百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

Don't worry Be happy !

2024年06月29日 | 百伝。

今日の予定は、百島で草刈りの予定でしたが、雨降りとお世話になった知人のお通夜参列の為、予定変更。

百島でも福井でも「何かしたいならば、畑を好きに使えばいい、自由に使えばいい」と言ってくれるものの、この頃は、だんだんと人の名前が出て来ない、体力低下を自覚する年頃になりました。

80歳前後になっても、お互い口汚く罵り合うバイデン大統領とトランプ前大統領を見倣うのが好いかも知れません。

この頃、ほのぼのとしたのは、天皇皇后両陛下の公式英国訪問のニュース。

昨日の王立キュウ植物園での天皇陛下へのインタビュー、良かったです。

リッチモンドKewキュウ植物園のすぐ近くで暮らしていたせいか、尚更でした。

親ガチャという言葉があります。

タブーという言葉もあります。

何処でどんな親のもとに生まれ育ったかで、随分人生は変わります。

天皇陛下は、我々庶民から考えると恵まれているのかな?

酒豪だとの事、ただ運の良い持ち主かも知れません。

陛下がオックスフォード留学を終えて帰国、その数年後、昭和から平成へ。

当時の昭和天皇へのバッシングは酷いものでした。

外務省から英国に派遣されていた皇后陛下雅子様は、当時の英国メディア報道はご存知のはず。

日本メディアは、皇室と部落問題に関しては、タブー扱い、今は少し緩んできたかな?

今も変わらず、英国メディアは、昭和天皇を戦争犯罪人としての視点で報道しています。

日本では絶対に報道できないであろうものを、英国BBCはドキュメンタリー番組を制作で、「昭和天皇は子供の頃から酒乱の父親大正天皇から酒を飲まされていた」というシーンがありました。

そのような行為は子供の成長期の精神状態は、どんなものか?と、あたかも国民に問いかけられてもね!

ただ英国メディアは、自国の英国王室のスキャンダルには厳しく報道するから信頼があります。

今回の天皇皇后両陛下の英国への公式訪問。

ブライトンからサザンプトン → ソルズベリー → ストーンヘンジ → バース→ オックスフォード → ウィンザー  → ロンドン → ブライトンまで、自転車を漕いで周回したサイクリング旅を思い出させてくれました❗感謝です。

それから、キュウ植物園には今は亡きダイアナ妃がよく来られていたのが懐かしいです。

日本の皇室と英国の王室が末長く仲良く絆が深まる事を祈念します。

今日の日本は、英国から日本初上陸、初来日を記念してビートルズの日だとの事。

子供の頃だから、余りにも記憶は薄いです。

ただ、ビートルズがアメリカへ初上陸、初訪米に宿泊したニューヨークの国連本部に近いホテル・・・名前が出て来ない。

ニューヨークから西海岸のロサンゼルス、サンフランシスコまでのアメリカ大陸横断のバス旅行出発前に、そのホテルに宿泊しました。

若い頃にしか出来なかった「独り旅」、よく頭の中で繰り返し聴いて歌っていたのが、リッチモンド・キュウで教わった古い英国民謡♪Come up smiling 。

そして、♪Don't worry Be happy !


イエスターデイ

2024年06月28日 | 空木宝剣

Yesterday コメディミュージカル映画 (2019年)

