百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

虎杖 (いたどり)

2016年04月30日 | 空木宝剣
虎杖や 道草くって 腹減って

腹が減っては戦は出来ぬってんで、人間様はさまざまなものを食うが、人をなめたりくっては気色が悪い。
人は、助け合う中にも競争あり、競争のなかにも助け合いがある。
熊本地震、特定非常災害指定とのこと。
日本のトラディションは、有事には有事の、平時には平事の答えがあり。
何百年に一度あるかないかの有事に平時で答えると「角を矯めて牛を殺す」例となる。
帳面は綺麗にしたが、顧客も綺麗に失ったでは本末転倒。


静夜思

2016年04月28日 | 空木宝剣
為朝の 弓張月と VENUS

牀前月光を見る 疑うらくは是れ地上の霜かと
頭をあげて 弓張月を望み 頭をたれて熊本を思う

李白(701~762)の見た月、為朝(1139~1177)の見た月、ボッティチェリ(1444~1510)の見た月が、
今夜も阿蘇一円を照らしている。


しあわせの鐘。

2016年04月24日 | 空木宝剣
自宅でソファに横になって、ケーブルテレビを観ていると、(ツール・ド・フランスではなくて)ジロ・デ・イタリアの自転車ロードレースを中継していました。

・・どんどんと目が釘付けになりました。



最近は、超小型の電動力器を自転車の中に密かに組み込んで走らせているチームもあるとか?



・・そんな疑惑もありますが、至極面白いです。



もう・・若くもないし体力もありません。

が、もし再びサイクリングをするならば、電動自転車に乗りたいです!

そんな高揚した気分を抑えつつ、久しぶりに原付バイクに乗りました♪

福井県は、郊外に行くと裏道やら農道やら田圃道が、ずっと長く続いています。



ゆっくりと走るだけでも気分爽快になります。



・・楽しかった♪





それで・・久しぶりに、どこへ行ったかというと、越前市にある御誕生寺まで。



・・入口に到着。





お迎えの六体のお地蔵さん・・ユニークです。

ふくふく地蔵。らくらく地蔵。にこにこ地蔵。いきいき地蔵。すくすく地蔵。ほかほか地蔵。

・・と名付けられておられます。

感謝感激。

ここは、最近、猫がたくさんいるということで、つとに有名になり、県外からも多くの観光客も立ち寄るのです。



カメラを手にした大勢の参拝客に・・ちょっと引いてしまいました。

でも、朗らかな時間を過ごすことができました。

ゆっくりと風を感じながら、二時間程のミニバイクのツーリングでしたが、気分爽快でした。



自由に、沢山、撞いて、「しあわせの鐘」を鳴らして帰宅しました。

九州まで届け。

世界の果てまで届け。

感謝合掌。

肥後もっこす。

2016年04月23日 | 空木宝剣
地震にも 雨にもめげず 肥後もっこす

ウィキペディアには、純粋で正義感が強く一度決めたら梃子でも動かない。
曲がったことは好まず、駆け引きは苦手で、プライドが高く、反骨性・自己主張が旺盛である。
・・と「九州の精神風土」に示されているとの事。
国破れて山河在り、日本人気質は生きている。

愉し 哀し 嵐。

2016年04月23日 | 百伝。
今夜は、満月?

嵐のせいではないけど・・見えない。

今年も無事・・京都・東本願寺を出発した蓮如上人御影道中の一行が、今日無事に、福井県吉崎別院に到着したようです。

日中、福井サンドームの近くを通り過ぎました。

異様な渋滞と混雑ぶりでした!

今日と明日は、福井サンドームで集客力抜群の「嵐」のコンサートが開催されているようです。

北陸全域からは勿論ですが、名古屋圏や大阪圏方面からのファンも殺到するようです。



車の行列もそうですが、近郊の駅から長~い行列の多くの女性ファンが歩いていました。

凄いパワーです。

福井で・・皆さん幸せな気分になって、無事に帰宅されますように。

夕方、福井駅周辺を散歩すると、新しいビルのプレオープンの真っ最中でした。

哀しいのは、美味しいそうなお店がオープンしても、塩分やカロリーの高いものは食べてはいけないという担当医からの指示・規制があること。

がまん・・我慢です。





愉しいのは、身内の若い者の結婚式があるので、来月末に尾道市を飛び越して広島市まで帰省すること。

それまでに体調を整えておく・・楽しみです。

ところで、劇団民芸を創設された名優宇野重吉さんの故郷は、福井市郊外の文殊山麓の地区になります。

生前の宇野重吉さんは、福井のモノは何でも「日本一」と言ってたそうです。

宇野さんの故郷にある歌碑?・・です。



「新劇 愉し 哀し」と刻まれています。



心の中に吹く嵐よりも、ハレルヤです。

トラトラトラ。(加藤虎之助清正1562~1611)

