・・休刊最終号というニュース。
インターネットも携帯電話も無かった時代・・18歳で東京暮らしの生活を始めた頃に役立った映画演劇等々の情報誌と言えば「ぴあ」だった。
今週は、息子の学校で「進学説明会」があった。
進学担当者曰く、最近の全国的な傾向として、東大に進学できるレベルの優秀な高校生は、地元の国立大学を入学する傾向にあるという説明していた。
また一方、日本全体では大学の入学定員に足りないので、進学希望者のほぼ全員が全入学できるという。
学力レベルの格差も拡がる傾向にあるということである。
経済的な理由が背景にあるかもしれないが、インターネットの環境で育ったローカル志向の若者が増えて、地元から離れないまま生活を故郷に根ざすという事はいいと思う。
地方に生まれ育った子供が、農業や漁業に従事するようになればよいと思うが、基本的には、何をするのにも「お金を稼ぐ」という意識がないと生活が成り立たない。
所詮、中学校を出ても、大学を出ても、早かれ遅かれ、社会で働かなければならない。
お金を頂くという気持ちで働くのならば、いい大学を出て、いい会社に勤めるコースを選択するのもいいが・・かつてのように巧く機能しているとは思えない。
自分で商売をしてみると・・よく解る。
秋葉原や横浜の中華街に行けば、モノを売り買いする商売の海図が凝縮されている。
大波小波に揺られて、臨機応変にどこの港の立ち寄ろうかと思考しながら小船のような船長である個人事業者と、例えば外資系企業の巨大な船舶の乗組員を比較しても仕方ないが・・給料やボーナスを貰える立場が、大波大嵐を前に、不自由であるが、いかに安全な船上にいるか・・。
船員として、大きな企業(船)で働くならば、それなりの達成資格や専門知識や協調性規律も必要になる。
船頭として、小さな起業(船)を起こすならば、それなりの営業力や企画力や経営才覚の度量も必要になる。
・・いずれにしても好奇心である。
情報雑誌「ぴあ」は、創刊当時、まだ学生であった矢内廣氏によって立ち上げられた。
福島県いわき市出身、1950年生まれの矢内廣氏という人物は、我々の世代からみれば、いわゆる学生起業家の先駆けのような憧れの存在でもあった。
まさしく一世を風靡した時代の先頭を走っておられた人物と言っても過言ではない。
矢内氏のような先駆的なビジネスマンならば、まだまだお元気であれば、ご活躍できる分野が沢山ある。
・・是非共、震災後の東北地方、とりわけ故郷の福島県の復興にはキィパーソンとなるアイデア豊かなプロデュースの分野に期待する。
さて、世の中には、見えないモノを売る商売も、沢山ある。
情報を売るという商売・・。
安全を売るという商売・・。
安心を売るという商売・・。
商売を売るという商売もある。
息子には、自分の得意な分野や自分の売りを見つけて、あるいは自分ならば売れる興味のあるモノ(商品)を探して欲しいものである。
余談ではあるが、英語で「ぴあ」と言えば、peer , pear, pier といろんな単語を思い浮かべるが、pier が印象深い。
・・意味は、埠頭、岸壁、桟橋である。
親は、社会という海へ漕ぎ出す子供を、船に乗せるまでの桟橋のようなものかもしれない。