太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

憧れは、届かないから憧れだ

2022-07-21 08:09:15 | 日記
断捨離に夢中になっていた時、断捨離動画をコラショと見た。
モチベーションアップになるし、参考にもなって、ずいぶん助かった。
うちの断捨離が一息ついたあとは、シンプルとかミニマリストとか丁寧に暮らしている人たちの動画をハシゴしている。
圧倒的に女性なのだが、中には一人暮らしの男性もいて、なんとも都会的に素敵に暮らしているので感心しきり。
パンデミックで家にいた頃、シンプル暮らし動画に触発されて、ソファを白にしてみたりしたこともあるが、結局暮らす人(私)に問題があると気づき、半ば放棄したのだった。
それが再び、焼け木杭に火がついたように気になり始めたのだ。

シンプルにおしゃれに暮らしている人の生活を見るのは楽しい。
この器、いいなあ。
こんなふうに飾ったら素敵だなあ。
何も乗っていないテーブルって、いいよなあ。


しかし、ひとたび自分と比べてみたとき、私の憧れは音を立てて消える。

ダイニングテーブルには、フランスのプロバンス地方で買ったテーブルクロスを掛けているが、片側に猫昼寝用のバスケットが3つ(ひとり一つずつだから)並んでいて、そこでもうオシャレ感台無し。
猫は高い所が好きだから、床に置くよりもテーブルのほうがいいみたい。
家は日中は猫しかいない。ソファも冷蔵庫の上も窓辺のテーブルも、2階にだって猫が好きな場所はあるんだけれど、猫の快適を優先するとこうなる。

さらにたいてい、そういう人たちは料理上手で、さも簡単そうにパパっと料理を作ってしまう。
お弁当も美味しそうなのを作る。
家に帰ったらすぐに、レタスやその時ある野菜を刻み、週末に茹でてあった卵を剥き、これまた作ってあったツナサラダを入れ、昨夜の残りがあったらそれも入れて二人分の翌日のランチを作ってしまう私とは大違い。(ほぼ毎日同じ)
昨夜は何食べたっけ?
そうそう、朝のうちに牛肉をカルビソース(もちろん市販)とニンニクにマリネしておいたのを、さっと焼いて、バターレタスの葉で包んで食べた。
あとはブロッコリーとかぼちゃを蒸しただけ。
とてもお見せできる調理過程などありゃしない。

それに、そういう人たちはスライスしたきゅうりやアボガドをパンに乗せるのに、お箸を使う。
それも、きゅうりを別のお皿に入れておいてから、改めてそれをお箸でパンに移したりもしてる。
私だったら、まな板の上で切ったのを、指でパンに乗せるけどね。
別皿とお箸を洗う手間がかかるし、どうせ自分で食べるのだから指でOK。
もうこの辺が、絶対的に私が丁寧に暮らせないところなんだろう。
料理本にウスターソースと書いてあるけど、ウスターソースがないから、とんかつソースと醤油を混ぜればそれっぽくなるしょ、という適当人間である。

気を取り直して、庭にライムを収穫に行く。
Tシャツの裾にライムをごろごろと入れながら、あー、おしゃれな人は籐の籠なんかに入れるんだろうなあ、と思う。
「がんばらない暮らし」と言いながら、私から見ればものすごいがんばらないとできない。
やっぱり何かが根本的に違うのだな。
ま、憧れは、届かないから憧れなのだということである。
でも、素敵な暮らしを見るのは好きなので、これからも見て憧れようと思う。










ヘビロテ「ぽたぽた焼き」

2022-07-19 07:45:43 | 食べ物とか
私は困っている。
ぽたぽた焼きが、止まらない。


1986年に発売開始されたというから、36年も売られ続けているロングセラー。
日本食スーパーに行かなくても、近所にあるスーパーで買える、貴重な日本のおせんべいだ。
そこは地元スーパーだが、数年前にドン・キホーテが買収し、少しずつ日本の商品が並ぶようになった。
とはいえ、青シソを知らない人がほとんどの場所で青シソを売っても売れるわけがなく、しなびた青シソが悲しそうに並んでいる。
だから、もっぱら生鮮品ではないもの、調味料やお菓子類が少しずつという感じ。
それも、売れ行きを見ながら仕入れているのか、喜んで買っていると、いつのまにか店頭から消えてしまう。
それで気に入ったものは、なるべく頻繁に買っているというわけ。
(ショコラケーキにハマった話はコチラ

