百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

偲ぶ膳

2013年04月29日 | 千伝。
一昨日、加賀市の山中温泉に「森光子一座」が開館オープンしました。

我が家から山中温泉まで、車で一時間ほどなので、昼食もかねて、出かけて参りました。



さすがに、国民的な大女優であった森光子さんです。



オープンの祝い花が、多く飾られていました。

放浪記の舞台セットも、忠実に再現されていました。





楽屋部屋も、同じく忠実に再現されています。



国民栄誉賞の楯、記念品、お着物も展示されています。



森光子さんとは、直接の接点はありません。

家内との結婚を、お膳立て用意してくださった方が、京都の女学校時代に森光子さんと同級生でした。

その方を偲びながら、帰り道に、鶴仙渓を散策しました。



次の機会には、こおろぎ橋のたもとにある明月楼で、食事をしたいと思いました。

昨日のお話

2013年04月29日 | 千伝。
昨日は、縁起のよい珍しい苗字の方と、続けざまにお話する機会がありました。

勿論「いいお名前ですね」というお言葉も添えました。

百とか万とか八十八とか・・合せて、やおろずの八百万でした。

それから、昨日は、ゴールデンウィーク期間中の動向を尋ねて、同級生二名と電話でお話しました。

昨日の夕方、普通自動二輪免許取得をトライ中の息子と食事をしました。

会話の内容は、「単車欲しいなぁ」と繰り返す息子。

「ふ~ん、単車欲しいんだ?」と繰り返す親父でした。

昨日の朝、ラジオあさいちばんで「著者に聞きたい本のツボ『ナマケモノに意義がある』」のコーナーで、著者の池田清彦さんの話を聴くことができました。

「人生に意義なんてない。多くのものを望まない」・・面白かったです。

さて、昨日は、食べすぎました。

・・ナマケモノとしての意義は、あったのか? なかったのか?

昨日のお話でした。

観光一等地

2013年04月28日 | 百伝。
手直しをした・・来月の勤務表を、やっと提出することができました。

とりわけ来月は、五月のゴールデンウィークという連休もあり、全員の希望をすべて取り入れるのは難しいものがあります。

・・そのバランスが大変です。


(写真提供:百島ネットワーク)

さて、今年、社会に出た新人には、初任給が出たはず・・どんな気持ちなのかな?

最近、いい言葉とたくさん出会ったのですが・・、忘れてしまいました。

やっぱり、少しでも「いい言葉」に出会えたら、短くても、ツィッターにつぶやいたり、ブログに書いておこうかな。

5月3日からの連休は、京都で過ごします。

このゴールデンウィーク中、京都のほとんどのホテル、旅館の宿泊料が三倍ほどに値上がっています。

・・高いなぁ!

木の葉も、言の葉も・・新緑が萌える季節です。

グリーン(緑)とグローン(成長)は、同属語みたいです。


(写真提供:百島ネットワーク)

五月・・京都にも、百島にも、遥か遠くの南の国から、海を飛び越えてやってくるツバメの姿を観ることが出来ます。


(写真提供:百島ネットワーク)

空を飛ぶというのは、翼が羽ばたくからではなく、羽ばたく翼で空気抵抗を作り、その抵抗力で飛ぶみたいです。


(写真提供:百島ネットワーク)

ツバメの視点で観る百島は、最高の観光一等地かもしれません。

2013年04月21日 | 百伝。
今日は、お隣りの石川県まで出向いて参りました。

金沢は、雨が降ったり、止んだりしていました。

久し振りに、兼六園を散策しようかと思いましたが、香林坊にある建物の中に居たままでした。



帰福途中に、山中温泉に立ち寄ってみました。

亡くなられた女優森光子さんの遺品でもある「放浪記」の衣装や国民栄誉賞の楯を含めて、永久保存する記念館が、今月末にオープンするとのこと。

何故、山中温泉に?

意外でした・・尾道ではないの?

生前からの山中温泉の方との約束事(遺言?)だったようです。

山中温泉には、栢野(かやの)の大杉があります。





大きいです!