リバプールの売れないミュージシャン    ジャックが、交通事故で担ぎ込まれた病院で、目を覚ますと、そこはフランツ カフカ(1883~1924)の世界。

カブトムシ、つまりビートルに変身したコメディドラマ。

散髪代もない、ボサボサ頭の貧しいバンド、ビートルズは、アビイ ロードを渡る事もなく、解散。

1960年代。

世界中の若者を席巻したザ ビートルズは、存在しなかった世界に迷い込んだ主人公ジャック。

交通事故以後のリバプールで、イエスタデイやイエローサブマリン、レッツイツビー、ヘイ ジュードなど歌えば、次々と大ヒット。

まさに、一人ビートルズの人気と名声、それに経済力を手に入れるわけだが、やがて、その為に忙殺される日々が、ジャックの心を蝕み削っていく事に気付かされる。

その気付きの阿弥陀籤を引いた時にあらわれた老夫婦。

その夫婦は、まさにビートルズ世代。

ビートルズのパクリに怯えるジャックに対して、その老夫婦は、「ビートルズのいた青春」を再興させてくれてアリガトウの感謝を述べたのだった。

そして、その老夫婦がジャックに渡した
紙切れに書かれた住所と名前。

ジャックは、海辺の丘にある、その家を訪ねると、ニューヨークで暗殺された筈のジョンレノン(1940~1980)が現れた。年齢は78歳だという。

売れないグループバンドに見切りをつけて船乗りになった、もう一人のジョンレノンは、40歳の生涯ではなく、78歳でも生きていた。

人生は阿弥陀籤。

天運 人運 地運の阿弥陀如来の線引きの中で、努力や決断、諦めや見切り等で、命が運ばれていく運命。

我が戦国時代にも、天下分け目の石田三成(1560~1600)がいた。

秀吉が鷹狩のあと、小坊主 三成のいる寺に寄らなかったら、そしてもし、三成が、最初は冷めたお茶、次に温めの茶、三番目に熱めのお茶と、気のきいた事をしなかったら、三成も寺の住職として、京の三条河原に、40歳で晒される事なく、平和な人生をまっとうしたかも知れない。

イエスタデイ

団塊が高校時代に流行ったビートルズの歌だが、昨日の事のようにフィードバックされたコメディだった。


ティータイム。

2024年06月27日 | 百伝。

天皇皇后両陛下が、今、英国を公式訪問中。

両陛下が留学していたオックスフォード、日本語で表記すると、牛ヶ原の津(牧草地に水が流れる浅瀬)かな?

オックスフォードにテムズ川が流れていたかな?

若き頃の天皇陛下が留学を終えて、帰国する際、「このまま時間が止まって欲しい」と思うぐらい胸中に迫るものがあったと自伝に書いています。

全く共感同感できます。

僕自身、ロンドンに半年間、ブライトンに延べ2年半、計約3年間程、英国暮らしを体験しました。

イングランド、ウェールズ、スコットランドへの旅、例えば、ここでシェイクスピアが生きていた、マルクスが資本論を著した、ディケンズが、ヴァージニア・ウルフが歩いていた、と想像するだけで英国での体験がファンタジーになります。

例えば、散策していた頃のエディンバラの街角のカフェで、当時作家志望の若く貧しかった J ・K  ローリングが夢中で「ハリーポッター」を書いていたんだ、と振り返るだけで英国での思い出生活がファンタジーから現実に変わります。

夢は、夢中という夢の途中だとか❗

波打つような上下する体調ですが、元気が快復しました。

以前、尾道百島へ帰省する度にトランクの中にグローブとボール、それと卓球ラケットを詰め込んでいましたが、今は何処にあるのやら?

今は、草刈り用の長い柄を持つ鎌やら鍬やらの道具をホームセンターで探して買うのが楽しみになりました。

近いうちに草刈りに行けるはず。

昨日は、日本のポンペイと呼ばれる一乗谷朝倉遺跡へ。

暑かったです。

朝倉御膳の昼食を頂きながら会話した事。

英国生活の体験が無いならば、きっと東京生活にしがみついたままの人生だったかも・・・多分、無理して購入したタワーマンションの低層階で暮らして、高層階の住民へのコンプレックスを抱きながら、東京生活を続けていたかも知れません。