2016年04月20日 | 空木宝剣
灯台の 下はくらしの 松露かな

寺田寅彦(1878~1935)の時代は「天災は忘れた頃にやってくる」だった。
が、神戸が20年程前、東日本が5年前となると、平成は、頻度が激しい。
寺田寅彦の没年1935年生まれの片山虎之助氏。
「熊本地震はグッドタイミング」と失言。
「政局の為なら天災も歓迎」と受け止められなくもない。
「口は災いの角、舌は災いの根」って知らねえのかいと言ったのは、「森の石松三十石船」の広沢虎造だった。
「虎が虎の尾を踏んで虎退治」
「お兄いさん、姫の虎退治より加藤清正の虎退治が余程こわいって知ってるかい?」
とフーテンの寅さんが言ったとか言わなかったとか。


百穀春雨。

2016年04月20日 | 百伝。
今日は、穀雨。

この時期、百穀を潤し芽を出させる春雨としての恵みの雨なのでしょう。

でも今日の福井地方は、快晴です。

今朝も歩きました。



朝九時半過ぎなのに、学校にも行かず川沿いの石段に座って、空を見上げていた女子高校生がいました。

「君は、大丈夫か?」と声をかけると、「はい。大丈夫です」と答えていました。

これも・・青春かな?

さて、今朝のトップニュースも、車中で寝泊まりしてエコノミー症候群による熊本地震関連死。

南阿蘇村と益城町の各々の避難所の状況を比較していました。

熊本と姉妹都市提携している福井市民としても、「火の国」の復興をはやく祈るばかりです。

ところで、昨日・・朝日新聞社が「揺れやすい地盤 災害大国 迫る危機」 というデータベースをネット上に載せていました。

下記・・アドレスで皆さんの住所、もしくは気になる地点の住所を入力してみてください。

http://www.asahi.com/special/saigai_jiban/

故郷の百島は、非常に揺れにくい場所でした。

ぼくの暮らす場所は、残念ながら非常に揺れやすい場所だったので、かなりショックでした。

いざという時、水やら食糧を確保できない都市化生活は、苦しい社会の一面なのかもしれません。

避難する場所としては、百島のような場所の方が、豊かに映ります。

やはり、二拠点生活の方が、利点も多く、いいのかな?

サバイバル生活でも身の処し方、その技術を義務教育で教えた方が善いのかもしれません。

それにしても、橋も道路も建物も耐久寿命があり、大地も動いています。

エネルギー源としての原発は・・ほんとうに必要かな?

天を仰いでも、刻々と色が変わります。



生きているという実感は、歩くこと。動くこと。働くこと。

明日は、雨のようです。

Fossa magna & 中央構造線

2016年04月20日 | 空木宝剣
御柱 すわ大地震 神渡り

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の、申年と寅年に催される七年に一度の諏訪大社は御柱祭。
土砂崩れのような傾斜を、巨木に乗って大勢の男らが滑り落ちる。
じゃじゃ馬ならしの如く神木に挑むさまは、まさに命懸けの奇祭。
その昔、フォッサマグナの活動を鎮めるための神事だったか?
地割れを諏訪湖に封じ込め、その姿を厳冬期に現す神渡り。
九州一円を揺るがす熊本地震。
諏訪の大湖に吸われ給えや、清め給え。


口無し瀬戸。

2016年04月18日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今夜のNHKスペシャル「老人漂流社会~しのび寄る老後破産」。

近い未来への・・老後の生きづらさを感じました。

熊本地震関連ニュース・・避難生活を強いられる方々が、熊本・大分両県で老若男女約20万人に膨らんでいるとのこと。

他人事ではなく、地震列島日本国に暮らしている限り、いつ何時誰もが遭遇する運命となるかもしれません。

去年、出席した市の防災会議での「井戸水・湧き水の確認と近所のコミュニケーションが大事」というのが、理解できます。

今回の熊本県の現状・・5年前の東北・太平洋沿岸部の大震災と異なる様相を呈しています。

ミニ都市型の震災・被災地のように映るのです。

首都圏での直下型大震災後の避難民のことを想像すると分かり易いかもしれませんが、復興までに全国からの官民による金銭的厚意、食糧支援活動が続くと思えないのです。

・・国家破産という大変自慢となるものです。

長期間の避難生活が続くならば、他県への広域避難も考えなければ、生活が成り立たなくなるのでは?

