太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

練習問題

2020-06-18 14:40:19 | 日記
私は長い間、自己肯定感が低かった。
自己肯定感が低いと、ずっとそれを証明するような現実が繰り広げられる。
私のその思い込みは、母からもらったものだ。

・我慢をすれば褒められる。
・自分さえ我慢していればまるくおさまる。
・どんな仕打ちをした人にも砂をかけるようなことをしてはいけない。

それらは40年もの間、私を縛り続けてきた。
母から受け継いだ、負の思い込みはまだあって、40を過ぎてからというもの、
それらを手放すことに取り組み、今もなおそれは続いている。

ずいぶん回り道をしてきたし、とんでもないこともあったけど、今ならわかる。
私はこれらのことを手放すために、わざわざ初期設定として、そういうものをくれる母を選んできたということに。
そして、手放して書き換えるまで、ずっと同じような練習問題に直面し続けるということにも。





前の結婚時代、嫌なことがあるたびに、私は心のどこかで
『幸せになれなくてもしかたがない』と思っていた。
我慢して、我慢して、そのうち、こんなことができるのは私だけ、というほうにベクトルが向いていき、
私は嬉々として「こーんなことに我慢できるすばらしい私♬」に酔っていた。11年も。

あるとき突然、ふっとなにもかもがあほらしくなって家出をし、
そのとき彗星のように現れた若い恋人とやり直したい一心で、
離婚をしたがらない相手なんかもうどうでもよくなって、ゴリ押しするように離婚した。
その時は、女ヤクザになった気分だった。
今夜こそ離婚届に判を押させてやるんだと意気込んだ私に、親友が、刃傷沙汰になったら困るからついていって外で待ってる、と言ったほどだ。


そうやって離婚し、今度こそ新しい相手と幸せになるはずが、楽しかったのは3か月。
相手はよそよそしくなり、私は相手の顔色をうかがい、尽くし、冷たい仕打ちに我慢し、それは強引に終わらせた結婚生活とまったく同じだった。
前の結婚生活では、1度も(!)肉体関係がなかったのだけど、それすら同じになった。
女性として自信を失って、してください、と土下座したことだってあった。

結局、私の自己肯定感が低いままだったので、
相手変わって状況変わらず、だったのは当然といえばそうである。
でもそのことに気づいたのはしばらく後になってからで、
私はそのみじめな恋愛を2年も続けていたのだから、愚かさもここに極まれり。


スピリチュアルに目覚め(そうせざるを得なかったといっていい)
自己肯定感を少しずつ高め、古いやりかたを手放しはじめたとき、若い恋人にあっさり振られた。
「もっと不幸な人がいたから」という、笑っちゃうような理由で。
(単に、不幸な人が若くてかわいかっただけだ)
スピリチュアルな力で私が手に入れたかったのは、まだなお、その若い相手との恋愛成就であったから、気分は奈落の底。

1+1=3 と書いて、今度は 2+2= という練習問題が出されて、また間違った答えを書いた私の、そこからの反動がすごかった。


失恋から、2か月もしないうちに私は今の夫に出会った。
そうなって、ようやく腑に落ちる。
若い恋人は、私が最短最速で離婚できるためだけに現れた救世主だった。
彼がいなかったら、情にほだされてズルズルしていたに違いないと思う。


理想の男性像をありったけ書き出し、まさにその通りの人に出会って再婚し、
ハッピーエンドかと思いきや、
その先も練習問題は形を変え、私が正解を書けるまでしつこく出され続けている。
結局、これが私が生まれてきたひとつの理由なのだと思う。






後悔しないのを見破られた話

2020-06-18 12:00:01 | 日記
朝、グレープフルーツを食べながら、
グレープフルーツという名前の由来の話になった。
グレープフルーツは、ブドウのように房になって実がなることから名前がついたのだけれど、
改めて考えてみたら、ひどくいい加減な名前をつけられた果物が、とても気の毒になってきた。
他の果物は、リンゴだとか桃だとか、ちゃんとした名前がついているのに、
ブドウにフルーツをくっつけて、本家のブドウと区別しました、みたいなのって
あんまりグレープフルーツに失礼じゃないだろうか。


失礼といえば。


regret,regret♬と繰り返す、暗い歌がラジオから流れてきて
「振り返ってみて後悔すること、なにかある?」
と夫に聞いてみた。
少しだけ考えてから、
「あるよ」
と言う。ない、と言うと思っていたから驚いた。
「え、どんな?」
「誰かに言ってしまったこととか、今でも悪かったな、って思うことがある」
「いつのことよ」
「30年ぐらい前かなあ」
「ふーん。でもきっと、そのことはもう自分に返ってきて、刈り取ってると思うよ。
それに誰にだってそういうことはあるさ」
「そうだねえ」
「私にも聞いて。後悔することあるかどうか」
すると即座に夫は言った。

「You  don't  care(あなた、どうでもいいっしょ)」

し、失礼なッ!
腹が立つが、当たっているので言い返せない。

バカだったなー、アホだったなー、と思うことはあれど、
ああしなければよかった、と思うことは一つもない。
反省はしても、後悔はしない。
私は、たとえそれがどんなにネガティブなことであれ、世間の理屈に合わないことであれ、
常に猪突猛進、100%燃焼し尽くすため、灰も残らないからだと思っているのだけれど、
そんなことは私だけが知っている秘密だと思ったのに、見抜かれていたとは。


失礼ついでに。


チェビー・チェイスが主演の、1980年代の映画シリーズがある。

 気楽に笑えるおすすめ映画

チェビー一家がクリスマスを迎えたり、ヨーロッパ旅行に行ったり、ラスベガスに行ったりするのだが、
このチェビー扮する夫が、とことん能天気でトンチンカン、あっと言うようなことを平気でやって、
しっかり者の妻や子供たちが振り回されるという、楽しい映画だ。
先日、このシリーズのひとつを観ていたら、夫が適当に運転するので砂漠の中で迷ってしまい、挙句に車も壊してしまう。

「あなたがスパーキー(チェビー扮する夫)みたいじゃなくてよかったよ」

実際、夫はわりときっちりとやるタイプ。

「ていうか、むしろ私の方がスパーキー寄りだったりして?」

9割がた自虐のつもりで言ってみたら、
夫はちょっと困ったような顔をして笑い、けして否定はしなかったよ・・・・・・