百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

行脚

2011年07月30日 | 千伝。
おそらく、読み物語の創作伝説なのでしょう。

秀吉が、信長に認められる最初のきっかけは、草鞋取りになって、その草鞋を胸の懐で温めていたことでした。

草鞋ひとつにも、気をつかったこと。

多分、足の向く方角が、大なり小なり運命を決めるということです。

足元の履物に気を配るというのは、単に趣味以上の意味合いがあると考えます。

シンデレラもガラスの靴でお姫さまになりました。

身につけるモノのなかで、一番土台の靴を大事にすれば、安定が生まれます。

等閑(なおざり)にすれば、当然・・窮屈で不安定ということになりましょうか。

案外、裸足がいちばんの健康方法なのかもしれません。

なにやら さをりおり

2011年07月29日 | 千伝。
「さをり織」の創始者、城ミサオさん(98歳)が、以前お話した事。

松尾芭蕉の「山に来て、なにやらなつかし、すみれ草」

この句に「なにやら」という言葉があるから、この俳句は400年も生きていると言っていました。
 
このミサオおばあさんは、最初はお花の師範だったそうです。

型に嵌った教え方は全くせず、一輪の花の、どこが一番美しいのか、それを自分で探した上で、活ければ好いというものでした。

自分の持っている感性で、自分なりの美しさを、生け花で表現することを教えると、生徒がドンドンふえて、忙しくて病気になったそうです。

この先生、聞かれたこと以外は、答えないをモットーにしています。

生徒自身が、美しさ探しを、楽しむことを奨励したそうです。

この考え方で、「さおり織」を始めるようになって、専門家から、あなたの織りは、縦糸が一本ぬけているから、売り物にならないと言われました。

逆に、縦糸を何本もわざと抜いて作ったところ、何十年も昔のことながら、マフラーが一本9800円で売れたそうです。

自分を型にはめないこと。

自由に宝物さがし。

この考えは、序破急、守破離を早急に実行したもののようです。

No Way!ちゃいなぁ。

2011年07月28日 | 千伝。
村上春樹でさえ「まさか?」と思ったのに違いない・・ノルウェーのテロ事件。

難民であろうが、出稼ぎであろうが、あまりにも大量に異民族が、自国に流入した場合は、侵略に近い問題が生ずる。

EUは、昔は、オスマントルコ、セルジュクトルコに侵略された歴史もあり、戦後のヨーロッパは、植民地からの黒人、中東のイスラム系移民でいっぱい。

EUにトルコ加盟が反対されるのも、歴史からの経緯をみれば、多少理解できるものである。

例えば、ユダヤのような資本主義は、資本主義ゆえに嫌われ流浪の民となり、悲劇の第二次大戦後、アメリカの後押しでイスラエルを建国するが、やっと国を得たにもかかわらず、パレスチナとの諍いが絶えない。

ましてや、北欧である。

自分の家に居候が随分の数あれば問題のように、ほどほどが一番と言うことになる。

パールバックでさえ「やっぱり!」と思ったのに違いない・・中国版新幹線の高速列車事故。

一分一秒を争うところまでスピード化した過密ダイヤは、合理化数値化したかにみえるが、人間である運転手の経験則や、精神的苦痛まで数値化するのは至難の業であることを、忘れていたのではなかろうか?

中国共産党のもとでの資本主義とは、本当にまともなイデオロギーなのかと疑問にも思える。

仕事の成果を数字に置換することによって、際限なく効率化できたように思えるのであるが、果たしてそうであろうか?

機械や道具と、生身の人間様を同率に扱って失敗した独裁者や経営者は有史以来数多であることを、こういう惨事からも学ぶべきではなかろうか。

福与かな・・

2011年07月26日 | 千伝。
昔は、モノを書くのに、下地は、藁半紙に書いたものである。

それを原稿用紙に清書するのであるが、現在、その藁半紙なるものを文房具店等で見ることがない。

一体、いつのころから藁半紙は、文房具の中から消えたのだろうか?

