まだ復活はできないのですが近況報告。
先日、美容院に行ったときのこと。
朝起きていつもより念入りにメイクして、生まれて初めてカラーコンタクトとつけまつげを着けた。
その日は写真館で証明写真を撮る予定にしていたからである。
ぐりは写真や映像に撮られるのが大の苦手で、そういう機会があっても逃げられるときは極力写らないようにしているのだが、年に何回かはどうしても写真が必要なときがある。それでも証明写真は大抵スピード写真でお茶を濁していたのだが、今回は思うところがあってちゃんとプロに撮ってもらおうと決心して、ふだんはやらない「おめかし」的なことをやってみた。
美容院もいつもの近所の“奥様系”美容室ではなくて、数年前まで通っていたモード系のサロンを予約した。料金も当然かなりお高めである。
美容院に着くと以前の担当者が歓待してくれた。
このサロンでは客はカウンセリングの後で専用のガウンに着替えるのだが、担当のスタイリストが更衣室までくっついて来て、小声で「ぐりさん、結婚したの?」と訊ねた。
「してないよ。なんで?」と訊き返すと、「いや、すごい雰囲気変わったから」「見違えた」「女性らしくなった」といっていたく感じ入っている。おそるべしカラコン&つけまつげ効果(やせたせいもある。大幅にサイズダウンしたので、着ている服も以前と違う)。なんだか妙に緊張して、カットしている間もほとんど喋らず、目もあわせてくれない。「オレなんでこんなに動揺してるんだろう」とまでいう。
美容師も客商売だからリップサービスなんだろうけど、20代のイケメン美容師にここまでヨイショされて悪い気はしない。アラフォーとはいえ、ぐりにも乙女心はまだあるしね。
帰りがけには自前のカメラで写真を撮ってくれた。彼もまあ大層な役者である。けど次に来るのはまたいつになるやらです。だって毎月通うには高過ぎるんだよーーー。
その足で近所の写真館に行き、目的の写真を撮ってもらった。デジカメなのでその場ですぐに受取れる。
できあがった写真を見てびっくりした。そこに写っている女はどう見ても50がらみの眠そうなおばはんにしか見えない(いうまでもないが、ぐりが50代になるにはまだちょっと時間がある)。つい10分ほど前、美容院でおべんちゃらをたっぷり浴びせられてご満悦だったぐりとは似ても似つかない。
写真を見て言葉を失っているぐりに、店主は髪型がどうの服がどうのとあれこれ言い訳をしていたが、しまいにこういった。「それが今のありのままのあなたです」。
よろしい、わかりました。写真を撮って¥1,575の料金を受取るプロとはいえ、営業努力とかサービス精神とかそーゆーものがどこの誰にも備わってて当り前なんて、期待する方が間違ってるっつーわけね。了解しました。
しかしここで納得しては美容院代¥26,770+交通費+所要時間3時間、カラーコンタクト一枚あたり¥105×2枚、つけまつげ¥1,260が無駄になってしまう。
自宅に一旦戻って着替え、メイクを直し、整髪料と反射板を持ってとって返し、写真館のすぐ目の前のスピード写真のブースに行った。
¥700で“奇跡の一枚(by野田義治)”が簡単に撮れた。ちゃんと美容院の鏡の中のぐりがプリントされて出て来た。写真館で30分前に撮った写真と並べると、素で笑ってしまうくらい違う。初めからこうすれば良かった。
スピード写真だろーがなんだろーが、「今のありのままのぐり」のイメージなんてぐり自身が決めればいいことです。ほっといてくださいな。
タイトルはぐりの個人的な“格言”です。
前にも書いたけど、ぐりは物心つかないうちからある親族に「おまえは不細工だ」といわれ続けて、容貌にかなり強いコンプレックスを持って成長した。自分はふためと見られないほど世にも醜い顔なのだとずっと思いこんでいた。18歳のとき、ボーイフレンドに「笑顔が可愛いからもっと笑って」といわれて初めて、やっと客観的事実はそうでもないらしいと知った。
その数年後に、大学の友人に「女の顔なんか化粧でどうにでもなる」といわれて目が覚めた。
美人だろうがブサイクだろうが、自分の見た目のイメージなんか自分でつくりゃあいいんである。生まれつき綺麗な人はもちろんいるし、そういう人がトクをする世の中であるという事実はしょうがない。
けど世の中からどう見られたいかなんて、結局自分の気分次第なのだ。化粧とかファッションとか、小手先の演出くらいなら多少の心がけで誰にだって簡単にできる。
「ありのまま」なんて自分で決めればいい。他人がどう見ようとどういおうと、知ったこっちゃあござーせん。
