百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

目も心も

2013年05月31日 | 千伝。
大学の通信制で学んでいる者にとっては、今は、スクーリングへの参加日程、課目の取得状況、それに伴う来年の春までの大まかな時間と日程の調整と申請を考えなければならない時期になります。

僕の場合、どうも来年の卒業は、無理だということが判りました。

3回生編入で知り合ったクラスメート?の一部は、来年スムーズに無事卒業するであろう方もいて、残される留年組としては、ちょっと寂しいかな。

と思っていると、メールが届きました。

「通信制課程の学問って、孤独だよね」

まさしく、そうなんです。

自分で決めて選んで、自分で提出して・・「何をわかる」よりも「何ができる」かが大事になります。

メールを送ってくださった方・・同じく来年卒業をあきらめています。

もうひとり、仲良しになった薩摩藩島津家の末裔の方・・どうしているのだろう?

「島津会みたいのがありましてね。全国に二、三百人の島津一族がいるんですよ。昔の大名は、繁殖能力が旺盛だったのか・・子孫が多すぎるんです。大名の子孫だといっても、いろいろと、いますよ」と面白いことを言います。

僕は、大学卒業したあと、日本被爆者団体協議会の平和活動、元気創出の社会福祉団体に参加する予定ですが、いつになることやら。

同じく被爆者二世の矢沢永吉さん、福山雅治さんに、平和の歌を創っていただきたいものです。

それよりも、自分の発信力を鍛えます。

痩せる思いが必要な自分へのメッセージです。

目も心も・・来年に向けてのこと。

海路日和

2013年05月30日 | 百伝。
2馬力船外機ボートに関連して、百島の同級生の情報から、懐かしい思い出が甦りました。

昔は、船舶免許無しでも船外機ボートに乗れたとか。
それが、30年ほど昔、20代前半の頃に免許制になったとか。
それでも、夜釣りにも使っていたけど、万が一、海上保安庁の船が近づいて停船を求められる状況になった場合・・、「船外機のエンジンを海の中に落として捨てる」つもりだったとか。

それぐらい厳しい罰則令があったのかな・・?

夜釣りよりも、カキの養殖いかだに寝そべって、満天の星を眺めていた記憶の方が強いです。

伝馬船を櫓で漕いで、一緒に夜釣りに行った思い出はあるけど、船外機ボートで釣りに出かけた記憶はないかな?!

伝馬船を櫓で漕いで、百島を一周をした思い出も甦りました。

横島の横に浮かぶ当木島あたりまでが、限界だったかな・・。

あの先は、潮の流れが速くになり、とても弓削島、生名島方面まで、伝馬船を櫓で漕ぎ出してゆくのには、勇気が必要でした。

帰りの潮路も、大変でした。

父が子供の頃、父の祖父が、伝馬船に百島大根を山積みにして、香川県善通寺にあった旧陸軍第11師団駐屯地まで納めに出かけていたようです。

百島から四国の善通寺まで、大根を積んだ伝馬船に、独り櫓を操りながら、瀬戸内海を横切って渡る光景を想像すると、勇気が湧いてきます。

昔の人は、潮の目を読むことができたのでしょう。

おそらく、櫓を漕ぐというよりも、潮の流れを読みながら、櫓の角度を変えて、櫓を海に挿して「舵を取りながら伝馬船を進めていた」のかもしれません。

そうでないと、潮の満ち引き、潮の流れに抗して、「櫓を漕ぐ」というだけの人力ならば、大変な労力となる消耗エネルギーになります。

人力に、自然の力を借りて、尽力となるのかもしれません。

待てば海路の日和あり・・かなぁ。

百島への行き来。

2013年05月30日 | 百伝。
2馬力船外機ボートならば、船舶免許が無くても操縦できます。
ゴムボートであれば、移動も簡単です!・・バイク・ショップでの宣伝説明。

・・うん?

全長3.33メートル以下のボートで、搭載できるエンジン出力1.5キロワット以下つまり2馬力船外機(1馬力=0.7355ワット)のこと。
船舶検査も不要で使用することができる。大人3名乗船可能。2名だと十分なスぺース、航速距離があり、釣りやクルージングなど幅広く誰でも簡単にはじめる事ができる。コンパクトな為マリーナなどに保管する必要も無く、何より手元にいつでも置いておくことができる。好きな時に好きな場所で使用できるのも小型ボートならではの魅力と言える。2馬力船外機は、船舶免許がなくても操縦できる!・・(船外機・ショップのHP説明)

・・知らなかった!!