ひょっとしたら、ひそかに、文房具店の片隅に存在して、昔ながらの常連客からは、御贔屓にされているのかも知れない。

今度、文房具店に行ったら、昔の知り合いの消息を尋ねるような気持ちで、店員に「藁半紙はありますか?」と聞いてみることにしよう。

私の記憶では、昭和55年頃までは、確かに存在していた。

それとも、注文しないから、手にしないだけかも知れない。

あの福与かなセピア色の枯れた草原のような紙面があれば、引き出しの奥にある万年筆を手に取り、またモノを書けるような気がする。

デジタルまたはベジタブル

2011年07月25日 | 千伝。
国会でノーネクタイが主流になっている。

その効果の是非は、ともかくとして・・

何かが起こったら何かをするという機敏さだけは、評価してもよいのではないかと思う。

冷ややかな目で見て、何もしないのも、一見落ち着いて見える。

が、考えようによっては、しらけた空気を澱ますことにもなりかねない。

所詮、この世は、「踊る阿呆に、見る阿呆」。

「見る阿呆ではなく、踊る阿呆」を心掛けてさえいれば、機をみて敏。

いろんな商売の糸口、需要というものが、明確に姿を現してくれるのかも知れない。

クールビズまたはウォームビズ。

もしくは、デジタルまたはベジタブル。

野菜をかじりながら、デジタルのテレビ画面を眺める。

灯台もと暗し

2011年07月24日 | 千伝。
昨日のノルウェーのテロ爆発と銃乱射事件・・そして、中国の高速鉄道の追突事故・・
まるでゲーム感覚のような現実です。合掌。

どうもデジタルに委ねる社会人間システムの不完全性が原因に思えてなりません。

0101・・と白黒をはっきりと結果を求めるのは、見果てぬデジタル世界の果てかもしれません。

今日は、アナログ放送終了日。

明日から、デジタル世界です。

とは言え、マネーゲームの経済においては、既にデジタル人間が、アナログ人間を凌駕しているのは事実です。

マネーゲームは、スペキュレーター(投機家)といって、投資家と区別され、株価の動きだけをターゲットにして、ゲーム感覚や博打感覚で売り買いします。

イギリス人は何でも賭けの対象にして、ウエリントンとナポレオンの海戦も賭けたとのことで、世界一の再保険会社のロイズなどがあります。

再保険とは、保険屋のまた保険ということで、大災害やマンモスタンカーやスペースシャトルのような、大きなリスクの支払いが懸念されるような場合に、受けた保険屋が他の保険屋に、一部転嫁する行為を言います。

会計制度がグローバル化され、連結決算方式がソニーのような日本一のグループ会社を苦しめました。

また有価証券の時価額を決算に算入しなければならなくなり、乗っ取り防衛のため、お互いの持ち株を所有しあっていたのが、背に腹を換えれなくなり、手放したケースが多く、ハゲタカファンドから狙われやすくなりました。

アメリカのように、犯罪大国、訴訟大国、賠償大国のうえ、健康保険が不備の国に於いては、いろんな意味での保険が存在するわけですが、つい最近まで菓子箱で話し合いが付いていた、お互い様の国だった日本では、マイナーなイメージはぬぐいがたく、悪人に保険金詐欺として利用される始末です。

野村證券からソフトバンクに引き抜かれた男で、株屋丸出しの人物がいましたが、彼はアナログ人間からデジタル人間に巧く転身したようです。

なんで、孫正義があそこまで大きくなったのか?
 
