2ヶ月ぐらい前の記事で「ある人に『心の中に抱えているものを、一度外に出してみよう。どんな形でもいいから、それがあなたに必要だから』といわれた」と書いた。
それでここ何回か長めの記事を誰に読ませるでもなく書いているが、今日は、個人的にいちばん他人に触れられたくないことを書こうと思う。
誰も読んでないと思うから。
セクシュアリティの話だ。
私が生まれて初めて「性」というものを意識したのは小学校1年生のときだ。
ひとりで歩いていた学校の帰り道に、痴漢に遭ったのだ。
具体的に何をどうされたかという詳細にはここでは触れない。ついでに申し添えると、この後に続く類似の性被害体験についても詳細を書くつもりはない。なぜなら、世の中には他人の性被害をズリネタにする変態がごまんといるからだ。
私は人間であって「コンテンツ」ではない。
驚き恐怖に怯えた私は一目散に走って逃げて、帰り着いた自宅にいた母に、ついさっき起こったことを訴えた。泣いていたかもしれないが記憶は定かではない。
すると母はこういって私を叱りつけた。
「あんたに隙があるからそんな目に遭うんだ」と。
私はこう思った。
「あ、この人は私の味方ではないのだ」と。
田舎の6歳の子どもに「隙」も何もあったものではない。
私が生まれ育った町は大企業の工場が多く(過去記事)、当時は、うちを含め他所から引っ越してきた移住者が住む建売の新興住宅地と開発中の造成地と、古くからの町屋や農家の集落や農地とがモザイクのように入り混じり、大きな川が流れ山や森や広大な運動公園もあって海にも面した、一見すると長閑な町だった。
一方で、物理的にも心理的にも死角が多い町だった。
大方の人がすぐ近所に住んでいる人のことをよく知らない。その辺に知らない人がいても誰もなんとも思わない。
共働きの家庭が多く、一人歩きの子どもが珍しくない。学童保育などという制度はまだなかった時代だ。
その環境ゆえか小中高生を狙った痴漢が頻繁に出没していて、何かあるたびに学校やPTAや自治会がポスターや防災無線を使って地域に注意喚起をし、警察や消防団が交替でパトロールもしていた。すなわち痴漢騒ぎは、ヤンキーの万引きや暴走族の迷惑走行と同じような、半ば日常的な出来事と認識されていた。
第三者にとっては「半ば日常的な出来事」であっても、恐ろしく、恥ずかしく、屈辱的な体験をした被害者にとって、そんなものが「日常」だなんてたまったものではない。
私はその後も何度も痴漢の被害に遭い続けたが、母の「あんたに隙があるからそんな目に遭うんだ」という言葉をそのまま鵜呑みにして「全部自分のせいだ」と考え、ほとんど誰にも被害を訴えることなく生きてきた。
いつどこでどんなことがあったか、私はすべて記憶している。忘れようと思っても忘れられないからだ。
アルバイトを始め、社会人になって仕事を始めたら、セクハラにも遭うようになった。
通勤では痴漢、職場ではセクハラ、転職しても異動しても取引先でもセクハラ、出張に行っても、ボランティアに行ってもセクハラ。
私が性被害に遭わずに済む場所なんかこの地上のどこにもない気がした。
そんなバカなとあなたはいうかもしれない。でもこれは事実だ。
たとえば世間的には、痴漢に遭いやすい人は大人しくて抵抗しなさそうな人が選ばれているというイメージが流布している。
私はある朝、混雑した通勤電車で、濃いサングラスをかけ黒の映画Tシャツの上にライダースジャケットを羽織り、迷彩柄のカーゴパンツにレースアップのワークブーツを履いていて痴漢に遭った。それも相当ヘビーなやつだった。以降、私は二度と同じ時間帯の同じ車輌には乗らなくなった。
たとえば大抵の人は、電車の痴漢といえば朝のラッシュ時に発生するものだと考えている。
私はある夜(確か20時前後)、外出先から自社に戻る電車の座席に座っていて、隣に座った乗客にガッチリ身体を触られた。ローカルな路線で車内はガラガラに空いていた。ちなみにこの日の私の服装は黒のジャケットにインナーは濃いグリーンのカシュクール、黒のワイドパンツにパイソン柄で高さ10センチのピンヒールを履いていた。
