太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

14年目

2020-06-26 15:34:55 | 不思議なはなし
14年前の6月26日に、私は夫に出会った。

それより2か月ほど前のゴールデンウィークに、結婚する気満々でいた相手に振られて、
すでに42歳だった私は、気持ちの上では本当に何もなくなった気がした。
「いい男なんか、もう残ってない」
「42で一人になって、このまま老後だ」
私がそう信じている限り、その通りの現実になるだけで、
私を振った相手との恋愛成就のために通い始めたエンジェルリーディングで、
それらの思い込みを巨大なハンマーで打ち砕くことになった。

「そのお相手(私を振った人)とやり直す道だってありますよ。どうしたいですか」

人はどんな現実だって創れるのだというから、そういう未来だってあるのだろう。
私は、私を振った相手と結婚した自分に会いにいった。
その私は、カナリア色の服を着て、鳥かごの中の鳥を眺めていた。
鳥かごの隣には、その相手がいたように思う。
その私は、こちらに顔を向けたが、あまり幸せそうには見えなかった。

2年つきあっていたけど、相手はとっくに冷たかったし、
結婚さえすれば幸せになれると自分に言い聞かせて我慢していた日々はみじめだった。
「やっぱり次に行く」
「私もそれがいいと思います。さー、どんな人にしましょうか」
そのとき、宙からフッと ガイジン という思いが降りてきた。
「日本人はもうこりごりだからガイジンがいい」
「ガイジン、最高!いいね、いいね。でもイギリス人とフランス人以外ね。
シロさんの場合、陰が強いから互いに深い陰になっちゃうから。
そうねー、イタリア人とか、アメリカ人、ハワイとか」

設定はイタリア人かアメリカ人ということにして、
あとは理想の男性像をできる限り詳しく書き出して、それを毎日眺めて書き足したりしてゆく。
知り合い全部に、結婚したいのでいい人がいたら紹介して、と頼む。
風水から怪しいおまじないから、あらゆる「良い」と思われることを片っ端からやる。

その一方で、私を振った相手に恨みを送りまくった。
どんな仕打ちをした相手にも後ろ足で砂をかけるような真似をしてはいけない、
と育てられてきた私に、セラピストは
「シロさんの場合、ぜーんぜん問題ないです。思い切り恨んじゃってくださーい」
と言う。
相手は同じ職場だったので(付き合っていたことは誰も知らない)
相手がでかけた隙に、相手の持ち物に怨念を練りこむ。
相手のお茶にも、恨みを溶かす。
『絶対に私より先に幸せになれない、私の方が先に1000倍幸せになる』
ほんとに楽しかったナァ、あの恨み飛ばしの日々・・・・・・・
でも1週間ぐらいやったら飽きちゃったけど。


行きつけの美容院で、美容師にも、今度はガイジンがいいから、いい人いたら教えて、と言ってみたら、
「ハワイから来た人で、一緒にサーフィンやったりしてるんだけど、いい人いるよ?会ってみる?」
「え、ハワイ?」
そういえばセラピストさんが、「ハワイとか」って言ってたなあ。

話はとんとん拍子に進んで、その翌週末に、美容師さん家族と一緒に会うことになり、
御殿場市にある、御殿場高原ビールに遊びに行った。
それが6月26日である。


夫が住んでいたアパートに上がらせてもらうと、
公民館にあるような、紺地に白い水玉の湯飲み茶碗に水を入れて出してくれた。
湯飲みにも驚いたけど、水道の水って・・・・
そのアパートに以前住んでいたオーストラリア人が残していった家具や食器を、そのまま使っているのだと後でわかった。
ハワイじゃ、コーヒーや紅茶よりもまず水なのだ、ということも後でわかった。

私はてんで英語がダメだし、夫も日本語はダメなので、たいした話もできなかったけど、

♬一目会ったその日から 恋の花咲くこともある(プロポーズ大作戦)

しかしそれは恋じゃなく、それを飛び越えて「確信」のようなものだった。
ようやく、会えた。
私はこの人と結婚する。



昨年12月の父の葬儀のときに、私を振った相手が、社員として手伝いに来てくれた。
焼香をして、親族に挨拶してゆくとき、
ほんの少しだけ長く、その人は私の目を見ていたように思った。
あのあと、私を振る原因となった新しい彼女と結婚したが、わりとすぐ離婚し、
その前後にストレスから頭にハゲができ、その後再婚したようだと、母からは聞いていた。
『私を離婚させてくれてありがとう。私を振ってくれてありがとう。
あなたがいたから今の私があります』
私は真心をこめて、心の中で相手に伝えた。



14年前の6月26日は、新月だった。
懐かしい思い出を、壊れたレコードのように何度も語りあうことができるのは
なんと幸せなことだろう。