樹齢約2400年?・・勿論、日本国の天然記念物に指定されています。



栢とは、百本の木にも勝るという意味だとか・・。

小さな桃源郷

2013年04月20日 | 百伝。
宝慶寺からの帰路・・大野市郊外の勝原という山里まで、ちょっと足を伸ばしました。

地元の新聞に「ハナモモふっくら」という記事を見つけたのです。



JR越美北線の小さな駅構内に、桃の花が咲いているのです。



電車が、2~3時間に一本ぐらいしか来ないので、写真愛好家や行楽客が、堂々と線路上を渡っています。





・・こういう人の集まりって、何だか凄いなぁ。



百島小学校の校庭半分にもみたない敷地に咲く小さな桃源郷です。



桃の花は、不思議な力を持っています。

日本曹洞第二道場

2013年04月20日 | 易行難行修行

今日は、百島の曹洞宗西林寺を思い浮かべながら、曹洞宗に関して書いています。

ひたすら座禅に打ち込むこと、只管打坐(しかんただ)が、仏行であり達磨の道であるとのこと。

その黙照禅を、中国から日本に持ち込んだのが曹洞宗の祖(高祖)である道元禅師なのです。

何故、道元禅師が、世界で注目されるのか?

道元禅師が著した「正法眼蔵」・・欧米の哲学にも影響を与え、日本が生んだ最高の哲学書だとの評価があるからです。

その系譜が、狐雲懐奘、螢山(太祖)、良寛等々へと続きます。

曹洞宗には、一仏両祖として、大本山が二つあります。

・・その歴史的な経緯や詳細は、省きます。

1.道元禅師を高祖とする・・福井にある永平寺です。

  系列の学校法人は、駒澤大学、東北福祉大学等。

2.瑩山禅師を太祖とする・・横浜にある総持寺です。(明治時代に石川県から神奈川県へ移転)

  瑩山禅師は、越前(福井)の国に生まれて、八歳で永平寺に入り、曹洞宗が発展する基礎を築いた人物です。

  系列の学校法人は、愛知学院大学、鶴見大学等。

  (故石原裕次郎氏の菩提寺でもあります。)

曹洞宗を企業組織に例えるならば、永平寺は本家本店、総持寺は本社機能という組織図になります。

現在、曹洞宗に所属する寺院所は、約一万程度とか・・?

身近な寺では、百島の西林寺、尾道にもある全国の天寧寺かな・・。

その他、全国的にも著名な曹洞宗の寺院として、恐山の菩提寺、とげぬき地蔵の高岩寺、東京の青松寺と忠臣蔵の泉岳寺、伊豆の修禅寺、京都の詩仙堂・・等々。

・・集客力抜群の支店、出張所みたいな気もします。

・・さて、話をタイトル名の「日本曹洞第二道場」に戻します。

何故、最初に日本という言葉がつくのかと言えば、もともと曹洞宗は、中国の禅宗五家のひとつだからです。

禅宗といえば、臨済宗があります・・中国から栄西が伝え、一休、白隠、沢庵、無学祖元、夢窓疎石と云った名僧を輩出しています。

今日は、奥越の大野市郊外にある宝慶寺に参りました。



こんな道が延々と続き、4~5キロ先に、宝慶寺に辿り着きます。(標高500M)

大野は、同じく奥越の勝山と違って、行けば行くほどに、味わいのある町並です。

個人的にも、大好きな町、大野です。

奥越の小京都とも呼ばれて、さまざまな宗派の寺院も多い大野ですが、宝慶寺は、別格のような存在感があります。

・・古刹、宝慶寺。





その起源は、700年前に遡ります。



宝慶寺は今から約700年前、寂円禅師によって開かれた。開山寂円禅師は、中国宋朝の人であり、明州慶元府の太白山天童景徳寺で、日本から入宋した道元禅師「日本曹洞宗永平寺の開山」とともに、如浄禅師のもとで参学を続けられた。その後、安貞2年「1228」さきに帰朝した道元禅師を慕って来朝し。常に随侍した。道元禅師ご遷化の後、弘長元年「1261」この銀杏峰の麓に入り、石上に座禅すること18年。たまたまこの山奥に遊猟した下野守藤原氏と出会った事で、今日の宝慶寺があります。
(大野観光協会HPより)

