遠い異国で働いているのに心配させてはと悪い・・と知らせずにいたのだろう。
父が昭和13年12月28日に46歳で亡くなり、母も翌年昭和14年7月19日に43歳で亡くなったと・・詳しく手紙に書いて知らせてきたのであった。
その事を知ると、私は、「子供を遠い国まで行かせて、苦労をさせて済まぬ」と想いながら死んで逝った両親の気持ちを憚った。
親孝行も十分出来ないままなのに、申し訳けない想いが先に立ち、幼い頃を思い出しては・・その夜は、悲しくて、涙があふれて、一晩中泣き明かした。
皆からの同情と厚意もあり、いつまでも悲しんではおれず、「諦めねば」と自分の心に言い聞かせたのである。
父が昭和13年12月28日に46歳で亡くなり、母も翌年昭和14年7月19日に43歳で亡くなったと・・詳しく手紙に書いて知らせてきたのであった。
その事を知ると、私は、「子供を遠い国まで行かせて、苦労をさせて済まぬ」と想いながら死んで逝った両親の気持ちを憚った。
親孝行も十分出来ないままなのに、申し訳けない想いが先に立ち、幼い頃を思い出しては・・その夜は、悲しくて、涙があふれて、一晩中泣き明かした。
皆からの同情と厚意もあり、いつまでも悲しんではおれず、「諦めねば」と自分の心に言い聞かせたのである。