5月2日(金)~6日(火)の日程で宮城県気仙沼市唐桑半島に行って来た。
3年前、迷って悩んで、震災後初めて東北入りしたのがGWだった(当時の記事)。電気もガスも水道も泊まるべき屋根のある施設もなければ風呂もない、半径30km圏内にコンビニやスーパーやガソリンスタンドも含め営業している店は一軒もない。郵便局も銀行も電車もバスもなかった。寒くて凍えながらテントの中で眠れない夜をしのぎつつ屋外キッチンで毎日千人分の食事をつくり続けた日々の経験は、ぐりの人生観や価値観をまったく別のものに変えてしまった。
以来GWが巡ってくるたびに、あの死に物狂いの石巻のキッチンを思い出す。あって当り前のものなどこの世に何もないことを知り、すべての運命はいつ誰に降りかかっても不思議ではないことを知り、果てしない優しさこそが人の強さであることを知った、東北の日々のことを。
今回のミッションはこの冬の大雪で倒壊した空き家の解体とその廃材の処分、それとは別に大雪で倒壊した倉庫の修復、津波の後に立ち枯れた樹木を伐採したことで流出した斜面の修復。見事に全部土方である。
移動を除いて3日間、がっつり土方のつもりで作業着やら長靴やら革手袋やら揃えて気合いを入れて東北入りしたのですがー。現実には、民宿のお台所のお手伝いでした。
というのも、土方作業の依頼者のひとりが民宿を経営しており。もともと津波の被災者で漁業者でもあるそのお宅ではこれまでにもさんざっぱらお世話になっている。われわれボランティアにとっては半ば身内のような方々でもある。その方に「ぐりちゃんは台所お願い」といわれれば断る理由もない。連休で滞在者も多い。やることはいっぱいある。
そして3日間朝から晩まで、お料理と皿洗い三昧の日々を過ごして終わった。
でもまあ、これはこれで楽しい。もともと料理は嫌いではないし、つくったものを人に食べてもらうのもどちらかといえば好きな方だ。皿洗いはもっと好きだし。
今回はたまたま元寿司職人の板前さんも手伝いに来ていて、献立は彼が決めてぐりはただ手伝うだけだから気楽なものだ。とはいえ学生時代に懐石コースを出す日本料理店でしばらくアルバイトしていたので、お膳の並べ方や料理の盛り方にはうっすら覚えがある。新鮮この上ない最高級の海産物や、見たことも聞いたこともない珍しい食材が、魔法のように美味しい料理に変身するのを傍で見ているのはほんとうに楽しかった。
ここでの滞在ではしょっちゅう初めて食べるものに出くわすのだが、今回の初対面はマグロの卵にタラのお刺身とお寿司、ホタテの卵にダチョウの卵。なんでこんなところにダチョウの卵があるのかはよくわからなかったけど、電動ドリルで殻に穴をあけて中身を取り出し、40枚のホットケーキと大きな出汁巻き卵をつくった。
地域で活動する他のボランティアチームの宴会では大量の居酒屋メニューをつくった。果てしなく鶏肉を揚げ続けながら、3年前の石巻のキッチンを思い出す。ただ食べてくれる人に心から楽しんでもらうために料理をすることの喜びを知った、寒い寒いGWのことを。
あれから3年が経った。
ぐりの生活環境は激変したけど、東北の復興の道程はまだまだ遠い。確かに少しずつ進んではいる。だがその歩みのじれったさには既に多くの人が怒りも苛立ちも感じなくなっている。それが正しいことなのかどうかはぐりにはわからない。
なるようにしかならないと構える以外に正解があるのなら、本気で探したいとは思うのだけれど、当事者でないぐりに何が出来るというのだろうか。
ただ皆さんの言葉を黙って聞いて、皆さんの気持ちを受け入れる以外に、出来ることはあるのだろうか。
唐桑半島、鮪立(しびたち)の入江から早馬山を臨む。
復興ボランティアレポート
<iframe src="https://maps.google.com/maps/ms?msa=0&msid=215584762762779580852.0004a3273e8cfea5ff132&hl=ja&ie=UTF8&ll=38.218142,141.272216&spn=1.593958,0.79899&t=m&output=embed" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="425" height="350"></iframe>
