落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

さらば青春の光

2021年08月08日 | movie
『太陽の子』



1944年、建物疎開で自宅を解体された世津(有村架純)は祖父(山本晋也)とともに幼馴染の修(柳楽優弥)の家に居候することになる。
海軍の密命により、修は京大の物理学研究室で原子爆弾の開発に従事していた。釉薬として流通していた硝酸ウランを入手した彼らは、その中にわずかに含まれるウラン235を分離する方法を見つけるだけで四苦八苦。
そんな1945年6月、出征していた修の弟・裕之(三浦春馬)が一時帰宅。母フミ(田中裕子)、世津ともども束の間の団欒を過ごすのだが…。
日米合作で製作されたNHKドラマの劇場版。

去年ドラマとして放送されたときも視聴していた。
三浦春馬くんが亡くなってまだ1ヶ月も経たないうちのオンエアで、死ぬとわかっている出撃命令に赴く裕之の爽やかな笑顔が、凛とした背中が、観ていてとても苦しかったのを憶えている。

とくにファンだった訳ではなく、生前に観た出演作は5年前のドラマ『わたしを離さないで』ぐらいしか記憶にない。大好きな原作のドラマ版は、英米合作の映画版よりずっと小説の世界観を丁寧に緻密に再現していて、わけても、原作に登場するトミーにあたる友彦役の春馬くんの演技は、不器用だけど純粋で繊細で大人になることを知らないトミーのキャラクターそのものに、驚くほど忠実だった。
物語の後半、役柄上、衰弱して透き通ってしまいそうなほど儚い風貌に変わっていく彼の、演技に懸ける情熱に、何か畏れのような感覚を感じたものだ。

亡くなってから『わたしを離さないで』を再度観て、それからいくつか別の作品も観た。学園ものや青春ものやキラキラしたラブストーリーが多かったから、華やかに王子様然とした春馬くんは、テレビをあまり観ない私にとって少々眩し過ぎた。
それでも、一本一本、どの役も、どのシーンも、どのカットも、一片の妥協も許すことなく、常にあらん限りの全力を尽くして演じきろうとした彼の強い意志が、はっきりと伝わってきた。

努力の人でもあっただろう、天賦の才にも恵まれて、たくさんの人から愛され、求められ、一定の評価も得ていたこんな人が、どうしてあんなことをしてしまったのか、ほんとうのことは誰にもわからない。
わかっているのは、この映画をもってこの先、彼の新作はもう観られないということだけだ。

『太陽の子』で、修は師と研究室の仲間たちとウラン235を取り出す技術を見つける研究に日々明け暮れる。
でも実験は失敗続きで、いつ実際に爆弾がつくれるかという目処すらたたない。海軍の命令は絶対であっても、現実に研究を続ける彼らには葛藤がある。同級生たちは学徒出陣で前線に送られ命を賭して戦っているいま、成果が出るかどうかもわからない兵器開発に時間を費やしていてもいいのか、あるいは、研究者が史上最大の殺傷能力をもつ兵器をつくるのは正しい行為なのか、誰も正解など知りはしない。どこにも逃げ場がない。
だからこそ修は、毎日実験と計算漬けの研究生活に没入するしかなかった。

振り返れば自分だって青春なんかそんなものだったような気がする。
自分がしていることが正解かどうかなんてわからないまま、毎日毎日、己にできることをすべてやり尽くす、いつ振り返っても決して後悔しないと断言できるように、一日一日、朝から晩まで、目の前にあるものに武者ぶりついて、ひたすら必死に踠いていた。
そんな無茶が許されるのが青春で、そういう純粋さを利用するのが国家の大罪たる戦争なのだ。
国のため家族をまもるために死ぬことは尊い、そんな戯言を信じた裕之のような若者たち4,000人以上の命が、「特攻」で奪われた。
彼らにもまた、死にたくない、死ぬのが怖い、死なないわけにはいかない、肉親に、愛する人たちにもう一度会いたい、そんな葛藤に苦しんだ夜があっただろう。“英霊”なんて祭り上げられたって、所詮は人の子なんだから。

いまから思えばこれほど理不尽なことはない。断じて美化することなんかできない。
なぜならこんな愚策を計画し出撃を命令して生き残った当事者たちは、戦後も犯した罪を正当化し、亡くなった隊員たちを情緒的な感動物語の登場人物であるかのようなテンプレートに嵌めこもうとした。
しかし誰が何をしようと、若く将来も夢もあったであろう若者たちを、死ぬしかない作戦で殺しまくったという事実は覆しようがない。
そんな犯罪を美談にすることは絶対に正しくないと、私は思う。
これが美談と定義づけられてしまったら、人の命の重さが変わってしまうからだ。
人の命より重いものなんか、あってはいけないのだ。

8月6日、アメリカ軍によって広島に原子爆弾が投下され、修は研究室一同とともに現地調査に赴く。
都市がまるごとすべて燃えつき、足の踏み場もないほど破壊しつくされた街角のいたるところに、真っ黒に炭化した遺体が横たわっている。
そこで初めて、修は自分たちが青春を懸けて夢中で追い求めてきたもののほんとうの姿を知る。
原爆投下直後の広島の無残な光景を目にした修の主観を捉えたシーンでは、26年前、初めて阪神淡路大震災の現場を見た瞬間の感情が、反射的に蘇ってきた。
なんで、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
何を見ても、どっちを向いても、それ以外に何も、頭に浮かんでこない。
自分自身が完全に空っぽになってしまったような、奇妙な非現実感。

終盤、修が心の中でアインシュタインと会話するシーン(アインシュタインはアメリカの核兵器開発のきっかけとなった人物のひとり)で、「科学は人をこえていく」という一言がある。
この物語で描かれたのは核兵器開発だったが、あれから76年を経たいまでさえ、人間は原子力をコントロールすることができていない。
逆にいえば、人はコントロールできもしないものをつくるだけつくって、その後始末にすらお手上げのままでいる。
確かに科学は人をこえた。
そしてあのとき、イデオロギーは人をこえていた。

そうして生まれた有形無形の化け物たちの破壊は、いまもこの世界のどこかでずっと続いている。
引き返す道は、あるのだろうか。


『わたしを離さないで』原作レビュー
『わたしを離さないで』映画版レビュー

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