活断層・・日本列島の地下深くそこら中に走っているようですが、どうも瀬戸内海・百島界隈には、無いようです。

瀬戸内海には、燧灘(ひうちなだ)という瀬戸内海の中の「太平洋」みたいな海が広がっています。

近くて遠い隣りの島(内海町)・・田島や横島の南側に行けば、燧灘の大きさを見渡せます。

ちょうど中学二年生の秋に修学旅行で行った大分県、熊本県を思い出しています。

西鉄の観光バスで山口県の秋吉台、福岡県の宇佐神社、福沢諭吉の生家跡、別府、九重高原のやまなみハイウェー、由布院で宿泊、翌日、阿蘇山、熊本城、水前寺公園、ブリッジストン発祥地の石橋家の久留米、大宰府、博多のコースだったかな?

修学旅行から百島に帰った数日後、自転車を船に乗せて、田島・横島をサイクリングした中学生の頃の思い出があります。

帰りの船の時刻のため、田島・横島の島内一周は出来なかったですが、燧灘を眺めることができました。

島内一周出来なかったリベンジを果たしたのは、それから約30年後・・内海大橋も出来上がり、今から10数年前のことです。

新車を買って、百島へ帰省した折り、田島・横島を∞(8の字)コースで一周ドライブしました。

燧灘を望む田島、横島の南側には、ほとんど民家もなく、ほぼ誰も住んでいないのです。

しかも、実際、考えていた以上の悪路でした。

当木島方面の横島の西端海岸部分は、常石グループが買い取ったのかな?・・という状態でした。

田島の裏側の道は、百島一周道路の海老呑地区や草木界隈の道よりも狭くて暗くて、ぼくの新車は竹藪の中を走る状態で傷だらけになりました。

これ以上進めるのか不安になって、たまたま一軒家に暮らす年老いた方がいらっしゃたので尋ねました。

多分、独りで暮らしている方だと思うのですが、とても「丁寧な言葉による説明」でした。

それが今でも・・不思議な光景として記憶に残っています。

そのまま進めるということで、阿伏兎観音が見える田島の東側まで出ました。

その阿伏兎瀬戸を「くちなし(口無し)瀬戸」とも言います。

何故、陽当たりのよい南側で暮らさないのかと考えると、燧灘からの潮風も強く、大昔には大津波に遭ったのかもしれません。

例えば、鞆の浦の沖合にある燧灘に浮かぶ走島は、大昔、大津波によって一時、無人島になったようです。

以前、キャプテンが、「百島は、何かに守られているような気がする」と言っていました。

・・同感です。

台風や大嵐が来ると、大昔から、舟は、出口がないような「口無し瀬戸」に避難していたようです。

燧灘からの避難ルート、鞆の浦から「口無し瀬戸」をずっと抜けると、桃源郷のような島が現れます。

それが、百島です。

「口無し瀬戸」・・昨今の日常ニュースから、ふと思い出した記憶の1ページです。

人生「瀬戸際」の真逆となる人生安全航路が「口無し瀬戸」なのかもしれません。

踏ん張り道。

2016年04月15日 | 千伝。
今日は、午後の夕方から歩きました。

横井小楠(熊本藩士)が福井藩政治顧問だったことで、福井市と熊本市は、姉妹都市提携をしています。

福井市は、今回の熊本市の地震被害に伴う支援体制の為、早速、先遣隊を送ったようです。

・・とても善いことです。

今日、歩きながら考えたこと。



こういった地震等の災害の際、施設に勤める職員は、どうあるべき姿が正しいのかな?

例えば、昨夜の熊本地震での被災地には障がい者や高齢者用の中小の施設、中小の病院に勤めている方も多くおられると思うけど、今日は、出勤したのかな?

何故、そんなことを考えるかと言うと、中小施設の勤務人員の不足が、そのまま利用者に影響するわけです。

5年前、3.11の東北大震災・・海辺にあった高齢者施設の職員、利用者の多くが、地震、大津波による死の悲劇に遭いました。

・・勤務時間から考えて、入浴時間だった所もあるでしょう。

利用者を放って置いて、我先に逃げた職員であるならば、生き延びた可能性もあったでしょう。

以前、そういう危機対応を佛教大学社会福祉の通信講義を利用して、先生に訊いたことがあります。

その先生は、しばらく考えて・・とある高名な先生の話を持ち出しました。

「未来のある年齢の若い人を助けなければなりません」

・・深い言葉だと感じました。

今日は、桜の散った郊外の並木道を歩きました。



今日から、来月五月の勤務表作りです。

少しづつ、仕事に復帰しています。

そう言えば、先月も作ったけど・・。

この頃、こんな道をずっとバイクで走りたくなるのです。

・・踏ん張れ!

