百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

狭き門

2012年03月31日 | 千伝。
昨日、宝塚第100期生の合格発表が、ニュースになっていました。

女優の田中嘉子さんと夏目雅子さんの姪子さんも合格したとか、男役トップを目指したいとか。

宝塚ファンには、世代も中年女性まで幅広く熱烈なファンが多くいるのは判りますが、個人的には異次元の世界のように映るとしか・・そんな感想しか申し上げることがありません。

と、今朝、地元の新聞を読み流していると、福井からも一人合格者が出ていました。

隣家の知り合いのお嬢さんのようです。

身長175センチの美女・・やはり、男役のトップを目指すとコメントがありました。

午前中、家で雑事を行っていると・・心臓がドキドキと止まるような気がしました。

気分転換に、午後から久し振りに映画二本を観て来ました。

一本目は、「戦火の馬」・・第一次世界大戦を英国を舞台にしたスピルバーグ監督の映画でした。

なかなかの作品でした!

二本目は、「鉄の女の涙」。

英国のマーガレット・サッチャー元首相の自伝的映画です。

ブライトンでの首相爆殺テロ事件。フォークランド諸島に関するアルゼンチンとの戦争。人頭税(Polle tax)の導入。

そればかりか、映画では出てこなかったけど、チェルノブイリの原発汚染が英国まで及んでいたり、狂牛病事件やら・・ソ連のゴルバチョフを認めて東西ドイツの融合、冷戦終結、貧富の格差、財政緊縮、福祉政策からの撤退・・今の日本よりも大変な状況に陥っていた大英帝国の斜陽から抜け出す大立役者だったのだと痛感させられました。

まだ生きて認知症になっているサッチャーの回顧するストーリーは、考えさせられるものがあります。

男社会の中での首相としての責任と批判と決断と傲慢さ。

そして、身分特権制が残る英国社会での雑貨屋の娘としての生い立ちからのコンプレックスと大躍進。

さらに認知症老人としての孤独と妄想。

サッチャー政権末期の時代に居合わせた小生は、ロンドンでの暴動やら、頻繁に起こるIRAによるテロ爆破殺傷事件の危険を身近に感じたものの・・激動の時代に暮らしていたんだと妙に懐かしく映りました。

