百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島恋綴り 其の11。

2018年11月02日 | 百島恋綴り

11月になりました。

昨日は、旗手のおじさんから11月1日発行の真っ新な単行本1冊を頂戴致しました。

「結(ゆい) 波の音をメッセージにかえて」(廣文館 南々社 発行) 著者 旗手安夫

有り難く読ませていただいています。

感謝です。

日々、安全旗を振る旗手のおじさんの日常の安全航海への指針、そして、故郷である百島への想いが溢れるように綴られています。

最近、旗手のおじさんとは、しばらく御無沙汰でしたが、お元気な様子に安心しました。

旗手のおじさんとは、ほんとうの叔父と甥の関係ではないのですが、それよりも何か強い運命のような糸が交差しているのです。

そして、現状ほぼ寝たきりのような生活中心の僕自身が、大きなパワーを頂きました。

背中を伸ばすぞ。

大きく伸びをするぞ。

お腹を繰り返しひっこめるぞ。

両腕両足を屈伸するぞ。

手の指を握ったり、開いたりするぞ。

足の指を曲げたり、伸ばすぞ。

動くぞ。働くぞ。

これだけを言うだけで疲れたら・・・

深呼吸するぞ!

出来れば、空気のよい百島で、深呼吸したい気分となる読書感です。

最近ほっこりして読んだエッセイを下記に抜粋。

~輪の中に育ちいく 人間関係~

私がまだ幼い頃の田舎の生活は、貧しさと言う背景もあって、隣近所の行き来が特に盛んな時代であった。
醤油・味噌など調味料の貸し借りをはじめ、多少の蓄えも必要に迫られれば、貸し借りが日常的であった。
その頃は特に「 和 」を大切にする村落が出来上がっていたように思う。

何事があっても隣近所で話し合い、少ない物も分け合って、持ちつ持たれつの支え合いであった。

近所の中にも必ずリーダーが居て、先頭に立っては皆さんを引っ張ってくれたように記憶している。 
又そんな中にも仕事や付き合いの下手な人や、身体の不自由な人も居たが、隣近所の人々は決してその人をのけ者扱いにするような事はしなかった。

時には誰よりも鈍間〔 のろま 〕で、あまり仕事の役には立たない人でも近所の話題の輪に平等に加えるから、そんな人は逆に一つの輪の中に居て
場違いの大笑いを発し、集いの輪を盛り上げたものである。 
誰もが仲間になって差別しない事で、沈んだ気持ちを明るいものへと切り替える解放された時代であった。

社会は豊かになり情報化が進めば進むほど、人は閉鎖的になり、内側にこもり始めるから不思議である。 
私たち配乗の仕事も人と人を結ぶための縁結びの業務であり、人情の薄れていくこの社会に寂しい思いは続く。
ある時、辞めると意を決すれば、人手不足を後目に平気で自我を通す人が多い。
こんな時は、貧しくも人の温もりが懐かしい時代を思い出す。

どんな時代、どんな人でも、人には必要とされたいと思い、人の役に立ちたいと願うに違いない。
今時の職場では、あいつが居れば足手まといだと、とかく気の合わない人は切り捨てがちであるが、果たしてそれで良いのであろうか・・・
ふと考えさせられてしまう。 
時には鈍間な「 昼行灯 」〔ひるあんどん〕などと呼ばれる人が混ざっていても皆が助けて辛抱強く仲間にしていれば、その職場では意外にも
必要な人材に育ってゆく場合も侮れない。

切り捨ての時代、歯を食い縛って、仲間についていこうとする者があったなら、どうか温かい目でその人を見守って欲しい。 
その職場にはなくてはならない人材に育つ事を信じつつ育てる姿勢を捨てないで欲しいと思う。

昔、村落の集いにいつものろまで笑わせた人の顔が、思わず浮かんできた。
人間は本来、支え合うところから生活は作られている。
気に入らないところには目をつむり、お互いの良いところだけに目を向けていれば、いつかは程好い関係が出来上がってゆくに違いない。
今日も仲間と共に頑張ろう、微笑みを持って明るく、更に細心の注意は怠らず。