揺れる。

2016年04月14日 | 千伝。
退院後、ほぼ毎日、最低約2時間、距離にしても最低約10キロぐらいは歩いていました。

歩く事に、そんな苦痛もなく・・逆に、歩くのが、楽しくなりました。

歩きながら考えたことは、今の世の中、若者も中高年も高齢者も、何かの支援が必要なのでは?



・・とある冊子を読みました。

とりわけ、日本の未来を担う若者には、生きてゆけるという強い支援が必要では?

かつての学校教育は、生活を豊かにする保障という学び舎でした。

「引きこもり」や「自殺」のような状況に追い込むかのような学校教育、就職活動って何だろうね?

この日本の現状の「生きづらさ」は、何だろうね?

競争と社会の成り立ちとは、何だろうね?

上を目指す競争?

個性を伸ばす競争?

生き残り競争?

希望社会とは、そもそも若者がまっとうに働いて生きていける地域作り、社会作りでは?

「居場所」と「生活基盤」が必要です。

それがあれば、若者も何とか最低限生きていける希望社会になるのではないかと考えるのです。

そして、人生が楽しくなかったら、この世に生まれてきた意味がありません。

たった一度の人生ですから、仕事もプライベートもです。



はてさて・・今、熊本県で緊急地震速報が続いている。

・・従弟夫婦が暮らしている?

何事もなく・・無事でありますように!!

心も揺れています。

冒険の島。

2016年04月13日 | 百伝。
今朝も歩きました。

今朝、寝起きに見た夢について、その意味を考えながら歩いていました。



昨夜、本屋大賞受賞した「羊と鋼の森」の著者 宮下奈都さんは、福井市在住の方です。

美しいにも善いにも、羊が含まれている物語です。

福井市民として、嬉しいね!

今日は、同じく福井県出身の歌手 五木ひろしさんが、福井県賛歌の待望の新曲「九頭竜川」を発売。

福井県民として、楽しいね!

今年もまた、桜も散り始めました。

来年まで・・また1年。



今朝、見た夢・・なぜか一生懸命にミニバイクを綺麗に掃除していました。

80歳過ぎても、バイクに乗っていたオヤジ。

90歳過ぎても、バイクに乗っていた薮の丘のオッサン。

ひょっとすると、歩く事やバイクに乗ることは、健康維持のひとつかもしれません。

都会でも田舎でも僻地でも・・自分自身で、自分なりの希望の轍を作り出さないとね!

人生は・・どの道どの川、どっちみち森や海での挑戦、冒険です。

今月末に福井県内にオープンする日本最大級の「冒険の森」・・行ってみたいなぁ。

今の百島も・・冒険の島かもしれません。

ヒロシマ百年。

2016年04月10日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今日明日、広島では先進国の外相会議が開催。

オバマ大統領の広島訪問も可能性有りとか・・いいね!

各国首脳が、核兵器廃絶を声高々とアピールして欲しいものです。

そうそう、今日は、あの世界一貧しい大統領と呼ばれたムヒカ氏も、一市民として広島平和公園を訪問していました。

ヒロシマは、どうしても訪問したい地であったとか!

毎月、被団協からタブロイド判の新聞が届きます。

平和運動、反核運動に参加するだけで、幸せになれるならば・・参加するけどね。

・・考えさせられるね。

記事のなかに、原爆ドームの近くに「牡蠣小屋」がある・・と批判めいた記事がありました。

不謹慎になるのかな・・?

個人的には、厳島神社、宮島で食べたものを思い起こすと、焼き牡蠣のイメージが湧いてきます。

ところで、1441年の嘉吉の乱の頃までは(瀬戸内海を村上水軍が制覇する以前)、さまざまな海賊たちが群雄割拠していたとのこと。

その中でも、いちばん名のある海賊は、歌島(現在の向島)にある岡島(尾道駅前桟橋の対岸)を拠点とする海賊一味だったとのこと。

百島の祖となった赤松一党は、このルートを通って逃げ延びたのかもしれません。

その後、百年の間に、村上因島が、徐々に尾道、田島、鞆の浦まで支配下に置くようになりました。

百島村上水軍まで登場、存在するようになりました。

大阪の西淀川区に歌島、加島、百島という地名が残っているのも、歴史上の面白さかもしれません。

さて、今日から百年後、ヒロシマは、世界でどのような立ち位置、存在感になっているのか?

想像したくなるような今日一日でした。