていたのに、突然話をしなくなったりよ」
「どうしてそんなこと聞くの」
「仕事をしているところで、そんなふうなことがあったんだよ」
彼女は少しの間、大きな瞳で私を見つめたまま考えてから言った。
「そういうことをする子と仲良くしたいの?」
ドッキーン、とした。
それで黙っていると、
「仲良くしなくちゃいけないの?」
と再び聞いた。
「そうだよね、仲良くしなくても、いいよねぇ?」
私がそう言うと、
「なぜ冷たくするのか、その子に聞いたっていいけど、
聞いて、それを直して、また仲良くなれるかなあ、前みたいに?」
聞いて、それを直して、また仲良くなれるかなあ、前みたいに?」
実際には、私はこのことを努めて放っておき、
相手におもねることも、対立することもせず、ありのままの私のまま1日、1日を楽しもうとしていたら、
いつのまにか問題は気にならなくなっていった。
それは相手が変わったのか、私の気持ちが変わったのかわからないけれど。
7歳の子供に、核心を突かれた。
まだ7年しか生きてないのに、かたや私はその何倍も生きているのに。
体験を積むことで、おおいに学ぶこともあるけれど、
うまくやろう、失敗しないようにしようと思うあまり、
大事なことが見えなくなることもあるのかもしれない。
大人になってゆくって、いったいどういうことなんだろう。
子供がいる人は、こういうことを普段の生活でたくさん経験しているのだろう。
そのAが、こんなにきれいなティーンエイジャーになった。
Aはまだ、7歳のときのあの心を持っているだろうか。