それとも、ホームレスになっていたかも知れません。

人生は後悔するもの、そんな人生です。

イングランドという地形は、高い山が無くて牧草地、畑、なだらかな丘がアップダウン、そんな風景が続いています。

鼻の中が真っ黒になるロンドンから郊外へ出ると、その風景が実に美しい❗

ピーターラビット、ワーズワースの故郷湖水地方も思い出します。

お世話になった英国人がよく言っていました。

「この牧草地でのアグリカルチャ・スメル(牛の糞の匂い)こそが、健康の源だ」と言いながら、大きな呼吸をしていました。

ニオイもクサイも、抗体物質なのです。

その方は、王室よりも長い歴史ある没落貴族出身、先祖にはロンドン市長、親戚にはBBCテレビに出演していた評論家、いろいろ学べた出会いでした。

驚いたのは、世界中から届いた切手収集帖があって、江戸時代幕末に徳川幕府が発行した切手を見つけた事。

最近、やっとその方の祖父が書いた小説(エジプト滞在記)を、じっくり読んでいます。

帰国後、東京生活脱出、地方生活へ戻れた要因は、すべて英国での出会いでした❗

ビートルズのCome togetherはよく分からないままの Let it be です。

人生の善き出会いに感謝です。

さて余談ですが、百島中学校は、「もも中」です。

テレビを観ていると、福岡市の百道(ももち)中学校は、地元では「もっ中」と呼ぶらしい、あの界隈を散策した事があります。

サザエさん家族のオブジェがいっぱい並んでいました。

海が見える、山が見える、丘に上がる、当たり前の日常ではなくて、日本の宝、有り難く特別な日常風景なのです。

夕方、同級生と電話で会話。

ラジオを聴きながら草刈りを楽しみ、その後は、好きな音楽を聴きながら百島でのティータイムを楽しみにします。

よい香りも想いも物質なのです。


黙祷

2024年06月24日 | 空木宝剣

沖縄全戦没者慰霊の日

悼霊花  摩文仁の丘の    誓いかな

1945年6月23日(土)。

戦死者24万人余。

沖縄県民の4人に1人が亡くなったという玉砕戦終焉の日。

あれから、79年の歳月を経て、現在2024年6月23日(日)。

21世紀となり、24年間。

四半期近くというに世界の戦火は、未だ絶えない。

我が日本は、戦争を知る世代と、戦争を知らない世代との端境期。

知らない世代が、いつか来た道に迷い込まぬ為にも、戦争はバーチャルやゲームに閉じ込めて、平和修身教育を世界に伝播。

国家間の争いは、スポーツに参加する事による外交解決❗

オリンピック精神をもっと徹底し、アンチ平和指導者不在の、国際関係を構築すれば、この地球から戦場が消え失せてゆくかも知れない。

6月23日はオリンピックデーでもある。

黙祷


令和の神祇信仰。

2024年06月24日 | 百伝。

昨晩の大河ドラマ「光る君へ」主人公の紫式部は越前から都に戻りました。

番組終了後、今回は「越前和紙」を紹介していました。

NHK の広報宣伝というよりも、福井県の観光戦略の物足りなさに少々がっかりです。

広域観光地域として、お隣りの金沢の石川県、高山の岐阜県の観光戦略を学んだ方がよいかもしれません。

越前和紙は、遠く飛鳥時代を起源として、東大寺所蔵、平安期には勿論、江戸時代には日本一と称され、日本初の福井藩札、明治維新後には日本初のスカシ入りの官札紙幣、ヴェルサイユ条約の契約書、ピカソ、横山大観、東山魁夷が採用等々、とりわけ越前北の庄をルーツとする平山郁夫画伯(尾道瀬戸田出身)は越前和紙を深く愛好されていたとの事。