そこまで痴漢に遭うのは私に何か非があるに違いないと考える人もいるだろう。
だが前述の通り、被害時の私の服装は過度に露出が多かったわけでもないし、人気のないところで無防備な姿態を晒していたわけでもない。
若いころ、大手の取引先との初顔合わせの日に、相応に自分の見え方を意識した装いで出向いたことなら何度かある。そうすればもちろん相手は私の顔やら身体をじろじろ見る。それはそれでこちらの戦略(経験が浅いからと見下されないために外見で圧をかけておく)なので構わない。だがそういう日に、明確にセクハラと判断できる行為をされたり、痴漢に遭ったりしたことはただの一度もない。
ストーカーの被害にも遭ったことがある。
相手は私のまったく知らない人物だったが、相手は私のことを知っていていきなり自宅に押しかけてきたり連日電話をかけてきたりした。最終的にはそれ以上の事態に発展し、このときばかりはさすがに警察のお世話にならざるを得なかった。解決に至るまでは数ヶ月を要した。
知らない人、一度しか会ったことがない人にやたらに付き纏われるといったことは、私にとってはよくあることだった。一大事に至るか否かという程度の問題である。
こんな人生を送ってきた人間がどうなるかというと、当然の帰結として、男性を信用することができなくなる。
私は自分で、そのことに気づくことができなかった。
というのも、私はその辺の他の少女と同じように、同級生の男の子を好きになって手紙を書いたり、バレンタインにチョコレートを贈ったり、いっしょに海に行ったり、年賀状をやりとりしたり、セーターを編んであげたりというごく健全な恋愛を(たまに)しながら10代までを過ごしてきたからだ。
私の男性不信を教えてくれたのは、20代のころに交際していた男の子だった。
都内に住む私と彼の郊外の自宅は電車で1時間以上かかるほど離れていたが、毎回彼は都心まで出てきてくれていっしょに遊びに行ったり、部屋に来てくれたりしていた。
当時の私の仕事は常にスケジュールが過密で毎晩遅くまでの残業だけでなく休日出勤も多く、会う日の都合は彼が私に合わせてくれていた。それがいつも、少し心苦しかった。
先述のストーカー騒ぎが起きたとき、私は自宅を出て近隣の同僚や友人の家を泊まり歩いたり、勤務先の仮眠室に泊まったりしてなるべく自宅に近寄らないようにしていた。警察からそう指示があったからである。
警察はまずこういった。「信頼してしばらくいっしょに過ごしてくれる親族やお友だちはいますか」と。
私は「いません」と即答した。警察は「であれば、当面の間はご自宅にはなるべく帰らないようにできますか。他に泊まれるところはありますか」といったのだ。
まだ携帯電話を持っていなかった私は、彼氏に「当分は家に帰れないから電話はできない」旨を伝えた。ことの成り行きとしてストーカーの件も説明しないわけにはいかなかった。
すると彼は「落ち着くまで俺がそっちに泊まろうか」と提案してくれたのだが、私は言下に断った。あなたにも仕事があるし、うちはあなたの家から遠過ぎる。そんな迷惑はかけられないからと。
ストーカー騒ぎがなんとか収束して、彼と毎晩のように電話をかけあい、ときどきいっしょに出かける生活は戻ったが、ほどなくして私たちはうまくいかなくなった。
どうしてそうなったのかはまったく覚えていないのだが(こういうところが私の人間性の歪なところだと思う)、些細なことで言い争いになったとき、彼は「あのストーカーのとき、あなたは俺を頼ってくれなかった。俺を信じてくれなかった。寂しかった。傷ついた」と告白してくれた。
穏やかな性格であまり感情を表に出さない人だったから、そういうことを口に出すのも勇気が要っただろうと思う。私は素直に「申し訳なかった。傷つけるつもりはなかった」と謝ったが、関係が元に戻ることはなかった。
このとき私は、「ああ、私は男の人を信じることができない人間なのだ」という事実を、いやというほど痛感せざるを得なかった。
私と彼は10代のころからの仲の良い友人で、男女交際に至るまでは友だちとして長い間親しくしていて互いのことをよく知っていたし、何より私は彼のことが大好きだったからだ。
