ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

よっちゃんの光雲 一周忌

2011年05月29日 | 百伝。
百島は、昨日から、ずっと雨降りみたいだ。

今日は、よっちゃんの一周忌命日。

写真は、去年5月29日19時13分・・よっちゃんの竹馬の友 小生の長兄が、百島上空を地震雲かと思った情景を偶然に撮った流れるかのような光雲の写真です。

よっちゃんが逝って、この一年間、ずっと後悔していることがある。

マッチメーカーとして、まず初めに東京の居る或る方に、よっちゃんを紹介すればよかったかな・・と思うことである。

そうすれば、東京を拠点として、よっちゃんの木版画を個展形式で、ずっと常時継続開催を念頭にして、もっともっと日本全国、世界の果てまで、よっちゃんの木版画が広く知れ渡っていた可能性もあったかもしれないと思うのである。

世の中には、不思議なことがある。

瀬戸内の海育ちと信州の山育ちという違いはあるが・・同い年に生まれて、経歴、趣味、スポーツ、顔立ちも、気性も似ている方がおられる。

もし出会うことがあったならば、お互いに、初対面で鏡の中の分身を眺めるようで吃驚するのではなかったのかと・・アレコレ想像するのである。

一方は、既に天然酵母のパン作りでは日本の第一人者で、そして、よっちゃんも、その板版画の道を歩めば、必ず頭角を表わすだろうという夢頂の途中にあった。

年少の小生が言うのは、おこがましくもあり、生意気なのだが、よっちゃんの人柄なり、その世界観、板版画を幅広く紹介するために、マッチメーカーとして動けばよかった!

でも、よっちゃん・・幸せな人生だよね。

今日、よっちゃんが高校教師をしていた頃の教え子で因島のChoBoさんという方が、ユーチューブに「あんたに・人生の恩師として」への追悼の歌と絵葉書、版画を載せているのを見つけたよ。

http://www.youtube.com/watch?v=3hcr70pCVds

ChoBoさん・・素晴らしいです! ありがとうございます。

よっちゃんこと渡辺良文氏・・光となって、ずっと心の中に生きているよ。合掌。





中小路 夢現(ゆめうつつ) 

2011年05月27日 | 百伝。
熱い気持ちを持つ人のメッセージは、熱意(エネルギー)が大きいほどに伝わってくる。

版画家よっちゃん(渡辺良文氏)が亡くなって、早一年が過ぎた。

よっちゃんは、二人兄弟・・その弟のヒデ君(小生より3歳年長)も、今年一月に亡くなっていた。

先日、百島に帰った際に、よっちゃん、ヒデ君のお墓参りもしたが、跡取りもなく、花の供えもなく、とても悲しかった・・ずっと花咲く造花でもいいから供えたくなるぐらい寂しかった。

よっちゃんの版画・・全部が全部、自分好みではないけれど、何かを残して伝えたいメッセージがあったんだと思う。


(渡辺良文氏 作)

昭和40年の夏・・ヒデ君が小学校6年生の時、広島県学童水泳大会(県体)で平泳ぎ3位に入った。

飛び込みスタートがよければ、優勝だった・・とヒデ君は言ってた。

小生は、小学校3年生だった。

あの年の暑い夏の日、夕立雨が降り注ぐ泊の港 中小路(なかしょうじ)から、ひょっこり現れて・・モリモトの店の前から、ヒデ君が海に飛び込んで、豪快な平泳ぎをみせてくれた光景が忘れられない。

1972年(昭和47年)、ミュンヘンオリンピックで尾道高校出身、広島修道大学学生だった田口信教さん(当時22歳)が、100メートル平泳ぎを世界新記録で金メダルを獲得。

小生は、高校1年生だった。

「ヒデ君も尾道高校水泳部に入ればよかったのに」と・・よっちゃんに言うと、ただただ微笑んでいた。

ほんとうに良い人だった。合掌。


禅と桃

2011年05月23日 | 百伝。
百島から帰福して、少々体調が崩れた。

ご近所のお亡くなりなった方のお通夜に参加。

真言宗「南無大師遍照金剛」のお経が延々と続く・・木魚のトントントントンという強い響きに、とうとう小生の心臓のリズムが散り散りに乱れて、青息吐息になる。

時々に思う。

曹洞宗 百島西林寺の若い住職さんのお話が、とても好いのである。

つまりは、曹洞宗大本山 永平寺開祖 道元禅師の教えが、素晴らしいのである。

  生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか、それが仏法の根本問題です。
  長生きすることが幸せでしょうか? そうでもありません。
  短命で死ぬのが不幸でしょうか? そうでもありません。
  問題はどう生きるかなのです。

  はきものをそろえると心もそろう。心がそろうと はきものもそろう。
  ぬぐときに そろえておくと はくときに 心がみだれない。
  だれかが みだしておいたら だまって そろえておいてあげよう。
  そうすればきっと 世界中の人の心も そろうでしょう。