・・これぐらいは言わないとね❗

因みに、道長、紫式部と同時代に生きた陰陽師安倍晴明、その陰陽道を継承したのが天社土御門神道、本部は福井県おおい町名田庄にあります。

晴明紋はユダヤの星形に似て、お寺の卍はナチスの鍵十字に似て不思議不可解。

更に言えば、紫式部の父親である藤原為時の師は、菅原道真の孫でした。

学問の神様、天神様と祀られる菅原道真公。

若き官職の頃、海外からの渡航人を管轄していた松原客館のあった敦賀に出向き、敦賀が近ければ、ここに家を買い、暮らしたいと思うほどであったと書き残しているとの事。

敦賀をこよなく愛した菅原道真は、天神様になりました。

余談ですが、天社と呼んでいる船会社があります。

百島の対岸にある常石造船、べラビスタ尾道、即ち神原汽船グループです。

天と神が付いた呼称を選んだのでしょう。

天神信仰、学問の神様菅原道真公を祀った神社、天満宮は、日本全国に1万2000社ほどあるとか、凄い❗

菅原道真公、太宰府に流される際、尾道にも因島にも、百島にも立ち寄ったと言い伝えがあります。

明日は天神様のお誕生日。

丑年の六月二十五日生まれの菅原道真公、百島の天満宮を新たに福田桟橋近くに創建したのは、シルバーオックス創業家丑年生まれの西崎保三氏。

若き日、越前国敦賀に移住しておれば、菅原道真公の人生も越前国も日本の歴史も大きく変わっていたかもしれません。

源氏物語は存在していなかったかも知れません。


夏至 養生訓。

2024年06月21日 | 百伝。

「今日は、何月何日ですか?」

「ここは、どこですか?」

毎朝、この二つの質問が繰り返される高齢者施設での光景です。

認知症の場合、「今」という時間と場所の概念を認知出来なくなるのです。

だから、認知症の方と未来の事を語る事ができません。

過去→今→未来、この時間軸を理解出来る動物は、地球上では人間だけとか?

未来があるからこそ、人間は希望、絶望という概念を持つようです。

多くの動物は、「今だけ」という概念で命を維持をしているとか?

発声が音楽を生み、音楽から言語が生まれたという説があります。

随分昔、植物にクラシックを聴かせると成長が早くなって、ロックを聴かせると枯れたという話を聞いた覚えがあります。

多分、短調でシャウトしていたのではないかな?

人間には聞こえないけど、植物も自然界の叫び声を出しているのは事実でしょう。

草刈りをするのを躊躇しますか?

先日、テレビを観ているとアフリカの奥地に20万年前、30万年昔同様に現在も狩猟する一族がいて、何をするにも歌いながら、ラップを刻むように手を打ち、リズムを取っていました。

音楽でのコミュニケーションの方が容易で、言語へと進化したのかもしれません。

話を戻すと、認知症の方への音楽療法は大変効果があります。

その方の人生最高潮時に聴いた音楽がよいかもしれません。

ロックを聴いて枯れた植物は、全く知らない初めて聴くリズム調に狂わされたのかもしれません。

百歳になるYさん、毎日朝から晩まで吉田拓郎を聴いて、認知症も無く元気そのものです。

百歳まで生きる人は、皆さんよく足を揉んでいます。確かに❗←(これは、300年前の貝原益軒が著した養生訓に書かれています。)

人間、高齢者になると大事なコミュニケーションは、友人知人との関係性ではなく、きょういく、きょうようが大事です。

今日行く場所がある。

今日用事がある。

さらに大切大事なのは、今日何回会話をしたという、「会話数」が大事になります。

さて、「お手伝い旅」に参加している知人から、「どうですか?」と誘われました。

全国各地の観光地の宿泊先で「短期間お手伝い」しながら旅するというアルバイトのような旅行企画です。

九州か、北海道か、面白いかな? 

楽しいかな?

行くとなると、痩せないとね❗


東京の希望は地方の絶望。

2024年06月20日 | 百伝。

今日は、東京都知事選挙の告知。

有力候補者の公約、約束を言うニュースが、日本全国隅々まで流れてきます。

「東京は、もっともっと輝ける未来、希望がある❗」

そんな候補者の明るい声に、地方の若者は、東京で暮らしたいと思う。

テレビ画面からは、「東京が令和ならば、地方は江戸時代です」と嘆いていた地方在住の若い女性。

誰か、東京一極集中打破の為、「東京の未来は絶望だらけです」という候補者はいないのかな?

「東京の高層ビルは、未来の墓石だ」と言える、政治家はいないのかな?

