落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

水戦争時代

2010年02月02日 | movie
『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』

地球の人口増加と砂漠化の進行にともない、将来確実に不足するといわれている水資源。
地球上の生物のすべては水がなければ生きていけないし、もちろん人間だって例外ではない。
それなのに、新自由主義経済のもとで水をめぐる利権は公共のものではなくなり、水道事業さえ民間企業に売り渡してしまう自治体が世界各国に出現した。
本来、自然に浄化/循環されるはずの水を人工的に操作しはじめたら地球は、人類はどうなるのか。ノンフィクション『「水」戦争の世紀』(モード・バーロウ、トニー・クラーク著)をもとにしたドキュメンタリー。

んー。難しい。
グローバル経済の矛盾を描いたドキュメンタリーは数々あるけど─『不都合な真実』『いま ここにある風景』『女工哀歌』『おいしいコーヒーの真実』『ダーウィンの悪夢』『シッコ』『キャピタリズム マネーは踊る』─コトが「水」となるとなんでこんなにわかりにくくなるのか。
日本ではまだ、水道事業は自治体のものということになっている。ぐりの知る限りではそうだ。離島と、夏場の一時期を除けば常に水資源に恵まれた日本で、水がなくて困るということは日常生活ではまず直面しない。
でもそれが突然奪われてしまったらどうなるだろう。まったく想像がつかない。
逆を返せば、それくらい、水は誰の生活にも必要不可欠なものだということになる。飲むだけではない。入浴や洗濯にも水はいる。不足すれば衛生環境が悪化して伝染病のもとになる。農業や医療行為も水がなければ不可能だ。
そんな水を、誰かが勝手に独占したらどうなるか。そもそもそんなことは許されることなのか。

作中で「これからは水が投資対象になる」といってた人がいましたが。
この映画は2008年の作品なんだけど、そーいえばそれよりも前、たぶん5〜6年かもっと前に某知人(投資系)が「今はボトルウォータービジネスがいちばん熱い」といってたのを思い出した。なんかもうとにかくアホみたいに儲かるみたいなこといってたなあ。
それを聞いて「よっしゃ、ほんならひとつボル○ィックの株でも買うたろかい」とはならないのがぐりのアホなとこですね。ビンに水つめて売るだけのショーバイに投資するなんてなんかアホらしわー、なんて思っちゃってそれっきり忘れちゃってました。
けどさ、そんなことで損した得したなんて騒ぐの、ほんまにアホみたいやと思いません?
だって・・・水でしょ?そんなにまでして儲けても、べつに嬉しくないなー。ってやっぱアホ?わたし・・・。

美しい国を目指して

2010年02月02日 | movie
『泣きながら生きて』

1989年、上海出身の丁尚彪が日本の土を踏んだのは35歳のときだった。
文革期の下放政策のため満足な教育を受けられず、大学に行きたい一心から親戚や友人たちからやっとのことでかき集めた借金で入学金を支払った日本語学校は、北海道阿寒町、働き口もない過疎地だった。
学校を脱走し不法滞在者となった彼は東京に移り、上海に残してきた一人娘に勉学の道を託してひたすら働き続けた。その間15年、一度も故郷に帰ることなく・・・。
2006年にCX系で放送されたドキュメンタリー番組を、視聴者の大学生の企画で劇場公開。

ひとりっ子政策の中国では子どもが何よりも大切にされる。親は子どもに希望を託し、子どものためにできることは何でもしてしまう。
極端な格差社会から抜け出すべく、海外に生活の糧を求めて飛び出していく中国人も多い。現に東京でも、今どきどこのコンビニに入ってもファミレスやファーストフードや居酒屋に入っても、中国系の店員に出会わない店はほとんどない。電車に乗っても繁華街を歩いていても、必ずといっていいほど中国系の人に出会う。それくらい中国人が多い。
だから、この丁さん一家の話は、はっきりいえばそれほど珍しい話じゃないんだろうと思う。
現代の中国人たちの、無数の似たような汗と涙の物語の、そのうちのひとつに過ぎないのだろうと思う。
東京中にあふれる中国人労働者たちにも、多少の程度の差こそあれ、それぞれに丁さんと似たり寄ったりの事情があるのだろう。

