大川小学校児童津波被害国賠訴訟を支援する会
宮城県石巻市立大川小学校で、2011年3月11日、74名の児童が津波の犠牲になった事件で遺族が行政を相手に起こした訴訟の控訴審の証人尋問の傍聴に行ってきた。
今日の証人は震災当時石巻市教育委員会で学校教育課長だった山田元郎氏と、大川小学校より上流の大川中学校の教頭だった登嶋紀行氏。山田氏は行政側として、登嶋氏は学校側として学校の安全をまもる責任を負うポジションにあった人である。
学校教育課長とは、学校教育事務の責任者として幼稚園から高校までをカバーし、各校の経営管理および教職員の指導管理を担当する。具体的には教職員に研修を実施し、各校の教育計画の策定を決済する。この教育計画に危機管理マニュアルも含まれている。
ところが山田氏の証言によれば、教育委員会は防災研修を実施したり危機管理マニュアルを策定するよう指導はするものの、提出された中身まではみていないらしい。各校の校長先生に任せっぱなし。理由は各校で状況が違うから、それこそ各校に指導主事が訪問指導するときまで、危機管理マニュアルを含む教育計画の中身の是非はノーチェック。といっても、震災前に最後に指導主事が大川小学校を訪問したのはいつなのかすら、彼は覚えてもいなかった。
この点については、被告側原告側だけでなく裁判官からも厳しく繰り返し追求されていたが、とにかく各校の校長がリーダーシップを取って策定するように指導しているのだからできていて当たり前だと“思う”の一点張りである。思うて。
まあそこまではこれまでの経緯からある程度は想定内といえなくもなかったのだが、一方で、学校安全の責任者である山田氏が学校保健安全法の該当箇所(第3章26条)も、宮城県教育委員会の災害対策要領もまったく把握していない様子なのには暗澹たる気分になった。それ明らかな職務怠慢でしょうがよ。ビックリするな。
山田氏に対しては、原告側代理人から「(各校に対して)こうしてもらいたいという願望だけ」という苛烈な指摘もあったが、それ以上に裁判官の質問はもっとタフなものだった。
裁判官は「仮定の話として、震災前、保護者から大川小学校には津波が来るから子どもを就学させたくないという申告があったら、あなたはそれを認めたか」と尋ねたのだ。山田氏の答えは「地域の人は津波は来ないといっているし、ハザードマップをみせて、お子さんの安全は教職員が全力で守ります、と伝えるのが基本」だった。
全力で守るといいながら、各校の危機管理マニュアルの中身はみていない。では山田氏のいう“全力”とはどういう意味なのか。存在してさえいればいいマニュアルや教育計画を毎年提出させる趣旨はなんなのかと問われても、大川小学校の通学区域にハザードマップの浸水域が含まれていたことも、大川小学校のマニュアルに保護者への児童引渡しのルールがなかったことにも、回答らしい証言はできなかった。
結果として、大川小学校の防災対策の不備が全児童の7割を喪うという未曾有の大惨事を招いたことは、既に明らかになっている通りである。
この裁判官の追求の間、原告席や傍聴席には、涙を流されているご遺族が何人もおられた。
親が子どもの命を預ける学校の、その安全をまもる責任者の無責任が、こんなふうに面と向かって追求されるのを皆さんはこの6年ずっと待っておられたのだと思う。
誰に何をいわれても責任逃れしかしてこなかった行政に対して、その態度の何がどう間違っているのかが、法的に示された証人尋問だった。
山田氏の後で証言した登嶋氏は、大川中学校に赴任して間もなく、近隣の飯野川中学校のマニュアルを参考に危機管理マニュアルを策定している。飯野川中の担当者である及川教諭が南三陸町から来られていて災害対策に経験のある人だったからだそうである。
登嶋氏のマニュアルによれば、津波のときは校舎3階に避難することが定められている。川のすぐ目の前に建っている大川中学校は大雨や台風などの浸水リスクが高く、周りには避難に適した高台がないからそう書いた、石巻市教育委員会とは避難場所について相談したことも指示されたこともなかったという。地震直後から高台への避難を呼びかけていたはずの防災無線は、校内にあったが当時聞こえていたかどうかは記憶にないし、津波が来る・来ないの判断材料をあらかじめ定めていたかどうかを明言することもできなかった。