宝慶寺への参拝・・日本曹洞第二道場としての曹洞宗の起源だけでなく、日本の仏教界、社会全体の未来をも考えさせられた道程でした。



かつては、この界隈は、宝慶寺の門前村が存在したのです。

僕の知り合いに、この門前村出身の方がいて、昔話も教えていただくことがあります。

豪雪地帯ゆえの過疎、限界集落・・そして、昭和38年の大豪雪で、廃村が決定的になりました。

今では、この地域には、檀家も無ければ、誰も暮らしていないのです。

宝慶寺だけが、この山中に残り、孤立無援の状態になったのです。

宝慶寺しか存在しない宝慶寺という名の集落なのです。

当時、地元出身の代議士福田一氏から、宝慶寺の運営維持管理について、観光客を呼ぶための施設を増やしたらどうかという助言もあったそうです。

その時の住職の言い放った言葉が、重いです。

「宝慶寺は、修行の寺です。観光客を呼んでは、修行の妨げになります」

「宝慶寺は、葬式寺でなく、祈祷寺でなく、観光寺でもない。一途に修行を以って立っていく寺なのです」

そして、宝慶寺が生き残るための坐禅と托鉢による生活・・それが開祖寂円の教えです。

今では、年間140万人近い観光客で賑わう第一道場の永平寺を避けて、この宝慶寺を選んで修行する雲水もいます。

海外からの外国人の雲水もいます。

よいお寺と巡り会えました。

感謝、合掌。


九十九里生まれの男

2013年04月19日 | 千伝。

今年は、もう散ったようですが、日本三大巨桜のひとつ、岐阜県の樹齢約1500年の根尾谷淡墨桜を見に行けたらよいかな・・と昨日、思いつきました。

運がよければ、郊外の池田町ルートで林道に入り、岐阜県側に入れるのですが・・残念。

この先は、積雪のために、まだ通行止めでした。

行き止まりの道・・。



それと、この付近、どうも殺気が漂っていて、エンジンを止めて、周りを心静かに見渡してみました。



すると、冬眠から目覚めた熊なのか、猪なのか・・遠くに黒い生き物が動いているのが見えました。

「落ちたら死ぬ」という道路標示の看板がある国道517号線よりも、この道の方が、まだ、マシかな・・?

・・と思いながら、Uターンです。

途中に、「かずら橋」があります。

この界隈は、渓流温泉冠荘という施設もあり、寛げる場所でもあります。





帰りがけに、日本の滝百選のひとつ・・福井県では唯一選ばれている「龍双ヶ滝(りゅうそうがたき)」に立ち寄りました。

頭上60メートルから、勢いよく水が滝となって落ちてきます。





今日は、地図の日・・伊能忠敬が55歳の時に、日本地図作成に出発した日。

その後、17年間・・日本中の道なき道を歩き廻りました。

人生50年と言われた江戸時代・・忠敬50歳の時、家業を全て長男に譲ります。

忠敬51歳で、当時の天文学の第一人者、32歳の高橋至時の門下生となるために江戸へ出ます。

幼い頃からの夢・・天文学を本格的に勉強する為です。

その後の伊能忠敬の活躍は、驚異的なものでした。



九十九里浜で生まれた伊能忠敬の生涯を思い浮かべます。


祝・百島ラクオリ(SUP)スタート!

2013年04月17日 | 百島極楽遊園地

「愛と魔法の国」・・東京ディズニーランドが開園して、はや30年になるとのこと。

・・早いものです。

いやぁ・・凄いものです。

東京ディズニーシーを含めた、その間の入園者は5億人を超えているとか!

