『ぼくは日本兵だった』 J・B・ハリス著
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大正5年、イギリス人ジャーナリストと日本人女性の間に神戸で生まれ、自身もジャーナリストとして活躍中に徴兵され日本軍兵士として中国線戦で戦い、戦後は英語のラジオ講座講師を長年務めたジェームズ・バーナード・ハリス氏の回顧録。
ぐりは学生時代、英語に限らず勉強全般が大の苦手だったので、このハリス氏のことは名前どころか存在もまったく知らなくて、この本も今回偶然手に取ったんだけど。どーなんでしょーね?80年代までに大学を受験された世代の方なら、みなさんご存知なんでしょーか?ご子息はラジオ・パーソナリティのロバート・ハリス。
J・B・ハリス氏は日本に生まれ育ったが、イギリス人の父親は家の中では完全にイギリス式の生活をしていたらしい。その父の転勤でハリス氏は初等教育をアメリカで受けることになり、帰国後もカトリック系のミッションスクールに通った。だからこの時代の“日本人”としては珍しく、軍国教育をまったく受けていない。
そう、ハリス氏は“日本人”だった。見た目は完全なヨーロッパ系で通称名もJ・B・ハリスという英語の名前だったが、早くに父親を喪い、母子ふたりきりで日本で暮すにあたって帰化したのだ。平柳秀夫という日本語の名前もつけた。
ところが日本語教育を受けていないハリス氏は日本語の読み書きができない。日常会話に不自由はないが、漢字は理解できないし、当時の日本人なら誰もが教わるような軍国主義下での一般常識もよくわかっていないところが多い。でもクィーンズ・イングリッシュなら完璧にあやつれるし、帰国子女だから国際感覚にも長けている。
たぶん、彼のような人は少数派ではあるけれど、世界中どこへ行ってもどんな世代の誰にでも共感できるという、特殊な感覚をもっているのではないかと思う。それはどこにも属することのない不確かなアイデンティティに振り回されたマイノリティ特有の共鳴力とでも呼ぶべきものなのだろうか。
そんな出自をハンディキャップだととらえる人もいるかもしれない。でもハンディキャップは本人次第では武器にもなる。
だからなのか、ハリス氏の戦争体験には何かどことなしに楽天的な空気に満ちている。
この時代にヨーロッパ人に嫁いだ母親もそうとうに苦労したはずだし、ハーフとして生まれたハリス氏本人もさぞかしイヤな目にも遭ったはずである。だが本文には不思議とそういう不運なめぐりあわせに付き物の暗さがまったくない。それどころか、貧しさや苛酷さの中から幸運だったこと、心楽しかったことをピックアップして、塗り重ねるように書き連ねてある。
たとえばハリス氏は日米開戦直後にスパイ容疑で逮捕され、敵国人収容所に拘束されてしまう。ようやく釈放されると同時に徴兵。つまり、戦時中はほとんど日本の自宅で生活する時間はなかったことになる。この間、もちろん母子は離ればなれだったわけだが、ふたりは必ず生きて再会できるものと当り前のように信じあっていた。これはやはりハリス家が軍国主義にほとんど染まっていなかったからこその楽天主義なのではないだろうか。
軍隊ではお約束のように理不尽に暴力的な上官がいて厳しいしごきを受け、彼らに対する感情も素直に述懐しているが、それよりもハリス氏自身が強く共感した日本兵についての記述の方が印象的である。数にしてみればそれこそものすごい少数派だったはずだけれど。
そんなコスモポリタンの目から見た日中戦争記といえばかなりのレアものといえる本だが、暗さと同じく古さもいっさいなく、誰にでも非常に読みやすいやさしい本になっている。20年以上前の刊行だけど、おそらく今の10代の子が読んでも問題なくはいりこめるんじゃないかなあ。
軍事的な専門的描写もないし、その手の本がお好きな向きにはちょっと物足りないかもしれないけど、逆に戦争ものの本が苦手という人にはオススメの本だと思います。
