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トークイベント「ろくでなし子@AMNESTY~表現の自由と人権をろくでなし子裁判から考える」に行ってきた。
まあ正直な話、例の逮捕劇があるまで彼女のことはとくに好きでもなんでもなく、たいして興味もなかったんだけどね。
でも実際、世の中の大半の人がそうではないですか?いかがですか。
たまたま私自身とちょうど同世代でもあるわけだけど、そもそも私個人が好きなアートはどっちかというとインスタレーションが多くて(ジェームズ・タレルとか名和晃平とかサスキア・オルドウォーバースとかそのへん)、単純に好みじゃない。だからといって嫌いでもない。彼女のように性器をモチーフに、それをとりまく社会環境をカリカチュアライズした作品を発表する作家は昔からいくらでもいた(たとえばこちら←一応閲覧注意)。日本ではあまり馴染みはないかもしれないけど、だいたい現代アートなんて既存の概念に対抗してなんぼなんだから、文化も宗教も無関係に万国共通で誰もが服の下に隠すことに決められている身体の部位なんて、まさにうってつけのテーマだ。
なのでエロティックアートとして週刊誌に載ったりして話題になり始めたときも、とりたてて注意を向けてはなかったです。ああそんな人がいるんだな、というくらいにしか思わなかった。
とはいえ彼女がわいせつ物頒布罪で逮捕・起訴されたときは心の底からほんとうに驚いたし、いまだにいったいあれは何の冗談だったんだろうと疑問に思う。罪というからには短期的にせよ長期的にせよ/あるいは直接・間接的に被害を被った人がいてしかるべきではないかと思うのだが、彼女が頒布したのは己の性器であって、彼女自身が自分の体を使った芸術で自分の表現したいことを世に投げかけているのであり、不当に誰かの心や身体や財産を傷つけたり貶めたりしているわけではない。そりゃ気に入らなくて不愉快な人もどこかにいるだろうけど、そういう人は見なけりゃいいだけのことである。アートなんだから。
だが逮捕・起訴されたことで確実に彼女のアートの社会的意義は国境を超えて飛躍的に拡大した。そこには、表現の自由というだけにとどまらない、女性の人権や代用監獄という恥ずかしい司法制度、差別問題や性教育問題など、現代日本が抱えた奇妙奇天烈な人権問題が、よくまとめられたカタログでもあるかのようにきっちりと詰まっている。日本でふつうにくらしていて人権問題なんて現実にぴんとこない、なんて人も少なくないと思うけど、彼女の問題だけでももうさらっと一通り把握してしまえる。逆に、女性器というごくプライベートな身体の一部を表に出すだけで、そこに連なる問題がふだんいかに隠され、存在を無視されているかということの証左にもなってしまうということもいえる。
それこそ芸術の芸術たる最大の存在意義ではないか。
それにしても、どう考えてもろくでなし子さんの作品そのものは単純な身体の一部であってそれ以上でも以下でもない。それをとりあげてやれ「わいせつ」だの「不謹慎」だの「不快」だの「変態」だの騒ぐ人がいるのはまだいいとして、それを国民の税金をつかって捜査・逮捕・起訴しておおまじめに有罪・無罪を延々議論するバカバカしさのいったいどこに、なんの意味があるのか、なぜ誰もこの茶番そのものの空虚さを糾弾しないのかが不思議でしょうがない。
コント番組でやるのはいい。けどリアルに警察と検察と裁判所がしごとしてる。おかしいでしょ。
ろくでなし子さんの語り口調はあくまで明るく楽天的で、会場大爆笑の連続で非常に楽しかったです。世間的には「人権」なんて話題としてなんだか難しそう、ややこしそう、堅苦しいなんてイメージもありそうだけど、彼女の話にはそういうネガティブな面がいっさいない。私の身体を使って私の表現したいことをしているだけ、たったそれだけ。ブレがない。ある意味では強かなのかもしれないけど、とはいえただただ無駄にポジティブなだけでもなくひとりよがりでもない。表現の自由や差別に対する意見にはとても共感したし、作品の見た目に対してご本人はいたって真面目で真摯な人なんではないかなという印象を受けました。
マンガ、ぜひ今度読んでみたいと思います。
しかし今回のイベントは豪華だったよ。だってファシリテーターが事務局長でインタビュアーが副理事、質疑応答には前事務局長もはいってくるって、ちょっとなかなかないですよ(あったらごめん)。
開催直前に中止するしないといった炎上騒ぎもあったけど、それもあって却ってよかったと個人的には思いました。苦情に対応したり大変な思いをされた職員やボランティアの皆さんはお気の毒だし心から同情するけど、このことを通して、世界に冠たるアムネスティにたったこれだけのことで嫌がらせをする人々が少なからずいることや、彼らが嫌がらせだけしておいて現場に来て直接抗議なんかしやしないただの卑怯者だという事実も明らかになった。
アムネスティにだって間違いはあるけど、間違ったことや批判をきちんと認めて受けいれて、潔く謝罪することができるってことも世の中に知ってもらうことができた。そんなのなかなかできないと思うよ。私だってうまくできないもん。
何はともあれ、ほんとにいいトークイベントでした。実は体調が微妙に良くなくて、予約したはいいけど行くかどうか迷ってたんだけど、結局行ってよかった。いっぱい笑って、勇気もらって、元気でました。私もまた明日から頑張ろうと、素直に思えました。
ろくでなし子氏、イベント直前中止に「納得いかない」 アムネスティ日本は何故キャンセルしたのか
ろくでなし子 @ アムネスティ 9月30日講演開催までのドタバタ劇