アイデアを浮かべて、考える仕事をする「生き方が大事」だというセリフが耳に残りました。

狭き門をくぐり抜けた鉄の女マーガレット・サッチャーさんです。

百産百伝

2012年03月30日 | 百伝。
百島診療所が開所して、一年になります。

老いた母が暮す故郷に診療所があれば、やはり安心です。

ありがとうございます。

皆様の御蔭様で、故郷の百島が光り輝きます。

世界の先進国で一番はやく超少子高齢化が進む日本社会です。

その日本社会の中でも最先頭の位置にある百島の過疎化状況です。

百島診療所のスタッフの皆さんは、世界を変えて驚かせるチームとなるかもしれません。

御蔭様は、輝きという感謝です。

旧百島中学校の校舎を老人施設にすればよいのにと考えていると、どうもアートの発信地にしようするプロジェクトが進んでいるようです。

半農半芸・・農業と芸術の半々の生活設計、創作活動を行うアーチストを百島に呼び集めて移住していただくプロジェクト。

くわえて、旧校舎の教室を改良して小さなシネマホールや禅道場や手打ち道場があれば、いいなぁ。

桃の花、そばの花・・ほんとうに夢のパラダイスのような百島での人生設計ですが、芸術も売れるもの、鑑賞に耐えられるものであって欲しいと思いました。

Made in Momoshima のネームバリュウもブランド作りも成功して欲しいものです。

・・と思ったのは、出先で昼食を摂っていた時です。

地元名物のおろしそば(大根をそばの上におろします)プラス 鯖寿司の健康的なメニュを食しました。



食品に地産地消という考え方がありますが、美味なる食文化、芸術作品なるものは、百年先まで伝えて残しておきたいものです。

百産百伝の考えでよいのではないかと考えた郷愁ノスタルジーです。

福も笑えぬ角

2012年03月29日 | 千伝。
あの3.11・・福島の原発事故。

いっそう関東全域の3000万人に避難勧告があったならばと想像します。

そんな大規模の災害再発も有り得る地震国日本の未来です。

福井県おおい町の関西電力大飯原発3.4号機の再稼動問題が、ヤマ場を迎えています。

原発立地の地元福井県、日本の財界、民主党政権も再稼動主導の立場です。

その一方で、お隣りの自衛隊舞鶴港を要する京都府知事、京都府議会、琵琶湖を擁する滋賀県知事、滋賀県議会は、勿論、再稼動反対の立場です。

中小企業、大多数の一般国民もしかりでしょう。

ノーベル賞作家の大江健三郎さんは、「原発を止めて、それがもたらす社会経済の深刻な打撃があっても、それを引き受ければいいではないか」と発言していました。

原発事故で揺れる福島県・・避難者は、約16万人。

「帰村宣言」をする自治体町長もいれば、「まだ戻れない」という自治体町長もいます。

「放射線が怖くて、安心して暮らせない」と遠い他県に避難した福島県民。

風評被害に負けず、福島産を買おう、復興させようとする地元に残る福島県民。

揺れる矛盾と混乱です。

原発で潤った町が壊れてゆき、再起はあるのかという問いかけです。

政治における自治体の知事、市町村の首長、議会の実力が問われることもさることながら、その判断によって、住民の生活が左右されます。

福島県民が味わう苦しみを・・

日本の原子力の行方を、どう判断するのか・・

試されているような福井の現状です。

日本の介護力

2012年03月29日 | 千伝。
昨日は、介護福祉士の合格発表がありました。

小生の職場からも三人の介護士の方が受験しました。

合否の結果は、ともかくして、特別手当を進言したいものです。

今回、話題となったのは、インドネシアとフィリッピンからの95人受験して、36人の方が合格したニュース。

日本で、初めての外国人介護福祉士の登場です。

ほんとうに、その努力に拍手をもって祝福したいです。

もっと海外からの人材を集めるために門戸を広げてもよいのか、どうか?

その一方で、不合格になった方には、「この結果が全てではない」と考えていただきたいものです。

試験の結果が、全てであるならば、戦後67年間・・日本は、既にユートピア社会の実現方向に進んでいるはずです。

小生は、合格資格というものは、知識のうえに、その経験や人間性を加味したうえで、合格基準を設定した方がよいと考えます。

人のため、世のためと考える・・ほんとうに有能な人材であれば、社会の公平さを考えるべきでしょう。

日本の政治、経済、社会・・悔悟社会になりませんように。

元気で生きている間は、勇気とユーモアと少しのお金をベースにした生活力が大事です。

あの世に近づいた老後生活に必要なのは、覚悟です。

それを支えるのが、医療・介護という社会福祉という質の豊かさが前提となります。

無免許な青春

2012年03月28日 | 千伝。
小生は、社会人になって自分で稼いだお金で、自動車学校に通い、免許を取りました。

当時からして、高校卒業して、すぐに自動車学校に通う同級生が羨ましかった気持ちがあります。

そんなことを思い出しながら、今、自動車学校に通う息子と自分のイメージが重なりません。

息子、仮免の学科試験を合格・・。

「免許取得後、車を買って欲しい」・・と言い出す始末です。

小生、高校時代、原付バイクの免許を取得しようと5回ぐらい?もっとかな?

何度も挑戦しましたが、とうとう免許を貰えませんでした。

最初は、皆で行き、小生独りだけ学科不合格・・みじめでした。

その後、あちらこちら福山から尾道、三原界隈まで受けられる場所へ足を伸ばし原付学科試験に挑戦・・すべて不合格でした。

中学校、高校の同級生仲間から「何度も落ちるバカ」という噂も広まり、そして、家族からも「馬鹿だ!」と思われていました。

今、ふりかえると・・やっぱり、馬鹿だったのかなぁ?