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大正5年、イギリス人ジャーナリストと日本人女性の間に神戸で生まれ、自身もジャーナリストとして活躍中に徴兵され日本軍兵士として中国線戦で戦い、戦後は英語のラジオ講座講師を長年務めたジェームズ・バーナード・ハリス氏の回顧録。
ぐりは学生時代、英語に限らず勉強全般が大の苦手だったので、このハリス氏のことは名前どころか存在もまったく知らなくて、この本も今回偶然手に取ったんだけど。どーなんでしょーね?80年代までに大学を受験された世代の方なら、みなさんご存知なんでしょーか?ご子息はラジオ・パーソナリティのロバート・ハリス。
J・B・ハリス氏は日本に生まれ育ったが、イギリス人の父親は家の中では完全にイギリス式の生活をしていたらしい。その父の転勤でハリス氏は初等教育をアメリカで受けることになり、帰国後もカトリック系のミッションスクールに通った。だからこの時代の“日本人”としては珍しく、軍国教育をまったく受けていない。
そう、ハリス氏は“日本人”だった。見た目は完全なヨーロッパ系で通称名もJ・B・ハリスという英語の名前だったが、早くに父親を喪い、母子ふたりきりで日本で暮すにあたって帰化したのだ。平柳秀夫という日本語の名前もつけた。
ところが日本語教育を受けていないハリス氏は日本語の読み書きができない。日常会話に不自由はないが、漢字は理解できないし、当時の日本人なら誰もが教わるような軍国主義下での一般常識もよくわかっていないところが多い。でもクィーンズ・イングリッシュなら完璧にあやつれるし、帰国子女だから国際感覚にも長けている。
たぶん、彼のような人は少数派ではあるけれど、世界中どこへ行ってもどんな世代の誰にでも共感できるという、特殊な感覚をもっているのではないかと思う。それはどこにも属することのない不確かなアイデンティティに振り回されたマイノリティ特有の共鳴力とでも呼ぶべきものなのだろうか。
そんな出自をハンディキャップだととらえる人もいるかもしれない。でもハンディキャップは本人次第では武器にもなる。
だからなのか、ハリス氏の戦争体験には何かどことなしに楽天的な空気に満ちている。
この時代にヨーロッパ人に嫁いだ母親もそうとうに苦労したはずだし、ハーフとして生まれたハリス氏本人もさぞかしイヤな目にも遭ったはずである。だが本文には不思議とそういう不運なめぐりあわせに付き物の暗さがまったくない。それどころか、貧しさや苛酷さの中から幸運だったこと、心楽しかったことをピックアップして、塗り重ねるように書き連ねてある。
たとえばハリス氏は日米開戦直後にスパイ容疑で逮捕され、敵国人収容所に拘束されてしまう。ようやく釈放されると同時に徴兵。つまり、戦時中はほとんど日本の自宅で生活する時間はなかったことになる。この間、もちろん母子は離ればなれだったわけだが、ふたりは必ず生きて再会できるものと当り前のように信じあっていた。これはやはりハリス家が軍国主義にほとんど染まっていなかったからこその楽天主義なのではないだろうか。
軍隊ではお約束のように理不尽に暴力的な上官がいて厳しいしごきを受け、彼らに対する感情も素直に述懐しているが、それよりもハリス氏自身が強く共感した日本兵についての記述の方が印象的である。数にしてみればそれこそものすごい少数派だったはずだけれど。
そんなコスモポリタンの目から見た日中戦争記といえばかなりのレアものといえる本だが、暗さと同じく古さもいっさいなく、誰にでも非常に読みやすいやさしい本になっている。20年以上前の刊行だけど、おそらく今の10代の子が読んでも問題なくはいりこめるんじゃないかなあ。
軍事的な専門的描写もないし、その手の本がお好きな向きにはちょっと物足りないかもしれないけど、逆に戦争ものの本が苦手という人にはオススメの本だと思います。