著:広島シッピング代表取締役社長 旗手安夫 


百島恋綴り 其の10。

2018年09月06日 | 百島恋綴り

百島は、長閑だけど、どこか喧しい。

台風、地震・・・自然災害続きの日本列島。

百島は、優しく、どこか心強い。

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私が小学生の頃、高校生だった駐在所のお姉さんが百島のどこかの山に連れて行ってくれた。

麦畑の畝の間を歩くとむっとする暑さで「草いきれ」というんだよと教えてもらった。(今は麦畑はないと思う)

真っ赤な実を木からとって「ビービー食べてみぃ、美味しいで」とくれた。(ぐみの実かもしれない)

そのお姉さんは大人になって、不思議なご縁で大阪の叔父に嫁いだ。

叔父夫婦は大阪から福山に、そして再び百島の福田に居を構えている。

人の出会いとは不思議なものです。

叔母は私より10歳年上ですが、島では若い方に入るのでいろんなお役目を引き受けており、いつも忙しそうにして居ます。

福田桟橋に近いせいか、人の出入りも多く、隣の古家を改造して人々が自由に使える休息の場所として、また島に来た人の宿舎として活用して居ます。

最近その叔父が歳のせいで車の運転が危険になったため叔母の負担が増すばかり。

でも大声で立ち話しながら周囲に奉仕する姿は、移住者には参考になると思うのです。

付け加えると、百島では、日常的に島内アナウンスが流れる。

船の欠航や農協の売り出しなど生活に密着した情報だ。

初めて聞いた時は唐突に大音量で流れる「瀬戸の花嫁」に驚き、母に「いったい何が始まるの?」と聞いた。

時代に沿って曲も変化したが相変わらずのんびりした口調で放送が流れている。

しかし、雨だったり、扉を締め切っていたら聞こえないことが多い。

もし防災情報だったらもっと大音量でも良い気がした。

いざと言う日は、思いがけずやって来る。

(作; 矢島真砂子 )


百島恋綴り 其の9。

2018年09月05日 | 百島恋綴り

五右衛門風呂・・・懐かしいなぁ。

やもりは、虫を食ってくれるから家守。

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大阪生まれの私が生まれて初めて五右衛門風呂に入ったのは、九州に転居した時のことだった。

不安定で熱くてヤモリがいてとっても怖かった。

最後に入ったのは百島だった。

高校生の頃、友人と島に遊びにいって福田の親戚のお婆さんの家で入れてもらった。

うちの別荘のお風呂は都会と全く変わらない。

便利だが味気ない。

でもヤモリはいっぱい来る。

どのヤモリも「まもるくん」と呼んで可愛がっている。

たまに家の中に入って来て人がいることに面食らっているから、きっと夏しか来ないあるじを知らずに育ったんだね。

留守中の家は、雨戸を閉めて暗く、物音一つしないから、まもる君たちの天国だろう。

一年ぶりに掃除に行くと彼らの排泄物がサッシの周囲に張り付いている。

初めてそれを診た時「家に小鳥が入って来た」と思った。

自然の仲間と仲良くするといろんなことを教えてくれる。

特に子供は目を輝かせて神様の不思議な技に接して感動と共に記憶する。

私がそうだったから我が子にも〜我が子もその感動を共有したから孫たちにも感動の輪が伝播する。

(作; 矢島真砂子)


百島恋綴り 其の8。

2018年08月31日 | 百島恋綴り

感動するエピソード。

凄いね。

感動しました!

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温暖化の象徴、クマゼミの北限が年々北上しています。

昔、百島でセミ捕りをしていた時、子供達に教えました。

「クマゼミの北限は静岡周辺で箱根を越えられないんだよ。」

ところがある夏の日娘が「お母さん!クマゼミが箱根を越えたよ!」と公園から帰って来た。

確かにクマゼミが鳴いていた。

それを娘は大学教授に話した。

すると教授は百島もよく知っていて意気投合。

一緒に海水表面温度をあげないために頑張ろう!って話に発展した。

たかがセミ捕りと笑うなかれ!