三木谷がどのように儲けているのか?・・「金は力なり」ということでしょう。

英語やITやパソコンを使いこなせない者にとっては、経済というバスに乗り遅れた感は否めません。

その乗り遅れた悲哀を味わうのは、アナログ経済人間の悲しい性です。

昨今は、スマートフォンの時代になりつつある風潮・・。

風潮あれば、結果を追い求めるのは、デジタル経済人間の悲しい性です。

風潮あれども「灯台もと暗し」です。

アナログのファジーな気分で、デジタル化の質をとことん利用すれば、新しい幸福の予感がします。

大暑 ~提灯~

2011年07月23日 | 千伝。
今日は、地蔵盆。

相場用語で、提灯筋という言葉があります。

相場の世界は、いわゆる闇夜なので、闇夜の道は、よほどの玄人でないと、溝にはまったり、転んだりして、怪我をしてしまう。

それで、素人が安全に歩くには提灯、現在では懐中電灯が必要です。

一般に、ドンドンあがっているよ、さあ買った買ったと、世間にアピールして、テレビやら報道やらで買いあおるのを、提灯をつけるといいます。

大衆の買いにあわせて、ひそかに売り逃げするのが、仕手筋の常套手段です。

相場の世界のみならず、世間は闇夜です。

それを勉強や努力によって、闇夜でもみえる、夜目というのができます。

ベテランの熟練者は、「目をつぶってでも出来る」というのは、その夜目を持っているからでしょう。

また新しい世界に飛び込むには、新しい夜目を作るまで、当面懐中電灯に頼らねばいけません。

通り慣れた夜道ならなんのそのでしたが、新しい夜道は穴ぼこの位置が分かりません。

その闇夜の道の先に、訪ねる明かりのついた家が目標としたら、どんな明かりの家にたどり着きたいのか明白にしていないと、ただ暗闇を歩き続けるということで終わってしまいます。 

決心が必要です。

決心とは、神や仏との約束、神や仏への祈りだと思います。

おそらく、神や仏は、決心した人には弱く、道を開いてくれるでしょう。

もともと、迷っている人には、迷路しか与えないでしょう。

太陽神も・・今という「瞬間」しか、照らしてはくれません。

明日は、まだ闇の中、昨日も闇の中です。

それで、坊主は瞑想して、夜目を鍛える訓練を暗示するのでしょう。

ただ、今は、サーチライトで、昼間のように安全な道に変えることができます。

サーチライトを持たない人間は、人生につまずくばかりですので、夜目を養うか、サーチライトか、どっちかを手にせねば、この世は、お先真っ暗という結果になると思います。

さて、あなたにとって、私にとって、サーチライトとは何か?

これも問題です。

サーチライトを手に成功した人の話や自伝を読むと答えがあるのでしょう。

今日は、大暑。

ぴあ 

2011年07月22日 | 千伝。
・・休刊最終号というニュース。

インターネットも携帯電話も無かった時代・・18歳で東京暮らしの生活を始めた頃に役立った映画演劇等々の情報誌と言えば「ぴあ」だった。

今週は、息子の学校で「進学説明会」があった。

進学担当者曰く、最近の全国的な傾向として、東大に進学できるレベルの優秀な高校生は、地元の国立大学を入学する傾向にあるという説明していた。

また一方、日本全体では大学の入学定員に足りないので、進学希望者のほぼ全員が全入学できるという。

学力レベルの格差も拡がる傾向にあるということである。

経済的な理由が背景にあるかもしれないが、インターネットの環境で育ったローカル志向の若者が増えて、地元から離れないまま生活を故郷に根ざすという事はいいと思う。

地方に生まれ育った子供が、農業や漁業に従事するようになればよいと思うが、基本的には、何をするのにも「お金を稼ぐ」という意識がないと生活が成り立たない。

所詮、中学校を出ても、大学を出ても、早かれ遅かれ、社会で働かなければならない。

お金を頂くという気持ちで働くのならば、いい大学を出て、いい会社に勤めるコースを選択するのもいいが・・かつてのように巧く機能しているとは思えない。

自分で商売をしてみると・・よく解る。

秋葉原や横浜の中華街に行けば、モノを売り買いする商売の海図が凝縮されている。

大波小波に揺られて、臨機応変にどこの港の立ち寄ろうかと思考しながら小船のような船長である個人事業者と、例えば外資系企業の巨大な船舶の乗組員を比較しても仕方ないが・・給料やボーナスを貰える立場が、大波大嵐を前に、不自由であるが、いかに安全な船上にいるか・・。

