ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

消費税10%前日。

2019年09月30日 | 千伝。

明日から10月。

消費税も、明日から10%アップです。

昭和の時代には、消費税は無かったのにね❗

政府の正式なコメント。

「日本はキャッシュレス社会を目指す」とのこと。

この30年間で、時代は変わるものです。

ポケベルは今日で終焉、スマホが全盛期。

スマホ決済も勢いを増すばかりです。

今日は、お店も混んでいました❗

ポイント還元セールも始まるとか?

ペイペイも、ラインペイも、どうもね⁉

バイクで走っていた方が、安心、満足度が高いです。

さて、最近、気になった番組。

先日のNHK テレビの72時間。

ロケ舞台は、10年に一度、阿蘇の草千里に集う全国からの日本中のバイク愛好者たち。

60歳過ぎても、バイクは楽しいです。

番組で、同じく持病である大動脈解離を患ったライダー、バイカー?がいました。

乗る理由、解ります。

それから、59歳の女性ライダーは、50歳の時、大型自動二輪免許を取り、夫と一緒にツーリングしていたとのこと。

夫を亡くして、今もバイクに乗る理由は凄いとしか言い様がないけど、どこかで聞いたような言葉訛り。

ナント、福山ナンバーのバイクでした❗

さて、今日は暑かった❗

奥越の大野まで、バイクに乗って、名水を飲みに行きました。

このバイクは、ビッグ・スクーターと言われるタイプで、60歳過ぎた高齢者にとっては、足、膝を伸ばしたままで、運転出来るので、とても楽です。

スクーターは、高齢者向け、優しいです。

大野の街中、七間通りに入ると、案外多くの観光客の方が歩いていました。

盛り上がる最近の話題は、やはり、ラグビー・ワールドカップ戦。

アイルランド戦の日本の勝利、あの歓喜の異様な日本メディア報道ぶりは、何だろう⁉

ノーサイドという言葉は、日本が生み出したのにね❗

矛盾しているのでは?

個人的に気になるチームは、スコットランド、日本、そして、ウェールズです。

大野の名水で、乾杯です。

 

 


竹取物語。

2019年09月27日 | 空木宝剣

かぐや姫 ジャンヌダルクや グレタかな

地球温暖化阻止の旗手、スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリ 16才。

国連の「気候行動サミット」で講演。

「あなた達は、からっぽな言葉で、私の夢と子供時代を奪い去った」とアジった。

なにやら、時間泥棒とモモを彷彿させたり、ジャンヌダルクの再来かと思わせたりする。

最年少で、ノーベル平和賞のマララ・ユスフザイ17歳しかり。

ドラクロア(1798〜1863)「民衆を導く自由の女神」の絵にある100万ボルトの瞳を持った天使は、危急存亡の時、地上に降り立つ。

中世、百年戦争の時代。

シャルル7世(1403〜1461)の頃。

愛国少女ジャンヌダルク(1412〜1431)は、イギリスからフランスを救うが、のちに宗教裁判で魔女とされ、19才で焚刑に処せられる。

本朝では、室町時代。

嘉吉の乱の、赤松満祐(1381〜1441)の頃の事である。

日本にも、平安時代既に、スウェーデンのイケアのパイン材に負けない、竹から生まれた、かぐや姫があったが、月に帰ってしまった。

確かに、このところの台風や洪水等の頻度。

何十年に一度の大災害が毎年のようにやって来る。

小松左京(1931〜2011)の「日本沈没」も絵空事ではなくなりつつある。

地球も月のように、人の住めない星にならぬよう、かぐや姫の難題を解き明かす時が、今に来たのかも知れない。


日日草。

2019年09月26日 | 千伝。

朝顔の花が、咲いた。

隣の日日草の花も咲いています。

この日日草の花言葉、好い事尽くしです。

「楽しい思い出」「生涯の友情」「優しい追憶」。

ところで、昨日の国連の温暖化対策サミットでのスウェーデンの16歳の高校生、グレタ・トゥーンベリさんが、各国政府代表を前にして話したスピーチ。

「私はここにいるべきではありません。学校に居るべきなのです。あなたたちは、私の夢を、子ども時代を、空虚な言葉で奪ったのです」

「世界は絶滅に向かっているのに、あなた方が話すことは、お金の話か、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかりです。そんなことを好くも言えるものです

「将来の若い世代の目は、あなた方を見ています。もしも我々を失望させる事を選べば、絶対に許しません」

・・・強烈なメッセージです。

16歳の少女グレタさんは、自身をアスペルガー症候群と強迫性障害と公表しています。

個人的には、グレタさんの意見、考えを、否定したくありません。

去年の台風災害、西日本豪雨災害、今年の台風15号による千葉県の被災、停電のニュースに接するたびに、他人事ではないということです。

電気、水の確保を用意、備えて置かないと、自分の生活を守れないと、誰もが考え始めたのでは?