何からでも学べるし、どんな体験からも気付く事がある。

机上の学習では分からない事も体験学習からいっぱい学べる。

身近な場所にしっかり目を向けて変化を見守るというのは非常に興味が持てる。

第1は感動する事、第2は楽しんで興味を持つ事、第3は好きになる事、好きな事は続けられる。

地道に続ければいつか頂点に立てる。

これで研究者が育つ。

とにかく最初は感動。

感動のない子は学びに無関心になって行く。

(作;矢島真砂子)


百島恋綴り 其の7。

2018年08月31日 | 百島恋綴り

教育問題です。

若い移住者が気になるのは学校。

幼稚園児は非常に少ないのに園舎は立派。

小学校も人クラスに満たない全校生徒に対して設備は立派。

誰にも大きな声で挨拶できる良い子が育って居ます。

中学校は廃校になって今はアートベースとして活用されて居ます。

当然高校も島から出て尾道や福山に通います。

さて、うちの子たちは毎夏、島で大きな影響を受けて育ちました。

以前書いたように島では理系脳が発達します。

赤ちゃんの頃から島で夏を過ごした娘は東京海洋大学に進んで、海洋汚染対策の研究をしました。

スイミングスクールにも通いましたが、プールと海は違います。

海洋大の太平洋遠泳でも、娘は男子を尻目に泳ぎきり、航海訓練でも酔って研究どころじゃない男子たちの分までやりこなしました。

好きこそ物の上手なれと言う通り、好きだから喜んで学べる。

だから結果が出る。

自然が大好きになる百島で学んだことが人生に彩りを添えたのです。

ちなみに娘のお婿さんも東京海洋大学で生分解性プラスチックの研究をし、現在は全漁連勤務です。

お婿さんも百島が大好き!

(作;矢島真砂子)

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素晴らしいです!


百島恋綴り 其の6。

2018年08月31日 | 百島恋綴り

環境問題です。

横浜では流しやゴミ入れにストッキングネットをして細かいゴミも流さないし、油も処理し、極力下水を汚さない。

「流し即海」と思っている。

ところが!島こそ海と直結しているにもかかわらず、流しの水がそのまま川に流れ海に流れ込み、汚水が海の生物に深刻な影響を与えています。

横浜と変わらず島もゴミの分別は厳しくて、いっときはゴミ袋に名前を書いて出していました。

ネットで申し込めば粗大ゴミを回収に来てくれる横浜でさえ大きな家具や電気製品を処分するのは気が重くなるものですが、島ではもっと大変。

と思いきや、なんと!粗大ゴミが野山に廃棄処分されているのをよく見ます。

ご自分の土地だから放置しても良いと思うのでしょうが、それは違う!

環境汚染物質が流れ出し土壌を汚染し水を汚染しやがてあさりが取れない浜になってしまう。

お盆前に浜のお掃除をしたそうですが、そのボランティアに参加したおじいさんに聞いたら、孫が来るからとの事。

そう!子や孫に美しい海を残してあげようよ!

はアサリだけじゃなく、ヒトデ、イソギンチャク、シャコ、蟹、マテ貝、いっぱい居たよ。

失うのは一瞬、取り戻すには何世代もかかる。

(作;矢島真砂子)

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海辺、海岸沿いの浜辺へ漂流して辿り着くゴミ問題。

砂浜も含めての土壌の力、汚染を考えさせられます。

ただ、砂浜も、田畠、畑と同じく日々耕さないと、アサリ、貝(きゃぁ)も増えてきません。

かつての百島の貝(きゃぁ)は、日本一美味かった!

今は、どうかな?


百島恋綴り 其の5。

2018年08月29日 | 百島恋綴り

ステキな話ですね。

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皆さんは子供の結婚相手に条件を出すとしたら何?

私は3人の子達にひとつお願いしました。

「百島を好きになって毎夏、百島に来てくれる人」

それを願って居たのは「ももしまにあの子供たち自身」でもありましたから、そう言う人が来てくださいました。

長男のお嫁さんは東大で蝶々の遺伝子を研究して居たので島に来ると毎日網を持って蝶を追いかけ、みかんの葉についた卵を採取しては羽化させます。

次男のお嫁さんは虫が苦手でしたが今ではセミ捕りもOK!

猫を見たら泣いて居たのに島猫にも慣れました。孫達と共にだんだん強くなって居ます。

このお嫁さんは人が好き!

