百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

「あ」と「ん」。

2019年12月29日 | 千伝。
あれこれと、沢山書こうと思っていた案件、年齢のこと、誕生日のこと、冬至のこと、クリスマスのこと。

いつのまにか、すっかり忘れてしまい、まもなく大晦日。

年末、食事会が多くて、食べすぎたかな?

気が付けば、もう令和元年の今年も過ぎようとしています。

かに・・・越前蟹。

福井で暮らし始めた頃は、家族と越前海岸の漁業組合長さんが懇意だったため、毎週末には、ずわい蟹(オス)をいただく機会が多くて、それはそれは極上の美味な食として、北陸の味覚に圧倒されたものでした。

ところが、もう20年ほど昔、ある冬の日、ぼたん鍋を食したとき、猪肉とずわい蟹、蟹の甲羅に日本酒・・・美味しい!?という感覚から、アレルギー反応?

以来、何が理由なのか分かりませんが、まるごと蟹を食べたいという気持ちが消えました。

それから、50代という年齢になって拡張性心筋症を発病、その5年後に大動脈解離を発病して、二度死にかけて、食事制限、タバコも禁煙、アルコールも禁酒。

毎日飲む薬に命を助けられているのか、あるいは介護という高齢者に寄り添う仕事を通して、生きる術(健康方法)を学んでいるのかもしれません。

・・・生きています。

今年一年間、施設でリハビリ体操諸々を学びながら、食事が美味しくなる口腔、舌体操も実践しました。

今日は、十何年ぶりのせいこ蟹(めす)を食してみました。





・・・まだ、好物ではありません。

人間、生きている限り、老若男女、ストレスとの闘いです。

そのストレスの捌け口、逃げ道が、想像力、創造力かもしれません。

人間の頭の中で、何を想像しようが自由です。

例えば、ぼくの場合は、クルーズ船で旅をするよりも、まだ、最後の職種として、クルーズ船内で働きたいという想像力があります。

もう船乗りという仕事に就くのには身体的持病を含めて無理なので、あくまでも叶わない夢です。

想像世界の中では、人を殺そうが、罪を犯そうが、何を想うのも、何を夢見るのも自由人なのです。

しかし、その悪しき想像を、現実社会で実践実行すれば、犯罪者に変わります。

想像力が、人生を左右、意見の肯定否定を煽る、まさしく正論と反論です。

不自由な表現と同様です。

不安材料となるような表現力、創造力は、必要ありません。

ストレスが、溜まるだけです。

自己への強い創造力こそが、安心というプライドかもしれません。

若い男性に、「自分にプライドを持って生きろ」と言えば、「プライドとは何ですか?」という質問が返ってきます。

「女性の下着を盗まないような生き方」だと答えます。

具体的に言えば、「思いやり」かなぁ。

・・・今年一年の総括でした。

ところで、高齢者を含めた元気な方は、間違いなく歩く歩幅が広いです。

大事な基本の基本健康方法は、「あ」と「ん」。

「あ~」という声を出しながら、口を大きく開きます。

「ん」という声を出しながら、口を閉じて、お尻を閉めます(肛門を閉じます)。

これを毎日繰り返します。

来年は、健康方法、長寿者の特長を軸に書き認める所存です。

今年一年、この拙劣なブログにお越しいただいた皆々様に感謝を申し上げます。

来年は、一歩一歩、御足の歩幅を少しでも大きく広げて、未来の夢に近づくことをお祈りします。

より、よいお年を❗

感謝。

冬至

2019年12月23日 | 空木宝剣
かぼちゃ食べ ゆず湯につかる 冬至かな

♪ 誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった(ゆず)

泪をためた ゆず風呂の 凍てつく露天の夜空への 栄光のかけ湯

一年で昼間が、一番短い日。冬きたりなば春とうからじ。

いくつもの日々を越えて、辿り着いた今がある(北川悠仁)