令和の時代になって、この頃、やたらに、人生百年と言われています。

一番裕福な人生は、個人的に使える時間がたっぷりあって、仕事にワクワクできる人生だと思います。

ただ、そういう人間は、この現代社会では、ほんのごく僅かです。

そうなると、「仕事をして稼ぐ時間(人生)」と「自分を楽しむ時間(人生)」に分けて考えた方がよいかもしれません。

今、日本中で人気沸騰、沸いているラグビー・ワールドカップ戦。

家内の知り合いの日本在住のアイルランド人は、日本で行うアイルランドの全試合を応援観戦に行くようです。

先日のスコットランド戦も、横浜の競技場から生の写メールを送ってくれたとのこと。

・・・楽しそうです。

スコットランドひいきの僕としては、敗れたとはいえ、あとの試合に踏ん張って欲しいものです。

・・・人生を楽しむという世界各国のランキングでは、日本は、何位ぐらいなのでしょうか?

ほんとうに、ラグビーというスポーツは、攻めているようで逃げて、逃げているようで攻めて進む、味方のようで敵で、敵のようで味方のような不思議なスポーツです。

バイクでのツーリング中に雨が降って来た時、このバイク、屋根付きのバイクに化けないかなという感覚に似たターンオーバーです。

日日草の花言葉は、「楽しい思い出」。

人間、半年先も、明日さえも、人生どうなるものか分かりませんが、人生百年と言われると、この先「まだまだ、これから」と思うしかありません。

でも、現実問題、残りの余生の人生設計をして謳歌することは、年齢的にも、体力も、能力的にも、ピークアウトです。

ラグビーの試合に例えると・・・。

健康を守る(防御)、健康増進(攻撃)の比率が、年齢で決まるような気がします。

還暦過ぎてからは、防御6 対 攻撃4 ぐらいかなぁ?

よく言われるのは、百歳の方は、健康防御が、はるかに健康増進よりも大事になるという事です。

・・・ゴールです。

20代の頃はモノを書いたり、編集、取材仕事をして、30代40代の頃は外資系の企業で貿易業務を憶えて、50代からは介護の仕事に入り、そろそろ、ノーサイドの笛が鳴る60代半ばに近づいてきました。

この歳になると、個人的には、とても魅力的に映る職業は、「船乗り・・子供から馴染んでいるから」、「農業・・作物が全部いのちで創造的」、そして、「家の仕事・・庭師、左官・大工・水廻り・電気配線」です。

これからの若い世代の方に伝えたいのは、日本社会の終身雇用は終焉しています。

転職、転職は、天職への道標、マイペース、マイウェイで、ライフワークを探し求めることです。

団塊の世代のあとに生まれた我々の世代は、若い頃は、無責任、無気力、無関心という三無主義の若者と呼ばれたものです。

 それでも、昔から、ダメモト精神というのがありました。

社会に出ると、幸運、根気、大事なのは、鈍感になれという運鈍根という言葉も教わりました。

しかし、確実に、「死」というものに向き合わなければならない老々介護、老人問題に対して「鈍感」にはなれません。

ビジネス社会、仕事の世界では、経営統合、合併、経済のグローバル化、そのための人員削減、非正規雇用問題、政治家も、経営者も、居直る社員の「保身の厭らしさ」が目につくというか? 鼻につくというか?

