『The Depths』
韓国の一流フォトグラファー・ペファン(キム・ミンジュン)は日本に住む写真仲間ギルス(パク・ソヒ)の結婚式に招かれて訪日。式の最中に会場を抜け出した花嫁を追って出たペファンは、式場の近くで撮れたスナップに写っていたリュウ(石田法嗣)に被写体として激しく惹かれ、偶然再会した彼を韓国に連れて帰りモデルにしたいと本気で考え始めるのだが・・・。
2010年東京芸術大学・韓国国立映画アカデミー共同製作作品 。
東京フィルメックスで上映してたらしいですが初見です(英語字幕版)。
なんでこれちゃんと一般公開されてないんでしょーね?もったいなー。完成度高いのに。
登場人物は限られていて、世界観はペファン側とリュウ側にくっきりと分割されている。そのふたつの輪がリンクし絡み合っていくことで物語が進行していく。とても単純だ。細かいディテールも説明もない。リアリティすらない。
でもこの映画を観てると、シナリオがちゃんとしていて演出が的確であれば、そういう枝葉末子はどうでもいいんだなあと改めて感じる。映像によって観る者を別世界に連れて行く、それだけの装置として最低限の機能さえあれば映画は成り立つのだと。
ペファンはたまたまギルスのスタジオに連れてこられたリュウに執着し、強引にモデルを依頼する。ギルスは地下組織に飼われた男娼というリュウの素性を知っていてペファンを思いとどまらせようとするが、アーティストである彼はまったく意に介さない。表現者にとってインスピレーションは何よりも大切なものだからだ。おそらくその動機そのものは最初から最後まで変わらないつもりだったのだろう。
だがある瞬間に、彼はもっとも大切にしていたものがあっさりと消えてしまっていることにふと気づく。もしかしたらどこかで自ら手放してしまったのかもしれない。知らず知らずのうちに別なものにすり替わってしまったのかもしれない。いずれにせよ、夢中で握りしめていたはずのそれは既に彼の手の中にはなかった。
その一瞬の描写がもうなんともいえない。リアルだ。
全編ほぼ自然光のロケ撮影なのだが、光や水や風や空気の捉え方が非常に美しい。カメラワークも編集もものすごくオシャレ。それもさりげないの。ほれオシャレやろ、イケとるやろ、って感じじゃないの。なのにムチャクチャ完成されてる。綺麗です。音楽の使い方も無駄がない。なんか日本映画じゃないみたい。全体に画面が暗めでブルーがかっていて乾いて静かで閉鎖的で、雰囲気的には北野武作品に非常に似てる。監督の濱口竜介は芸大の教え子にあたるから、もしかしたら似てて当り前かもしれない(授業は一回だけだったらしいけど)。
劇中のペファンの写真も全部いい。映像作品に出てくるアート作品ってだいたいがインチキくさいけど、そこはさすが芸大、ばっちり外さない。
ぐりはこの主役のキム・ミンジュンは全然知らなかったんだけど、スターなんだよね。スラリとした長身で手脚が長くて背中が広くて胸板が厚くて、くしゃっとした笑顔が優しげで、見るからに頼りがいがありそうなナイスガイ。アーティストらしくワガママで何でも思い通りに出来ると思いこんでいる尊大さは若干鼻につくけど、嫌味がなくて爽やかで、どう見ても男娼になんかよろめきそうにないタイプ。ギルスがいうように、社会的地位にも才能にも家庭にも恵まれた「勝ち組」でもある一方で、なぜかそこはかとなく寄る辺ない寂しげな表情がかわいらしい。
もうひとりの主人公であるリュウを演じた石田法嗣も初めて見た。いわゆる美形でも中性的でもなくとくに目立つような容貌でもなく、一見どこにでもいそうでありつつ、小柄で華奢で野性的な少年っぽさが魅力的。これが手当り次第に男を誘惑しては残らず夢中にさせてしまうという、かなりタチの悪い魔性の男を力いっぱいのびのびと演じている。見ていてちょっと困ってしまう。彼の外見に性的な生々しさはないのに、誰もがころっと虜にされる手管にはやけに説得力があるからだ。これと見定めたターゲットに向ける彼の表情や仕草や声音の醸し出す、得もいわれぬ繊細で無防備なフェロモンがあまりにも何気なさすぎるのが恐ろしい。こういうのを演技力といっていいのだろうか。