岸田内閣発足当時、異次元の少子化対策を行うと公約しました。

去年、日本国で生まれた命は約75万人、亡くなった命は約150万人。

去年一年間で福井県規模の総人口が消滅しました。

4年後には広島県規模の総人口が消滅、10年後には東京都の総人口が消滅する人口減少化の加速スピードが始まっているのです。

少子化、多死化社会の現在の日本社会。

異次元の少子化対策とは、如何に?

子育てしやすい社会?

想像出来ないのかな?

最近、若い夫婦からの悩み事相談。

子供が産まれても生活が苦しいので、偽装離婚をしようかと意図して考えているとの事。

シングルマザーの方が、今は何かと手厚く福祉が充実しているとの事。

東京で、イイ大学出て、イイ企業に就職して、結婚して家庭を持つ、それはそれでヨシです。

その前提で生活可能を探る政策以前の現実問題、地方の殆どの若者は、日本社会の経済格差に不満を持っているという調査報告があります。

人もカネもモノも集まる一極集中、人口過多の首都東京の出生率が全国最低の0.99というのは、極めて異常です。

結婚出来ない低所得者の若者が多いこと、非正規労働者の割合を限り無く減らさないと、未婚率は増え続けて、即ち、出生率は下がる一方です。

経済優先社会が、格差社会を拡大させる。

政治の貧困です。

グロバーリズムへの反発が、ナショナリズムを優先とする世界の動向。

さて、話は変わります。

首都圏に暮らす同級生が、来年から故郷百島に戻り暮らすとの知らせがありました。

「東京暮らし」よりも、「百島暮らし」の方が豊かであると照明(証明)しないとね❗

「お金に賞味期限を、お金に使用期限を❗」と、AI に語り続ける日々です。


爺の日

2024年06月17日 | 空木宝剣

  父の日に  四百年の  時を食う

創業 天和元年(1681年)とは、あの元禄時代(1688~1704)より前から、現在まで、443年の老舗。

鎖国の中、唯一の入り口、長崎出島にオランダ人が伝えたカスチリアの菓子カステーラ。

団塊世代、全員高齢者から後期高齢者へと跨ぐ時折、父の日より寧ろ、爺の日を実感。

久方ぶりに、時の味を頬張る、有り難きかな。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                


父の日。

2024年06月16日 | 百伝。

テレビ東京の「家について行ってもイイですか?」をよく観ています。

通常、突然の自宅訪問を受け入れるのは流石に遠慮したいものですが、テレビ画面に映る自宅訪問を受け入れる皆さんは、きっと何か自分の生き方、生き様を世に知らしめたい、アピールしたいのかも知れません。

東京タワーが部屋から見える港区のタワーマンション、そこに暮らす27歳?の若い女性の生き方、人生哲学には感心しました。

兵庫県の片田舎から上京して美容師として働いているとの事。

家賃が30万円だったかな?その東京生活を維持する為のモチベーションが凄かったです。

部屋の中にはゴミ一つ落ちていない、モノを置くにも真っ直ぐにキチンと並べている。

自分の息子よりも若い彼女が話す言葉は重い。

大切な事は、親孝行だとハッキリと言い切ります。

父方の祖父は撃ち殺されて、母方の祖母は自殺。

そんな苦悩を抱える兵庫県の両親に全力で愛情いっぱいに育てられた自分自身には、感謝の気持ちしかないとの事。

まだ20代の若きカリスマ女性美容師。

親孝行をするのが、自分の人生そのものだとの事。

そのぶれない生き方、多くの視聴者、僕自身も涙が出るぐらい感動しました❗

はて、こういう人、身近にいたなぁ?

モノを並べるにも真っ直ぐに、ちょっとでもズレる、曲がっているのが嫌なのか、整理整頓をしていないと気が済まない人。

親孝行が大事だと、子供の頃から大陸やら南方に出稼ぎに働いていた人。

僕の父親でした

今日は、父の日。

息子から、「長生きしろ」と言われました。

そんな事、言われてもなぁ。

あの世に居る「お父ちゃん」、生き方、言葉、染々と次から次へと思い出が浮かんできます。

今日、空を見上げると、不思議なモノが浮かんでいました。


時をかける地球 今日は時の記念日

2024年06月10日 | 空木宝剣

梅雨入りや  土日休みの  無精髭

コンバット ノルマンディーから  八十年
(1944年6月6日米軍上陸)