「世界は絶滅に向かっているのに、あなた方が話すことは、お金の話か、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかりです。そんなことを好くも言えるものです

世界から注目を浴びる・・・16歳のグレタさんの言う通りかもしれません。

どういう生き方をするのかは、あなた次第です。

ラグビーの試合が終わって、ノーサイドの笛が鳴り、レフェリーの不公平さ、相手チームの反則等々、あれこれ不満を言っても、どうしようもありません。

勝敗が覆るわけでもないし、負けたということも、結果オーライにしないとね。

勝者、敗者という区別は、無意味です。

さて、健康を極める達人にもなりたいという想いやら、やはり、お世話になり、好意、親切を寄せてくれた方々には、喜んで役立つこと、手助けになれる立場でありたいと考えます。

歳をいくつ重ねても、人生の選択肢は、いくらでもあります。

日々、草という名の花も、あります。

日日草です。 


中之島ブルース。

2019年09月21日 | 空木宝剣

その秋を またで散りゆく もみじかな

(栄之助 辞世の句)

稀代の相場師、岩本栄之助(1877~1916)は、明治から大正の初めにかけ、大阪は中之島に私財百万円を投じ、中央公会堂 の着工の途に就いた。



地上三階、地下一階、石材とレンガを併用した彩色鮮やかなルネサンス様式の中央公会堂は、辰野金吾や片岡安の手により大正7年(1918年)11月に完成した。

 

しかし、岩本栄之助は、その完成を待たずして、大正5年(1916年)10月22日にピストル自殺を遂げる。

1907年、日露戦争後のバブルの崩壊を予想して、空売りで暴利を得た栄之助は、売りの名手と称された。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、「戦争は買い」を合図に、日露戦争と同様の手口で、相場を張ったが、そのトレンドに逆の目が出る。

暴落の後の上げ相場に対し、弱気筋に徹した栄之助は、売れども売れども暴騰する青空天井に、踏みあげてしまった。

「もうはまだなり」をやってしまった事による喪失感が、栄之助を死に追いつめたに違いない。

享年39歳。
(実録 ・北浜の相場師、中村光行著)参照。

岩本栄之助の20年後に生まれた是川銀蔵(1897〜1992)は、最後の相場師と呼ばれ、様々な仕手戦のドラマを演じて、95歳の生涯。

(大阪図書館)

(淀屋橋の向こう岸に、かき広が見える。広島の太田川にも、かき舟あり。)

広島は能美島出身、誠備グループの加藤あきら(1941〜2016)しかり。

(淀屋橋北詰界隈)

(水晶橋からの眺め)

彼ら相場師のなき令和の時代、相場はドラマではなく、ゲームに変貌を遂げたように思える。


知多半島。

2019年09月19日 | 千伝。

ミツカンのミュージアムのトイレが立派で、流す水の色も黄白色なので酢を使っているとコメントすると、井戸水だと担当者からの返答あり。

江戸時代には、ミツカンの創業者は、江戸へ半田の港から舟を使っての酢を輸送したとのこと。

それが大当りして、明治、大正時代には、地元半田には、民間単独事業として、公共水道を敷設、それぐらいの豪商になっていました。

その一方で、僅か29歳の短い生涯を終えた童話作家新美南吉。

遺書には、まもなく死ぬ。誰に借金が○○。誰々に借金が○○。

私が死んだあとに、これらの借金返済を頼む。

と、素直に純真のまま書いてあるとか?

・・・ホントウかな?

あの小さな町、半田は、今では童話の里として地域起こしを行っています。

その反面、酢から食材改革を試みるミツカンは、未来企業にも映りました。

キツネが好きないなり寿司、多分、キツネは油揚げよりも酢が好きなのかも知れません。

非核宣言・平和都市を掲げる半田市、隣の常滑市を含めて、知多半島はユニークです。

帰るルートは伊勢湾岸高速道へ。

巨大な橋を何本か渡ります。

途中に見えたジェットコースターの光景。

目まぐるしく変わる風景は、多分、好奇心に満ちた地域性を生むのかも知れません。

新名神道で竜王の三井アウトレットまで。

買い物の支払いは、未だに現金払いです。

今、日本はキャッシュレス時代に。

line ペイか、ペイペイが、メルカリペイか、申し込むつもり、悩みます。

何で、郵便局やクレジットカード企業は進化しないのかな?