好きで好きで、傍にいられるならいま死んでもいい、と思うぐらい好きだった。
その彼にすら、私は心を許すことができなかった。
いつでも私を尊重し、大事に思い、優しくしてくれた彼の心を傷つけてしまったことを、私はいまでも深く悔いている。
私がそんな風に傷つけた男性は、彼ひとりではないはずだ。
それ以降にも男の人と交際したことはあったが、私と相手の間には常に、透明な見えない壁があった。それはもう私自身の手ではどうしようもないことだった。男性と接近すると勝手に身体が、心が、いつなんどきでもすぐに逃げ出せるように身構えてしまう。
そんな女とつきあいたい人なんかいない。
やがて私は恋愛感情そのものを忘れた。
きっと私は、人を愛することができない人間なのだろう。
それはそれでいい。
仕方ない。
そうなってみると、恋愛対象として私の琴線に触れた人の傾向がよく見えてくるようになった。
それは、私が小学生で初めてボーイフレンドをもったときから一貫して何十年もまったく変化していなかった。自分でもおもしろいくらいで、気づいたときは思わず大笑いしてしまった。
好きになる男の子〜男性は色白か痩せ型かその両方で、顔つきはお地蔵さんとか仏像っぽい中性的な感じ、性格はどちらかというと穏やかで老成していて、頭が良くてちょっと変わり者、というのが全員に当てはまっていた。逆にいえば、やんちゃな子、男臭い人、ワイルドな人は生理的に受けつけない。学生時代にバイト先でボディビルダーにセクハラされてからはとくに筋肉嫌いになり、歩いていて行くてにマッチョな人が近づいてきたら速攻で逃げ出すぐらいのトラウマになった。
その傾向は恋愛対象でなくても普段接する周囲の人にも共通していて、大部分の男性の前では自然に萎縮して緊張してしまう(社会人のマナーとして態度には極力出さないが私をよく知る人には露骨にバレてるらしい)のに、なんとなく中性っぽくて男性性をあまり感じさせない相手であれば、リラックスしてコミュニケーションがとれる。見知らぬ相手になるとこの反応はさらに顕著になり、場合によっては脂汗をかいたり胃が痛くなったりする。要は、私が「普通に」接することのできる男性はかなり限定的ということになる。
映画や音楽やアートの世界でも同じで、私の関心を惹く男性は全員、必要以上に男性性を主張しない、大人なのか子どもなのか、性差の境界がどこか曖昧な人ばかりで、おそらくそれはこの先も変わることはないと思う。
この文章で何がいいたいかをまとめるとするなら、昨今やけに話題になりがちな、いわゆるLGBTQなどというカテゴリー分けは大した問題じゃなくて、人間100人いれば100通りのセクシュアリティがあると考えてもいいのではないか、ということだ。
ストレートでもレズビアンでもバイセクシュアルでもトランスジェンダーでもない私自身の性的指向は、明らかに「普通」とはいえない。
じゃあ「普通」ってなんのことだろう。「普通」の人なんかどこにもいないのではないだろうか。
生理学的な話はここでは関係ない。
人間が社会性動物である限り、私たちの性行動や性反応は本能だけでなく社会的な環境の影響を避けることができない。たとえば2年前のウェブ記事では「バブル崩壊後、『失われた20年』に当たる1992年から2015年の間に、18~39歳で性交渉の経験がない日本女性(処女)が21.7%から24.6%に、日本男性(童貞)は20%から25.8%に増加」したと報じている(出典)。この記事によれば、日本社会の貧困化・格差の拡大に伴って、日本人の性行動も「貧しく」なっているということになる。
大事なのは、この先の時代、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」といったステレオタイプを捨てて、純粋に人と人として一人ひとり誠実に向き合うことが当たり前になれば、この世の中はもっと楽しく平和に安全になるはずで、いつかそういう共通認識が私たちの社会にちゃんと浸透する日が来たら、私ももしかしたらまた誰かを愛することができるかもしれない。