場末の風俗街で写真スタジオを経営するギルス役のパク・ソヒは舞台やらテレビやら映画やらでちょくちょく見かける人ですね。この人もマッチョ。良い声してます。彼はペファンとは逆に、リュウに対して端から無駄に高圧的というか攻撃的なのがむしろあやうく見えるキャラクター。そして見たまんまの展開がもう清々しい(笑)。
ラストシーンを観て感じたのだが、究極な話、恋愛なんてそれと気づくまでがいちばん楽しくて、そのあとは多少の波こそあれただ醒めていくだけなのかもしれない。
怖い怖いと思いながら、経験したことのない誘惑を心のどこかでじっと待っている。強烈に引き寄せられていく恋の魔力に翻弄されているうちはそれを感覚のままに楽しめばいい。
だが直接的にせよ間接的にせよ、相手の実在に触れ、その先を考え始めたとき、恋は終わるのだろう。その先は、愛というまた別の動力によって人は関わりあい、つながりあっていく。
その刹那のひらめきを丁寧に切りとった映画として、この物語はとてもよくできているし、好きだと思いました。
見終わってしまえばセレブという勝者とセックスワーカーという社会の底辺にいる弱者の恋というフォーマット通りの陳腐なモチーフではあるのだが、弱者側が女性ではなく少年であるというギミックと日韓という微妙な関係を持つ国の境と言語の壁を挟むことで、よりストレートな人の心の底の欲求の物語として表現することに成功している。だいたい、映画が始まってもなかなか恋愛は始まらない。始まるや否や速攻で映画は終わってしまう。
こんな恋の描き方もアリなのかと、新鮮に感じました。
韓国の一流フォトグラファー・ペファン(キム・ミンジュン)は日本に住む写真仲間ギルス(パク・ソヒ)の結婚式に招かれて訪日。式の最中に会場を抜け出した花嫁を追って出たペファンは、式場の近くで撮れたスナップに写っていたリュウ(石田法嗣)に被写体として激しく惹かれ、偶然再会した彼を韓国に連れて帰りモデルにしたいと本気で考え始めるのだが・・・。
2010年東京芸術大学・韓国国立映画アカデミー共同製作作品 。
東京フィルメックスで上映してたらしいですが初見です(英語字幕版)。
なんでこれちゃんと一般公開されてないんでしょーね?もったいなー。完成度高いのに。
登場人物は限られていて、世界観はペファン側とリュウ側にくっきりと分割されている。そのふたつの輪がリンクし絡み合っていくことで物語が進行していく。とても単純だ。細かいディテールも説明もない。リアリティすらない。
でもこの映画を観てると、シナリオがちゃんとしていて演出が的確であれば、そういう枝葉末子はどうでもいいんだなあと改めて感じる。映像によって観る者を別世界に連れて行く、それだけの装置として最低限の機能さえあれば映画は成り立つのだと。
ペファンはたまたまギルスのスタジオに連れてこられたリュウに執着し、強引にモデルを依頼する。ギルスは地下組織に飼われた男娼というリュウの素性を知っていてペファンを思いとどまらせようとするが、アーティストである彼はまったく意に介さない。表現者にとってインスピレーションは何よりも大切なものだからだ。おそらくその動機そのものは最初から最後まで変わらないつもりだったのだろう。
だがある瞬間に、彼はもっとも大切にしていたものがあっさりと消えてしまっていることにふと気づく。もしかしたらどこかで自ら手放してしまったのかもしれない。知らず知らずのうちに別なものにすり替わってしまったのかもしれない。いずれにせよ、夢中で握りしめていたはずのそれは既に彼の手の中にはなかった。