若い頃、親父から「わしは船舶免許があるから乗れるけど、おまえは小型船舶免許も無いから船外機付きのボートにも乗れない」と言われていました。

ずっと、「そうなのか」と思い込んでいました。

・・ええ?! 間違いだったんだ!!

そう言えば、近隣の若狭湾小浜や大飯にもマリーナがあって、ヨットや大型ボートだけではなく、たくさんの2馬力ボートのようなものが浮かんで停泊しています。

小型船舶免許の保有者が案外と多いなぁ、という気持ちで眺めていました。

・・遅い発見でした。

僕同様に、この事実・・「船舶免許がなくても操縦できること」を知らない人が多いのでは?・・ないかと思います。

もっと、若い頃に「この事実」を知っていたならば、百島に「自家用ボート」を用意して、原付バイクに乗る感覚で、時間に煩わされることなく、買い物や近隣への通勤・通学の別途臨時の移動手段として活用していたと思います。

これをヒントに、百島から、あるいは百島への海上の足(ツール)として「自家用2馬力ボート」を活用される方が増えることを希望します。

百島は、2馬力ボートでも簡単に移動できる位置に浮かんでいます。

さらに、カヤック体験、SUPボード体験を含めたマリン基地のようなシンプルな施設が、百島にあればいいとも考えます。

少しでも、百島への行き来が、賑やかになることを希望します。

春は何?

2013年05月28日 | 資本と社会の問題
金閣寺よりも、銀閣寺の方が、個人的には自分好みです。

銀閣寺は、慈照寺と言います。

しかし、銀閣寺を築造した室町幕府の将軍足利義政は、慈照という想念を窮民にではなく、贅沢な東山山荘の建立に集中したのです。

当時、最大の飢饉に直面しているのにもかかわらず全く対策を講ぜず、日々、銀閣寺の築造に没頭した将軍だったようです。

だから、立派な世界遺産として残っていますが、天下の統治者としては、無能というか、失策です。

一方、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、飢饉に際して、領国内の農民に年貢を免除したと言います。(天下草創)

さらに、江戸幕府を創始した徳川家康は、二代将軍秀忠に、金銀の大いなる遺産を軍事の次に「窮民に対しての慈恵的救済」に使うようにと厳命しています。(天下一統)

近代社会になっても、同様です。

国家政府が、何を基準として、国民の「さいわい」を導こうとするのかが・・問われるのです。

「夏は麦、秋は米、冬は銭、多少にかぎらず、老若男女各志を運び申すべき事」

・・三浦梅園さんへ。

「春は何?」

百美人。

2013年05月28日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
昨夜のNHKテレビ・・「鶴瓶の家族に乾杯」。

福山の鞆の浦が出ていました。

走島って、村上姓の名字が多いんだ!

鞆の町・・あんなに垢抜けていたかな?

