このブログで何度か紹介した福井の食「ボルガライス」。
その福井ボルガライス用のソースを、広島のオタフクソースが全国販売に乗り出すとのこと、いづれは、家庭用にも・・広島と福井のコラボ、嬉しいニュースです。
何となく書いていれば、何となく通じる出来事が起こるようです。
最近、室町時代の事が気になります。
室町時代といえば、足利幕府です。
金閣寺、銀閣寺、茶の湯、生け花、能等々・・現代日本の文化は、ほとんど室町時代に育まれたものです。
尾道が発達した所以も遡ると、室町時代です。
百島が開墾されたのも室町時代、嘉吉の乱以降に桃島に逃げ込んだ赤松一党一族からでした。
因みに初代室町将軍となる足利尊氏が、浄土寺で戦勝祈願をしたうえで船団を連ねて、尾道水道を発ち、当時の呼び名の桃島沖を通過して、鞆の浦へ。
そして、ここ鞆の浦で決意したのが、上洛して、新田義貞を討つこそが、足利尊氏の祈願でした。
それゆえに、鞆の浦は、足利幕府発端の地とも言われます。
最期となる敵の総大将、新田義貞が討たれのが、越前の地(福井市郊外)でした。
だから、足利幕府の発端の始まりは、尾道でも福井でもいいのでは・・?
そして・・。
さらに、鞆の浦は、足利幕府終焉の地とも言われています。
室町時代最後の15代将軍、足利義昭が、織田信長に追放されて、鞆の浦にて
毛利家で庇護されていたのです。
この足利義昭、「流れ公方」と呼ばれながら戦国時代を生き延びました。
不思議な人物と言われますが、武力を持たなかったがゆえの知恵者です。
初めに越前浅倉家の庇護のもと、家来の明智光秀とともに、一乗谷(福井市郊外)に暮らしていました。
光秀の娘、細川ガラシャは、越前、一乗谷の近くに生まれています。
一乗谷は、信長も秀吉も、嫉妬した城下町だとも言われています。
日本のポンペイとも呼ばれています。
写真は、消えた一乗谷朝倉遺跡の復元した町屋敷です。
(写真提供:福井観光協会)
福井の一乗谷は、室町幕府終焉の始まりの地と言っても過言ではありません。
備後と越前は、足利幕府興隆・盛衰期の重要な歴史を彩っています。
室町コラボがあれば、面白いかもしれません。