日本で初めて海外で使える国際クレジットカードを発行したのは、郵便局の日本郵政だったはず。

郵便局が、いち早くキャッシュレスを推奨すれば、日本全国隅々まで、老若男女に素早く浸透化していたはず。

郵ペイ、ユウペイ、You Pay になるはずだったのにね。

日本の銀行は、斜陽企業かもしれないというのは事実です。

損得を考えるから、キャッシュレス時代に乗り遅れないように先手を打とうとする小賢しいのが、人間です。

良心的に面白く仕事をしていれば、いいと思う。

笑えるのは、好奇心があるからね。

財を残すのも、借金を残すのも、逃げない人間です。

弱肉強食の世界に生きる動物は、生きるために逃げるのは、当たり前。

攻めているようで、逃げて逃げて勝つようなスポーツがあります。

ボールは、後ろに投げる。

緑色のアイルランド、紺色のスコットランド。

敵だけど味方のようで、味方だけど敵のような、その一戦一戦が楽しみです。

ラグビーワールドカップ戦。

明日が楽しみになる生き方、それが大事。

なるべく、よい思い出を作る生き方をする。

愛知、知多半島にて。


デンデンムシノカナシミの碑と山桃の木。

2019年09月17日 | 百伝。

子供の頃に受けた怖い出来事、嫌な事、ショッキングな事、そんな心の傷は、大人になっても、忘れる事は難しいものです。

それを、トラウマというのかなぁ?

ぼくは、父親が貨物船の船乗りをしていた関係で、幼い頃から日本のあちらこちらの港町に連れて行って貰ったものです。

幼い頃は、一年の何か月は、船上生活者の子供だったかもしれません。

でも、幼い頃は、行く先々で、よく大人から「かわいいね」「目が澄んでいるね」と優しい言葉をかけられたものです。

だから、大人という存在は、善であり、100%頼れる、頼もしい未来へ続く世界そのものでした。

そんな幼い頃のある日のことでした。

幼稚園の頃だったかなぁ・・・愛知県の知多半島にある港に父の貨物船が停泊していて、母親の連れられて、愛知県の半田まで行った時のこと。

名古屋から半田まで、国鉄か、名鉄か、電車に乗って行きました。

はっきり憶えているのは、席がボックスタイプでがなくて、都会の電車のように向き合う長い椅子タイプでした。

途中の駅から、若い男が乗り込んで、ぼくの真ん前に坐りました。

歌手の橋幸夫さんに似た狐顔の若い男でした。(橋さん・・失礼!)

当時から、「ボク、可愛いね。」と言われ続けていたぼくは、それが当たり前のことだと思っていました。

しかし、その狐顔の若い男は、きっと笑顔で笑ってくれるかなと思っていると、ニコッともしません。

ぼくと目が合いました・・・狐顔の若い男は、ぼくをずっと睨みつけます。

幼いぼくの経験上、目を離すのは、大人からでした。

ぼくが愛くるしい目つきで見つめても、その狐男は視線を外さす、睨みつけるような表情で、ぼくを威嚇凝視しています。

幼い心は、この異常事態に混乱して、根負けして、下を向いてしまいました。

ちょっこと、目を上げて、その狐男を見ると、勝ち誇ったように顔を窓の外に向けていました。

そういえば、作家の安岡章太郎先生だったかな?

生前のコラムで「新幹線の中で小さな子がはしゃいでいる時には、私は恐ろしい形相で、その子が泣きそうになるぐらいに睨んでやるんだ。勿論、その子の親が見ていない時だよ」と書いていた。

でも、あの時のぼくは、はしゃいでいなかった・・・静かに座っていたはず。

「大人のくせに、大人気(おとなげ)のない大人」という大人への不信感、疑問、不安というものを初めて味わされたのが、幼い日、半田へ行った日の事でした。

キツネ男め!

あれから、60年近い歳月が流れました。

その後、半田という地域は、無意識に遠ざかって、詳しいことはよく分かりません。

昨日、その愛知県半田市まで出かけて参りました。

新美南吉の故郷でもあります。

というのは、上皇后美智子さまが「自身の心の支えとなった」という・・新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」の童話を絶賛して以来、ぼくも新美南吉の作品を読むようになりました。

新美南吉の作品には「狐(きつね)」の話が、よく登場します。

教科書にも登場する名童話「ごんきつね」「手袋を買いに」。

その舞台となっているのが、ナント!・・・半田だったのです。

新美南吉記念館、生家、南吉が見たであろう風景、河原・・・歩いてみました。

・・いい時間を過すことができました。

もうひとつ、驚いたこと。

ぼくは、50代過ぎて二度大病を患い、そのあと、減塩、内臓脂肪の減少、高血圧低下、血糖値も下げる健康食療法として、「酢」に関して興味を持つようになりました。

「酢」と言えば、ミツカン・・・この企業は、この地で創業、世界規模の販売体制に成長したのに、本社機能は半田市にあります。

「お酢のはなし」という物語風に仕立てた非常に立派なミツカン・ミュージアムがありました。

コンテンツが、素晴らしい、驚きました!