とても雑然とした町並みのイメージがありました。

ゲストの関ジャニ・エイトの村上クンの祖父は、福山市水呑町出身とか・・芦田川の沼隈側にある鞆の浦に近い地域です。

高校の同級生に、鞆から一人通っていたのがいました。

ある日、彼が、百島に来て居たので、ビックリしたことがあります。

聞けば、父親が百島出身だとか言っていました。

とても、いい人間でした。

さて、村上姓のルーツですが、これも百島絡みで展開すると興味深いことが浮かび上がります。

村上姓の系譜は、非常に複雑で大きいのです。

清和源氏を起源しているのも不思議です。

そして、海の村上、陸の村上・・瀬戸内海から越後・奥州にも及びます。

百島絡みで理解しやすいのが、赤松一族が、ルーツの起源を「村上源氏」としているところです。

源氏の旗は、「白」なのです。

百島の古い言い伝えで、嘉吉の乱のあと、「赤松一族七人衆が、百島に住み着いた」とあります。

七人衆と言っても、七人だけではありません。

その家族、家来の一族郎党の数十人が、同時に逃れてきたと考えられます。

勿論、百島村上一党の庇護のもとに、許されたのでしょう。

蘇民将来の子孫也の京都八坂神社から、西へ伸びる四条大通り沿いには、百島絡みの地名が多く残っています。

時系列、歴史的考察や背景を無視して、展開していいものか、どうか?・・大変です。

余談ですが、この頃、雑踏的な古都になりつつある京都よりも、古都金沢の方に興味が魅かれます。

加賀百万石という意識が、無意識に強く大切なアイデンティティとして働くのでしょう。

だから、石川県は、加賀美人が多いです。

いいえ、そうではなくて・・金沢は、百万石の「百」という文字を貴重に扱う地域です。

栄冠は君に輝く

2013年05月27日 | 千伝。


今もそうですが、この界隈も、田んぼだらけでした。

あの大きな建物・・ここは、石川県能美市(旧根上町)。



そう、松井秀喜ベースボールミュージアム、そして、その裏手にあるのが、彼の実家です。

以前は、松井秀喜野球ミュージアム(現、別館)といって、もっと小さいのが裏手にあったのです。

ヤンキースタジアムでのデビュー戦で満塁ホームランをしたボールが、その一週間後には、ここに展示されていたのには驚きました。

それ以前、松井選手が、巨人に入団した頃は、自宅裏手の小屋みたいなのが始まりだったかな?



それにしても、松井秀喜という人物・・不思議な運命を背負ってきたような気もします。

高校1年生の時、石川県一のバッターとなれ。

2年生の時、北信越地区一のバッターとなれ。

3年生の時、全国一のバッターとなれ。

夏の甲子園での5打席連続敬遠・・。



その通りになったバッターでした。



巨人入団時には、ドラフトで長嶋監督が復帰、くじを引いて松井を獲得。

大リーグのワールドシリーズ決勝のMVPのトロフィーです。



記憶も新しい、今月5月5日の東京ドームでの長嶋茂雄さんとの国民栄誉賞の受賞セレモニー。

あの国民栄誉賞の盾も金のバットも、既に展示されていました。



先月から、同じく石川県の山中温泉で、森光子さんの国民栄誉賞の表彰状と盾が展示されています。

そして、今、ここにも!

山中温泉から根上町まで、車で約30分程度の距離かな。

この根上には、もう一人忘れてはならない人物がいます。

夏の甲子園大会、大会歌の「栄冠は君に輝く」の作詞をした加賀大介は、この根上の方なのです。

加賀大介が亡くなった翌年、松井秀喜が、生まれました。



雲は湧(わ)き 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に答え
いさぎよし 微笑(ほほえ)む希望
ああ 栄冠は 君に輝く

風を打ち 大地を蹴(け)りて
悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打に賭(か)けて
青春の 讃歌を綴(つづ)れ
ああ 栄冠は 君に輝く

空を切る 球の命に
通うもの 美しく匂える健康
若人よ いざ
緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす
感激を 目蓋(まぶた)に描け
ああ 栄冠は 君に輝く

LINE

2013年05月24日 | 百伝。
アメリカでは、「FaceBook疲れ」という言葉があるようです。

気がつけば、FaceBookばかりが気になって「いいね!」症候群に陥るようです。

確かに、友達の友達として、「この人は知り合い?」とか、そんなメッセージが沢山入ります。

またたくまに交友関係が広がるルーツかも知れません。

実際、Facebook上の百島ネットワークでのコメントを眺めていて、不思議な組み合わせ、推測、系図が浮かんできます。

お互い全く知らない人生を歩んでいる百島二世の方と別の場所で生きている百島三世の方・・ひょっとするとルーツを辿れば、案外と、近い親類ではないのか?という構図が現れてくるのです。

ご両人様、社会的にそれなりの知名度もあり、百島を応援してくださることを願い、近いうちにメッセージを発信しようかと考えています。

そんな思いを巡らしていると、百島の同級生間でLINEを使おうという提案がありました。

LINE・・??・・確か、息子が使っているはず。

また、勉強しなければならないLINEが、出来ました。

目の方・・痛くて、勉強も、読み書きも出来ない状態になることもあります。

でも、涙が流れると、非常にラクになることに気がつきました。

でも、涙を流す方法と設定が難しいのです。

悲しい歌を聴いて、悲しい映画やドラマを観て、涙を流す・・そんな方法もありますが、そんなことばかりできません。

それで、今、思いついたのは、バイクに乗って疾走すること。

(原付バイクですが・・)