白黒の ルート66 初夏の頃
(6月1日落合恵子の絵本で、テーマ曲聞く)

小海線  大きな空に  八ヶ岳
(1972年6月1日、新宿午前10時発、あずさ4号に乗って小淵沢、そこから清里、牛首大洞、赤岳、横岳、硫黄岳、茅野まで)

謙信や  御陣乗太鼓に  後退り
(1971年の新日本紀行、御陣乗太鼓の映像をNHK、「時をかけるテレビ」で紹介)

 今朝の「こころの時代」。遠野出身の芥川賞作家、若竹千佐子さん(69歳)曰く、
年齢を重ね、老いる事こそ楽しいとの事。
カッパ伝説も、過去も、死者さえも、蘇らす遠野の世界。

「時をかける少女」は尾道だが、「時をかける老人」の聖地は、遠野かも知れない。

淀川長治さんの「日曜洋画劇場」で夜が更けた遠い時代。

今日は、マットリモンの火星への未来映画、オデッセイを見ながらの、地球一回転かな。


幻の百島蕎麦。

2024年06月02日 | 百伝。

水無月。

幼い頃、瀬戸内海の故郷百島には米作りの水田も麦畑も蕎麦畑もありました。

泊地区の密集地の中には、家の庭に水田を張っている所もありました。

当時の百島には数軒のお好み焼き屋があり、たこ焼きも売っていた時代です。

今日は、甦る蕎麦の思い出話をします。

幼い記憶の中で、祖母が自ら畑で蕎麦を育て蕎麦粉にして蕎麦打ちをして、ふるまっていました。

繋ぎ無しの十割蕎麦、美味である味覚がずっと幼い頃の記憶に残っています。

祖母の世代が亡くなり、絶滅した幻の百島蕎麦です。

以来、瀬戸内海沿岸の蕎麦は中華蕎麦だと思うようになっていました。

その理由の1つは、昭和40年前後、作家の檀一雄さんが「尾道の朱華園の蕎麦が旨い」と雑誌コラムに書いて一躍全国区の人気店へ、このきっかけが後々の尾道ラーメン人気に繋がったのであります。

高校生の頃になると、学食の蕎麦も、駅の立ち食い蕎麦も、中華蕎麦でした。

まだ尾道ラーメンなんて存在しない時代です。

東京で暮らすようになると驚いたのは、蕎麦屋の多さでした。

東京には信州の小諸そばのスタンドチェーン店が沢山あって、昔々、祖母が作ってくれた百島の和(日本)蕎麦の味覚と再会出来た喜びに感動したものです。

それからは、日本蕎麦の王者、チャンピオンは、信州蕎麦だと信じていました。

平成の時代に入って、福井で暮らし始めると、大根をすりおろした独特な「越前おろし蕎麦」と出会いました。

絶妙な感覚、味覚・・美味しいのです❗

何故、日本で知られていないのか? 不思議でした。

福井県内の耳にした、目にする、美味しいという噂の蕎麦屋さんは、殆ど出向いて食しています。

越前蕎麦は、美味しい、美味しい、という口コミで30年、 蕎麦好き皆さんの努力、賜物で、やっと全国流布したのでしょう。

令和の時代に入ると、福井の越前(おろし)蕎麦が、王者の信州蕎麦を抑えて日本一美味しいという評価を得るようになりました。

例えば、蟹の味覚は正直言うと越前蟹も加能蟹も松葉蟹も大差はありません。

地域名というブランド名が異なるだけです。

ところが蕎麦は、地域、お店、蕎麦職人が違えば、味覚は千差万別。

それが、蕎麦の醍醐味かも知れません。

先日、テレビ番組でバナナマンの日村さんが、敦賀駅前の蕎麦屋「すずや」さんで、絶品と紹介していました。

早速、敦賀まで出かけて参りました。

旨い❗

なかなか美味な一日、そばのお話でした。