今では、日本の子供たちの聖地のような風格があります。

30年昔の東京ディズニーランドが、オープンした頃を、よく憶えています。

まだ、20代の頃で職場や友人の間でも話題になったものです。

アメリカンスタイルの非日常的な遊園空間が、日本に根付くのかという意見もありましたが、結果は「素晴らしい!」の一言でした。

清掃員のキャストまでが、ゴミを集める時には、くるりと一回転しながらのパーフォマンスを行っていました。

キャスト全員のゴール(目的)が、「入園者全員にハピネス(幸福)を提供すること」。

・・素晴らしいではありませんか!

これって・・日本の神社、寺院と等しく同じものです。

子どもが小学生の頃、大阪USJの年間パスポートを買って毎月出かけていましたが、東京TDLに行くまえに、大阪USJを先に体験させるのがよかったかなと思い出すことがあります。

さて、百島ネットワークのキャプテン情報から・・。

今年夏、百島で、スタンド アップ パドル ボード(SUP)のスクールが、オープンするようです。

http://rakuoli.com/

カヤック体験も含めて・・百島へ来られる方が、ハピネス(幸福)になれますように!

百島へ「お百度参り」のリピーター気分で、満々とした福に出会えますように!

このRakuoli(ラクオリ)のサイト・・不思議な美しさがあります。

百島で、こんなことが出来るなんて、東京ディズニーシーでも体験出来ない「驚くべき素晴らしさ」です。

まさに、極楽遊園地です。


(写真提供:百島ネットワーク)

皆さん・・カヤック、SUP体験も出来る百島ラクオリ活動の宣伝広報をお願いできますか?

百年続きますように・・いいえ、30年でも続きますように。

あと30年?!・・生きていく新しい楽しみと意味は、希望です。


雲水と歳徳大善神

2013年04月13日 | 易行難行修行

弁天桜を観た帰り、老梅山 吉峰寺(吉峰禅寺)に立ち寄って参りました。

ここ吉峰寺は、道元禅師が、大佛寺(永平寺)を開かれるまで居住した開坐禅道場です。

道元禅師が「正法眼蔵」の始りから三分の一ぐらいを書きあげた地でもあります。



山の中の奥にある小さな名刹です。



雲水(修行僧)の方が一時間ほど案内してくださり、四方山話で盛り上がりました。

昨日、テレビクルーの取材があって、来月5月10日(金)夜8時から、BS11「とことん紀行 福井・永平寺編」で放送予定になっています。

僕を案内をしてくださった雲水の方は、社会人としての勤め人を経験をしたあと、仏門に入ったようです。

だから、ずっと若い雲水の皆さんよりも、お話の間が、整っていました。

彼は、一年中、裸足で過ごしています。

彼は、今朝の淡路島での地震も知りません。

彼は、勿論、昨今の北朝鮮のミサイル発射騒動も知りません。

彼は、テレビもラジオも新聞も無い生活をしているのです。

勿論、パソコンも携帯もスマホもありません。

訊き及ぶと、食事も質素極まります。

遠く県外の御家族には、手紙を書くようです。

今の時代に・・凄い生活、否、修行生活です。

でも、現在の日本の首相は、安倍さんだということは知っておりました。

時々、モノを包んだ古い新聞紙を読む機会があるそうです・・その時、世間のニュースを知るようです。

「僕も、仏教を通信教育で学んでいます」と言うと、喜んだ顔をしていました。

道元禅師が、座禅を組んでいたと伝わる座禅石です。



道元禅師が、この吉峰寺から永平寺まで、何度も歩いたという細い山道(祖跡コース 約7.5KM)の入口です。

今朝も、若い女性が独り、ハイキング気分で永平寺へと向かったとのこと。

独りではなくて、何人かで歩きたいかな・・。



裏手から眺めた吉峰寺法堂です。

百島の西林寺と雰囲気が似ています。

よく判らないけど、桃山文化の建物に似せているような、違うような・・?