より大きな地図で 災害ボランティアレポートマップ を表示
3年前、迷って悩んで、震災後初めて東北入りしたのがGWだった(当時の記事)。電気もガスも水道も泊まるべき屋根のある施設もなければ風呂もない、半径30km圏内にコンビニやスーパーやガソリンスタンドも含め営業している店は一軒もない。郵便局も銀行も電車もバスもなかった。寒くて凍えながらテントの中で眠れない夜をしのぎつつ屋外キッチンで毎日千人分の食事をつくり続けた日々の経験は、ぐりの人生観や価値観をまったく別のものに変えてしまった。
以来GWが巡ってくるたびに、あの死に物狂いの石巻のキッチンを思い出す。あって当り前のものなどこの世に何もないことを知り、すべての運命はいつ誰に降りかかっても不思議ではないことを知り、果てしない優しさこそが人の強さであることを知った、東北の日々のことを。
今回のミッションはこの冬の大雪で倒壊した空き家の解体とその廃材の処分、それとは別に大雪で倒壊した倉庫の修復、津波の後に立ち枯れた樹木を伐採したことで流出した斜面の修復。見事に全部土方である。
移動を除いて3日間、がっつり土方のつもりで作業着やら長靴やら革手袋やら揃えて気合いを入れて東北入りしたのですがー。現実には、民宿のお台所のお手伝いでした。
というのも、土方作業の依頼者のひとりが民宿を経営しており。もともと津波の被災者で漁業者でもあるそのお宅ではこれまでにもさんざっぱらお世話になっている。われわれボランティアにとっては半ば身内のような方々でもある。その方に「ぐりちゃんは台所お願い」といわれれば断る理由もない。連休で滞在者も多い。やることはいっぱいある。
そして3日間朝から晩まで、お料理と皿洗い三昧の日々を過ごして終わった。
でもまあ、これはこれで楽しい。もともと料理は嫌いではないし、つくったものを人に食べてもらうのもどちらかといえば好きな方だ。皿洗いはもっと好きだし。
今回はたまたま元寿司職人の板前さんも手伝いに来ていて、献立は彼が決めてぐりはただ手伝うだけだから気楽なものだ。とはいえ学生時代に懐石コースを出す日本料理店でしばらくアルバイトしていたので、お膳の並べ方や料理の盛り方にはうっすら覚えがある。新鮮この上ない最高級の海産物や、見たことも聞いたこともない珍しい食材が、魔法のように美味しい料理に変身するのを傍で見ているのはほんとうに楽しかった。
ここでの滞在ではしょっちゅう初めて食べるものに出くわすのだが、今回の初対面はマグロの卵にタラのお刺身とお寿司、ホタテの卵にダチョウの卵。なんでこんなところにダチョウの卵があるのかはよくわからなかったけど、電動ドリルで殻に穴をあけて中身を取り出し、40枚のホットケーキと大きな出汁巻き卵をつくった。
地域で活動する他のボランティアチームの宴会では大量の居酒屋メニューをつくった。果てしなく鶏肉を揚げ続けながら、3年前の石巻のキッチンを思い出す。ただ食べてくれる人に心から楽しんでもらうために料理をすることの喜びを知った、寒い寒いGWのことを。
あれから3年が経った。
ぐりの生活環境は激変したけど、東北の復興の道程はまだまだ遠い。確かに少しずつ進んではいる。だがその歩みのじれったさには既に多くの人が怒りも苛立ちも感じなくなっている。それが正しいことなのかどうかはぐりにはわからない。
なるようにしかならないと構える以外に正解があるのなら、本気で探したいとは思うのだけれど、当事者でないぐりに何が出来るというのだろうか。
ただ皆さんの言葉を黙って聞いて、皆さんの気持ちを受け入れる以外に、出来ることはあるのだろうか。
唐桑半島、鮪立(しびたち)の入江から早馬山を臨む。
復興ボランティアレポート
<iframe src="https://maps.google.com/maps/ms?msa=0&msid=215584762762779580852.0004a3273e8cfea5ff132&hl=ja&ie=UTF8&ll=38.218142,141.272216&spn=1.593958,0.79899&t=m&output=embed" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="425" height="350"></iframe>
より大きな地図で 災害ボランティアレポートマップ を表示