今日は、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て参りました。
英国のバンド「クィーン」の結成時から1985年のライブエイドまでの時代を、伝説の人物となったボーカリストだったフレディ・マーキュリーの生活を軸に描いていました。
映画最後のシーンは。1985年7月13日のロンドン・ウェンブリースタジアムで行われた20世紀最大のチャリティコンサート、ライブエイド。
約7万人以上の埋め尽くした観客の前でのパフォーマンスのシーンは圧巻、クイーンのファンの一人としては、涙がこぼれてしまいました。
ぼくが、クイーンのファンとなったのは、いつ頃だったかな?
ロンドン郊外のリッチモンドにボランティアとして生活していた時期がありました。
リッチモンドには、世界最大級のKEWキュウ王立植物園やらローリンストーンズのミック・ジャガーの邸宅があったり、ボランティア先の高級老人施設の厨房で働いていたスージーという女性が、あの1985年のライブエンドの観客としてウェンブリースタジアム内に参加していたというエピソード自慢話やら、夕方、近所からパートで来ていた気のいい仲良しだった学生が、父親が東京公演でコンサートで行った事もあるとか言うので、ロックバンドの名前を訊いてみると、なんと「ディープパープル」の流れを汲む「ホワイトスネイク」のメンバーだったとのこと。
レッド・ツェッペリンのボーカリスト、ロバート・プラントもよく話題に上がりました。
映画を観ながら・・・そんな思い出が甦ってきました。
映画の中も、現実世界でも、エンタテインメントの世界は、人間関係も金銭関係もドロドロ。
フレディ・マーキュリー(本名:ファルーク・バルサラ)は、ペルシャ系インド人、両性愛者でした。
それでも、彼は、公言はしていません。
英国社会での移民への偏見や人種差別を若い頃から受けていたのでしょう。
1991年、エイズ感染で亡くなる45歳という人生。
成功への頂点に登りつくまで「半端ではない成り上がり者」でした。
1980年代当時、英国社会では、既にLGBTの一部は、市民権を得ていたような気がします。
ロンドンから引っ越して、僕が次に暮らしたドーバー海峡沿いにあるブライトンという街がそうでした。
・・・同性愛が、いっぱい。
この「ボヘミアン・ラプソディ」という映画・・・フレディ・マーキュリーを通して、家族という存在、自身の孤独と不安。
善き想い、善き言葉、善き行いをして、善き人生を歩む。
彼が、ゾロアスター教の家族の伝統として火葬されたというエピソードは、意外でした。
因みに、ゾロアスター教徒は、ムスリム派に追われてインドへ移住した民族です。
彼が歌いあげる数々の名曲、その圧倒的な存在感は、今でも魅了されてしまうのは、何故?
今、クィーンの曲が頭の中を巡っています。
英国史上初の同一曲、2度の1位を獲得した「ボヘミアン・ラプソディ」。
人を殺してしまったボヘミアン少年。
人生は、始まったばかりなのに。
ママ!と叫んでしまう。
・・・悲しい歌詞。
進め、進め、進め、行くしかない。
伝説のチャンピオンは・・・いいね。
”We Are The Champions!
お米のチャンピオンは、コシヒカリです。
新米が、美味しい時季です。
感慨深い一日でした。