醤油せんべいがなかったので、懐かしい「ぽたぽた焼き」を買ったら、見事にハマった。

亀田製菓のサイトを見たら(どこまで熱心)、1986年の発売から、何度も甘さや食感の改革をしており、最近では2010年に「すっきりした甘さ」にしたのだという。
さすが大御所の亀田製菓。
ヘタなものは作ってない。
スーパーに行くと、これを二つか三つ買ってくる。
夫が一人でスーパーに行くという時は、必ず買ってきてもらう。

「ああ、あのグランマのせんべいだね」

夫は食べないが、食品庫に常備してあるので、パッケージを覚えてしまった。


子供の頃、残ったお正月のお餅を香ばしく焼いて、砂糖と醤油を混ぜたのにつけて食べたのを思い出す。
海苔と醤油の磯辺焼きもいいし、きなこの安倍川餅もいい。
大根おろしと醤油の、辛み餅もなかなか乙な味。
静岡市の安倍川のほとりに、「せきべや」という老舗の安倍川餅専門店がある。
そこでは、きなこ、餡子、辛み餅の3種類が食べられるのだが、商売っけのない家族が、にこりともしないでお客に接するので、安倍川は食べたし、不愛想に負けない心の準備をせねば行かれぬし、というところだった。
でも、そこの出来立ての安倍川は本当に美味しい。
今はどうなっているだろうか。


そんなことを思い出しながらぽたぽた焼きを食べていると、かなり強く自制しないと止まらなくなる。
食品庫に予備のぽたぽた焼きがなくなると、不安になる。
完全に中毒。
ぽたぽた焼きにはなにか、中毒にさせるようなものが入っているのではないか。(なわけない)





猫のコーちゃん1歳2か月

2022-07-18 09:32:26 | 日記
コーちゃんがうちに来て1年。
昨年の6月にレスキューした野良猫家族の、4姉妹の1匹だったコーちゃん。
毎日こうやって1匹ずつ、のみ取りスプレーをかけて櫛で梳かしたっけ。


右手前が1年前のコーちゃん

縁があって、里子に出したコーちゃんが我が家に戻ってきた。
間に立ってくれた人が、コーちゃんの里親を「このヒトは信用できない、猫を預けられない」と言い張って渡さなかったから。
うちでお世話をしていたとき、名前をつけて呼んでいたのは1匹だけで、やはりこれは縁があったとしか思えない。
名前の由来は「奇心」のコー。ケージをよじ登るのも、新しいフードを食べるのもいつも1番最初の好奇心旺盛猫だった。

うちに来たばかりの頃のコーちゃん

推定で昨年5月の終わりごろ生まれたと思われるので、1歳2か月。
半年を過ぎた頃から、毛足がどんどん長くなり、尻尾がふっさふさになって、ママ猫のソフィアにそっくりになってきた。
食いしん坊で、元気いっぱい。
食べるのもゆっくりになってきている、7歳の先住猫たちと一緒に食事をすると、コーちゃんは自分のフードをそっちのけで彼らのフードをバリバリと食べてしまうので、
コーちゃんだけ階段下物入の中で食べ、先住猫たちが食べ終わったらドアを開けるようにしている。

先住猫たちとも仲良し

動物病院から、1年目の健康診断のお知らせがきた。
心配といえば、先週、午後2時ごろに朝食で食べたものを全部吐き、1時間あとに茶色がかった液体を吐き、さらに黄色っぽい液体を吐き、そのあとは食べ物を見ても知らんぷり。
猫は時々吐くけれど、あんなに食いしん坊なコーちゃんが食欲がなく、じーっとしているので心配になった。

健康診断の予約をとって連れていくと、まさかのポッチャリ猫だったことが判明。
10パウンドもあった。(4.5キロ)