消費税ぶんで靴が一足買えるわね。
先日、美容院に行ったときのこと。
朝起きていつもより念入りにメイクして、生まれて初めてカラーコンタクトとつけまつげを着けた。
その日は写真館で証明写真を撮る予定にしていたからである。
ぐりは写真や映像に撮られるのが大の苦手で、そういう機会があっても逃げられるときは極力写らないようにしているのだが、年に何回かはどうしても写真が必要なときがある。それでも証明写真は大抵スピード写真でお茶を濁していたのだが、今回は思うところがあってちゃんとプロに撮ってもらおうと決心して、ふだんはやらない「おめかし」的なことをやってみた。
美容院もいつもの近所の“奥様系”美容室ではなくて、数年前まで通っていたモード系のサロンを予約した。料金も当然かなりお高めである。
美容院に着くと以前の担当者が歓待してくれた。
このサロンでは客はカウンセリングの後で専用のガウンに着替えるのだが、担当のスタイリストが更衣室までくっついて来て、小声で「ぐりさん、結婚したの?」と訊ねた。
「してないよ。なんで?」と訊き返すと、「いや、すごい雰囲気変わったから」「見違えた」「女性らしくなった」といっていたく感じ入っている。おそるべしカラコン&つけまつげ効果(やせたせいもある。大幅にサイズダウンしたので、着ている服も以前と違う)。なんだか妙に緊張して、カットしている間もほとんど喋らず、目もあわせてくれない。「オレなんでこんなに動揺してるんだろう」とまでいう。
美容師も客商売だからリップサービスなんだろうけど、20代のイケメン美容師にここまでヨイショされて悪い気はしない。アラフォーとはいえ、ぐりにも乙女心はまだあるしね。
帰りがけには自前のカメラで写真を撮ってくれた。彼もまあ大層な役者である。けど次に来るのはまたいつになるやらです。だって毎月通うには高過ぎるんだよーーー。
その足で近所の写真館に行き、目的の写真を撮ってもらった。デジカメなのでその場ですぐに受取れる。
できあがった写真を見てびっくりした。そこに写っている女はどう見ても50がらみの眠そうなおばはんにしか見えない(いうまでもないが、ぐりが50代になるにはまだちょっと時間がある)。つい10分ほど前、美容院でおべんちゃらをたっぷり浴びせられてご満悦だったぐりとは似ても似つかない。
写真を見て言葉を失っているぐりに、店主は髪型がどうの服がどうのとあれこれ言い訳をしていたが、しまいにこういった。「それが今のありのままのあなたです」。
よろしい、わかりました。写真を撮って¥1,575の料金を受取るプロとはいえ、営業努力とかサービス精神とかそーゆーものがどこの誰にも備わってて当り前なんて、期待する方が間違ってるっつーわけね。了解しました。
しかしここで納得しては美容院代¥26,770+交通費+所要時間3時間、カラーコンタクト一枚あたり¥105×2枚、つけまつげ¥1,260が無駄になってしまう。
自宅に一旦戻って着替え、メイクを直し、整髪料と反射板を持ってとって返し、写真館のすぐ目の前のスピード写真のブースに行った。
¥700で“奇跡の一枚(by野田義治)”が簡単に撮れた。ちゃんと美容院の鏡の中のぐりがプリントされて出て来た。写真館で30分前に撮った写真と並べると、素で笑ってしまうくらい違う。初めからこうすれば良かった。
スピード写真だろーがなんだろーが、「今のありのままのぐり」のイメージなんてぐり自身が決めればいいことです。ほっといてくださいな。
タイトルはぐりの個人的な“格言”です。
前にも書いたけど、ぐりは物心つかないうちからある親族に「おまえは不細工だ」といわれ続けて、容貌にかなり強いコンプレックスを持って成長した。自分はふためと見られないほど世にも醜い顔なのだとずっと思いこんでいた。18歳のとき、ボーイフレンドに「笑顔が可愛いからもっと笑って」といわれて初めて、やっと客観的事実はそうでもないらしいと知った。
その数年後に、大学の友人に「女の顔なんか化粧でどうにでもなる」といわれて目が覚めた。
美人だろうがブサイクだろうが、自分の見た目のイメージなんか自分でつくりゃあいいんである。生まれつき綺麗な人はもちろんいるし、そういう人がトクをする世の中であるという事実はしょうがない。
けど世の中からどう見られたいかなんて、結局自分の気分次第なのだ。化粧とかファッションとか、小手先の演出くらいなら多少の心がけで誰にだって簡単にできる。
「ありのまま」なんて自分で決めればいい。他人がどう見ようとどういおうと、知ったこっちゃあござーせん。
消費税ぶんで靴が一足買えるわね。