今夜の全日本フィギュア男子。

羽生結弦くんが1位を宇野くんにゆずって2位。

世界選手権もネイサンチェンにゆずって2位。

失敗しても、絵になる結弦くんは、長嶋茂雄さん以来だが、2022年、北京冬季五輪への栄光のかけ橋、夢の途中かも知れない。

夢のかけ橋をのぼる若者は、迷わない。





もの言わぬ証人。

2019年12月22日 | 空木宝剣
空の池 岩を小鉢に 青い松



原爆の悲惨さを伝える「もの言わぬ証人」被服支廠。









広島では、被爆建物の被服支廠を、県が一棟だけ残して、あとの3棟と国の1棟を解体するとの計画に、市や被爆者から、待ったがかかった。
 
一瞬にして、14万余の命を奪った原爆。  

その犠牲者の多くの人が避難しながらも、命が絶えた場所のひとつが被服支廠だった。 

謂わば、被爆者の墓碑とも云える建物である。

ところが、地震に対しての安全性を考慮して、維持する事が困難と判断を下された事で、今まで、その存在を生かすことを忘れていた事に、気づかされた一面もあろうかと思う。

根性松のように、その存在を生かすべきで、枯らすべからず。

幸せ探し。

2019年12月13日 | 千伝。

昨晩は、福祉業界で働く若い人達との忘年会に参加。

今日は、旅館を営んでいた方のお葬式に参列。

師走年末は、あわただしく過ぎていきます。

若い人達も人間関係に敏感で職場で悩む事も多々あるようです。

嫌な気持ちで働いていたら、どこに転職しても同じ事の繰り返しです。

かといって、その職場で我慢、耐えなさいとは、言えません。

仕事が面白くなれば、仕事は趣味道楽という境地となりますから、他の職場はどうなんだろう?ともっと興味が湧いて来るのは当たり前です。

人生は幸せ探しの転職で終えるのも一生です。

転職が天職に変わるのが、いちばんの幸運の弾みとなるはずです。

生活、仕事を変わろうにも、変われないまま人生を終える方も大勢います。

22年前に知り合った旅館業一筋に生きた方が、煙となって夕空に飛んでいきました。


お宮さん。

2019年12月12日 | 百伝。

今朝のニュースで、梅宮辰夫さん81歳が亡くなられたとのこと。

東映の大泉撮影所で、ステテコ一丁のプロレスラーのような異彩を放つような役者さんでした。

「君は役者を目指しているのか?」と訊かれて、「いいえ。アルバイトの只のエキストラです」と答えた個人的な思い出のワンシーン。

「はい」と答えたならば、どうなっていたのかな?

青春の一頁が、また遠くなりました。

御冥福を祈ります。

はて、苦悶の表情から満面の笑顔に、画面シーンが切り替わった。

両先生共に70代前半の年齢。

アフガニスタンの英雄になった中村先生、ノーベル賞受賞の吉野先生。

生き方はいろいろ、何も言う資格はないけれども、地域社会に地球に世界に役立つ人間、貢献の真の姿を想い巡らす思考が止まったシーンでした。

さて、長い間、福井県に暮らしていますが、初めて知る神社まで出かけて参りました。

敦賀の常宮神社。

対岸には、金ヶ崎、気比神宮を見渡せる位置に鎮座しています。

国宝、新羅の鐘が保管されています。

秀吉が朝鮮出兵の際、持ち帰り、大谷吉継に命じて、この神社に納めさせたとの事。

秀吉が、この神社を何故知っているのか?

個人的な憶測ですが、対岸に金ヶ崎城が見えます。

越前朝倉氏を攻めるため、信長、秀吉、家康、明智光秀までが一同に金ヶ崎城に陣を張っていました。

そこに、背後から浅井長政(信長の義弟)のまさかの裏切り。

朝倉と浅井に挟み撃ちされ、一網打尽寸前に、その企みを知らせたのが、この神社ではないかと?

信長は、直前に命からがら敗走、秀吉も家康も命拾いします。

敦賀市の観光案内を抜粋。
メイン写真

地元では「お産のじょうぐうさん」と呼ばれ親しまれている神社。神功皇后が、ここで皇子の応神天皇を安産したことから、安産の神様として崇められています。神功皇后は、氣比神宮の祭神・仲哀天皇の妻であるため、常宮神社は氣比神宮と夫婦とされ、常宮神社は奥宮といわれています。 毎年7月には、氣比神宮の祭神・仲哀天皇を納めた船神輿が船で海を渡り、神功皇后を祭る常宮神社まで会いに行くというロマンチックな神事が執り行われています。立地条件や神功皇后が三韓征伐に際して海路の無事を祈願したとの伝えがあることから、航海や漁業の守護神としても信仰されています。

主祭神は「天八百萬比咩命」、別名は神功皇后であるとの事。

神功皇后と云えば、百島の軍殿山に謂れのある伝説上の人物。

常宮神社、美しい境内でした。


令和元年初師走。

2019年12月08日 | 空木宝剣

寒い朝 心ひとつで 安居なり

今日は何の日(NHKラジオ)によれば、真珠湾攻撃の日(1941年)、力道山が刺された日(1963年)、ジョンレノンが襲撃された日(1980年)、ソビエト連邦崩壊の日(1991年)との事。