人には誰にでも、平和で幸せな人生を求める権利がある。
親に三度三度きちんとした食事を食べさせたい、子どもにまっとうな教育を受けさせてやりたい、具体的な願いのひとつひとつは少しずつ違うかもしれないけれど、何も贅沢をしたいとか楽しく遊び暮らしたいというだけで、二度と再び家族に会えないかもしれないという危険を冒してまで故郷を捨てて異国へ出て行く人間はそうはいないだろう。中にはそーゆー人もちょっとはいるかもしらんけどね。現実には。けど多数派じゃあないと思う。
ぐりや、これを読んでいるあなたや、その隣の誰かと同じように、ビザを持たずに日本に滞在している(中国人だけじゃない)外国人労働者たちのひとりひとりにも、丁さんと変わりない、それぞれの生活と、人生と、希望がある。
映像を観ていて、そこまでをストレートに表現できないTV番組というメディアの不自由さがすごく気になった。
あと、丁さんがなぜ国内ではなく日本での勉学を志したのか、そこが明確でないのもひっかかる。地方の外国人留学生誘致政策の不備だけを糾弾するのは、ちょっとフェアじゃないんじゃないかなと。

作中でいちばん心を動かされたのは、13年ぶりに再会する妻のために、丁さんがはとバスの行程表を書き写している場面。
¥8,000の参加費を節約するため、彼は東京めぐりのコースを無料のパンフレットから写し、手のひらサイズの路線図をプラスティックの拡大鏡で覗きながら、一箇所一箇所、乗り換えルートをチェックしていた。
家賃を二万円浮かせるために風呂なしのぼろアパートに住み、台所の給湯器で髪を洗う丁さん。外で食べると高いからと、夕食を多めにつくって弁当箱につめる丁さん。不景気なのにみっつも仕事があってラッキーだと、昼は工場作業員、夜は料理人、あるいは清掃員として、早朝から深夜まで身を粉にして働いている丁さん。
まさに爪に火を灯す思いで稼いだ夫のお金を全部、娘の学費に貯めて、ひとりで上海の家を守ってきた妻のために、はとバスのパンフレットを書き写している丁さんのつつましさにはやっぱり感動してしまった。

来日して15年、髪もすっかり薄くなり、歯茎が痩せてきれいな歯並びもぼろぼろになった丁さんは、両手を合わせて飛行機の窓の外に飛び去る日本を拝んでいた。
彼が何を思って拝んでいたのかは、ぐりにはわからない。
彼はいったい、何を拝んでいたのだろう。彼にとっての日本は、いったい何だったのだろうか。
エンドクレジットの後で、テロップで丁さんはあたかも正規の手続きを経て帰国したかのような解説があったけど、放送当時の中国の報道ではまったく別なことが書かれている(ソース)。どちらが事実なのかは確かめようがないけど、こんな風に安易なハッピーエンドに収束させてしまったことで、丁さんの15年間の重さや、その他の在日外国人たちの抱えた重さが、どうしようもなく損なわれてしまったような気がするのが残念だった。

アルバイト時代

2010年02月01日 | diary
大学生に「ふさわしい」バイトとは? 学校も苦慮

ぐりは大学4年間で全部で20種類くらいアルバイトをしている。
最初は書店、その次が居酒屋、それから警備員、絵画モデル、デザイン事務所、フィットネスクラブ、事務員、ガソリンスタンド、ラーメン屋、日本料理屋、宅配便、イベントコンパニオン、肖像画描き、デパ地下、コピー取り、テレビ番組のADなどなど。ちなみに学生バイトの定番、コンビニ・ファーストフード・ファミレスはなぜかやってない。水商売もやった。スナックのホステス。2日で辞めた。あまりにも向いてなさすぎたし、自分の学部の教授が常連だとゆーことが判明したので。
なんでそんなにお金が必要だったかとゆーと、美大とゆーところはほんっとーにお金がかかるところだったから。ぐりのうちは貧乏ではなかったので、生活・学業に最低限必要なお金はちゃんと仕送りしてもらっていたけど、学費とは別に材料費とゆーものがかかる。これがまた馬鹿みたいにかかる。そしてそれは決して節約なんかできない。そこ節約してたらアートやってる意味ないからさ。
あと、スキーやってたせいもあるね。ぐりは学生時代に大回転(グランド・スラロームとゆー。レースです)をやっていて。これがまたやたら金がかかる。ウェアだの道具だのいちいち高いし、合宿費だって高い。