風が、目に入ると涙が出るはずです。

今週末、LINEも含めて実験します。

地域再生大賞

2013年05月23日 | 百伝。
日本における地域活動を奨励する「地域再生大賞」が、過去三回受賞されています。

個人的にも興味がありますので、47NEWSサイトからの過去三回の受賞シンポジウム感想記事を抜粋、コピー・ペイストをさせていただきました。

近い将来、誰かに何かに役立つと思いながら、下記略分を読ませていただきました。

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2010年から地方の疲弊をはね返そうと取り組む団体を、全国地方新聞46紙と共同通信社が合同で「地域再生大賞」を設けているとのこと。各都道府県から原則1団体ずつ推薦された50団体を、専門家でつくる選考委員会が審査にあたっているとのこと。各新聞社と共同通信社は、また、09年から合同企画「地域再生」や、識者らと地方の課題を話し合う「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」も始めているとのこと。

第1回シンポジウム 感想
▽モデルと評価
 高い評価を集めたのは、水辺の環境再生を目指す「グラウンドワーク三島」(静岡)と、母親らが医師を支援しようとつくった「県立柏原  (かいばら)病院の小児科を守る会」(兵庫)、伝統の町家を柱にまちづくりを進める「倉敷町家トラスト」(岡山)の3団体だった。
 このうち三島が「幅広い取り組みはボランティア活動の成長モデル。人材育成も進め組織として素晴らしい」と大賞に推された。
 守る会は「小児医療に貢献し生命に直結した活動」と評価。
 町家トラストも「町家を生かした生活様式の研究も独創的」とし、準大賞にふさわしいとされた。
▽多彩な活動
 地域ごとにブロック賞を選考。
 北海道・東北は、有機農業を長年続ける「たかはた共生塾」(山形)に。
 関東・甲信越では、山あいの廃校で 映画づくりに取り組む「伊参(いさま)スタジオ映画祭実行委員会」(群馬)が、
地域文化への貢献が評価された。
 東海・北陸は、高校生によるレストランという試みが注目される「三重県立相可高校調理クラブ」(三重)に決定。
 近畿は、粘り強く水質浄化に取り組む「碧(あお)い びわ湖」(滋賀)。
 中国・四国は、民間主導で商店街再開発を果たした「高松丸亀町商店街振興組合」(香川)が、それぞれ選ばれた。
 九州・沖縄は、農業体験と宿泊で都市と交流を進める「安心院(あじむ)町グリーンツーリズム研究会」(大分)となった。
▽独自の振興策も
 さらに、独自の視点による地域振興も見逃せないとし、特別賞を贈ることで一致。街並み保存に取り組む「大内宿保存会、大内宿結(ゆい) の会」(福島)、小さな町で起業や商品開発を目指す「日本上流文化圏研究所」(山梨)を、それぞれ選んだ。
 都市からの定住者を受け入れてきた「色川地域振興推進委員会」(和歌山)と、野焼きなどで草原を守る「阿蘇グリーンストック」(熊本) も、地域貢献が優れているとの声を集めた。
 地域の貴重な種を守る「琉球在来豚アグー保存会」(沖縄)や、
 島に根差したマスクヒーローによる創作劇を行う「種子島アクションクラブ」(鹿児島)の活動も評価され、計6団体が特別賞と決まった。
 残る35団体も、地域への貢献は高く、優秀賞を贈ることになった。

