小さな命の意味を考える会 座談会
2011年3月11日、地震が起きて、津波が来た時、被災地には小雪がちらついていた。
地域によって証言によって雪が降りはじめた時間には多少のズレはある。津波がくるまえにはもう降っていたというケースもあれば、命からがら津波から逃れて避難した高台から動けずに野宿した夜に降ったというケースもある。
いずれにせよ、その日は寒い日だった。
まして彼の地は北国、春はまだ遠かったあの日の夜、津波に濡れ、冷たい風に凍え、電気もガスも電波もすべてのライフラインが途絶えろくに暖をとる手段もないなか、多くの人々が凍死した。地震からも津波からも助かったのに、生きて夜を明かすことができなかった。
見知らぬ者同士、かき集めた木片で起こした焚き火の前で、救助を待ちながら息絶えた人を、なすすべもなく見守るしかなかった生存者もいる。「あんなに寒い思いをしたのは後にも先にもあの時だけ」と、彼はのちに語ってくれた。
1月28日午前10時から石巻市大川小学校跡地で遺族を中心にした地元の方々が催した語り部の会には、150人ほどの参加者が集まった。
晴れてはいたけれど前日からの雪が積もり、遮るものもなく川風にさらされた学校跡地はとにかく冷える。
そこに多くの市民と報道関係者が集まって、大川小学校被害児童の遺族や生存者の体験談にしんと耳を傾ける。
大気は冷たいのに、集まった人たち、語る人たちの胸の中に流れる感情の熱さを感じる。
特別なものなどないごくふつうの田舎の小学校の、特別ではないふつうの日に起きた惨劇。
災害無線もラジオも広報車の警告も、津波がくるから逃げてほしいと懇願する保護者も無視した教職員への怒り、せめて最後の1分間、堤防ではなく山に逃げてくれていたらという悔恨、我が子の訃報を耳にした時の絶望、自分の手で愛娘の遺体を冷たい泥の中から掘り出した時の悲しみ。
語り部の会でも、午後から開かれた座談会でも、毎回集まる参加者は違うから主催者側が話すことや質疑応答で語られることはいつも似通っている。
そこに繰り返し通い、当事者の講演会にも何度か参加し裁判も傍聴してみて、毎回痛感することがある。
74人の子どもたちと10人の教職員、子どもの帰りを待ちながら自宅で津波にのまれた高齢者たち、学校が避難しないなら大丈夫と判断してその場にとどまった地域住民たち、この大川で起きた災害の犠牲者の命を奪ったのは、「くさいものにはとにかく蓋をしてみないふり」で先送りにしてしまう無責任主義という、現代社会そのものが抱えた病なのではないだろうか。
海抜は低いし、人が住んでいなかった大昔には津波が来たかもしれないけど、最近はきてないみたいだから「これからもこない」ことにしてしまおう。
津波はくるかもしれないけど、行政がこないといっているんだから、真剣に対策なんてしなくても許される。
大地震はきたし裏山にも逃げられるけど、あとのことを考えたら面倒だから、とりあえず校庭で津波警報が解除になるのを待ってればいい。
保護者は避難しろなんていってるけど、こういう非常時だから学校は落ち着いてなくちゃ。
結果論からいえば、彼らの判断はきれいさっぱりすべてが間違っていた。
そして多くの命が失われた。
もちろん九死に一生を得た人もいる。だが彼らは彼らで、文字通り地獄のような被災体験と、その一瞬まで傍らにいた友人や隣人や親族を喪いながら生き残ったという言語に絶する思いを抱えたまま、これからの一生を生き抜いていかなくてはならない。
その事実は、これから何をどうしようと決して覆りはしない。
あったことは、決してなかったことにはできない。
しかし、あのときの判断が間違っていたとして、では他の誰が、どうやって、もっと正しい判断ができただろうか。
二度と取り返しのつかないことが起きて、しかもその責任を誰もとらないまま7年もの歳月が過ぎたいま、われわれがもっとも深刻にとらえるべきはその点であることに疑いの余地はない。
もしもう一度同じことが起きたとき、今度こそ間違いなく、子どもたちと地域の人たちをまもるためには、いったい何が必要なのだろうか。
その障害になる「病」とは、いったいどんな病なのか。
おそらくは人間なら誰もが持っている愚かさ、それが集団になったときには凶器にも変わってしまう社会性動物であるからこそ犯しやすい過ちに、たちむかうべきときが、いま来ているのだろう。
その戦いに立ちはだかる壁の厚さ、高さがどれほどのものなのか、少なくとも、私にはわからない。
でも、その壁に背を向けて逃げる道も、もうないような気がする。
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北上川の夕日。