なにやら、縁起の良い日でもなさそうな師走の8日。

団塊は、真珠湾攻撃は、マイナス9才。

力道山の時は13才の中学生。

校庭にスケートリンクのような薄氷の張る、寒い朝
だった。

ジョンレノンの時は、30才。

あわただしく三十路を迎えた独身最後の年。

ソビエト連邦は、41才の厄年。

ソ連がロシヤヤバンコククロポトキン(1842〜1921)に、フィードバックしたような歴史の展開に驚かされた。

明日は、49歳で歿した夏目漱石(1867〜1916)の命日。

令和元年は、明治151年。

大正107年。

昭和94年。

平成31年。

今日は、歴史のてっぺん。

明治生まれの祖父母、大正・昭和初期生まれの父母。

戦後生まれの団塊。

「古稀来たり 昭和うまれの 冬安居」

明治・大正の老人はどうであったかと思うこの頃。


パラレル ドン・キホーテ。

2019年12月07日 | 千伝。

ラ・マンチャの男の台詞。

「事実は、真実の敵である。」

「今の自分を愛するのではなく、将来の自分を愛するのだ。」

「私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。・・・本当の狂気とは何か?

  本当の狂気とは?

 ・・・夢に溺れて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。

 ・・・現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

 しかし、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけて、あるべき姿のために闘わないことか?」

認知症の徘徊する高齢者のようなラ・マンチャの男 ドン・キホーテが歌う「見果てぬ夢」の歌詞も素晴らしい!

若い頃、舞台となったスペインのラ・マンチャの風車を見に行ったことがあります。

田舎で、安宿のようなホテルに泊まったら、現地の子供が、「シーナ、シーナ」だと騒ぎ立てる。

「ノン、シーナ。ヤパン、ヤパン」と言い返した思い出があります。

あのスペインの田舎の子供たちにとっては、中国人でも、日本人でも、同じようなものだったのでしょう。

首都のマドリードまで行くのに、数時間に何本かの列車待ち・・・それもいつになったら来るのやら、あの田舎駅のプラットフォームで何時間待ったことやら。

目の前は、乾燥した土地が広がって、「日本人がここで殺されて、埋められても、絶対に見つからないだろうなぁ。ドン・キホーテは、助けに来てくれない。」と思いながら列車を待っていた思い出があります。

最近、NHKテレビは、地震防災の特集を組んで、「東京直下地震」やら「南海トラフ」の悲惨な被害想定を映し出していました。

パラレル東京・・・溢れんばかりの人口密集地、丈夫で元気な人生、生活の時間は、まぼろしのような、もう一つの幻想期間。

地震が起こるまえに、逃げれば一番いいのでしょうが、誰もが心のどこかの部分で「助かる」と考えているのでしょう。

現実は、大都会という年老いた皮膚剥離するような弱い台地の上に積み上げられた高層ビル群、海面よりも深く掘った地下街。

経済的豊かさを追い求めた「見果てぬ夢」の結果でしょうか?

昨晩のE-テレビ「ドキュランドへようこそ」は、スウェーデンの外科医が、エチオピアの山奥で医療活動した10年間、そして、スウェーデンへ帰国後の生活まで追ったドキュメントでした。

先月、日本に来た家内の友人であるスウェーデン人曰く、スウェーデン社会の休暇日数というのは、勤続年数ではなくて、人生の年齢を基準とした休暇日数を取得できるとのこと。

さすがに、北欧のスウェーデンは、高福祉国家、ノーベル賞の国・・・中高年にも優しい豊かな社会だと考えていましたが、何だろう?

エチオピアの山奥の社会は、貧しくて設備も金もない、病気になれば、忍耐強く、その運命に耐えるしかない人々・・・でも、孤独死というものが無いようです。

さて、先日、北陸地方初となるMEGA/ドン・キホーテが福井でオープン開店。

福井県は、全国で唯一、イオンのお店が無いのですが、地元と県外のドラッグストア同士の出店競争が激しくて、激安店ラッシュです。

驚安の殿堂ドン・キホーテと言えども・・・大丈夫かな?

因みに、ドンキホーテの店名は、既成の常識や権威に屈しないラ・マンチャの男 ドン・キホーテの姿に感銘を受けて、多様な変化に毅然と立ち向かう新たな流通業界をつくりあげるという願いのもと、名づけられたとのこと。

イオンモールは、必要無いです。

福井の流通業界においては、共倒れになるだけです。

ドン・キホーテ・・・撤退しないように奮闘を祈ります。