船員として、大きな企業(船)で働くならば、それなりの達成資格や専門知識や協調性規律も必要になる。

船頭として、小さな起業(船)を起こすならば、それなりの営業力や企画力や経営才覚の度量も必要になる。

・・いずれにしても好奇心である。

情報雑誌「ぴあ」は、創刊当時、まだ学生であった矢内廣氏によって立ち上げられた。

福島県いわき市出身、1950年生まれの矢内廣氏という人物は、我々の世代からみれば、いわゆる学生起業家の先駆けのような憧れの存在でもあった。

まさしく一世を風靡した時代の先頭を走っておられた人物と言っても過言ではない。

矢内氏のような先駆的なビジネスマンならば、まだまだお元気であれば、ご活躍できる分野が沢山ある。

・・是非共、震災後の東北地方、とりわけ故郷の福島県の復興にはキィパーソンとなるアイデア豊かなプロデュースの分野に期待する。

さて、世の中には、見えないモノを売る商売も、沢山ある。

情報を売るという商売・・。

安全を売るという商売・・。

安心を売るという商売・・。

商売を売るという商売もある。

息子には、自分の得意な分野や自分の売りを見つけて、あるいは自分ならば売れる興味のあるモノ(商品)を探して欲しいものである。

余談ではあるが、英語で「ぴあ」と言えば、peer , pear, pier といろんな単語を思い浮かべるが、pier が印象深い。

・・意味は、埠頭、岸壁、桟橋である。

親は、社会という海へ漕ぎ出す子供を、船に乗せるまでの桟橋のようなものかもしれない。

心尽くし

2011年07月19日 | 百伝。
最近、故郷の百島が、特別に上品な場所に思えるのである。

若い頃は、とてもとても・・百島が、上品な場所だとは思えなかった。

漁港や船乗りの多いような場所は、一般的に、言葉遣いが悪い。

それは、海に携わる仕事上、丁寧な言葉遣いでは、物事の進捗が遅くなる。

だが、安全を思えば、言葉の安心が足りない。

だから、街の言葉が、安心という上品な世界に映った。

若い頃、目指したくなるのは、鯉のぼりの如く上流でもある上品な場所である。

人が集まる場所が、安心する場所だと映る。

ところが、歳を重ねれば「安心は幻覚」であることに気がつく。

最近は、大きな街ほど・・上品よりも下品な感覚が席巻蔓延してゆく。

例えば、「貧乏は嫌だ!」という声が、街の中にこだまする。

そうなると、ものの言い方が悪くなる。

ものの言い方が悪いと、人柄が悪くなる。

人柄が悪いと・・ガラが悪くなる。

姥捨ての時代は去れども・・人間、老人になってもイジメの世界が残る。

優しい人が集まる場所が、響く安心というパラダイスとなるのであろう。

最近、百島のお年寄りの言葉は、優しく温かい言葉で心に響く。

故郷は、空き家が多くなれど・・

想いは、特上品の心尽くしである。

なでしこの誉 

2011年07月18日 | 千伝。
澤 穂希(さわ ほまれ)32歳・・とても美人に思えた一日でした。

あの延長戦の同点シュートは、忍者のような足蹴技ありのビックリ弾でした。

2011年7月18日 FIFA女子W杯決勝地ドイツ・フランクフルト、・・対アメリカ戦。

13番・・俊足のモーガン選手が後半から途中出場して、決勝戦の試合が一気にヒートアップして面白くなった。

先制点は、モーガン選手のミドルシュート。

アメリカのサッカーの神様は、おそらく試合終了直前の延長後半戦にも、モーガン選手に決勝点を与えようと考えたのであろうが・・それを阻止したのは、日本のサッカーの神様仏様かもしれない。

まさに、試合終了1分前・・。

岩手県出身の岩清水選手が、ぺナルティエリア寸前のゴールに迫ったモーガン選手に体当たりブロックをした。

ワンバック選手を抑え続けた岩清水選手・・レッドカードを受けて一発退場になったが、彼女は、澤選手に次ぐ、今回の大殊勲賞ものの立役者である。

彼女が肩に引っ掛けていた日の丸に書いていた東北の被災者へのメッセージも頼もしかった!

なでしこJAPAN・・海堀選手、川澄選手、鮫島選手等々の動きも素晴らしかった!

今日、世界一のチャンピオンになった日本の大和撫子たちは、凄かった!!

次の大舞台は、来年の夏、ロンドン・オリンピックである。

メルトダウン

2011年07月16日 | 千伝。
放射線研究の先駆者といえば、女性初のノーベル賞を受賞したキュリー夫人である。

キュリー夫妻の記録を読んでいると、緊迫感のありすぎるドロドロした人生に違和感も感じるが、夫人の生き様は、誹謗中傷にも耐えた人間味溢れる尊敬できるものである。

夫の死因は馬車との交通事故死もしくは自殺説。

夫人の死因は、放射線によるものかどうかは、不明。

今日のトップニュース・・福島県浅川町の肉用牛農家から放射線セシウムが汚染された稲わらが検出されて、汚染牛肉が消費されたという。

安全第一というけれども、リスクを伴うのも仕方ないのでは?