ちなみに震災当日、大川中学校は卒業式が行われた後で校内に生徒がいなかったために惨事を免れているが、もし登嶋氏の証言通りの認識であったなら、タイミングが悪ければここでも同じことが起きた可能性はじゅうぶんに考えられる。だが実際には登嶋氏の意識はそこまで低かったわけではないかもしれない。現役の校長(仙台市内の中学校)として教育委員会に忖度したのかやたらに「浸水対策はあくまで大雨や台風の洪水を想定したもの(=津波は想定外)」としつこくいい続けるのがあまりにも不自然だったからだ。
とはいえ、過去に教育委員会が実施した危機管理研修や会議の内容をほとんど記憶していなかったり、マニュアルはつくっていても職員室に掲出しただけで子どもたちに周知したり避難訓練を実施していなかった点は、やはり学校安全の責任者としての職責を全うしているとはいえないだろう。それもこれも「紙はみんな津波で流されたから(内容を覚えていられるわけがない)」と言い放った口調は、周りに座っているご遺族のお気持ちを思うととても平常心で聞いていられるものではなかった。
傍聴席でみている限り、今回の証人尋問も完全に原告側のワンサイドゲームで、被告側に争う意欲が欠片もみうけられなかったのがとても気になった。
原告側としては、学校行政のどこにどんな不備があったのかがかなり明確になったことで一定の満足感のようなものは感じておられるようだったけれど、今日は時間がなくてできなかった質問もあったみたいだし、来月の公判でも証人尋問は続く。
裁判所はどうにか年内に結審して年度内に判決を出したい意向のようなのだが、この状況がどう転ぶのか、まだちょっと私にはよくわからないです。
いちばん印象に残ったのは、学校行政側の組織的過失を追求する今回の公判の流れを無視する形で原告側代理人が「原告の要望だから」とあえて尋ねた事後対応についての問答。震災直後1ヶ月も市教委として遺体捜索に協力しなかったのはなぜなのか、生存者の聞き取りメモの廃棄をなぜ承認したのか、上司として承認していないのなら廃棄は部下の勝手な判断なのかと畳みかけられて、山田氏は傍目にわかるほど狼狽していた。根は真面目で、嘘のつけない人なのだろう。「答えられない」とただ力なく繰り返すばかりだった。
しかし無責任もここまで堂々とされてしまうともう何がなんだか、自分がとんでもないパラレルワールドにはまってしまったような心地になる。これが日本の学校行政、学校安全の現実かと思うとほんとうに恐ろしい。
学校に通うお子さんがおられる方は、いますぐ学校にちゃんとそこのところ確認したほうがいいです。いざというとき、ほんとに大変なことになると思うから。
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ところが山田氏の証言によれば、教育委員会は防災研修を実施したり危機管理マニュアルを策定するよう指導はするものの、提出された中身まではみていないらしい。各校の校長先生に任せっぱなし。理由は各校で状況が違うから、それこそ各校に指導主事が訪問指導するときまで、危機管理マニュアルを含む教育計画の中身の是非はノーチェック。といっても、震災前に最後に指導主事が大川小学校を訪問したのはいつなのかすら、彼は覚えてもいなかった。
この点については、被告側原告側だけでなく裁判官からも厳しく繰り返し追求されていたが、とにかく各校の校長がリーダーシップを取って策定するように指導しているのだからできていて当たり前だと“思う”の一点張りである。思うて。
まあそこまではこれまでの経緯からある程度は想定内といえなくもなかったのだが、一方で、学校安全の責任者である山田氏が学校保健安全法の該当箇所(第3章26条)も、宮城県教育委員会の災害対策要領もまったく把握していない様子なのには暗澹たる気分になった。それ明らかな職務怠慢でしょうがよ。ビックリするな。
山田氏に対しては、原告側代理人から「(各校に対して)こうしてもらいたいという願望だけ」という苛烈な指摘もあったが、それ以上に裁判官の質問はもっとタフなものだった。
裁判官は「仮定の話として、震災前、保護者から大川小学校には津波が来るから子どもを就学させたくないという申告があったら、あなたはそれを認めたか」と尋ねたのだ。山田氏の答えは「地域の人は津波は来ないといっているし、ハザードマップをみせて、お子さんの安全は教職員が全力で守ります、と伝えるのが基本」だった。