2011年3月11日、地震が起きて、津波が来た時、被災地には小雪がちらついていた。
地域によって証言によって雪が降りはじめた時間には多少のズレはある。津波がくるまえにはもう降っていたというケースもあれば、命からがら津波から逃れて避難した高台から動けずに野宿した夜に降ったというケースもある。
いずれにせよ、その日は寒い日だった。
まして彼の地は北国、春はまだ遠かったあの日の夜、津波に濡れ、冷たい風に凍え、電気もガスも電波もすべてのライフラインが途絶えろくに暖をとる手段もないなか、多くの人々が凍死した。地震からも津波からも助かったのに、生きて夜を明かすことができなかった。
見知らぬ者同士、かき集めた木片で起こした焚き火の前で、救助を待ちながら息絶えた人を、なすすべもなく見守るしかなかった生存者もいる。「あんなに寒い思いをしたのは後にも先にもあの時だけ」と、彼はのちに語ってくれた。
1月28日午前10時から石巻市大川小学校跡地で遺族を中心にした地元の方々が催した語り部の会には、150人ほどの参加者が集まった。
晴れてはいたけれど前日からの雪が積もり、遮るものもなく川風にさらされた学校跡地はとにかく冷える。
そこに多くの市民と報道関係者が集まって、大川小学校被害児童の遺族や生存者の体験談にしんと耳を傾ける。
大気は冷たいのに、集まった人たち、語る人たちの胸の中に流れる感情の熱さを感じる。
特別なものなどないごくふつうの田舎の小学校の、特別ではないふつうの日に起きた惨劇。
災害無線もラジオも広報車の警告も、津波がくるから逃げてほしいと懇願する保護者も無視した教職員への怒り、せめて最後の1分間、堤防ではなく山に逃げてくれていたらという悔恨、我が子の訃報を耳にした時の絶望、自分の手で愛娘の遺体を冷たい泥の中から掘り出した時の悲しみ。
語り部の会でも、午後から開かれた座談会でも、毎回集まる参加者は違うから主催者側が話すことや質疑応答で語られることはいつも似通っている。
そこに繰り返し通い、当事者の講演会にも何度か参加し裁判も傍聴してみて、毎回痛感することがある。
74人の子どもたちと10人の教職員、子どもの帰りを待ちながら自宅で津波にのまれた高齢者たち、学校が避難しないなら大丈夫と判断してその場にとどまった地域住民たち、この大川で起きた災害の犠牲者の命を奪ったのは、「くさいものにはとにかく蓋をしてみないふり」で先送りにしてしまう無責任主義という、現代社会そのものが抱えた病なのではないだろうか。
海抜は低いし、人が住んでいなかった大昔には津波が来たかもしれないけど、最近はきてないみたいだから「これからもこない」ことにしてしまおう。
津波はくるかもしれないけど、行政がこないといっているんだから、真剣に対策なんてしなくても許される。
大地震はきたし裏山にも逃げられるけど、あとのことを考えたら面倒だから、とりあえず校庭で津波警報が解除になるのを待ってればいい。
保護者は避難しろなんていってるけど、こういう非常時だから学校は落ち着いてなくちゃ。
結果論からいえば、彼らの判断はきれいさっぱりすべてが間違っていた。
そして多くの命が失われた。
もちろん九死に一生を得た人もいる。だが彼らは彼らで、文字通り地獄のような被災体験と、その一瞬まで傍らにいた友人や隣人や親族を喪いながら生き残ったという言語に絶する思いを抱えたまま、これからの一生を生き抜いていかなくてはならない。
その事実は、これから何をどうしようと決して覆りはしない。
あったことは、決してなかったことにはできない。
しかし、あのときの判断が間違っていたとして、では他の誰が、どうやって、もっと正しい判断ができただろうか。
二度と取り返しのつかないことが起きて、しかもその責任を誰もとらないまま7年もの歳月が過ぎたいま、われわれがもっとも深刻にとらえるべきはその点であることに疑いの余地はない。
もしもう一度同じことが起きたとき、今度こそ間違いなく、子どもたちと地域の人たちをまもるためには、いったい何が必要なのだろうか。
その障害になる「病」とは、いったいどんな病なのか。
おそらくは人間なら誰もが持っている愚かさ、それが集団になったときには凶器にも変わってしまう社会性動物であるからこそ犯しやすい過ちに、たちむかうべきときが、いま来ているのだろう。
その戦いに立ちはだかる壁の厚さ、高さがどれほどのものなのか、少なくとも、私にはわからない。
でも、その壁に背を向けて逃げる道も、もうないような気がする。
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北上川の夕日。