でも、社会人になってからは、一発合格でした・・学習勉強したからです。

そんなみじめな青春期を過ごしていた頃、小生と同じように何度も学科試験で不合格になった有名人物がいることを知りました。

同じような仲間がいるんだと・・ホッとしました。

あの巨人の長嶋茂雄さんです。

あの方は、偉大なパフォーマンスを魅せましたが、小生のような一般人で車の学科試験に何度も合格できない方は、とてもツライ思いをします。

国家資格のなかで日本一簡単だと言う原付学科試験が、大きな壁となって立ち塞がるような貴重な体験でした。

ホントは、世界一難しいのでは?・・と疑いながら。

無免許で、笑い飛ばすことを憶えた青春期の始まりでした。

映像力 裸一貫

2012年03月24日 | 千伝。

青春の辞書に失敗という言葉はありません。

昨日、一昨日、我が家には、息子の友人が夜遅くまで遊びに来ていました。
今日あたりから、彼らは、大学進学のために、東京や京都へ引っ越し準備だそうです。
そのせいか、地元進学の息子は、家から通学可能なのに、アパートでの独り暮らしをしたいと言い始めました。
小生、学生の独り暮らしには、賛成です。 今、久しぶりにテキサスハンズで、ピザを食べています。
ピザを食べながら、アレコレと自分の学生時代を思い出しては、考えることがあります。

小生が、息子と同年代だった頃、ピザ専門店やコンビニエンスストアは、日本に上陸したばかりで大変珍しいものでした。
東京に進学してクラスメイトになったBとは、同じく一浪で同年齢で、いつも一緒に過ごしていました。
学校帰り、吉祥寺のファンキーというJAZZ喫茶やら井の頭公園で散策しながら、美学に関して何を話していたのやら・・忘却。 彼は、既に学生時代から構成作家としても活躍していました。
20代の頃は「世界なるほどHOW MUCH」という番組ディレクターとして、世界中を飛び回っていました。
彼の名前をテレビ番組のクレジットで見つけるたびに元気を貰ったものです。
もうひとり、二浪して入学した一つ年上のTには、ロック音楽への哲学的観念やらを教わりました。
レッド・ツェペリンやらヂィープ・パープルの凄さを、よく語っていました。
余談になりますが、ヂィープ・パープル絡みで、ホワイト・スネイクのメンバーだった某氏の息子と英国で知り合った思い出もあります。
その後、Bは、自ら映像制作会社を立ち上げたいという希望があったのでしょう。
小生やTにも、映像の仕事を一緒にしないかと何度か誘ってくれました。
「テレビの向こう側には、何千万人もの人々が観ている」が、誘いの掛け言葉でした。
小生は、その世界に踏み入れなくて、Tは、転職して、その世界へ入って行きました。
Tは、フリーになって、時々「いい旅、夢気分」の旅番組等の構成作家をしていましたが、いまは舞台脚本に精を出しているとのこと。
他にもう一人、別の方法で始めた映像アートの先駆者として、文化庁メディア大賞の審査員までのしあがったFという人物がいます。
彼からは、映像理論の蘊蓄を教えられ聞かされました。
視覚でとらえた映像世界は、メッセージ性の強い部分と前衛的で曖昧な部分があります。
映像という不思議な力です。
先日、公務員になったMから、連絡が入りました。
「あいつ、倒産。自己破産したよ」
珍しかったピザを一緒に食べた学生時代の友へ。
生まれるのも死ぬのも・・裸ひとつ。 裸一貫で、やり直せ!


青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、中年になってもなんらかの力も持っていない。
(M・コリンズ)