それぞれの酢の香りをかぐこともできました。

ミツカンの未来ビジョン宣言も素晴らしい。

「食べる」のぜんぶを、あたらしく。食べることは、自然が育む生命をいただくこと。しかし、これまでの食文化は、自然に大きな負荷をかけ続けてきました。地球の未来を考えながら、「食べる」をもう一度、見つめ直していく。そんな想いから、ZENB initiativeは生まれました。人々の食に対する意識は、大きく変わろうとしています。人や環境への負荷が少ない、新しい食生活へ。「おいしい」と「カラダにいい」、どちらも叶えることのできる毎日へ。かけがえのないこの星を、未来へリレーするために。一歩ずつ、私たちは前へ進みます。(やがて、いのちに変わるもの)

半田・・・いいかも。

半田という地で、酒粕から酢が出来上がった時代、新美南吉が生きていた時代。

未来の社会が電気で成り立つ生活社会になること、インターネットやらキャッシュレスの時代になるとは、誰も考えなかっただろうなぁ。

ランプの時代が終わり、電気の時代へ。

「ランプ、ランプ、なつかしいランプ。やがて、巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つひろった。そして、いちばん大きくともっているランプにねらいをさだめて、力一杯投げた。パリーンと音がして、大きい火が消えた。」・・・「おじいさんのランプ(新美南吉作)」より抜粋。

それは、明るい社会になったということかなぁ?

狐や狸に騙された社会ではないと考えたいものです。

本日の終わりに、1998年、インドのニューデリーで行われた国際児童図書評議会において、上皇后美智子さまの基調講演抜粋。

そして、「デンデンムシノカナシミ」の原稿と全文を掲載します。

【基調講演抜粋 橋をかけるー子供時代の思い出ー】

 まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。

不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。

そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。

友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。
小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも返ってくる答えは同じでした。

そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。
自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。
この話は、このでんでん虫がもう嘆くのをやめたところで終わっています。

あの頃、私は幾つくらいだったのでしょう。
母や、母の父である祖父、叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは、私が小学校の二年くらいまででしたから、四歳から七歳くらまでの間であったと思います。

その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。
最後になげくのをやめた、と知った時、簡単に「ああよかった」と思いました。
それだけのことで、特にこの事につき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

しかし、この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に蘇って来ました。
殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。

少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。
生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安を感じることもありました。
それでも、私はこの話が決して嫌いではありませんでした。

(上皇后美智子さまの皇室での重圧感と、国民に対するその想い、大きな責任感の強さを感じます。)

新美南吉の書いたオリジナル原稿です。

一匹のでんでん虫がありました。

ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。

 でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。

「わたしはもう、生きてはいられません」と、そのでんでん虫はお友達に言いました。 
「何ですか」とお友達のでんでん虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。

すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」

それじゃ仕方ないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」

そこで、はじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。
こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どのお友達も、同じことを言うのでありました。
とうとう、はじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは、誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」

そして、このでんでん虫はもう、嘆(なげ)くのをやめたのであります。

(デンデンムシノカナシミの碑と山桃の木)


月の南吉。

2019年09月13日 | 千伝。

今日は、9月13日の金曜日、十五夜。

今宵は、中秋の名月。

新美南吉の童話を読んでいます。

30歳にも届かなかった新美南吉の短い生涯。

宮沢賢治の世界が銀河の向こうから地球を照らすような童話設定ならば、新美南吉の世界は、月から見える地球の田舎生活に焦点を照らすような童話設定。

お二人ともに、高い視点からの独特の感性を備えているのに、健やかな体丈夫ではなかったのが悲しいというか残念の極みです。

たけくらべ・・・樋口一葉も然り。

満月を眺めながら、あの人・・・どうしているのかな?と思う一日でした。

今日の午前は大きな病院で健康診断。

午後は歯科医で抜糸、歯石も取っていただいて、ブラシで掃除。

歯のブラシ磨きは、気持ちよいものです。

もしも、現在に新美南吉という人物が生きていたならば、どんな物語を残すのかな?