全力で守るといいながら、各校の危機管理マニュアルの中身はみていない。では山田氏のいう“全力”とはどういう意味なのか。存在してさえいればいいマニュアルや教育計画を毎年提出させる趣旨はなんなのかと問われても、大川小学校の通学区域にハザードマップの浸水域が含まれていたことも、大川小学校のマニュアルに保護者への児童引渡しのルールがなかったことにも、回答らしい証言はできなかった。
結果として、大川小学校の防災対策の不備が全児童の7割を喪うという未曾有の大惨事を招いたことは、既に明らかになっている通りである。
この裁判官の追求の間、原告席や傍聴席には、涙を流されているご遺族が何人もおられた。
親が子どもの命を預ける学校の、その安全をまもる責任者の無責任が、こんなふうに面と向かって追求されるのを皆さんはこの6年ずっと待っておられたのだと思う。
誰に何をいわれても責任逃れしかしてこなかった行政に対して、その態度の何がどう間違っているのかが、法的に示された証人尋問だった。
山田氏の後で証言した登嶋氏は、大川中学校に赴任して間もなく、近隣の飯野川中学校のマニュアルを参考に危機管理マニュアルを策定している。飯野川中の担当者である及川教諭が南三陸町から来られていて災害対策に経験のある人だったからだそうである。
登嶋氏のマニュアルによれば、津波のときは校舎3階に避難することが定められている。川のすぐ目の前に建っている大川中学校は大雨や台風などの浸水リスクが高く、周りには避難に適した高台がないからそう書いた、石巻市教育委員会とは避難場所について相談したことも指示されたこともなかったという。地震直後から高台への避難を呼びかけていたはずの防災無線は、校内にあったが当時聞こえていたかどうかは記憶にないし、津波が来る・来ないの判断材料をあらかじめ定めていたかどうかを明言することもできなかった。
ちなみに震災当日、大川中学校は卒業式が行われた後で校内に生徒がいなかったために惨事を免れているが、もし登嶋氏の証言通りの認識であったなら、タイミングが悪ければここでも同じことが起きた可能性はじゅうぶんに考えられる。だが実際には登嶋氏の意識はそこまで低かったわけではないかもしれない。現役の校長(仙台市内の中学校)として教育委員会に忖度したのかやたらに「浸水対策はあくまで大雨や台風の洪水を想定したもの(=津波は想定外)」としつこくいい続けるのがあまりにも不自然だったからだ。
とはいえ、過去に教育委員会が実施した危機管理研修や会議の内容をほとんど記憶していなかったり、マニュアルはつくっていても職員室に掲出しただけで子どもたちに周知したり避難訓練を実施していなかった点は、やはり学校安全の責任者としての職責を全うしているとはいえないだろう。それもこれも「紙はみんな津波で流されたから(内容を覚えていられるわけがない)」と言い放った口調は、周りに座っているご遺族のお気持ちを思うととても平常心で聞いていられるものではなかった。
傍聴席でみている限り、今回の証人尋問も完全に原告側のワンサイドゲームで、被告側に争う意欲が欠片もみうけられなかったのがとても気になった。
原告側としては、学校行政のどこにどんな不備があったのかがかなり明確になったことで一定の満足感のようなものは感じておられるようだったけれど、今日は時間がなくてできなかった質問もあったみたいだし、来月の公判でも証人尋問は続く。
裁判所はどうにか年内に結審して年度内に判決を出したい意向のようなのだが、この状況がどう転ぶのか、まだちょっと私にはよくわからないです。
いちばん印象に残ったのは、学校行政側の組織的過失を追求する今回の公判の流れを無視する形で原告側代理人が「原告の要望だから」とあえて尋ねた事後対応についての問答。震災直後1ヶ月も市教委として遺体捜索に協力しなかったのはなぜなのか、生存者の聞き取りメモの廃棄をなぜ承認したのか、上司として承認していないのなら廃棄は部下の勝手な判断なのかと畳みかけられて、山田氏は傍目にわかるほど狼狽していた。根は真面目で、嘘のつけない人なのだろう。「答えられない」とただ力なく繰り返すばかりだった。
しかし無責任もここまで堂々とされてしまうともう何がなんだか、自分がとんでもないパラレルワールドにはまってしまったような心地になる。これが日本の学校行政、学校安全の現実かと思うとほんとうに恐ろしい。
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