スサノオ・・天照大神の弟であり、日本神話の中で一番多く登場する人物・・否、神様です。
古事記、日本書紀、出雲国風土記・・書き方の表記も盛り沢山です。
(建速)須佐之男命、須佐乃袁尊、須佐能乎命、素戔男尊、素戔嗚尊等、神須佐能袁命・・等々。
そして、仏教との神仏習合では、祇園精舎の守護神である「牛頭天王」と表記されます。
天王洲など、天王とつく地名は、スサノオが起源となっているのです。
まぁ、何というべきか・・ スサノオ様は、現代の日本社会にも多彩な神話を提供してくださいます。
僕が、スサノオと初めて出会ったのは、幼稚園児の頃に観た・・小倉か博多の映画館の中でした。
高天原を追放されたスサノオは、出雲の国へ降臨します。
そして、英雄として、毎年、若い娘を食べるヤマタノオロチ(八岐大蛇)と戦い、見事に退治するアニメ映画でした。
出雲にある須佐神社には、ヤマタノオロチの骨があるという言い伝えがあります。
さらには、ヤマタノオロチは、伊吹山に逃げたという説・・その子が、酒呑童子で、その後、比叡山を治めていたのを、仏法力で伝教大師(最澄)に追い出されて、大江山に逃げたとか・・無茶苦茶な伝承話、神話が数多くあります。
とにもかく、スサノオは、出雲の国では、英雄でした。
出雲は、大和とも、越の国(北陸)とも、戦争状態であったとも伝承されています。
だから、八岐大蛇伝説と九頭竜伝説との関係も意味深いものがあります。
さらに・・もっとも興味深いのは、蘇民将来の起源です。
備後国風土記逸文に疫隈國社・・疫隈(えのくま)の里とは、どこか?・・ということです。
一説には、疫隈國社は、福山市新市町戸手に鎮座されている現在の素盞嗚神社であるとのこと・・以下、素盞嗚神社のブログでの紹介文です。
「祇園信仰」とは、お釈迦様が修業された「祇園精舎」を護る「牛頭天王(ごずてんのう)」と高天原を追われてのち出雲国で「やまたのおろち」を退治された「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」を共に祀る信仰です。
つまり外国(とつくに)の誠に恐ろしく力の強い仏様「牛頭大王」と我が国最強の荒ぶる神様「素盞嗚尊」を一体化し、より強力な神格にして祇園社の主祭神「祇園神」としたのです。この神の絶大なる霊威を以てすれば、いかなる怨霊の祟りをも鎮め、平穏な世を取り戻すことが出来ると考えられたのでした。各地に伝わる様々な伝承や資料からすると祇園信仰発祥の地はここ福山市新市町戸手に鎮座される「疫隈國社(えのくまのくにつやしろ)」現在の素盞嗚神社であると考えられます。
疫隈國社より播磨国明石浦(兵庫)-播磨国廣峯神社(姫路)-北白川東光寺(京都)に至り、祇園感神院(八坂神社)へと伝搬していったことは明らかです・・との由。
その他、諸説として、福山市鞆にある沼名前神社もアピールしています。
武塔天神(牛頭天王)は北海の神で、嫁取りに南海に訪れた・・つまり、北海の出雲の国から、桃源郷を求めて、南海の備後の国へ。
桃島(百島)へ訪れたとも解釈できます。
茅の輪を腰につけると、疫病から免れることができる蘇民将来子孫也の神話です。
「疫病から免れる」ことができる・・「疫隈の里」という意味の解釈もできるのです。
当時、その魔避けの力があると考えられたのは、「桃」しかないのです。
そして、「茅の輪くぐり」の日本発祥の地となるのが、桃島(百島)神話への道標です。
~この百島神話作りに道標という肉付けをしてくださる方がいらっしゃるのならば、大歓迎です。~
古事記、日本書紀、出雲国風土記・・書き方の表記も盛り沢山です。
(建速)須佐之男命、須佐乃袁尊、須佐能乎命、素戔男尊、素戔嗚尊等、神須佐能袁命・・等々。
そして、仏教との神仏習合では、祇園精舎の守護神である「牛頭天王」と表記されます。
天王洲など、天王とつく地名は、スサノオが起源となっているのです。
まぁ、何というべきか・・ スサノオ様は、現代の日本社会にも多彩な神話を提供してくださいます。
僕が、スサノオと初めて出会ったのは、幼稚園児の頃に観た・・小倉か博多の映画館の中でした。
