太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

アラモアナでピクニック

2020-06-30 15:38:27 | 日記
アーティスト友達のマイクと、アラモアナビーチパークでピクニックランチをした。
いつもは、レストランだったり、フードコートだったりするのだけれど
今はどこに行ってもせいせいしないし、それなら外で食べるほうがいい。

マイクに会うのは半年ぶりぐらいだろうか。

気温は29度ぐらい。
からりと乾いているから、日陰はとっても涼しくて、汗もかかない。
夏になって、サウスショアの波が高くなってきた。
けっこうな数のサーファーがいる。
火曜日だというのに車も一杯で、働きたくとも働いていない人がそれだけ多いのだろうか。

床屋に行けず髪の毛ボウボウのマイク

くすんでボウボウなアタシ

マスクが義務化されてから、口紅とイヤリングをつけなくなった。
口紅はマスクの内側に色がついて気持ち悪いし、
ピアス穴のない私はイヤリングしかつけられず、マスクの脱着時にひっかかって
取れやすい。
この写真を見ると、口紅はつけたほうがいいお年頃・・・・・・
顔がくすんでみえる。(実際くすんでるんだが)
マイクのことを言えないくらい、髪の毛もぼうぼう。
美容院が再開してすぐに予約を取ろうとしたら、1か月以上先になってしまった。
しばらくこのボウボウでいくしかない。
写真は、私の理想よりも4割がたしょっぱい現実を見せてくれる。

家でちゃちゃっと作ったサンドウィッチと、アイスコーヒー、チェリーの簡単ピクニック。
79歳になったマイクは、一人暮らしだ。
社交的な人間なので、友達はたくさんいるし、寂しくはないと思う。
3回も結婚し、趣味がたくさんあって、長く生きているマイクの話は、
手品の、口から出てくる国旗みたいに、それは興味深いネタがこれでもかとある。
子供の頃、親の転勤でローマに住んだ話。
唯一編入できるインターナショナルスクールが、地元の金持ちの子供が行く学校で、
昼休みになると、家から執事が乗った車が門に横付けされ、
レストランに行き、子供なのにワインを飲みながらお昼を食べるのだそうだ。
マイクはいつも誰かに誘ってもらってお相伴させてもらっていたという。
1950年代は、そんなふうだったんだなあ。

互いに2時間しゃべりまくった。
とっても楽しかったから、またやろうと約束した。

マイクと別れてから、ちょっとだけアラモアナショッピングセンターに寄ってみた。
再オープンとは名ばかりで、開いている店のほうが少ない。
開いている店も、入り口に人が立っていて、すんなりとは入れない。
ユニクロをのぞいていこうかと思って歩き始めたけど、
端から端まで歩かないとならないし、マスクしながら歩くのは暑いし、
行っても入るのに並ぶことを思ったら気持ちが萎えてしまい、Uターンした。


コロナコロナと言っている間に、いつのまにかもう今年も半分終わってしまう。
明日が7月1日だなんて信じられない気持ち。




ホワイト、ってだめなの?

2020-06-30 09:14:37 | 日記
黒人の男性が、警察官によって殺されてしまったことで
Black lives matterの運動は今も起き続けている。
単一民族の国で育った私には、人種差別はどこか言葉の上のものでしかないけれど
外に出てみると、自分がいかに単一民族に守られていたかと思う。

ハワイはいろんな人種がいるので、あからさまな差別をされたことはない。
本土から来た人に、「Are you JAP?」と聞かれたことがあるだけだ。
頭に来るより先に、驚いてしまった。
そういうことを言えてしまう知能しかないのだと気の毒にさえなった。

黒人は白人とは違うトイレしか使えないとか、
バスの座席もはっきり場所が分かれているとかいうのは、それほど昔のことではない。
今だって、白人至上主義の人はいて、
どんな運動も、そういう人たちの考えを変えることは難しいと私は思っている。
私は白人ではないので、優越意識を放射している白人を見ると、
アメリカの白人なんか、インディアンから土地を奪い取った泥棒じゃないか、なに偉そうに、と(これまた偉そうに)思ってしまう。
白人と結婚しているくせに。


ここのところ、差別用語を商品名に使っているものを変えていこう、という動きがある。
パンケーキシロップの アント・ジャマイマ もそのひとつ。
直訳すれば、ジャマイマおばさん、というところだが、
奴隷やメイドを暗に差している名前なのだそうだ。
アンクル・トムなんていうのも、そうじゃないだろうか。
何十年もこの名前でやってきて、今更それは差別だという。

アニメーションの声優も、そのキャラクターに合った人種の声優を使うことになったという話もある。

ジャマイマおばさんは、わかる。
アニメの声優も、まあ、それもそうかもしれないとも思う。が、

化粧品大手のロレアルや、ユニリーバは、
『ホワイトニング』とか、『ホワイト』という表記をやめると発表したというのはどうだ。

肌を白く保ちたい=差別 になるのだろうか?
そう思う人もいるかもしれないけど、私は言われるまで何も気づかなかった。


差別のつもりはなかったのに、それを差別だと言った途端に差別になってしまうことや
言葉の意味のあげあしをとったことで、かえって差別になってしまうこともある。
たとえば、「〇〇女性会館」とか、女性異業種交流会とか、女流棋士とか、
女性を強調することで、女性を差別しているように私には思えてしまうのだ。

日本の芸能人は、不倫をすれば仕事がなくなるほど叩かれるが、
アメリカのセレブリティは、謝罪すらしないし、仕事にも影響はない。
そのかわり、日本の芸能人は、差別語を言っても謝罪ぐらいで済むけど、
アメリカのセレブリティは、芸能生命にかかわる。
それほどアメリカは、差別はピリピリしてしまう事柄なのだろう。


ここから余談になるが、

ちびくろサンボ という絵本があった。
ちび も クロ も差別語だというので、トラのバターのパンケーキとかいう、
乙女チックな喫茶店のメニューみたいな名前に変わった。(最近はまた元に戻った、とかいう話もあるけど)
愛嬌のある、ちびでクロなサンボが、赤いシャツを着て傘をさして得意に歩く絵が、
今でもまぶたに浮かんでくる。
子供には、ちびくろサンボはちびくろサンボでしかないはずだ。
でも、ちびでクロというのが悪いことだと言ったとき、初めてそれが悪いものになってしまうような気がする。


静岡市の駅南に、「クロンボ」というすごい名前の老舗の喫茶店があった。(今でもあるのかは不明。たぶん、ある)
看板には、ダッコちゃんみたいな顔の女性のイラストが描かれていた。
その店は、その名前のせいで広告も打てないのだと聞いたことがある。
私も何度も行ったことがあるし、けっこう人が入っていたと思う。

子供の頃、清美ちゃんという若い先生が、家まできてお習字を教えてくれていた。
毛筆と、鉛筆と、くろんぼと呼んでいた、全部が芯みたいな固いクレヨン的なペン。
先生も親も私たちも、平気でくろんぼ、くろんぼ、と呼んでいたし、
小学校の夏休み明けには、どれだけ日に焼けたか競う、正々堂々と「くろんぼ大会」というものもあった。


無知といえばそれまで。
けれど、悪意のない言葉には、やっぱり悪などないのではないかと私は思うのである。