その一瞬の描写がもうなんともいえない。リアルだ。
全編ほぼ自然光のロケ撮影なのだが、光や水や風や空気の捉え方が非常に美しい。カメラワークも編集もものすごくオシャレ。それもさりげないの。ほれオシャレやろ、イケとるやろ、って感じじゃないの。なのにムチャクチャ完成されてる。綺麗です。音楽の使い方も無駄がない。なんか日本映画じゃないみたい。全体に画面が暗めでブルーがかっていて乾いて静かで閉鎖的で、雰囲気的には北野武作品に非常に似てる。監督の濱口竜介は芸大の教え子にあたるから、もしかしたら似てて当り前かもしれない(授業は一回だけだったらしいけど)。
劇中のペファンの写真も全部いい。映像作品に出てくるアート作品ってだいたいがインチキくさいけど、そこはさすが芸大、ばっちり外さない。
ぐりはこの主役のキム・ミンジュンは全然知らなかったんだけど、スターなんだよね。スラリとした長身で手脚が長くて背中が広くて胸板が厚くて、くしゃっとした笑顔が優しげで、見るからに頼りがいがありそうなナイスガイ。アーティストらしくワガママで何でも思い通りに出来ると思いこんでいる尊大さは若干鼻につくけど、嫌味がなくて爽やかで、どう見ても男娼になんかよろめきそうにないタイプ。ギルスがいうように、社会的地位にも才能にも家庭にも恵まれた「勝ち組」でもある一方で、なぜかそこはかとなく寄る辺ない寂しげな表情がかわいらしい。
もうひとりの主人公であるリュウを演じた石田法嗣も初めて見た。いわゆる美形でも中性的でもなくとくに目立つような容貌でもなく、一見どこにでもいそうでありつつ、小柄で華奢で野性的な少年っぽさが魅力的。これが手当り次第に男を誘惑しては残らず夢中にさせてしまうという、かなりタチの悪い魔性の男を力いっぱいのびのびと演じている。見ていてちょっと困ってしまう。彼の外見に性的な生々しさはないのに、誰もがころっと虜にされる手管にはやけに説得力があるからだ。これと見定めたターゲットに向ける彼の表情や仕草や声音の醸し出す、得もいわれぬ繊細で無防備なフェロモンがあまりにも何気なさすぎるのが恐ろしい。こういうのを演技力といっていいのだろうか。
場末の風俗街で写真スタジオを経営するギルス役のパク・ソヒは舞台やらテレビやら映画やらでちょくちょく見かける人ですね。この人もマッチョ。良い声してます。彼はペファンとは逆に、リュウに対して端から無駄に高圧的というか攻撃的なのがむしろあやうく見えるキャラクター。そして見たまんまの展開がもう清々しい(笑)。
ラストシーンを観て感じたのだが、究極な話、恋愛なんてそれと気づくまでがいちばん楽しくて、そのあとは多少の波こそあれただ醒めていくだけなのかもしれない。
怖い怖いと思いながら、経験したことのない誘惑を心のどこかでじっと待っている。強烈に引き寄せられていく恋の魔力に翻弄されているうちはそれを感覚のままに楽しめばいい。
だが直接的にせよ間接的にせよ、相手の実在に触れ、その先を考え始めたとき、恋は終わるのだろう。その先は、愛というまた別の動力によって人は関わりあい、つながりあっていく。
その刹那のひらめきを丁寧に切りとった映画として、この物語はとてもよくできているし、好きだと思いました。
見終わってしまえばセレブという勝者とセックスワーカーという社会の底辺にいる弱者の恋というフォーマット通りの陳腐なモチーフではあるのだが、弱者側が女性ではなく少年であるというギミックと日韓という微妙な関係を持つ国の境と言語の壁を挟むことで、よりストレートな人の心の底の欲求の物語として表現することに成功している。だいたい、映画が始まってもなかなか恋愛は始まらない。始まるや否や速攻で映画は終わってしまう。
こんな恋の描き方もアリなのかと、新鮮に感じました。