やっぱり、ひとりは寂しい。
ひとりでも、なんとか生きていくことはできるけれど。
それでここ何回か長めの記事を誰に読ませるでもなく書いているが、今日は、個人的にいちばん他人に触れられたくないことを書こうと思う。
誰も読んでないと思うから。
セクシュアリティの話だ。
私が生まれて初めて「性」というものを意識したのは小学校1年生のときだ。
ひとりで歩いていた学校の帰り道に、痴漢に遭ったのだ。
具体的に何をどうされたかという詳細にはここでは触れない。ついでに申し添えると、この後に続く類似の性被害体験についても詳細を書くつもりはない。なぜなら、世の中には他人の性被害をズリネタにする変態がごまんといるからだ。
私は人間であって「コンテンツ」ではない。
驚き恐怖に怯えた私は一目散に走って逃げて、帰り着いた自宅にいた母に、ついさっき起こったことを訴えた。泣いていたかもしれないが記憶は定かではない。
すると母はこういって私を叱りつけた。
「あんたに隙があるからそんな目に遭うんだ」と。
私はこう思った。
「あ、この人は私の味方ではないのだ」と。
田舎の6歳の子どもに「隙」も何もあったものではない。
私が生まれ育った町は大企業の工場が多く(過去記事)、当時は、うちを含め他所から引っ越してきた移住者が住む建売の新興住宅地と開発中の造成地と、古くからの町屋や農家の集落や農地とがモザイクのように入り混じり、大きな川が流れ山や森や広大な運動公園もあって海にも面した、一見すると長閑な町だった。
一方で、物理的にも心理的にも死角が多い町だった。
大方の人がすぐ近所に住んでいる人のことをよく知らない。その辺に知らない人がいても誰もなんとも思わない。
共働きの家庭が多く、一人歩きの子どもが珍しくない。学童保育などという制度はまだなかった時代だ。
その環境ゆえか小中高生を狙った痴漢が頻繁に出没していて、何かあるたびに学校やPTAや自治会がポスターや防災無線を使って地域に注意喚起をし、警察や消防団が交替でパトロールもしていた。すなわち痴漢騒ぎは、ヤンキーの万引きや暴走族の迷惑走行と同じような、半ば日常的な出来事と認識されていた。
第三者にとっては「半ば日常的な出来事」であっても、恐ろしく、恥ずかしく、屈辱的な体験をした被害者にとって、そんなものが「日常」だなんてたまったものではない。
私はその後も何度も痴漢の被害に遭い続けたが、母の「あんたに隙があるからそんな目に遭うんだ」という言葉をそのまま鵜呑みにして「全部自分のせいだ」と考え、ほとんど誰にも被害を訴えることなく生きてきた。
いつどこでどんなことがあったか、私はすべて記憶している。忘れようと思っても忘れられないからだ。
アルバイトを始め、社会人になって仕事を始めたら、セクハラにも遭うようになった。
通勤では痴漢、職場ではセクハラ、転職しても異動しても取引先でもセクハラ、出張に行っても、ボランティアに行ってもセクハラ。
私が性被害に遭わずに済む場所なんかこの地上のどこにもない気がした。
そんなバカなとあなたはいうかもしれない。でもこれは事実だ。
たとえば世間的には、痴漢に遭いやすい人は大人しくて抵抗しなさそうな人が選ばれているというイメージが流布している。
私はある朝、混雑した通勤電車で、濃いサングラスをかけ黒の映画Tシャツの上にライダースジャケットを羽織り、迷彩柄のカーゴパンツにレースアップのワークブーツを履いていて痴漢に遭った。それも相当ヘビーなやつだった。以降、私は二度と同じ時間帯の同じ車輌には乗らなくなった。
たとえば大抵の人は、電車の痴漢といえば朝のラッシュ時に発生するものだと考えている。
私はある夜(確か20時前後)、外出先から自社に戻る電車の座席に座っていて、隣に座った乗客にガッチリ身体を触られた。ローカルな路線で車内はガラガラに空いていた。ちなみにこの日の私の服装は黒のジャケットにインナーは濃いグリーンのカシュクール、黒のワイドパンツにパイソン柄で高さ10センチのピンヒールを履いていた。
そこまで痴漢に遭うのは私に何か非があるに違いないと考える人もいるだろう。