夫が、

「やっぱチーズケーキ(先住猫)が食べ残したフードをコーちゃんに食べさせてたのが悪かったのかなあ」

と言うので驚いた。

「そりゃダメでしょうよ。なんでそんなことしたん?」

「若いから大丈夫だと思ったんだけどなあ」

猫にフードをあげるのはどちらと決まっておらず、その時できる方がやっている。まさか夫がそんなことしていたなんて。
それじゃフードの量がわかる計量スプーンを使っている意味がない。まったく、ない。
私はコーちゃんの消化能力に問題があるのかと思って、ドライフードをフードプロセッサーで小さく砕いたり、食事を何回かに分けたりして努力していたのに、ただの食べ過ぎで胸やけしてただけだったとは・・・・

ダイエット突入、不満なコーちゃん

まあ、健康でなにより。






クチコミ

2022-07-17 07:45:57 | 日記
私の車は2012年に新車で買った白のSCIONだ。(買った時の記事はコチラ
パンデミックの間に、いきなり車の屋根の塗装がパリパリと剥がれてきて、見るも無残な姿になった。
全国展開の大きなショップに持って行き、屋根を塗り替えてもらったのが、2年ほど前。
塗り替え費用が1100ドル(14万円ぐらい)かかったうえに、車を受け取りに行ったら、持ち込んだ時には剥がれていなかった部分がハゲになっていた。
塗り替えるのにマスキングテープを貼って、それをはがしたときに一緒に塗装も剥がれたのだ。

「どうせここはそのうち剥がれてきちゃうとこだから」

とは向こうの言い分。
それはそうだろうけど、とりあえず今は剥がれていないところがハゲたのはそちらの手落ちだと言ってみても、まったく譲る気配もなし。
その不毛なやり取りを聞いていた、一緒に行ったシュートメが、

「もういいわよ、帰りましょ。たかが車よ」

と言い、私もいい加減頭に来ていたので帰ってきたが、いまだにその店がどれほど対応が悪かったかを会う人に言いふらしている(こういうのが1番始末が悪いんだよね)


マスキングテープと一緒に剥がれた部分から、だんだんと塗装が剥がれてきたのは、それからすぐだ。
その店に車を持ち込んだ時、SCIONは塗装の質が悪いと言われている、と言っていた。
SCIONはトヨタが北米で立ち上げたブランドだが(今はもうない)、腐ってもトヨタ。
まさかそんなお粗末な仕事をするとは。
今まで何台もの車を乗り継いできたが、こんなふうに塗装が剥がれるなんてことは1度もなかった。

剥がれてきたのは車の後部で、後ろ側のウィンドウの上のヘリ。
ほとんど通勤車だし、ヘリの部分だけなら我慢もしようと思っていたところ、数週間前、夫が洗車をしていて、ホースの水を勢いよくかけたら、後部のワイパーがある下の部分の塗装が、けっこうな大きさで剥がれてしまった。

とりあえず、白のスプレーで下地の色をカバーしておいたが、毎日そこを見ると気分が下がる。
あと5年はこの車に乗ろうと思っているのに、5年間も毎日気分が下がることを思うと我慢が尽きた。
私が車を塗装に出すことにしたと言うと、夫が、
「そのうち他の部分だって剥がれてくるんだから、今やっても同じじゃんか」などと言う。

「私には絵を売ってる副収入がある」
「いやいや、お金のことじゃなくてさ」
「じゃ、何なのさ」
「やりたければ、やればいいけどさ・・」

やりますとも。別に夫に意見を聞かなくてもいいけど、一応言ってみただけ。
前に持っていった店にはもちろん行かない。
家の近所で塗装してくれるところをネットで探して、今日、見積もりをしてもらおうと車を持ち込んでみた。
そこは個人でやっている小さなカーリペアショップで、かなり忙しそう。
お店の人が、私の車を見て言った。

「たぶんトヨタでやってもらえると思うよ、メーカーの手落ちだもの。
もしだめならうちでやるけど、まず先に聞いてみな」

お礼を言って、トヨタに電話をしてみたら、2010年以降のSCIONはリコールの対象になっていて、無料で塗り替えるというではないか。
それも、車を買ったホノルルでなく、うちの村にあるトヨタでできるという。
さっそく来週の予約を取った。

