私は長い間、自己肯定感が低かった。
自己肯定感が低いと、ずっとそれを証明するような現実が繰り広げられる。
私のその思い込みは、母からもらったものだ。
・我慢をすれば褒められる。
・自分さえ我慢していればまるくおさまる。
・どんな仕打ちをした人にも砂をかけるようなことをしてはいけない。
それらは40年もの間、私を縛り続けてきた。
母から受け継いだ、負の思い込みはまだあって、40を過ぎてからというもの、
それらを手放すことに取り組み、今もなおそれは続いている。
ずいぶん回り道をしてきたし、とんでもないこともあったけど、今ならわかる。
私はこれらのことを手放すために、わざわざ初期設定として、そういうものをくれる母を選んできたということに。
そして、手放して書き換えるまで、ずっと同じような練習問題に直面し続けるということにも。
前の結婚時代、嫌なことがあるたびに、私は心のどこかで
『幸せになれなくてもしかたがない』と思っていた。
我慢して、我慢して、そのうち、こんなことができるのは私だけ、というほうにベクトルが向いていき、
私は嬉々として「こーんなことに我慢できるすばらしい私♬」に酔っていた。11年も。
あるとき突然、ふっとなにもかもがあほらしくなって家出をし、
そのとき彗星のように現れた若い恋人とやり直したい一心で、
離婚をしたがらない相手なんかもうどうでもよくなって、ゴリ押しするように離婚した。
その時は、女ヤクザになった気分だった。
今夜こそ離婚届に判を押させてやるんだと意気込んだ私に、親友が、刃傷沙汰になったら困るからついていって外で待ってる、と言ったほどだ。
そうやって離婚し、今度こそ新しい相手と幸せになるはずが、楽しかったのは3か月。
相手はよそよそしくなり、私は相手の顔色をうかがい、尽くし、冷たい仕打ちに我慢し、それは強引に終わらせた結婚生活とまったく同じだった。
前の結婚生活では、1度も(!)肉体関係がなかったのだけど、それすら同じになった。
女性として自信を失って、してください、と土下座したことだってあった。
結局、私の自己肯定感が低いままだったので、
相手変わって状況変わらず、だったのは当然といえばそうである。
でもそのことに気づいたのはしばらく後になってからで、
私はそのみじめな恋愛を2年も続けていたのだから、愚かさもここに極まれり。
スピリチュアルに目覚め(そうせざるを得なかったといっていい)
自己肯定感を少しずつ高め、古いやりかたを手放しはじめたとき、若い恋人にあっさり振られた。
「もっと不幸な人がいたから」という、笑っちゃうような理由で。
(単に、不幸な人が若くてかわいかっただけだ)
スピリチュアルな力で私が手に入れたかったのは、まだなお、その若い相手との恋愛成就であったから、気分は奈落の底。
1+1=3 と書いて、今度は 2+2= という練習問題が出されて、また間違った答えを書いた私の、そこからの反動がすごかった。
失恋から、2か月もしないうちに私は今の夫に出会った。
そうなって、ようやく腑に落ちる。
若い恋人は、私が最短最速で離婚できるためだけに現れた救世主だった。
彼がいなかったら、情にほだされてズルズルしていたに違いないと思う。
理想の男性像をありったけ書き出し、まさにその通りの人に出会って再婚し、
ハッピーエンドかと思いきや、
その先も練習問題は形を変え、私が正解を書けるまでしつこく出され続けている。
結局、これが私が生まれてきたひとつの理由なのだと思う。