近いうちに、新美南吉の故郷、愛知県半田市まで出かけたくなりました。


二出川延明(1901~1989)

2019年09月12日 | 空木宝剣

夜長月 夢やうつつや かぐや姫

団塊が少年の頃、「俺がルールブックだ」と叫んだ審判がいた。

昨今、野球ではリクエスト、テニスはチャレンジと、際どいプレーの場合、ビデオ判定に頼る事が、常態化している。

野球のルールブックでは、走者の足と送球が同時の場合、セーフとの事。

啐啄同時と思えることさえ、人間が生み出す、第二第三の「目」にさらされると、白黒が判然として、鮮やかなカラーの時代がやってくるかも知れない。

昨今、ドライブレコーダによる、あおり運転の顕在化や、防犯カメラによる犯罪者の顕在化等で、「未だ藪の中、闇の中」だったものが、光の中にさらされる時代が到来しつつある。

前段の「俺がルールブックだ」にしても、団塊は、巨人の川上監督と審判のやり取りと記憶していたが、ウキペディアによれば、1959年7月19日。

毎日大映オリオンズ対西鉄ライオンズの試合に於いて、西鉄の三原監督と、審判団の二出川審判とのやり取りだったと判明し、自らの記憶の曖昧さが露呈された。

おまけに、その二出川さんの娘さんが、女優の高千穂ひづるさんで、その婿さんが、あの月光仮面や隠密剣士秋草新太郎の大瀬康一さんだったとは。

曖昧な判断と曖昧な記憶の連続は、全て竹取物語の藪の中。

大ナポレオン(1769~1821)に侵攻された、ドイツのゲーテ(1749~1832)の「もっと光を」の意味するところが、今に理解出来たような気がする。

 


越前魂。

2019年09月11日 | 千伝。

兵庫県の赤穂、相生、姫路界隈に、確か「若狹」や「福井」という地名の集落があります。

はて?と思いながらも、通過した記憶があります。

昨日、「引っ越し大名」というコメディ映画を観てきました。

越前大野城を皮切りに、7回も国替えを命じられた大名の実話です。

越前松平家という名門でありながら、参勤交代よりも酷な国替えという試練を乗り越えた史実です。

この映画の前半は、姫路城から豊後日田への国替えからスタート、ストーリーもちぐはぐで、この映画、どうなるのかと心配しながら観ていました。

主人公の引きこもりの書文庫係が嫌々ながら引越(国替)奉行に出世。

後半からは、いい映画に成りました❗

姫路から石高を減らされて九州へ、九州から東北へ。

何度も国替えされても、越前の松平という誇りを保った武士、否、人間としての壮大なドラマでした❗

お役御免として、約600人の武士が百姓として、姫路に残されます。

そして、15年という苦難の歳月、膨大な山林を見渡す限りの田畑に開墾。

7度目の国替えの奥州白河で、やっと石高が復活。

約束通り、15年の歳月を経て、姫路で百姓をしていた一門家来を迎えに行き、再び武士として取り立てたという史実です。

そのまま百姓として残る選択したピエール瀧の役者演技もヨカッタ❗

上映中止にならなくてよかった・・・そんな映画です。

越前の誇り、福井県民に観て欲しい映画でもあります。

さすがだと思ったのは、この引越奉行、のちに国家老に成り、国替え本というマニュアル指南書を纏めて売り出して、藩の収入源にしたとか(笑。

日本が誇る壮大な人間ドラマでした。


夜長月。

2019年09月10日 | 千伝。

九月は、夜長月。

そして、一年で一番多く子供の自殺が増える月だとのこと。

今日9月10日から、「自殺防止キャンペーン週間」だとか。

この頃の天気予報、老後の年金に関しても、政府もメディアもよく告知する言葉があります。

「自分の身を、自分の命は、自分で守りましょう」

将来の年金は経済成長率次第、この異常気象は地球温暖化が原因とのこと。

米中貿易摩擦による世界経済の不安要素、そして、日韓の不仲、対立。

どうも、こうも、政治家は、どこを見ようとしているのやら?

最近の孫正義氏の発言「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう 」。

子供の頃、「日本は敗戦国で後進国だ」と思っていました。

世界のほとんどの国は、日本よりも経済的に豊かな国だと思っていました。

それが、ほんの50年程昔、世界第2位のGNP大国になった頃から、日本は優越感とともに先進国としての経済大国の自覚を持つようになったのでは?

そして、当時、たいていの大人たちが言っていました。

「日本は戦争に負けてよかった」と。

現代の混沌とした対立の原因は、数字偏重なのでは?