そーゆーワケで、明けても暮れてもバイトばっかりしていた。学校が忙しくなると、学校が始まる前の早朝にできるバイトを探して働いた。
そうして稼いだお金で、カメラやらレンズやらフィルムやら絵具やらインクやら溶剤やら紙やら、大学で必要なものを買った。服や化粧にかけるお金はいつも足りなかったから、たいていは古着屋で買った安い服をどうにか工夫しておしゃれしていた。メイクなんかは就職活動が始まるまでロクにしなかった。旅行にも行かなかったし、宴会といえば学校の近所でお酒を買ってきて、工房で餃子を焼いたり寄せ鍋をしたりして騒いでいた。
それでもじゅうぶん楽しかった。まだ携帯電話もインターネットも普及してなかった。ゲームも一部の人しかしていなかった。今の学生と比べたら、ずいぶん生活環境が違うような気がする。でも楽しかったのだ。

そうして経験したバイトの中には、「ちょっとそれはどーか?」なものももちろんあった。けど、今振り返って、自分で学生にふさわしくないことをしたという意識はない。
ぐりにとって大学時代は、家という保護下から社会へ出て自立して生きていくための助走期間、モラトリアムだった。そのことを、最初からかなりはっきりと自覚して大学に入学していた。
だから、はなっから「この4年間にしたいことは全部してやろう」と決心して、思いついたことを何もかも、端から順番にやっていっただけだ。だって、社会に出たらほんとうに自分のしたいことなんてそうそうできなくなる。やるなら今のうちだ。
アルバイトはそれを可能にするために必要不可欠な手段だった。それ以上でも以下でもなかった。
だからまあ、就職が決まったときは「ああ、これで毎週目を皿にしてアルバイト情報誌をめくりたおさなくてもいいんだ」なんて、ちょっとほっとしたのも正直なところだったりもする。

ぐりが大学時代をすごしたころと、今の学生が過ごしている「学生時代」がどれくらい違うのか、ぶっちゃけぐりにはよくわからない。
先日、某超有名私立大の女子学生と話す機会があって、いろいろショーゲキ的な話を聞いて「へー」とか「ほー」とか思ったものだけど、ちょっと冷静になって考えてみると、ぐりが彼女くらいの年ごろのときだって、そんな某超有名私立大の子となんて話はあわなかったし。学生の分際でなんでそんなに高額な服やら靴やらバッグやらアクセサリーにウツツをぬかさにゃならんのか、1時間も2時間もかけてフーゾク嬢みたくコッテコテに化粧せにゃいかんのか、クラブやらホストやら無意味に金のかかる遊びに熱を上げにゃいかんのか、あのころだってさっぱり理解できなかったし、今だってわからない。年をとったってわかんないもんはわかんないんである。ケータイ代だってそんなに高いもんでもなかろーに。
だけど、どっちみち大学時代が社会に出て行く前のモラトリアムであることには変わりない。年齢的にはもう大人なんだし、何をしたって自己責任でいいんじゃないの?とぐりは思うけどね。水商売だってAV出演だって、やりたきゃやりゃあいいじゃん、と思う。ほっときゃいいじゃん。子どもじゃないんだもん。
大学がバイトを斡旋すんのはいいかもしんないけど、禁止したりして規制すんのにははっきりいって意味はないと思うし、いいことなんか何にもないと思うんだけど。

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待ち犬。