だが前述の通り、被害時の私の服装は過度に露出が多かったわけでもないし、人気のないところで無防備な姿態を晒していたわけでもない。
若いころ、大手の取引先との初顔合わせの日に、相応に自分の見え方を意識した装いで出向いたことなら何度かある。そうすればもちろん相手は私の顔やら身体をじろじろ見る。それはそれでこちらの戦略(経験が浅いからと見下されないために外見で圧をかけておく)なので構わない。だがそういう日に、明確にセクハラと判断できる行為をされたり、痴漢に遭ったりしたことはただの一度もない。
ストーカーの被害にも遭ったことがある。
相手は私のまったく知らない人物だったが、相手は私のことを知っていていきなり自宅に押しかけてきたり連日電話をかけてきたりした。最終的にはそれ以上の事態に発展し、このときばかりはさすがに警察のお世話にならざるを得なかった。解決に至るまでは数ヶ月を要した。
知らない人、一度しか会ったことがない人にやたらに付き纏われるといったことは、私にとってはよくあることだった。一大事に至るか否かという程度の問題である。
こんな人生を送ってきた人間がどうなるかというと、当然の帰結として、男性を信用することができなくなる。
私は自分で、そのことに気づくことができなかった。
というのも、私はその辺の他の少女と同じように、同級生の男の子を好きになって手紙を書いたり、バレンタインにチョコレートを贈ったり、いっしょに海に行ったり、年賀状をやりとりしたり、セーターを編んであげたりというごく健全な恋愛を(たまに)しながら10代までを過ごしてきたからだ。
私の男性不信を教えてくれたのは、20代のころに交際していた男の子だった。
都内に住む私と彼の郊外の自宅は電車で1時間以上かかるほど離れていたが、毎回彼は都心まで出てきてくれていっしょに遊びに行ったり、部屋に来てくれたりしていた。
当時の私の仕事は常にスケジュールが過密で毎晩遅くまでの残業だけでなく休日出勤も多く、会う日の都合は彼が私に合わせてくれていた。それがいつも、少し心苦しかった。
先述のストーカー騒ぎが起きたとき、私は自宅を出て近隣の同僚や友人の家を泊まり歩いたり、勤務先の仮眠室に泊まったりしてなるべく自宅に近寄らないようにしていた。警察からそう指示があったからである。
警察はまずこういった。「信頼してしばらくいっしょに過ごしてくれる親族やお友だちはいますか」と。
私は「いません」と即答した。警察は「であれば、当面の間はご自宅にはなるべく帰らないようにできますか。他に泊まれるところはありますか」といったのだ。
まだ携帯電話を持っていなかった私は、彼氏に「当分は家に帰れないから電話はできない」旨を伝えた。ことの成り行きとしてストーカーの件も説明しないわけにはいかなかった。
すると彼は「落ち着くまで俺がそっちに泊まろうか」と提案してくれたのだが、私は言下に断った。あなたにも仕事があるし、うちはあなたの家から遠過ぎる。そんな迷惑はかけられないからと。
ストーカー騒ぎがなんとか収束して、彼と毎晩のように電話をかけあい、ときどきいっしょに出かける生活は戻ったが、ほどなくして私たちはうまくいかなくなった。
どうしてそうなったのかはまったく覚えていないのだが(こういうところが私の人間性の歪なところだと思う)、些細なことで言い争いになったとき、彼は「あのストーカーのとき、あなたは俺を頼ってくれなかった。俺を信じてくれなかった。寂しかった。傷ついた」と告白してくれた。
穏やかな性格であまり感情を表に出さない人だったから、そういうことを口に出すのも勇気が要っただろうと思う。私は素直に「申し訳なかった。傷つけるつもりはなかった」と謝ったが、関係が元に戻ることはなかった。
このとき私は、「ああ、私は男の人を信じることができない人間なのだ」という事実を、いやというほど痛感せざるを得なかった。
私と彼は10代のころからの仲の良い友人で、男女交際に至るまでは友だちとして長い間親しくしていて互いのことをよく知っていたし、何より私は彼のことが大好きだったからだ。
好きで好きで、傍にいられるならいま死んでもいい、と思うぐらい好きだった。