深く大きく深呼吸・・ゆっくりと禅・・静かに腹式呼吸。

NHKの中部地方のローカル番組「荘川桜 50年の物語」を観ての感想。

今年の五月もそろそろ終り・・上旬に岐阜県高山の御母衣ダム湖岸(世界遺産の白川郷から南下)にある荘川の桜(樹齢450年 移植50年)を観に行くことも出来なかったなぁ。

そして、名古屋から金沢(岐阜県を縦断して太平洋から日本海側)まで、桜の道を作ろうとした桜の苗木を植え続けたバスの車掌さんであった佐藤信二さんを想う。

荘川の桜が、移植後に見事に開花したことに感動を覚えた佐藤さんの凄いことは、桜の道を作ろうとしたこと、荘川の桜の子孫を残そうとしたことである。

実際、荘川の桜の30番目の子・・荘川三十郎が、四国高知の山間に大きく咲いているのにも驚かされた。

飛騨から信州、甲州にかけての高地は、瀬戸内海出身の小生にとっては、とても魅力的に映る。

とりわけ、甲州の桃の花咲く「桃源郷」の美しさは、頭から離れない。

「春風に 綻びにけり 桃の花 枝葉にわたる 疑いもなし」(道元禅師)

さつきの花咲く頃

2011年05月19日 | 百伝。
NHKのラジオ深夜便を聴きながら思う。

今夜は、地球の裏側のブラジル・サンパウロからの生放送である。

このブログは、百島をテーマにしているから、なるべく百島のことを書くつもりである。

人口が多いと都会になるが、山、川、草、木、魚、鳥、虫・・等々、そして花にとっては、百島のような田舎がパラダイスであり、喧騒地の大繁華街のようなものである。

数年前の五月、百島の実家の庭に咲いた「さつきの花」である。



今年五月、百島の実家の庭に咲いた「さつきの花」である。



中学生の頃、深夜のラジオを聴くようになっていた。

深夜、大阪のMBSラジオ放送を聴くのが楽しみだった。

「戦争を知らない子供たち」「あの素晴らしい愛をもう一度」「風」等が大ヒットした頃で、その作詞家(精神科医)の北山修さんやフォーク歌手の杉田二郎さん等がパーソナリティを務めていたラジオ番組だった。

あの頃は、百島から早く外の世界(喧騒地の都会繁華街)に飛び出したかった思春期の時代だったなぁ。

その後、大学生になって、北山修さんとも一緒に取材旅行にも行くことにもなったが、取材テーマは、「ちいさな島で大きな地球を考える」・・・南洋の島のサイパン島やらグアム島を訪問したかな。

島にとっても、地球にとっても、その上に棲む主人公は、人間ではないのである。

山川草木魚鳥虫が混在して棲む一体全体となった世界が、生命力溢れる地球上の主人公なのである。

生命ある果ての世界が、密林ジャングルか、何もかも凍りつく氷の世界なのか・・自然への畏怖と摂理が、人類の祈りと人間社会の営みの間にある矛盾なのである。

もっと簡単に言えば、自然への感謝と人間社会の理想とする生き方が、弱肉強食、競争社会の中で、「もっといい人間になりたい」という願望心である。

身体が動けるうちは、「ちいさな島で大きな地球と世界を考える。感謝」

・・また、百島に行こう♪

百島 草刈十字軍

2011年05月16日 | 百伝。
草刈り十字軍の呼び名をつけたのは、確か、富山県の自治体が大学生に草刈りのボランティア募集を呼びかけたのが最初の試みだったかな。

数年前、千葉県在住の方からメールを頂きました。

その方の父上様が、百島(福田地区)出身の方であり、百島の両親のいる墓地にも納骨してほしいという生前の希望があり、「父の故郷の百島に分骨に参りました」という内容のメールでした。

小生も自分の死後は、百島の墓地に分骨したいという希望があります。

跡取りである兄や甥には、事前に頼んでもありますが、墓地に小生が勝手に桃の木を植えると怒るかな・・。

14日早朝出発・・午後、百島に到着。

早速、母と一緒にお墓参りです。

身内やら知り合いの墓前に水をやりながら、アレコレ・・母と二時間ほど、百島の泊墓地におりました。

とりわけ、既に身寄りもなく墓参りにも来ない生前親しかった家のお墓・・ここだけではなく、いつかの近い未来、我が身内も含めて、わざわざ百島まで墓参帰りに来る子孫も少なくなるのだろうと考えると、もの悲しい気分に襲われました。