坐禅を組み、経を唱え、掃除も、すべてが修行となる曹洞宗道元禅師の教えです。

帰り際に、案内していただいた雲水の方に、福井の良さを伝えて、「修行時の幸せな時」を尋ねてみました。

「寝入る時」が、彼の答えでした。

・・僕なりの禅問答です。

毎朝の目覚めに感謝、合掌です。



雲水とは、行雲流水の「行く雲、流れる水」のように、執着のない自由な禅の境地を得ることだと言います。

境内に、道元禅師直筆と伝えられる「歳徳大善神」の御札が舞うような桜が、咲いていました。


九頭竜 弁天桜

2013年04月13日 | 千伝。
福井県の奥越勝山までドライブして参りました。

県外、海外から来られた方を、この地域を案内すると、大抵の方が「おぅ!」という感嘆の声をあげます。

信州か、スイスに入国したような感覚になれるのです。

出来れば、冬の晴れた日が、いいかなぁ。

今日は、九頭竜河畔の弁天桜を見て帰りました。



もう、地元の方は、九頭竜川に鯉のぼりを空に泳がせています。





勝山には、東大寺の大仏よりも大きい金箔の大仏、日本一高い五重塔(鉄筋コンクリート)もあるんですよ。

見応えはあるけど・・観光化に失敗しています。

それでも、勝山には、世界に誇れる恐竜博物館があります。

子供が幼い頃、何度も連れて行きました。

・・一見の価値ありです。

次の写真の真ん中の右側に卵のようなもの・・福井県が、世界に誇る県立恐竜博物館です。



それにしても、この九頭竜河畔の地域は、独りで自転車やバイクやスポーツカーで走り回っている方を多く見かけます。

晴天です。

百島案内図

2013年04月11日 | 百伝。
百島の福田桟橋で降りて、歩いて進むと、百島案内図を見ることできます。



百島ネットワークのサイトに行くと、その案内図上の番号をクリックしてください。・・という創意工夫がされています。

ナント!・・その番号をクリックすると、その場所の風景写真が見られるのです。

・・御存知でしたか?

http://momoshima.net/map/map.html

凄いなぁ!

誰も出来ないような仕掛けとフォーローを、いつのまにか成し遂げています。

百島ネットワーク代表キャプテンに感謝です。

恋愛と幽霊

2013年04月11日 | 資本と社会の問題
昨日の新聞コラムのほとんどが、「鉄の女」と呼ばれた英国のサッチャー元首相を悼むものでした。

「英国を救った」とも称賛される一方で、「貧富の格差を拡げた」とも批判されるサッチャー氏の生涯です。

サッチャー政権末期に、英国に滞在した時間は、よい意味で振り返れば、「生きる楽しみ方を学んだ」体験でした。

当時のサッチャー氏は、日が昇る勢いの日本経済の成功や日本人の勤勉さを、よく称賛していました。

でも、あの頃の日本の社会風潮のテーマは、「働きすぎから、もっと休もう。日本」だったと思います。

サッチャー氏の語り口は、「まるで、小学校の先生が児童に語りかけるようなものだ」と、当時、お世話になった英国人の方が言っていた事を思い出します。

「政府が社会を富ませるものではなく、民間の企業や人が社会を富ませる」というのが、サッチャー氏の持論でした。

だから、小さな政府と国有企業の民営化でした。

市場原理の競争のうえで、正当に報われる社会が理想の姿だったのでしょう。

鉄の女は、英国病という「揺りかごから墓場まで」の高福祉政策をも切り捨てました。

家庭の貧富収入の格差関係無く、家族の構成人員を基本とした人頭税という税収政策に踏み込みます。

ロンドンで、反サッチャー政権への暴動デモが頻発します。

英国病蔓延と言われた英国社会・・。

不思議だったのは・・、

犬や猫や・・ペットが多かったこと!

家庭に洗濯機が無いのかと思うぐらい、街の中にコイン・ランドリーが多かったこと!