その彼にすら、私は心を許すことができなかった。
いつでも私を尊重し、大事に思い、優しくしてくれた彼の心を傷つけてしまったことを、私はいまでも深く悔いている。
私がそんな風に傷つけた男性は、彼ひとりではないはずだ。
それ以降にも男の人と交際したことはあったが、私と相手の間には常に、透明な見えない壁があった。それはもう私自身の手ではどうしようもないことだった。男性と接近すると勝手に身体が、心が、いつなんどきでもすぐに逃げ出せるように身構えてしまう。
そんな女とつきあいたい人なんかいない。
やがて私は恋愛感情そのものを忘れた。
きっと私は、人を愛することができない人間なのだろう。
それはそれでいい。
仕方ない。
そうなってみると、恋愛対象として私の琴線に触れた人の傾向がよく見えてくるようになった。
それは、私が小学生で初めてボーイフレンドをもったときから一貫して何十年もまったく変化していなかった。自分でもおもしろいくらいで、気づいたときは思わず大笑いしてしまった。
好きになる男の子〜男性は色白か痩せ型かその両方で、顔つきはお地蔵さんとか仏像っぽい中性的な感じ、性格はどちらかというと穏やかで老成していて、頭が良くてちょっと変わり者、というのが全員に当てはまっていた。逆にいえば、やんちゃな子、男臭い人、ワイルドな人は生理的に受けつけない。学生時代にバイト先でボディビルダーにセクハラされてからはとくに筋肉嫌いになり、歩いていて行くてにマッチョな人が近づいてきたら速攻で逃げ出すぐらいのトラウマになった。
その傾向は恋愛対象でなくても普段接する周囲の人にも共通していて、大部分の男性の前では自然に萎縮して緊張してしまう(社会人のマナーとして態度には極力出さないが私をよく知る人には露骨にバレてるらしい)のに、なんとなく中性っぽくて男性性をあまり感じさせない相手であれば、リラックスしてコミュニケーションがとれる。見知らぬ相手になるとこの反応はさらに顕著になり、場合によっては脂汗をかいたり胃が痛くなったりする。要は、私が「普通に」接することのできる男性はかなり限定的ということになる。
映画や音楽やアートの世界でも同じで、私の関心を惹く男性は全員、必要以上に男性性を主張しない、大人なのか子どもなのか、性差の境界がどこか曖昧な人ばかりで、おそらくそれはこの先も変わることはないと思う。
この文章で何がいいたいかをまとめるとするなら、昨今やけに話題になりがちな、いわゆるLGBTQなどというカテゴリー分けは大した問題じゃなくて、人間100人いれば100通りのセクシュアリティがあると考えてもいいのではないか、ということだ。
ストレートでもレズビアンでもバイセクシュアルでもトランスジェンダーでもない私自身の性的指向は、明らかに「普通」とはいえない。
じゃあ「普通」ってなんのことだろう。「普通」の人なんかどこにもいないのではないだろうか。
生理学的な話はここでは関係ない。
人間が社会性動物である限り、私たちの性行動や性反応は本能だけでなく社会的な環境の影響を避けることができない。たとえば2年前のウェブ記事では「バブル崩壊後、『失われた20年』に当たる1992年から2015年の間に、18~39歳で性交渉の経験がない日本女性(処女)が21.7%から24.6%に、日本男性(童貞)は20%から25.8%に増加」したと報じている(出典)。この記事によれば、日本社会の貧困化・格差の拡大に伴って、日本人の性行動も「貧しく」なっているということになる。
大事なのは、この先の時代、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」といったステレオタイプを捨てて、純粋に人と人として一人ひとり誠実に向き合うことが当たり前になれば、この世の中はもっと楽しく平和に安全になるはずで、いつかそういう共通認識が私たちの社会にちゃんと浸透する日が来たら、私ももしかしたらまた誰かを愛することができるかもしれない。
やっぱり、ひとりは寂しい。
ひとりでも、なんとか生きていくことはできるけれど。