はてさて・・。

墓地の周りの草むしりなどをしていると、汗がでるやら手が臭くなるは・・全く用意無しでの突然の草むしり作業は、ダメですね。

15日の朝、母から家の裏畑を覆っている藪のような草を刈ってくれと言われたので、汗ダクダクなり実行に移しました。

医者から激しい運動は止められていますが、とても爽やかな気持ちでした。

15日の午後出発・・帰福へ。

神戸から宝塚あたりまで大渋滞でしたが、無事、福井の我が家に夜遅く到着しました。

福田桟橋で船を待つ間に、ふと思いついたこと。

今度、百島に帰省した折から、どうせ、草むしり、草刈りに精を出すならば、その草刈りの前後(Before & After)の写真を撮って記録して置こうかなと思った次第です。

個人的な自分なりの草刈り作業の従事記録も楽しいかもしれません。

とりあえず短い一泊二日の帰省でしたが、草刈り、草むしりという楽しい時間を過ごしました。

百島 草刈り十字軍への協力スポンサーと参加者募集・・同級生に呼びかけようかなと考えたりもします。

素晴らしい感動を覚えるぐらいの百島での草刈り作業の結果(写真判断)を残した方には、粗品プレゼントをします!という触れ込みも楽しいかもしれません。

それから、百島のかつての段々畑は、草木に覆われて、ほぼ壊滅状態です。

かつての段々畑を復活再利用させるには・・?

太陽光エネルギー吸収のパネル板を気候温暖な瀬戸内海の島々の段々畑に設置するのもビジネスとして面白いとも考えたりしました。

段々畑の草刈り事業をベースに・・瀬戸内海沿岸出身の若い起業家希望の方が、地元の自治体やエネルギー事業関係機関に提案すると面白いかもしれません。

例えば、ソフトバンクの孫正義氏などに夢を語れば、彼は動くかもしれません。

百島 福田桟橋にて(2011.5.15):










幸せのチカラ!

2011年05月13日 | 千伝。
今テレビで観終えた映画(幸せのチカラ)。

映画の舞台は、サンフランシスコ。

ホームレスから富豪になったクリス・ガードナーの半生をベースにした実話物語。

懐かしい中華街やらゴールデンゲートブリッジ(金門橋)を眺めながら思う。

映画の原題タイトルは、「幸福の追求」。

サンフランシスコの中華街にあるYMCAやら安ホテルに滞在していた小生が、まだまだ若かった頃、自分には、幸せなエネルギーが溢れていた。

幸せのチカラは、幸せ気分であること。

幸せ気分は、自分で作ること。

作ることは、動くこと。

動くことは、思い立つこと。

思い立ったが吉日。

思い立つ・・そう、今から、深夜の高速道を飛ばして、故郷の百島に帰ります。

明日一日は、百島で過ごします。

幸せのチカラを取り戻すために。

花鳥風月 ツバメ返し

2011年05月11日 | 千伝。
福井には、「おはよー」と呼びかける案外有名なカラスがいる。

小生も、何度か呼び止められた体験がある。

五月になり、先日の朝、電線に止まっていたそのカラスから「おはよー」と久しぶりに呼びかけられたので、「久しぶり!」と答えると、また「おはよー」と返ってきた。

今度会う時には、「ありがとう!」と答えるつもりである。

花鳥風月の趣きは、風薫る五月が一番似合う。

梅、桃、桜が咲き散ったあとは、つつじ、さつき、かきつばたと花の宴が続く。

この時季、故郷の百島では、ツバメが、遥か南方の彼方から日本に戻り、巣作りに精を出す。

我が家の実家の庭の中で、ツバメが地を這うような低い位置から物凄いスピードで急上昇して飛ぶ・・そんな思い出が甦る。

ツバメの飛ぶ速さ、動き、伝達力は、蝙蝠(こうもり)と鯨(いるか)を合わせたような不思議な能力を備えている。

・・小生、この北陸の地でツバメが飛ぶのを数度しかみていない。

故郷の瀬戸内海の百島では、毎年毎年、実家にツバメが戻ってきていた・・それも父が生きているまでは・・。

父が亡くなった年の五月、我が家の近くをツバメが飛び回っていたが、とうとう巣も作らず、そのまま去っていた。

いつかの年の五月・・父と母が、福井に遊びに来た折、郊外にある一乗谷朝倉遺跡に案内をした。

そこから、ちょっと奥入った場所に、一乗谷の滝がある。

剣豪 佐々木小次郎が、剣術修行のために秘剣「つばめ返し」をあみ出したという伝説のスポットである。

あの時、つばめが一羽・・滝が落ちる水面スレスレに横切り飛んでいた。

それをみた父が、「あのツバメは、わしを追って、ずっと百島からついてきている」と冗談めかして不思議な事を言ったので、笑った憶えがある。

それ以前に、鳥を喩えにして「わしを追いかけてきている」という暗示は、何度か聞いた憶えもある。

そう、あのツバメは、父の先祖にあたる誰かの化身ではなかったのかと最近思うようになったのである。

今日は、大雨、小休止の今・・小鳥の声が聞こえてくる。

この小鳥のさえずりも、何かの想いを伝えにきているのかもしれないと・・ふと思うのである。

「ありがとう!」・・大丈夫!上機嫌で!