落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

We spend most of our time stumbling around the dark.

2016年04月16日 | movie
『スポットライト 世紀のスクープ』

2001年、マサチューセッツ州ボストンの地方紙「ボストン・グローブ」の新編集局長に就任したばかりのマーティ・バロン(リーヴ・シュレイバー)は、司祭の児童への性的虐待事件の小さな記事に着目、連載報道記事“スポットライト”チームに追跡取材を命じる。
2002年にグローブ紙に掲載された記事がきっかけで世界中のカトリック社会を大恐慌に陥れた驚異のスキャンダルを、メディア側の視点で映像化。ヴェネツィア国際映画祭、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞など2015〜16年の賞レースを総嘗めにした話題作。

ボストンといえばボストン・マラソン。ハーバード大学。レッドソックス。周辺地域も含めれば人口は600万にも及ぶ東海岸の主要都市だ。敬虔なカトリック信者であるアイルランド系移民が多く、教会と市民社会が根強く結びついている一方で、貧困層の多い南部の治安の悪さは『ディパーテッド』や『ブラック・スキャンダル』(後日観る予定)などのギャング映画にもなっている。
取材チームは弁護士や被害者と接触する中で、加害者である司祭のターゲットが機能不全の貧困家庭の子どもたちばかりという事実に辿り着く。親は忙しくて仕事にも家事にも子育てにも疲れきっていて、子どもは愛情に飢えている。信心深い彼らは司祭に声をかけられるだけで喜んでなんでもいうことを聞いてしまう。そこにつけこんでしたい放題に弱い立場の彼らを蹂躙し、事が大きくなれば信仰心と貧乏につけこんでカネでもみ消す。
貧しさと宗教と匿名性の高い大都市という格好の要素が揃ったところで、何十年もその腐敗は組織的に醸成され続けていた。生まれ育った我が故郷の暗黒を自ら告発する取材チームの悲しみと怒りは察するにあまりある。

この報道を端緒に世界中に波及した未曾有の宗教スキャンダルだが、劇中でも言及される通りそれまでにも何度か報道されてはいるし、個人的にはとくに新しい話題ではなかったのではないかと思う。2005年のスペイン映画『バッド・エデュケーション』でも同じ題材が描かれるが、この作品の物語はペドロ・アルモドバル監督自身の体験に基づいているという。つまりは、グローブ紙が暴くよりずっと前から、カトリック社会ではこのことは公然の秘密となっていたはずである。
しかし信心深さを美徳とする社会で、その社会全体を支配する教会を糾弾することはとても難しい。それは曖昧だが絶対的な独裁にも似ている。とにかく教会の言う通りにしておれば間違いはない。警察も検事も判事も弁護士も学校も行政も隣人も、町中の何もかもすべてが教会の“お友だち”というコミュニティを包囲した善意の盲信が、凶悪犯罪を隠蔽し助長する。
そんな社会では民主主義も基本的人権も意味をなさない。貧乏な子どもが傷つけられ、その体験に生涯傷つき続けていても、誰も気にとめようともしない。

この映画では実際に起こったスキャンダル事件を描いているけど、物語の本質はきっと、この事件だけにとどまるものではない。
長い間、多くの人が見て見ぬふりをしてきたカトリック教会の醜い犯罪行為。だが当事者以外の周囲の人々の無反応と無関心が犯罪行為そのものをより醜悪に拡大していく地獄のスパイラルは、どんな社会にも存在している。
実は数年前、ボランティアとして性的虐待の被害者を支援する活動に関わり、いくつかの事例に触れ、裁判も傍聴したことがある。多くのケースで加害者は常習犯であり、被害者は繰返し何度も被害に遭っている。どう考えても周囲の誰ひとり気づかなかったわけがない。誰にでも制止する機会はあった。でも決してそうはならなかったし、むしろ周囲が犯罪に加担した例もあった。そこに罪の意識はいっさいない。
大したことじゃない。そんなめに遭う方にだって非があるんだから。恥ずかしいことにわざわざ触れちゃいけない。忘れてしまうのがいちばん。
なんという想像力の欠如だろう。そんなものはただの逃避、卑劣な犯罪者の思うつぼでしかないのに、おそらくは現実にその立場になれば多くの人がそう反応してしまう。それが性的虐待という“魂の殺人”のもっとも愚劣な部分であり、カトリック社会にとどまらない、どこに住む誰の身にも起こり得る恐ろしい現実だ。

映画は各映画賞の脚本賞をざくざくともらったようですが、なるほど地味で難解で複雑な物語をがっちり骨太にまとめたテクニックには脱帽でした。とくに、このスクープを指揮した本人であるバロン局長がほとんど出てこないのがいい。もさっとして無口で一見敏腕に見えないんだけど、外から来た第三者として地元生まれの記者たちの自主性を尊重し、一歩引いたところから大勢をしっかり押さえる理想的なリーダー像が非常にスマートに表現されてました。
地元生まれの記者たちがもともともっていたネットワークと知見があったからこそのスクープであり、地元愛から暴かれたスクープだからこそ被害者とオーディエンスの支持を得られたのだ。その点でも、社会の矛盾を覆せるのはその社会の当事者だということがきっちり主張された、素晴らしいドラマだと思いました。
帰りに原作というかボストン・グローブが映画化に際して出したルポルタージュを買って、いま読んでる最中です。読んだらまたレビューするかも。