第2回シンポジウム 感想
▽新モデルと評価
 大賞に推された「ブルーリバー」(広島)は、地域づくりの戦略が高く評価された。行政や企業に頼らず住民が出資や計画をまとめ、若者に 割安な賃貸住宅を提供するなどユニークな事業を展開。
 山あいの地で新住民を増やしている実績が「ビジネスモデルとしても都市開発としても新しい。次世代にもつながる」と期待する声が出た。
 準大賞には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル実行委員会」(宮城)と「大宮産業」(高知)の2団体が決まった。
 活動分野は異なるが、いずれも住民の力を生かした取り組みだ。
 同実行委は市民ボランティアが中心となって、著名人や大口スポンサーに依存せず誰もが参加できる音楽祭を実現。
 昨年も大震災を乗り越え、多くの人を集め成功させた。
 大宮産業は山間地の集落が自ら、買い物の拠点を守ろうという取り組みで、人口減少が本格化する中で地域が参考にできる試みだと評価され た。
▽地域支える活動
 ブロック賞にも、地域を支える多様な団体がそろった。
 北海道・東北では、200年を超える歴史があるという地域の歌舞伎を守ってきた「千葉之家花駒座」(福島)が選出。
 関東・甲信越は、温泉を利用してトラフグを養殖し、地域の特産品に育てようと取り組む「那珂川町里山温泉トラフグ研究会」(栃木)に  決まった。
 東海・北陸からは、主婦を中心に道の駅の経営などに取り組む「夢未来くんま」(静岡)が選ばれた。
 近畿は、農産加工やグリーンツーリズムを手掛ける「秋津野」(和歌山)になった。
 九州・沖縄は、農漁村の民泊で体験型修学旅行を提供する「まつうら党交流公社」(長崎)に決定。
 大賞・準大賞が選出された中国・四国は、ブロック賞を見送った。
▽支援活動も受賞
 こうした賞から漏れたが、住民のよりどころとなるなど大きな貢献をした団体に特別賞を贈ることが決定。
 大震災の被災地からは、支援活動を続ける「遠野まごころネット」(岩手)と、古里の味を守る「浪江焼麺太国」(福島)が決まった。
 地元の施設を活用しコンサートを重ねる「富士山河口湖音楽祭実行委員会」(山梨)や、
 環境保全に取り組む「水辺と生き物を守る農家と市民の会」(福井)も選出。
 里山の整備などを行っている「きびっとの杜(もり)」(佐賀)も評価され、計5団体の受賞が決まった。
 残る37団体も貴重な活動だとして、優秀賞を贈ることで一致した。

第3回シンポジウム 感想
▽海外へ文化発信
 評価を集め浮上したのは「島の風」(沖縄)、
「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(山形)、
「京町家再生研究会」(京都)の3団体だった。
 
 古民家を修復して宿泊施設を運営する「島の風」は、補助金になるべく頼らない姿勢に注目が集まった。
 「島の暮らしに触れ、伝統や文化を理解してもらおうという狙いや、景観を残す活動も素晴らしい」と意見が一致、大賞に推された。

 「山形国際ドキュメンタリー映画祭」は、海外の映像作家から目標とされるレベルの高さを評価。
 地方都市が文化を発信する意義も大きいとの声も相次いだ。 

 町家を保存・活用し伝統の継承に取り組む「京町家再生研究会」には「体制が整い専門家の域に達している」と感心する委員も。
 いずれも準大賞に決まった。
▽新たなモデル
 次いで、ブロック賞の選考に移った。
 北海道・東北は、東日本大震災でも子育て支援に尽くした「いわて子育てネット」(岩手)に決定。
 関東・甲信越では「匠(たくみ)の町しもすわあきないプロジェクト」(長野)が、空き店舗に起業家やものづくりの職人を誘致するユニー クな取り組みは、地域おこしの新たなモデルと評価を受け選出された。
 東海・北陸は、地元食材を使った食事などもてなしを工夫し農家民宿を営む「春蘭の里実行委員会」(石川)に。
 中国・四国では、ダイバーを巻き込みイカの産卵場所をつくるなど環境保護を続ける「黒潮実感センター」(高知)に決まった。
 九州・沖縄は、摘果したミカンでつくったドレッシングなど地元農産物の加工品の製造・販売に取り組む「さくらじま旬彩館」(鹿児島)に 決まった。
 近畿のブロック賞は見送られた。
▽歌も地域の力に
 工夫を重ね地域に活力を与えた団体には、特別賞を贈ることで一致。
 地域挙げて防災・防犯に取り組む「仙台市福住町町内会」(宮城)、
 被災地の女子中高生が国内外に歌声を届ける「南相馬ジュニアコーラスアンサンブル」(福島)、
 自治組織で農業などに挑む「共和の郷・おだ」(広島)の3団体が選ばれた。
 残る39団体も、それぞれの地域での活動を評価し、優秀賞に決まった。

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以上、参考資料として。

喝。

2013年05月22日 | 易行難行修行
今日の午前中、眼科医へ診察していただきました。

右目が強膜炎になってから、半年になります。

強膜炎になる原因は、不明だとか・・?!

今は、左目が痛いのです。

頭の毛をなでるだけでも、頭皮が痛くなるのです。

・・自分なりに考えてもみました。

ウィルス性ではないとしたら、アレルギー性なのでは?