チェルノブイリの原発事故当時、ヨーロッパは大変な騒ぎだった。

今日の日本のニュースのように・・汚染された牧草を食べた牛の牛乳が、ヨーロッパ市場で消費されたということもあった。

そして、翌年、翌々年には・・発症後、「脳みそが、数十年後にはスポンジ状態になる」という噂のあった英国で発端した狂牛病の大騒ぎである。

当時、英国に暮らしていた小生は、何も考えずに毎日のように牛肉を食していたが・・まだ発症していない。

ただ、いまだに日本赤十字社の献血運動には、丁寧にも当時の英国滞在者に対して協力除外通告がなされている。

今日の地元福井のトップニュースは、大飯原発1号機の手動による緊急停止と舞鶴若狭道路の小浜西ICと小浜ICの開通式であった。

福井県若狭地域は、原発銀座と呼ばれるぐらい日本一原発が多い地域である。

こんな事を言うと、福井県も風評被害の対象となるかもしれないが、以前から原発に近い若狭の海の魚は、奇怪な格好をした魚が多いという噂話は、何度か聞いたことがある。

噂の真偽がどうあれ・・若狭の海水浴には、幼子を連れて何度も行き、泳いだこともある。

若狭の原発は、関西圏民の電力エネルギーを支えている。

そして、福井県民は、原発による交付金の多大な恩恵を受けているのは事実である。

県立図書館、県立病院、県立恐竜博物館等々・・これらは他県の人々が羨むぐらいに世界でも誇れるものである。

だが、万が一にも、若狭から近い関西圏民の水がめでもある琵琶湖が放射線物質に汚染にされた場合・・隣県の滋賀県嘉田由紀子知事は「卒」原発を提案している。

いきなりの「脱原発」ではなく、緩やかな「卒原発」である・・巧い表現である。

小生は、被爆者二世としての立場から考えても、放射線物資の怖さを知らない。

怖さを知るということは、安全な自由生活に徹するということなのか?

安全な生活は、健康体であること。

自由な生活は、リスクを伴うこと。

宇宙からの放射線を浴びるのを地球のオゾン層が守っているという。

もしもオゾン層が破壊されると、地球は、満々と放射線を浴びるという。

でも、小生・・ゴキブリやアリやら、その他の昆虫類は、放射線を帯びても生き延びるような気がしてならない。

何十万年未来まで続くかもしれない人類の放射線物資の処理対策よりも、昆虫類の生態能力を研究した方が手っ取り早いかもしれない。

あるいは、放射線汚染された物質を、ロケットに乗せて何億光年先の宇宙の彼方に飛ばすのもいいのではないか?

今夜は、京都で祇園祭宵山、仙台で東北六魂祭・・賑やかである。

人は、賑やかな所に集まる習性がある。

すなわち、経済も潤うということである。

原子力産業は、既に世界の基幹産業の一つでもある。

経済的生活レベルを下げることは、かなりの覚悟が必要である。

それを怖れていると、それこそ、日々のメルトダウンになってしまう。

さて、今日、福島産の「きゅうり」を買って食べました。

・・とても美味しかった!

聖徳太子曰く

2011年07月14日 | 千伝。
604年、日本で初めて制定された憲法十七条の成文法。

「朝早くから勤務すべし」「人は怒ってはならない」「和を尊び」・・と成文されている。

今から1400年以上昔・・飛鳥時代の日本人の想いを巡らせる。

聖徳太子曰く、現代の日本に何を告げるのであろうか?

Radio & Lady GaGa

2011年07月12日 | 千伝。
さっきまで、ラジオを聴いていると、レディ・ガガのことが話されていた。

♪Born This Way・・麻薬中毒者になるよりもクイーンになりなさい・・♪

最初の出足から、何だか物凄くストレートな英詩だなぁ!