スーパーマーケットのレジは、既に商品にバーコードがあり、それを通すだけで自動的に金額が計算清算されていました。

・・計算が苦手なのか? 手先の指が不器用なのか?・・と考えていました。

何故なら、当時の日本は、まだレジで金額の値段を指先で打っていましたから。

クレジットカードを使用している多くの英国人、テイク・アウトのお店、冷凍食品専門店もいっぱい多かったです。

・・これも英国病という、ちょっと怠けた横着かな?というイメージがありました。

思い出せば、まだまだ何か「遅れている英国病の現実」というものを勘違いしていたものが多くあります。

当時の遅れていると考えた英国社会のシステムが、進んでいると考えた日本社会に、あとあと続々と入り込んできます。

今では、ペットも多い、日本のあっちこっちにコインランドリーがあります。

独り暮らしや、高齢者の居る家庭の洗濯物を区別するのに必要な存在なのかもしれません。

レジのバーコード導入も、今の日本では、当り前になりました。

持ち帰りのtake outも、冷凍食品も当り前の時代になりました。

映画批評もそうでした。

「東京物語」の小津安二郎監督のよさを、日本人よりも、多数の英国人の方が、早く理解していました。

東の果ての島国日本と、西の果ての島国英国は、鏡とは言いません。

そんなふうに映りません。

恋愛という自愛、幽霊という他愛のような関係に思えるのです。

今思うと「英国病」は、「余裕(ゆとり)病」ではなかったのかと・・?

今の日本は、景気の経済政策よりも福祉の政策を優先しないと、「ゆとり」の無い経済優先の貧富格差社会になると考えます。

英国や日本という国家やら一定の地域が、豊かになっても・・どうかと思います。

その国の国民、その地域に暮らす住民が、豊かで、ゆとりある生活にならないと・・話になりません。

これまた、恋愛と幽霊を相手にするような不安だらけの未来ですが、未来は、ゆとりのある希望です。

ケア・コンサルタント

2013年04月11日 | 百伝。
東京おもちゃ美術館が、「おもちゃコンサルタント養成講座」という資格認定講座があります。

これまでに、全国で5,000人を越える「おもちゃコンサルタント」が誕生しています。

資格取得後、おもちゃの知識と遊び方を身に付けて、子育てに生かす方、おもちゃの専門店を立ち上げる方や、幼児教育や保育にいかす方など・・大学生からご高齢のシニアの方まで、様々な方が受講しています。(東京おもちゃ美術館説明)

最近では、無印良品の店舗内で、東京おもちゃ美術館監修のもと、赤ちゃん木育広場に近い環境を再現しているとのこと。

・・おもちゃに関心がある方は、どうか、周りの方にも、お勧めください。


僕自身が、個人的に興味があるのは、「アクティビティ・ケア」という資格認定講座です。

東京おもちゃ美術館館長の多田千尋さんは、他にも、芸術教育研究所所長、高齢者アクティビティ開発センター代表でもあります。

「摂食」、「排泄」、「入浴」に加えて、「遊び」、「芸術」、「自然」を合わせた六大介護の推進をミッションとしている内容の深さです。

「揺りかごから墓場まで」の社会福祉への熱い想いと情熱を伝える・・新しい時代の旗手となるかもしれません。

女男石への道

2013年04月09日 | 百伝。
百島最北端の女男石(みょうといし)の別荘地近く・・この道は、美しいです。

子供の頃、百島最南端の団子岩(だんごいわ)から、ここまでは、遠かったです。


(写真提供:百島ネットワーク)

この界隈の砂浜は、学校の砂場よりも柔らかくて、この道から助走をつけて、砂浜へ向かって、ジャンプをしたものです。

空中で一回転して、見事に着地できれば、上出来でした。

この道に沿って、百島ネットワーク代表のキャプテンが、コテージを借りて運営をしています。


(写真提供:百島ネットワーク)

・・どうなるのかな?

カヤック体験やバイク体験、自然野外活動等々の前線基地にもなるかもしれません。

ペットの同伴も可能だそうです。

ご興味のある方は、下記メールまで、詳細をお問い合わせ下さい。

info@momoshima.net

百島のフリー・スクール(自由学校)のような存在になってほしいものです。