福寿社会

2012年03月23日 | 千伝。
ユートピアと名付けたのは、16世紀の英国の思想家トーマス・モアです。

理想郷を意味する「どこにもない場所」だとのこと。

瀬戸内海の島々の漁師が、多く移り住んだ謂われがある大阪府泉南地区・・。

その泉佐野市が、市の名を売りに出すことを検討しているというニュース。

現実に、豊田市、日立市・・企業名が、企業発祥地として、自治体の名になっているところもあります。

地名が、企業名や商標となる逆バージョンならば、数多くあります。

サッポロビール、恵比寿麦酒、東京電力、横浜ゴム・・。

例えば、泉佐野市が、ユニクロ市になった場合を想像すると如何でしょう。

泉佐野市の誰か存じませんが、財政破綻による苦肉のアイデアとはいえ、評価できます。

社会提言したかのような問題提起にインパクトを感じました。

泉佐野市の動向に注目が集まるニュースです。

企業には、寿命があります。

地名には、子供に名をつけるような、永久に幸せであってほしいという長寿よりも福寿があります。

ユートピアの発端も破綻も、企業頼みの財政が優先ならば、少し寂しい時代社会の陰りがあります。

ユートピアは、心の中に在り。

百島小学校鼓笛隊

2012年03月21日 | 百伝。

昭和41年、ぼくが、小学校4年生の時の百島小学校での運動会場面です。

当時は、児童も多くて、本村と福田と泊の三地区での対抗戦でした。

午前と午後の部の間に行われた鼓笛隊行進です。

小学校5年生と6年生からなる鼓笛隊です。

二学年、それだけで、総勢百人ほどの鼓笛隊でした。

そして、この頃から、百島の人口も減り続けていくのでした。

木造だった旧校舎も懐かしいので、写真をアップしました。

二階建て校舎の教室全部が、開放されていました。

その教室の窓は、全部外されており、観客でいっぱいでした。

万国旗が揺れて、懐かしい遠い風景です。

当時の小学校の運動会は、百島全体の運動会でもあったのだと述懐できます。

思い出せば・・

こういう故郷の鼓笛隊が行進しながら奏でる音楽の力は、身震いがしました。

それにしても、勇壮です。



感謝 !!

小さな原点

2012年03月20日 | 千伝。
枋迫篤昌さんは、自著で語りかけます。

「経済をヒトの体にたとえると、金融は血液。その血液を、体の隅々まで送り届けるのが銀行という心臓」だと。

そして、「諸悪の根源が、現金」だという事です。

小生、全くの同感です。

現金をタンス預金にすれば、非生産的であり、一円の金利も利子も生じません。

現金を運ぶのにも、数えるのも、それだけでコストがかかります。

さらには、家に現金を置くと、強盗犯罪も誘発しそうです。

そう、すべての価値を「現金の尺度」で判断すると、人生の歯車は狂います。

すべての価値は、精神的な達成感と満足感であり、生きる原動力となります。

小さな種を植えて、小さな花を育て咲かせるのも、生きる原動力です。

一生懸命やっている人は、困っていたら必ず誰かが助けてくれます。

いい加減ならば、トラブルがあっても誰も助けてくれません。

誰かが・・見ているのです。

夢中になって、一生懸命働いていれば、誰かが見ています。

今ある自分が、いちばん幸せなんだと・・。

仕事を楽しくする、生きる方法を楽しくする・・死ぬのも後悔しなくなるぐらいに。

四月から、大学生となる息子と同じく、僕も55歳での大学生(3年時編入の通信制)になります。

僕にとっては、三校目の大学になります。

二校目は、英語でのレポート提出の学習進捗度の速さについていけなくて、ドロップアウトでした。

今度は、三度目の正直になるようなカタチで、ゆっくり学びます。

今、福井で「お台場ラーメンパーク」という全国の人気ラーメン店が集合したイベントが行われています。

二、三の人気のあるラーメンを食してみました。

「血圧が上がるほど、美味でした」

心臓に好い美味なラーメンがあると、助かります。

それに答える・・そのような計らいが、社会貢献となる小さな原点なのかもしれません。

社会起業家

2012年03月19日 | 百伝。
「世界40億人を優良顧客にする!」枋迫 篤昌(とちさこ あつまさ)著(日経BP社発行)

・・という書籍を紹介させていただきます。

著者の枋迫さんは、尾道市出身、尾道北高校OB。同志社大学卒。

まもなく、60歳です。

長い南米での銀行勤務を経て、50歳にして、アメリカの首都ワシントンで、懸命に働く移民や人々の母国への送金のために、その貧困・困窮を何とか金融という手段を使って助けたい一心で起業したという凄い人生物語です。

米ビジネスウィーク誌で「アメリカで最も有望な社会企業家の一人」として人物紹介されたり、NHKでドキュメンタリー「小さな金融が世界を変える」というタイトル番組にもなりました。

尾道北高校時代、枋迫さんと小生の兄は、所属していたバレーボール部の一つ違いの先輩と後輩という間柄で一緒に闘うチームメイトでした。

兄によれば、「後輩への気配りもあり、とても優しい頼りがいのある先輩」だそうです。

「人生の後半になっても、何とか人のためになることを具体的に実現したい・・尾道の皆様や読者の方々にもご参考していただければとのこと・・同時に困難に直面した際に如何にそれを克服していくのかを経験を踏まえてお知らせすること」

