落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

あなたの奥さんじゃない

2014年09月15日 | movie
『12人の優しい日本人』
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21歳のシングルマザーが別れた夫に復縁を迫られて路上でもみあいになり、はずみで殺してしまった。その裁判の陪審員に選ばれた12人が彼女の有罪・無罪を評議する。それぞれに善くも悪くも“日本人らしい”成人男女だが、素性も価値観も性向も異なる人々が互いの思いをぶつけあうことで、物事の本質を見極めようとする過程を描いた密室劇。
三谷幸喜の戯曲を中原俊が映像化した1991年の映画。

あーおもしろかった。
20数年ぶりの再見だけど、いま観ても全然古さがなくて、却って普遍的に感じるくらい楽しめました。
最初に確認しておかなくてはならないのは、この映画が公開された後(2009年)で開始された裁判員制度と陪審制度は厳密には違う制度だということ。陪審制では裁判官は評議に参加しないし、量刑について陪審員は判断しない。裁判員制度では裁判を行うのはあくまで裁判官であり、裁判員はそこに参加する一員ということになる。
この映画で描かれるのは日本でも昭和初期に一時期実施されていた陪審制で、法律にはまったくの素人の12人の一般庶民だけで被告の罪が議論される。つまり、被告の裁判後の人生すべてにおける責任を、彼ら12人が負うということになる。他の誰の助けもない。

この映画を観ていていちばん怖いなあと思ったのはこの点だ。
有罪にせよ無罪にせよ、陪審員が決めた評決によって被告のその後の人生は決定づけられてしまう。それほどの重さを、12人の誰ひとり感じていないように見える。ぐりは裁判員の経験はないので実際にいま裁判に参加している方々がどうとらえているのかはまったくわからないけど、世間で日々起こる事件について、誰も彼もが無責任な評論家気取りでいいたいことをどこででもいえる今の世の中、発言者がいちいちいわれる方の身になってものを考えているとは思えないことも多々ある。そのリアリティが怖かった。
映画では陪審のみが描かれるので、画面には被告は一度も登場しない。被告だけではない、被害者も、両者の家族も友人も証人も、事件の直接の関係者は誰ひとりでてこない。だが明らかなのは、12人の評決によって彼らのその後が大きく左右されるであろうことに、12人の誰ひとり逡巡する様子がないことだ。
演出上あえて排除された要素なのかもしれないけど、ぐりはその部分がいちばん“日本人らしい”と感じてしまった。不謹慎にも。

裁判の基本は“百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ”、“「合理的な疑い」がある限り被告人を無罪にしなければならない”。どんなに疑わしくても、疑問の余地のない証拠が揃っていない限り被告は無罪とされなくてはならない。
だから、この映画の裁判の評決は最初から無罪と決まっているし、物語そのものも最初は全員一致で無罪で始まる。だが評議が続いていくにつれ、事件の不明な部分に隠れたさまざまな可能性―計画殺人・偽証・交通事故―とともに、陪審員それぞれに抱えた個人的な問題までがつまびらかになっていき、それぞれの判断もころころと変転する。
事件そのものとはほんとうはいっさい無関係なのに、なぜか人はそこに自分を投影してしまう。そしてそのことに自分ではなかなか気づかない。無意識のうちに、他人の不運や不幸に、自らが見たいカタストロフを求めてしまう。
罪のない人間らしさの一面なのかもしれないけど、無自覚であればあるほど怖い感情だし、もっとコントロールされなくてはならないのではないかとも感じた。

出演者は塩見三省や相島一之、二瓶鮫一、梶原善など三谷作品の常連ばかり。当て書きだから全員キャラクターにはまったく無理はない。
ぐりが昔この映画を観たのは、当時舞台俳優から映画に進出し始めたばかりの豊川悦司が目当てだったと記憶しているが、後年インタビューで、彼はこの作品では物凄く苦労したと語っている。舞台から映画に移って北野作品(『3-4×10月』)に出て映像の演技に開眼したばかりだったのに、戯曲が原作の映画でまた舞台の芝居を要求されるんだからそれは苦労しただろう。だが画面にはその苦労の跡は見えない。胡散臭いというかミステリアスというか、無駄にセクシーで観る者の妄想をかきたてるいかがわしいキャラクターが、漫然と続く議論ばかりの物語を効果的にひきたてている。今観てもやっぱりクールです。

最初観てて気づかなかったこともいろいろあったけど、今になっていちばん心に刺さったのは、「信念ってなんですか?ひとの意見を聞かないこと?」という終盤の台詞。
ひとの意見を聞くって意外に難しいことなんだよね。話しあうって言葉でいえば簡単なんだけど、ほんとの気持ちをぶつけあって話しあって相手の意見を聞いて、互いにとって誠実な結論を導きだす作業って、ほんとうに難しいと思う。
だからこそそこに人の知性が求められるし、誰もが本気で真剣に向きあわなきゃいけないんだろうなあと、観ていて改めて思いました。