戦争を知らない子供たちは、偏差値教育という数字に振り回されて、社会に出ると給料、年収、年金という額に踊らされて、歳を重ねて行きます。

サン・テグジュペリの星の王子様は、言っていました。

「大事なものは、目に見えない。」

花が咲くのは、目に見えない土の中で根が張っているからです。

「宇宙から見える地球は、国境もなく、国家間、民族間、宗教間の相違、人間一人一人の相違さえ忘れる」とのこと。

それでも、地球上に張り付いて生きている人間とっては、異文化の交流、異質文化の理解を難儀ととるか、単純に人間として同じものを共有として把握するのか?

古代人が、現代人よりも劣っていたという根拠もないように、どこの外国人が、自国よりも優れているという根拠もありません。

ただ、数字による国別ランク、ポイントがあるだけです。

人間力のランクも同様です。

あの国には頭を下げるが、この国には頭を下げないとか。

お金持ちには頭を下げるが、貧乏人には頭を下げないとか。

弱き者、強き者、社会は、平等ではありません。

不平等、社会差別だらけです。

子供たちの自殺、寝て暮らせる人生。

人生ままならない。

生まれたからには、誰かを愛して、いづれ死ぬ。

あるいは、引きこもり、いづれ死ぬ。

自分に対して、いじめを行う相手、失礼な相手、大切に扱わない相手に、君は怒り、刃向かえるか?

相手を怖れるな。

関わるほど、自尊心が傷つけられる。

怖れると、身も心もボロボロになる。

そういう人間関係の悪循環に陥るな。

君は、相手を殴ることが出来るか? 

人生でもっとも大事なことは、誰と出会うかで、人生は大きく変わります。

若い人たちの自殺は、心が痛みます。

楽しく生きているように、生きていれば、それでいいよ。

人生は束の間。

今日も元気よく、心も晴れ晴れだ。

30億年も40億年も太古の昔から地球を見つめている、地上の月に語りかけたくなる夜長月です。


重陽の節句。

2019年09月10日 | 千伝。

昨日は、9月9日、奇数(陽数)で一番大きな9が重なる重陽の日。

邪気を払い、不老長寿、繁栄を願うとのこと。

最近、首を痛めてしまいました。

施設では、ほぼ毎日行うラジオ体操、首体操、顔面体操、舌体操、タオル体操、発声練習。

高齢者の皆さんの前で、毎日交代で指導担当を行うのですが、先日久しぶりに担当をして、首を回していると寝違えたように痛い!

毎日、リハビリ体操しないとダメですね。

もうひとつ、先日、30数年ぶりに歯を抜いて、心臓病の薬のせいか、なかなか血が止まらない・・・今週やっと抜糸です。

とにかく、老化まっしぐらです。

最近は、気功、ヨガ、指圧のつぼ、ストレッチ方法など、学ぶことが多いです。

人間の寿命とは・・・如何なものか?

そうそう、昨日は、京都アニメの映画「ヴァイオレット・エバァーガーデン 外伝」を観て参りました。

京都アニメの作品は、正直、NHKテレビで日曜日の深夜に放送されていた「ツルネ・・・高校生の弓道部の生徒を描いた」ものしか観たことがありません。

京都アニメの八田社長が福井市出身ということもあり、支援のための鑑賞でした。

独特の世界観のあるアニメ映画でした。

「永遠と自動手記人形」・・・こういう世界観もあるんだ。

お亡くなりになったアニメーターの皆さんのご冥福を祈ります。

合掌。

ところで、昨日は、台風15号が関東を直撃。

ニュースは、首都圏の通勤時の駅周辺の行儀よく並ぶ長~い行列を映し出していました。

地方に暮らしていると、あそこまでして、仕事先、勤務先まで行かないといけない日本人の使命感、真面目さに感心します。

ああいう光景を見ると、「東京は、いいなぁ。」と思うのは変でしょうか?

大好きな家族、身内、大人、先輩がいたからこそ、「故郷」「地元」が大好きになる、誇りになると思うのです。

昨日の首都圏での台風による出勤状況を揶揄した twitter の上位ランクのつぶやき。

ホワイト企業は、「出勤しなくてよい」

ブラック企業は、「出勤せよ」

グレー企業は、「無連絡」

くそ企業は、「自分の判断で出勤せよ」

・・・????

これが、日本の社会風潮の正しさならば、地方は、クソ企業ばかりとなります。

ましてや、命を預かる病院や施設は、何が何でも出勤しないといけません。

給料、その報酬が少なくてもです。

自動手記人形 ヴァイオレット・・・あなたは、どう思う?