金属アレルギーかなと思いながら、チタン製の眼鏡を、セルロイド製の眼鏡に変えても無駄でした。

持病の心臓用に飲んでいる薬の副作用ではないかと調べてもみましたが、医師は、そのような症例は無いと言います。

体内の何かの原因・・?!で、強膜炎になるとかと、おしゃっていました。

心臓発作を起こして一度助かった命ですから、別に大した恐怖心は無いです。

でも、「目が継続的に痛くなる」というのは、想定外です。

目に見えぬ敵が、自分の中に居るようです。

今夜のNHKテレビ番組「ためしてガッテン」で、脳卒中予防を、FASTという用語で説明していました。

Face, Arm, Speech, Time・・興味深いものでした。

手のひらを上に、両腕を伸ばして、「今日も、イイ天気だ。ココロも、晴れ晴れ」と囁くとよいみたいです。

何だか・・小生も自分の病と闘って、喝。

治るような気がしてきました。

ギャップ・イヤー

2013年05月21日 | 百伝。
人生に寄り道やら通回りをしていない人の考えは、どうも理解しかねることが多々とあります。

昨日の厚生労働省の社会保障対策の具体案・・いわゆる、2025年問題以降に生じる大都市での高齢者増加問題に対する検討会内容。

もう20年昔からの日本の緊急課題なのに、やっと重い腰を上げたような印象を持ちます。

杉並区の先行事例を示していましたが、地価が高い、用地取得の難しい「都会の事情」で、杉並区が所有する150KM以上離れた静岡県の南伊豆町に特養施設を整備を検討しているとか・・?

小生、元杉並区民として述べさせていただくと、理解し難い「愚の骨頂」ではないかと思います。

杉並区の高齢者が、なぜ南伊豆で終の生涯を閉じなければならないのでしょうか?

受け入れる施設が足りないから、地方にある杉並区所有地で整備するというのは、行政マンの視線で捉える思考論理でしかありません。

例えば、尾道の高齢者の親を、高知県の足摺岬あたりの施設に預けるようなものです。

それ以前に、その施設で働く介護職員の確保が、出来ますか?

この頃の日本・・アベノミクスとかという造語もできて勢いづいて見えますが、民主党政権時代と比較してのことでしょうか?

あるいは、バブル崩壊後の「失われた20年」を比較してのことでしょうか?

安部さん、嫌いではありませんが、首相としての「強いリーダー」を意識しすぎです。

「世界で勝つ人材を!」・・と掲げます。

「♪あの素晴らしい愛をもう一度」を歌う安部さん・・。

・・これからは、「グローバル化に通用する人材育成時代」だと強調します。

このスローガンは、安部さんも学生だった時代、既に、30年以上昔の高度経済成長期の学生の間で「日本人が国際人として」という標語で一世風靡したものです。

その結果が、「ゆとり教育」に落ち着いたのです。

そして、「ゆとり教育」の否定のあとに、再び「グローバル化教育の台頭」。

英語をコミュニケーションとして稼ぐ生活も、勿論面白く愉快な時間、一生懸命な時代です。

しかるに、ギャップ・イヤーを体験した者ならば、「ローカルに役立つ人材育成」が基本教育であることを認識しています。

高齢者になれば、安心して生涯を終える孤独ではない「ゆとり」と「楽しさ」を求めます。

優しい人間に囲まれた、優しい場所を求めるものなのです。

極楽往生とは、家族、友人、善人が、幸せになるのを見届ける生き方だと思います。

それが、ギャップ・イヤーという「道草教育」なのでしょう。

道草を食うのは、昔ならば、馬であり、牛であり・・自分の乗り物でした。

現代に譬えるならば、車であり、自分の足跡です。

松永 日本はきもの博物館

2013年05月19日 | 百伝。
尾道地方の風光美の代表格は、尾道の千光寺公園からの眺望は定番ですが、浦崎にある沖の観音からと、ホテル・ベラビスタ境ガ浜の前庭からの眺めもよいです。