世界で注目される国際的な社会起業家から企業家として、とても壮大実直な人物です。拝

是非の問題

2012年03月18日 | 千伝。
今日の日経新聞の「日曜日に考える」のコラム・・。

被災地 もうひとつの異常事態をレポートしていた。

福島県いわき市に流れ込むマネーによる復興バブルの断面。

原発事故の前線基地となる・・いわき市の実質的な人口は増えて、アパートの建築ラッシュだそうである。

そして、完成後、すぐさま満室になるとのこと。

また、被災地より、いわき市に避難している家族5人世帯を例にあげて、東京電力から精神苦痛の補償金として一人月10万円が、もし世帯主の給料が30万円だったならば、その補償を含めて、月80万円を支給されている家族もあるという。

労働に対する意識が、変わってしまうのではないかという復興バブルの現状である。

先日、福島県の被災者が、テレビで放射能汚染による風評被害に関してユニークな事を言っていた。

「今回の原発事故による放射能汚染で、まだ誰も死んでもいないのに、こんな風評被害は嫌だ。子供に影響が及ぶという心配ならば、日本全国のお年寄りに来ていただきたい。福島県が老人のパラダイスになるように、政府に努力して欲しい」

隣りのコラムは、待ったなしの日本の介護の問題・・。

原発再稼動問題・・。

消費増税問題・・。

是か非か・・。

先日、亡くなった戦後思想の巨人と称された吉本隆明さんならば・・

きっと、国民投票を導入して決着しろと言うはずである。合掌

キャプテン バカ息子へ

2012年03月16日 | 百伝。
今日は、奥越(勝山市、大野市)方面まで行くと、まだ残雪があり、雪原のような風景と出会いました。

スマホは、まだまだ使いこなせない状態です。

それでも、写真投稿は出来るようになりました。

この通り・・。



さて、百島の実家で山積みの家族写真アルバムを整理していると、父が、殿山から撮ったのでしょう。

昭和40年前半の頃の正月・・百島の泊港に集結していた何隻もの多くの貨物船が停泊している写真がありました。

あの頃・・僕は、小学校4年生ぐらいかなぁ。

記録として、スマホに写し取りしたと思っていたのですが・・無いです!

旗手のおじさんに見せたいぐらい・・当時の百島泊の壮観さが偲ばれます。

次に帰省した折、今度の機会に載せます。

今日は、家でバカ息子と喧嘩。

仕事場で、百歳の誕生日を迎えた老人の笑み。

そして、お世話になった英国のキャプテンから悲しい連絡がありました。



合掌。

バカ息子へ・・いつまでもあると思うな「親」と「金」。

伯楽人生

2012年03月14日 | 百伝。
桂川を出発した途端に事故渋滞でした。
一台の車が大破して燃え尽きていました。

今、大津サービスエリアです。
これから、比叡山と琵琶湖を眺めながら遅い朝食です。
一時期、百島から戻るたびに此処大津サービスエリアで朝食を摂る帰省パターンでした。
懐かしいなぁ。

人に白いと書いて楽しむで、伯楽です。

福井は、寒いという連絡が入りました。

安全運転です。

今日一日、いい事がたくさんありますように!

ホワイトデーの朝

2012年03月14日 | 百伝。
おはようございます。
朝に感謝。
眩しい朝です。

昨夜、百島を出発して休息しながらのドライブです。
今、目覚めた場所は、京都桂川PAです。
さてと、ここまで来ると、福井が近づいた気になります。

百島を診る以上に、日本という島全体を診ているような百島診療所のスタッフに感謝です。

ホワイトデーの白の日に、気持ちひとつ足すだけで、百の日になります。

一昨日は、叔父の百日法要でもありました。
もう悲しみで泣かないという決別です。

百という意味合いには、笑い顔が出る意味合いがあります。

よいホワイトデーを!

百島の夕

2012年03月13日 | 百伝。
今日一日、写真の整理、大学願書の志望動機の作文、墓参りなどをしながら百島で過ごしていました。

明日、帰福予定でしたが、急遽予定が入り、最終便フェリーで百島から出発です。

故郷よ、また・