ウララの春日和は、澄み切ったような青空が広がり、遠くまで手に取るように眺めることができた。
・・書き残して置きたいことがある。
百手祭・・四国から九州にかけて伝わる御弓神事である。
丹後半島からは、越前海岸がはっきりと見えた。
その丹後半島の兵庫県と京都府の国境に朝来、夜久野という地域が隣り合わせにある。
丹後半島には、元伊勢神宮内宮がある。
山陽路まで足を伸ばすと・・
兵庫県赤穂市には、福井と若狭野と言う地域名があった。
瀬戸内海まで足を伸ばすと、兵庫県赤穂、姫路の沖合いの播磨灘に、家島諸島が浮かんで見える。
この島の船乗りたちは、おそらく白旗観音を掲げているはずである。
再び、瀬戸内海を俯瞰すると・・
香川県観音寺の沖合いの燧灘には、「いりこの島」・・伊吹島が浮かんでいる。
この伊吹島には、百島の御弓神事とそっくり同じような祭り事が行われている。
延宝元(1673)年から延々と続いている伊吹島の百手祭である。
射手は、42、61歳の厄男・・昔の百島もそうであったはずである。
ただ、百島の御弓神事(嘉吉元年1441年)こそが、想い入れを込めて、百手祭の源流と考えたい。
さらに、驚くべきことがある。
この伊吹島の方言には、平安時代末期の京言葉が残っており、非常に珍しいという。
調査のために、言語学の金田一春彦先生親子も調査に訪れている。
百島の方言と同様に、この伊吹島は、先生や年上の目上の方に「お前」と呼んでいるらしい。
「お前」を尊称言葉として残しているのは、百島と伊吹島だけであろうか?
その昔、百島からも伊吹島に出向いてイリコ漁に従事したという話を聞いたことはある。
江戸時代・・伊吹島は、天領であった。
うどんの出汁は、いりこである。
伊吹島が、もう少し備後の近くの位置にあれば、香川県は、うどん県に改名できなかった。
広島県が、うどん県となり、讃岐うどんは、存在していないのかもしれない。
もうひとつ・・
伊吹島は、自分(私)のことを、「うら」と言うらしい。
「うらら」となると「私達」となる。
この語源は、不明だと言っているが・・実は、越前の福井でも同じ言い方が残っている。
偶然か必然か・・調べてみると面白いと思うが、あまり意味がないのかもしれない。
讃岐うどんと越前そば・・小生の好物である。
ただ、何となく、書き残しておきたいウララの物語である。
・・書き残して置きたいことがある。
百手祭・・四国から九州にかけて伝わる御弓神事である。
丹後半島からは、越前海岸がはっきりと見えた。
その丹後半島の兵庫県と京都府の国境に朝来、夜久野という地域が隣り合わせにある。
丹後半島には、元伊勢神宮内宮がある。
山陽路まで足を伸ばすと・・
兵庫県赤穂市には、福井と若狭野と言う地域名があった。
瀬戸内海まで足を伸ばすと、兵庫県赤穂、姫路の沖合いの播磨灘に、家島諸島が浮かんで見える。
この島の船乗りたちは、おそらく白旗観音を掲げているはずである。
再び、瀬戸内海を俯瞰すると・・
香川県観音寺の沖合いの燧灘には、「いりこの島」・・伊吹島が浮かんでいる。
この伊吹島には、百島の御弓神事とそっくり同じような祭り事が行われている。
延宝元(1673)年から延々と続いている伊吹島の百手祭である。
射手は、42、61歳の厄男・・昔の百島もそうであったはずである。
ただ、百島の御弓神事(嘉吉元年1441年)こそが、想い入れを込めて、百手祭の源流と考えたい。
さらに、驚くべきことがある。
この伊吹島の方言には、平安時代末期の京言葉が残っており、非常に珍しいという。
調査のために、言語学の金田一春彦先生親子も調査に訪れている。
百島の方言と同様に、この伊吹島は、先生や年上の目上の方に「お前」と呼んでいるらしい。
「お前」を尊称言葉として残しているのは、百島と伊吹島だけであろうか?
その昔、百島からも伊吹島に出向いてイリコ漁に従事したという話を聞いたことはある。
江戸時代・・伊吹島は、天領であった。
うどんの出汁は、いりこである。
伊吹島が、もう少し備後の近くの位置にあれば、香川県は、うどん県に改名できなかった。
広島県が、うどん県となり、讃岐うどんは、存在していないのかもしれない。
もうひとつ・・
伊吹島は、自分(私)のことを、「うら」と言うらしい。
「うらら」となると「私達」となる。
この語源は、不明だと言っているが・・実は、越前の福井でも同じ言い方が残っている。
偶然か必然か・・調べてみると面白いと思うが、あまり意味がないのかもしれない。
讃岐うどんと越前そば・・小生の好物である。
ただ、何となく、書き残しておきたいウララの物語である。