高天原を追放されたスサノオは、出雲の国へ降臨します。
そして、英雄として、毎年、若い娘を食べるヤマタノオロチ(八岐大蛇)と戦い、見事に退治するアニメ映画でした。
出雲にある須佐神社には、ヤマタノオロチの骨があるという言い伝えがあります。
さらには、ヤマタノオロチは、伊吹山に逃げたという説・・その子が、酒呑童子で、その後、比叡山を治めていたのを、仏法力で伝教大師(最澄)に追い出されて、大江山に逃げたとか・・無茶苦茶な伝承話、神話が数多くあります。
とにもかく、スサノオは、出雲の国では、英雄でした。
出雲は、大和とも、越の国(北陸)とも、戦争状態であったとも伝承されています。
だから、八岐大蛇伝説と九頭竜伝説との関係も意味深いものがあります。
さらに・・もっとも興味深いのは、蘇民将来の起源です。
備後国風土記逸文に疫隈國社・・疫隈(えのくま)の里とは、どこか?・・ということです。
一説には、疫隈國社は、福山市新市町戸手に鎮座されている現在の素盞嗚神社であるとのこと・・以下、素盞嗚神社のブログでの紹介文です。
「祇園信仰」とは、お釈迦様が修業された「祇園精舎」を護る「牛頭天王(ごずてんのう)」と高天原を追われてのち出雲国で「やまたのおろち」を退治された「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」を共に祀る信仰です。
つまり外国(とつくに)の誠に恐ろしく力の強い仏様「牛頭大王」と我が国最強の荒ぶる神様「素盞嗚尊」を一体化し、より強力な神格にして祇園社の主祭神「祇園神」としたのです。この神の絶大なる霊威を以てすれば、いかなる怨霊の祟りをも鎮め、平穏な世を取り戻すことが出来ると考えられたのでした。各地に伝わる様々な伝承や資料からすると祇園信仰発祥の地はここ福山市新市町戸手に鎮座される「疫隈國社(えのくまのくにつやしろ)」現在の素盞嗚神社であると考えられます。
疫隈國社より播磨国明石浦(兵庫)-播磨国廣峯神社(姫路)-北白川東光寺(京都)に至り、祇園感神院(八坂神社)へと伝搬していったことは明らかです・・との由。
その他、諸説として、福山市鞆にある沼名前神社もアピールしています。
武塔天神(牛頭天王)は北海の神で、嫁取りに南海に訪れた・・つまり、北海の出雲の国から、桃源郷を求めて、南海の備後の国へ。
桃島(百島)へ訪れたとも解釈できます。
茅の輪を腰につけると、疫病から免れることができる蘇民将来子孫也の神話です。
「疫病から免れる」ことができる・・「疫隈の里」という意味の解釈もできるのです。
当時、その魔避けの力があると考えられたのは、「桃」しかないのです。
そして、「茅の輪くぐり」の日本発祥の地となるのが、桃島(百島)神話への道標です。
~この百島神話作りに道標という肉付けをしてくださる方がいらっしゃるのならば、大歓迎です。~
光さんが、卑弥呼がいたのは百島(桃島)だ!と、言ってました。
卑弥呼伝説も掘り起こしてください!!
「これからの感動」に関してのメッセージ、読ませて頂きました。
僕が想像した通りの展開と結末でしたから、全然気になさらないでください。
それよりも、キャプテンの今後の展望が大きく開けるようにと願います。
「これからも感動」ですよ!
さて、光さんは、卑弥呼がいたのは、百島だ。・・と語っていたというのは、興味深い百島伝説ですね。
卑弥呼の故郷もしくは墓地が、桃島だという意味なのかな?
僕の、光さんと卑弥呼のイメージをブログに書き残しておきますね。
明日も、朗らかに、強い気持ちで、ファイトですよ。
古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。
はじめまして❗
興味深いコメント、ありがとうございました❗
昨年3月、倉吉、境港から中海、宍道湖、松江、出雲、日御碕神社までドライブしましたが、あの界隈は、とても魅力的でした。
もう一度、行きたいなぁ。
また、いろいろと教えてくださいね。
興味深いです❗
感謝。