生まれたことに感謝しよう。

リラックス♪

英国ロンドンの老人施設に三ヶ月間程ボランティアで働いた頃に、ラジオからよく流れて聴いていたクイーンの「ラジオ・ガガ」や「ボヘミアン・ラプソディ」を思い出す。

入学先の学校があるブライトンに移る前夜、私は、施設の方々から感謝の意味として忘れられないプレゼントを贈られた。

それは、夜空に打ち上げられた花火だった。

人間は、誰でも人間として、ほんの少しでも注目されて感謝されることを望んでいるのである。

他人に善を尽くせば、自分の最善となるのである。

白人も黒人も東洋人も同じである。

ほんの少しでも他人から興味を持たれると喜ぶのである。

自分自身を忘れるぐらいに、他人が喜ぶ姿をみると嬉しくなるのである。

ラジオから聴こえてくる国会中継・・毎日毎日、新聞を含めたメディアから菅首相、内閣が叩かれている。

国民の心が嬉しくなるぐらいに国会議員には働いてほしい。

震災後の復興対策と、原子力発電所・放射線物質の汚染問題・・。

下を向いて大地を眺める。

上を向いて星空を眺める。

それでも、日本の社会は、独裁国家ではなく、首相がコロコロと変わるぐらい素晴らしい世界トップクラスの民主的な国なのである。

Radioactivity・・。

Relax♪

老いる力

2011年07月12日 | 千伝。
今日は、パンの日。

先月は、人員異動、入退職等々・・やっと今月の勤務表を提出したとか思うと、もう、来月の勤務表作りの準備を始めている。

・・パンが食べたいなぁ。

来月八月は、お盆のある特別な月である。

お墓参りをしたいとか・・おまけに人員不足、いろいろと希望休日の多い方が多くて大変である。

そして、ほんの少し前に小生のプリンターが故障してしまい、まともな印刷が出来なくなった。

プリンターも同じく、存在するものは必ず老いてゆく劣化現象である。

壊れるまえに、修理に出すか・・新しいプリンターを買わないと・・。

昔のお年寄りは言ったもんだ。

「米一粒残さずに食べないと目が潰れる」と。

「壊れるまえの老いる世界」と「壊れたあとの老いた世界」は、違う。

身体は丈夫だが、認知症の老いた方がいる。

意識聡明だが、言葉を発しない寝たきりの老いた方もいる。

老いた方を、家庭内でお世話するとなると、毎日毎日昼夜関係無く発生する壊れた家族の人間関係、徘徊、弄便、汚染、感情失禁等々・・間違いなく介護地獄に陥る。

何故だろう?

老いて長生きするようになったからである。

人生ドラマの幕が降りる終焉となる最期が、遠い未来に映るからである。

本来の老いる世界は、美しかった・・壊れてから数ヶ月後には病院ではなく自宅で看取ることになった。

だから人間が壊れるまえの本質を見抜くように、昔の老人は「米一粒残すな」という考え方を示したのかもしれない。

ところが、ひとつの例をあげると・・飽食を体験した現代日本の老人の病院食の摂取量は、好き嫌いが多く食事後の残飯量も半端ではない。

まことに日本の税金の無駄遣いである。

老いる力とは、スローダウンとなる力ではない。

・・老いる大きな樹がそうである。

大嵐や風雪に耐えて、倒れなかった大樹も、小さな虫に食い潰されたら、いとも簡単に倒されてしまう。

些細な些事と重大な瑣事を仕分けできる知恵が、必要なのである。

夕方、珈琲一杯を飲んだあとにパンとプリンターを買いにでかけようかなぁ。

力を抜いて・・。

自由の力

2011年07月11日 | 千伝。
この頃、警察官だった義父が遺した日記を繰り返して読む日々を過ごしている。

病院と警察署の中には、多くの人間ドラマを観ることが出来ると言うが・・ホントである。

どちらの世界も「殺すのは簡単だが、生かすのは大変なのである」・・罰則と向き合う警察内、生死と寄り添う病院内の人生ドラマである。

幸福や美徳を作るのも不幸や悪徳を作るのも、人間の想像する自由の力に他ならない。

もし、誰かに「馬鹿野郎」と罵られたとしても、喜んで受け入れる器量を持ちたいものである。