大事なことを教えてくれた、リペアショップのオーナーに感謝。
その店がどんなに良心的なところか、会う人に言いふらそうと思う。



38年前のワンピース

2022-07-16 13:28:08 | 日記
夫と二人で、とりつかれたように断捨離して、家中の空気がガラリと変わった。
使うものだけで暮らすというシンプルなことが、こんなに気持ちがいいことだとは。

洋服のクロゼットは、2回に分けて見直した。
断捨離も段階を組んでやると、さらに物のシェイプアップになるみたい。
もう何回もの過去の断捨離の網をくぐりぬけてきた服も、いよいよ今回で手放すことにしたものが多い。

母からもらった服。
思い入れはあるけど、どう考えても着ないと思う。かといって処分もできず10年以上も箪笥の肥やし。
このたび、思い切って、2着だけ残して寄付した。
母が亡くなったあとで、姉妹が形見分けの一部で送ってくれたブラウス類は、残した。
独身の頃に、母が得意の洋裁で作ってくれたスカートは、たまに穿くし、手作りだからこれは手放さない。

寒がりのシュートメがクリスマスなどにくれた、薄手のダウン風のベストや、いかにもクリスマスというにぎやかな長袖セーターは、1度も着る機会がないけど手放すのは悪い気がしていたが、これらも寄付。

冬に日本に行った時用にとっておいたセーター類の中の、タートルネックのものや厚手のものは手放した。
日本に行くと、外は寒いが電車の中などは暖かいので、タートルネックのセーターだと汗ばむほど。
暖かいジャケットがあれば、薄いセーターのほうが過ごしやすいのだ。


そして、これも何度も断捨離の網をくぐりぬけてきたワンピース。

前身ごろに飾りボタンがある、ストンとしたワンピース。
これは姉のもので、美大時代に東京で私が姉と一緒に暮らしていた時代のもの。
姉が私にくれたのか、私が勝手にもらってきたのかは忘れた。
ハワイでは1度も着ていないが、夏の絽の着物みたいな薄い、しゃりっとした生地とデザインが好きで、残してきた。
今回迷った末、洗って、1度着て、それから考えようと思った。
これを着て、ギャラリーの作品補充などに出かけてみたら、着心地も悪くないし、意外と涼しいので、ほぼ普段着として着ることにした。

姉に写真を送って、このワンピース覚えてる?と聞いてみた。

「え。これ、私の?ほんと?覚えてないナア。好きなタイプではあるけど・・」

そんなものか。
38年の歳月を経て、まだ現役で着ることができる。不要なものをどんどん処分するのも大事だけど、こういうのも、いい。
姉は姉で、母が亡くなったあとの両親の居住場所(二世帯住宅の1階部分)の断捨離を、もう何か月もかけてやっている。
特に母は捨てられない人であり、姉の苦労が偲ばれる。
父のアトリエに残された、何百枚もの油絵のキャンバス。
着道楽だった母の、大量の洋服。
2人暮らしには多すぎる食器。

「何を撮りたかったのかわからない、まったく同じように見える風景写真が何百枚ってあるんだよ・・・・目的がかろうじてわかるものだけ残した」

父は油絵にするために、いろんな風景を写真に撮っていたのだろう。
姉とひとしきり、断捨離の話をしていたとき、姉が言った。


「お母さんは使えるものを捨てられない人だったけど、さばさば系の私にだってそういう呵責はある。
でも、そうやって残したらまた誰かが大変な思いをしなくちゃならないから、頑張って捨てるのよ。
ただ、思い入れのあるものは、とりあえず時を待ったほうがいいね。なんとなく残してある、じゃなくて、残す理由がちゃんとあればいい


手放す理由。
残す理由。
私が10年かけて、母からもらった服のいくつかを手放す準備ができたように、手放すにもタイミングがある。

「おかあさんにもらったこの服、好きだけど着ないから、誰か欲しい人にあげるね。ありがとうね」

そう心で言いながら、寄付用のコンテナに服を入れた。
母はさっぱりした性格だったから、怒りはしないだろう。

38年ぶりに復活した黒いワンピースを、この夏はたくさん着ようと思う。