ろくでなし子裁判 iRONNA連載
トークイベント「ろくでなし子@AMNESTY~表現の自由と人権をろくでなし子裁判から考える」に行ってきた。
まあ正直な話、例の逮捕劇があるまで彼女のことはとくに好きでもなんでもなく、たいして興味もなかったんだけどね。
でも実際、世の中の大半の人がそうではないですか?いかがですか。
たまたま私自身とちょうど同世代でもあるわけだけど、そもそも私個人が好きなアートはどっちかというとインスタレーションが多くて(ジェームズ・タレルとか名和晃平とかサスキア・オルドウォーバースとかそのへん)、単純に好みじゃない。だからといって嫌いでもない。彼女のように性器をモチーフに、それをとりまく社会環境をカリカチュアライズした作品を発表する作家は昔からいくらでもいた(たとえばこちら←一応閲覧注意)。日本ではあまり馴染みはないかもしれないけど、だいたい現代アートなんて既存の概念に対抗してなんぼなんだから、文化も宗教も無関係に万国共通で誰もが服の下に隠すことに決められている身体の部位なんて、まさにうってつけのテーマだ。
なのでエロティックアートとして週刊誌に載ったりして話題になり始めたときも、とりたてて注意を向けてはなかったです。ああそんな人がいるんだな、というくらいにしか思わなかった。
とはいえ彼女がわいせつ物頒布罪で逮捕・起訴されたときは心の底からほんとうに驚いたし、いまだにいったいあれは何の冗談だったんだろうと疑問に思う。罪というからには短期的にせよ長期的にせよ/あるいは直接・間接的に被害を被った人がいてしかるべきではないかと思うのだが、彼女が頒布したのは己の性器であって、彼女自身が自分の体を使った芸術で自分の表現したいことを世に投げかけているのであり、不当に誰かの心や身体や財産を傷つけたり貶めたりしているわけではない。そりゃ気に入らなくて不愉快な人もどこかにいるだろうけど、そういう人は見なけりゃいいだけのことである。アートなんだから。
だが逮捕・起訴されたことで確実に彼女のアートの社会的意義は国境を超えて飛躍的に拡大した。そこには、表現の自由というだけにとどまらない、女性の人権や代用監獄という恥ずかしい司法制度、差別問題や性教育問題など、現代日本が抱えた奇妙奇天烈な人権問題が、よくまとめられたカタログでもあるかのようにきっちりと詰まっている。日本でふつうにくらしていて人権問題なんて現実にぴんとこない、なんて人も少なくないと思うけど、彼女の問題だけでももうさらっと一通り把握してしまえる。逆に、女性器というごくプライベートな身体の一部を表に出すだけで、そこに連なる問題がふだんいかに隠され、存在を無視されているかということの証左にもなってしまうということもいえる。
それこそ芸術の芸術たる最大の存在意義ではないか。
それにしても、どう考えてもろくでなし子さんの作品そのものは単純な身体の一部であってそれ以上でも以下でもない。それをとりあげてやれ「わいせつ」だの「不謹慎」だの「不快」だの「変態」だの騒ぐ人がいるのはまだいいとして、それを国民の税金をつかって捜査・逮捕・起訴しておおまじめに有罪・無罪を延々議論するバカバカしさのいったいどこに、なんの意味があるのか、なぜ誰もこの茶番そのものの空虚さを糾弾しないのかが不思議でしょうがない。
コント番組でやるのはいい。けどリアルに警察と検察と裁判所がしごとしてる。おかしいでしょ。
ろくでなし子さんの語り口調はあくまで明るく楽天的で、会場大爆笑の連続で非常に楽しかったです。世間的には「人権」なんて話題としてなんだか難しそう、ややこしそう、堅苦しいなんてイメージもありそうだけど、彼女の話にはそういうネガティブな面がいっさいない。私の身体を使って私の表現したいことをしているだけ、たったそれだけ。ブレがない。ある意味では強かなのかもしれないけど、とはいえただただ無駄にポジティブなだけでもなくひとりよがりでもない。表現の自由や差別に対する意見にはとても共感したし、作品の見た目に対してご本人はいたって真面目で真摯な人なんではないかなという印象を受けました。
マンガ、ぜひ今度読んでみたいと思います。
しかし今回のイベントは豪華だったよ。だってファシリテーターが事務局長でインタビュアーが副理事、質疑応答には前事務局長もはいってくるって、ちょっとなかなかないですよ(あったらごめん)。
開催直前に中止するしないといった炎上騒ぎもあったけど、それもあって却ってよかったと個人的には思いました。苦情に対応したり大変な思いをされた職員やボランティアの皆さんはお気の毒だし心から同情するけど、このことを通して、世界に冠たるアムネスティにたったこれだけのことで嫌がらせをする人々が少なからずいることや、彼らが嫌がらせだけしておいて現場に来て直接抗議なんかしやしないただの卑怯者だという事実も明らかになった。
アムネスティにだって間違いはあるけど、間違ったことや批判をきちんと認めて受けいれて、潔く謝罪することができるってことも世の中に知ってもらうことができた。そんなのなかなかできないと思うよ。私だってうまくできないもん。
何はともあれ、ほんとにいいトークイベントでした。実は体調が微妙に良くなくて、予約したはいいけど行くかどうか迷ってたんだけど、結局行ってよかった。いっぱい笑って、勇気もらって、元気でました。私もまた明日から頑張ろうと、素直に思えました。
ろくでなし子氏、イベント直前中止に「納得いかない」 アムネスティ日本は何故キャンセルしたのか
ろくでなし子 @ アムネスティ 9月30日講演開催までのドタバタ劇
ろくでなし子裁判 iRONNA連載