何故って・・百島を借景としているから、抜群に美しいのです。

ホテル・ベラビスタ境ガ浜を拠点とするならば、福山や尾道の市街地に行くよりも、松永にある「日本はきもの博物館」は、なかなか良いです。

県外からの知人友人を案内すると、喜ばれます。

太古の履物から、世界中の履物、有名アスリート、宇宙飛行士の靴、巨大な下駄までも展示しています。

それから、「芸術は爆発だ」と叫んでいた岡本太郎さんが「松永は、香港よりも遠い」と言いながら、東京から通い続けて創作・造った「足あと広場」のスペースもあります。

福山市松永町・・昔、福山と合併するまえの松永は、松永市でした。

はじめて、松永という町を意識したのは、小学生の頃・・同級生の千里ちゃんが、夏休みの宿題で「下駄の作り方?」を発表した時の事でした。

親類の方が、松永で「下駄を作っている」とかで、それを課題にした見事な作品でした。

興味深く、見て、聞いた・・授業の思い出があります。

まつなが・・思い出せば、松永には、懐かしい人がいます。

祝 尾道あかとら 百島御膳

2013年05月16日 | 百伝。
明日、発売される「ミシュランガイド広島2013特別版」(税込2520円)。

尾道の和食店「あかとら」が、一つ星で選ばれているようです。

昔、旧尾道中央桟橋(現、海の駅)から、中央通りアーケードに向かう途中にあります。

確か、7、8年前にオープンしたかな?

オープン当時・・ご主人は、横浜出身?

奥さんは、百島出身の方だったと思います。

・・勘違いしていたら、ごめんなさい。

百島御膳?・・を美味しく戴いた記憶があります。

・・まだ、御品書きにあるかな?

おめでとうございます。

原発問題に関連して

2013年05月16日 | 資本と社会の問題
前にも書いた記憶があります。

原発廃炉で、イライラするか? ワクワクするか?

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一体、市場経済、否。

市場生活とは、何だろう?

広辞苑では、生存して活動すること、生きながらえること、世の中で暮らしてゆくことだとか。

仕事とは、何だろう?

仕事とは、どのような意味を持っているのか?

自分のやりたい仕事を持っている。

働く事に意義も感じている。

生活してゆくには、仕事が不可欠なのは言うまでもない。

病気や怪我で入院して、しばらく休まざるをえない場合、普通は、不安や寂しさを覚える。

「サルがヒトになることに、労働はどのように関与したか?」経済学者エンゲルスの一節。

直立に歩みだした人類の祖先は、手を自由に使い、新しい技能を次々と得ることに進化した。

労働という仕事は、人間の能力を発達させてきたのは、歴史的事実である。

人間の労働は、自然まかせの狩猟や採取の段階から、言語を持ち、人間が主体となる社会的集団労働に発展した。

集団での多面的な労働を構築して、計画的な分業協業による組織性が生まれてきた。

こうして、仕事は、社会的な性格を備えるようになった。

仕事は、人間の自己実現の場であり、社会への参画でもあり、生きがいにも相当することにもなる。

「仕事は、人間生活の第一の基本条件」は、揺るぎない事実。

封建社会の時代、身分制度のもとで、農民は農民、商人は商人として、与えられた身分職業を全うするほかなかった。

近代となり、資本主義社会は、身分制度を廃止して、強制的に縛られていた人間を解放した。

自らが、職業の自由を選択できるようになったのは、誰もが知っている。

それでも、なぜ?

仕事が苦しいという生活感覚が、現われてくるのか?

資本主義社会の矛盾?

現代社会における、失業問題、ホームレスの増大、日雇い労働者の高齢化、派遣労働の有期雇用、低賃金、農業の低迷、商店街の衰退、巨大企業と中小企業の格差拡大等々・・貧困、生活困難の社会問題が浮かびあがる。

例えば、先進国の多国籍企業が、途上国の安価な労働力を使って生産する。

社会は、不変ではなく固定的なものではない。

絶えず、変化、発展してゆくもの。

ただ、その変化、発展の本質を考えるのも大事。

仕事が苦しくなるのは、労働者による労働する過程で自主的管理、利潤獲得範囲での裁量があるにせよ、それ以上のコントロールを、自分では、できないから?

消費者に生産物を購入させて利潤をあげるだけの労働仕事。

消費者に生産物を使用して、より豊かになってもらう労働仕事。

自ら考えて判断できる人間としての労働意欲ではなくて、資本・経営側による最終判断を委ねるような疎外されて、労働に従属されているような現実社会の状況。

現場の自由を制限して、管理ばかりが強化されると、自律性も自立性も失われてゆく。

自立的で自由な思考、発想、精神を失った仕事や生活は、楽しいはずがない。

労働者が、労働過程での適切な労働時間、適切で安全な労働内容、環境を備える社会の実現を備えるのが、先進国としての基本条件かと考える。

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原発再稼働で、イライラするか? ワクワクするか?