『子どもと性被害』 吉田タカコ著
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『ミスティック・リバー』に続きまして。子どもの性的虐待についてのレビューです。
子どもの性的虐待、と聞いて皆さんどんなイメージがありますかね?たとえば、被害者ってどんな人でしょう?加害者ってどんな人でしょう?
小さいころ、「知らない人についていかない」「暗くなる前にうちに帰りなさい」と教わった人は多いと思う。でもそれと同時に「おとなのいうことは聞きなさい」と教えられた人、「ちんちん」「おしり」「おまんこ」など性器を表わす言葉を人前で口にしないよう教えられた人も多いだろうし、これらは子どもに対するしつけとして、どこでも誰にでも常識的なルールととらえられているのではないだろうか。
だがそれがぜんぶ間違っていたとしたらどうだろう。
子どもに対する性的虐待の加害者は、多くが被害者と日常的な関わりをもっているといわれている。父親・母親・兄弟姉妹・叔父や叔母・祖父母・親戚といった親族はいうにおよばず、親族の友人や従業員などの関係者、同居人、近所の人や学校・塾やお稽古事の教師、部活動のコーチ、学校の同級生や上級生・下級生、児童福祉施設職員や医師をふくむ医療関係者、教会職員など、加害者になりうる人間は子どものまわりにいくらでもいる。正確な統計は手元にないけど、おそらく子どもの性被害全体からみれば、加害者は「知らない人」よりも「知っている人」の方が多いはずである。なぜなら、子どものそばにいて虐待をくわえる機会を多くもつのは明らかに「知らない人」より「知っている人」だからだ。
そして被害にあう場所も、家庭や学校など子どもの生活の場と重なりあうことが多い。先月一審判決が下りた酒井康資被告(フィギュアスケートコーチ。13歳の教え子を強姦)は自宅で凶行に及んでいるが、加害者が身近な人間である場合は被害が起こるのも身近な場所になる。「暗くなる前にうちに帰」っていても、子どもの性を完全に守ることはできない。
ぐりは理想主義者でも楽観主義者でもないので、子どもに対する性被害は決して現実世界からなくなったりしないだろうと思っている。
でも、少しでも数を減らすことや、起きてしまった被害から子どもの心を回復させることはできるはずだと思っている。
たとえば、被害にあった子どもは自分に何が起こったのかわからず、誰にも相談できないまま、さらなる虐待を自ら助長してしまったり、精神的に深刻なダメージを受けてしまうことがある。
だから、子どもには自分のからだを守るための知識が必要だし、起きてしまったことをすぐに相談できる相手と、安心して逃げ込める場所が必須になる。
ところが、子どもへの性的虐待そのものが認知されて間もない日本には、そうしたケアができるシステムがまだほとんど整備されていないのが現状だという。教育現場には有効な性教育もなかなか受け入れられていない。
虐待を見抜ける社会、虐待から子どもを守れる社会をつくっていくのには、気が遠くなるような長い道のりが待っている。
けど、それがほんとうに必要とされていることを誰もが認めさえすれば、そんなに難しいことではないはずだと、ぐりは思う。
少なくとも、性的虐待にあった子どもやそうした過去をもつ人たちへの偏見をなくすことや、子どもの人権を無視した児童ポルノへの毅然とした拒否は、市民ひとりひとりが堂々と主張していくことで、被害を少なくしたり未然に防ぐための有効な手段になりうる。
そんなのべつに難しくもなんともない。
誰にだって、今からだってできるはず。
違いますか。
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『ミスティック・リバー』に続きまして。子どもの性的虐待についてのレビューです。
子どもの性的虐待、と聞いて皆さんどんなイメージがありますかね?たとえば、被害者ってどんな人でしょう?加害者ってどんな人でしょう?
小さいころ、「知らない人についていかない」「暗くなる前にうちに帰りなさい」と教わった人は多いと思う。でもそれと同時に「おとなのいうことは聞きなさい」と教えられた人、「ちんちん」「おしり」「おまんこ」など性器を表わす言葉を人前で口にしないよう教えられた人も多いだろうし、これらは子どもに対するしつけとして、どこでも誰にでも常識的なルールととらえられているのではないだろうか。
だがそれがぜんぶ間違っていたとしたらどうだろう。
子どもに対する性的虐待の加害者は、多くが被害者と日常的な関わりをもっているといわれている。父親・母親・兄弟姉妹・叔父や叔母・祖父母・親戚といった親族はいうにおよばず、親族の友人や従業員などの関係者、同居人、近所の人や学校・塾やお稽古事の教師、部活動のコーチ、学校の同級生や上級生・下級生、児童福祉施設職員や医師をふくむ医療関係者、教会職員など、加害者になりうる人間は子どものまわりにいくらでもいる。正確な統計は手元にないけど、おそらく子どもの性被害全体からみれば、加害者は「知らない人」よりも「知っている人」の方が多いはずである。なぜなら、子どものそばにいて虐待をくわえる機会を多くもつのは明らかに「知らない人」より「知っている人」だからだ。
そして被害にあう場所も、家庭や学校など子どもの生活の場と重なりあうことが多い。先月一審判決が下りた酒井康資被告(フィギュアスケートコーチ。13歳の教え子を強姦)は自宅で凶行に及んでいるが、加害者が身近な人間である場合は被害が起こるのも身近な場所になる。「暗くなる前にうちに帰」っていても、子どもの性を完全に守ることはできない。
ぐりは理想主義者でも楽観主義者でもないので、子どもに対する性被害は決して現実世界からなくなったりしないだろうと思っている。
でも、少しでも数を減らすことや、起きてしまった被害から子どもの心を回復させることはできるはずだと思っている。
たとえば、被害にあった子どもは自分に何が起こったのかわからず、誰にも相談できないまま、さらなる虐待を自ら助長してしまったり、精神的に深刻なダメージを受けてしまうことがある。
だから、子どもには自分のからだを守るための知識が必要だし、起きてしまったことをすぐに相談できる相手と、安心して逃げ込める場所が必須になる。
ところが、子どもへの性的虐待そのものが認知されて間もない日本には、そうしたケアができるシステムがまだほとんど整備されていないのが現状だという。教育現場には有効な性教育もなかなか受け入れられていない。
虐待を見抜ける社会、虐待から子どもを守れる社会をつくっていくのには、気が遠くなるような長い道のりが待っている。
けど、それがほんとうに必要とされていることを誰もが認めさえすれば、そんなに難しいことではないはずだと、ぐりは思う。
少なくとも、性的虐待にあった子どもやそうした過去をもつ人たちへの偏見をなくすことや、子どもの人権を無視した児童ポルノへの毅然とした拒否は、市民ひとりひとりが堂々と主張していくことで、被害を少なくしたり未然に防ぐための有効な手段になりうる。
そんなのべつに難しくもなんともない。
誰にだって、今からだってできるはず。
違いますか。