島に行く前から島人のブログを読んで島の情報をいっぱい仕入れて居ました。

先に書いた娘婿も当然ながら海が好き!

娘と暗いうちから釣りに行ってお刺身を作ってくれる重宝なお婿さんです。

子供達は百島がとっても好きで、配偶者が皆それに添って下さって、孫達もみんな「ももしまにあ」に育って居ます。

これ洗脳?笑

(作:矢島真砂子)

百島恋綴り 其の4。

2018年08月28日 | 百島恋綴り

矢島真砂子さんのエッセイを紹介させていただきますね。

穏やかさ、朗らかさ、優しさ、そして力強い文筆力に魅了されます。

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海上保安庁によれば、瀬戸内海には(外周が0.1Km以上)島の数は727もあるのに、なぜ百島がTVで紹介されたり、移住者が来たりするのか?

橋で繋がった島はあまりにも簡単に往来できて離島とは思えないほど都会の色に染まってゆくが、百島は昔ながらの日本の小さな島の良さが残る。

私が小学校の頃は映画館があって浪曲師も来て居た。

今はその崩れそうな建物をリノベーションして静かにアートを展示している。

いまだにコンビニもなければ、スーパーも無い、ましてやマックも無い、ケンタも無い。

「♫おらこんな村嫌だ〜東京でべこかうだ〜〜」の歌が聞こえて来そう…都会慣れしてる私にはムカデと手のひらサイズの蜘蛛はいまだに慣れないが、島の不自由さすら楽しんでいる。

孫たちのお気に入りは井戸です。

ギッコンバッタン水を汲むのに力が必要ですがその冷たさは、

夏のご褒美のようです。

お金で手に入らないものがいっぱいある島です。

(作;矢島真砂子)


百島恋綴り 其の3。

2018年08月28日 | 百島恋綴り

横浜は人種の坩堝で、名字も雑多。

しかし、地方には良くあるように百島も苗字に偏りがあります。

藤田、藤本、佐藤などの藤原系、赤松、武田などの武士系、村上、旗手などの水軍系、名字が同じだと名前で呼んだり屋号や船名で呼ぶこともありました。

しかし、移住者が増えると、かつて島にはなかった名字の人が増えます。

私もそうですが名前だけでよそ者と思われます。

だからといって排他的でないのは、若い移住者の皆様が島に良い影響を与えているからだと思います。

革新より保守、変わるのを恐れ、現状維持を好む老人と違い、若い移住者は島に活気を与え、次々と新しい試みを企画してくれます。

懇意にして居た人が次々お亡くなりになって周囲に空き地が増えて、ちょっと寂しいな…と思って居ましたが新しい風は思ったより早く、元気に明るく改革を進めている気がします。

感謝!

(作;矢島真砂子)


百島恋綴り 其の2。

2018年08月26日 | 百島恋綴り

 矢島真砂子さんのエッセイを紹介させていただきますね。

穏やかさ、朗らかさ、優しさ、そして力強い文筆力に魅了されます。

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半世紀前の百島は多くの人が住んで居た。

大きく分けて本村、福田、泊などの集落があって、港には巡航船が来た。

しまなみ海道の橋など、どこの島にもかかって居ない時代だからそれが普通だった。

大阪から島に行くと温暖で、時がゆっくり流れて居た気がする。

「医者どん」と呼ばれるお医者さんも本村、醤油屋を営む家も本村、役所も、農協も、郵便局もお寺さんも、みな本村にあった。

今は船が来るのは福田だけになって、泊には「ももしま号」マイクロバスが走る。

高齢者がバス路線に沿って行動しやすいからか、農協、郵便局、役所、診療所も移動した。

リヤカーが通れるような狭い道が広げられて舗装されて車社会に適応したが、大型車は苦労する。

山の上の家は住む人も無く朽ち果て蔦が絡み自然の力に飲み込まれて行く。

昔の家はバクテリアが消し去れるエコな素材だったんだね。

人がすまなくなった家がそこここに点在する。

移住を考えるならまず古家に住んで見ると良い。

とにかく家賃が安い!

元気で車が運転できて、自然を愛する若い人が移住するには良いよ。

船舶免許があれば尚良い。

作;矢島真砂子


百島恋綴り 其の1。

2018年08月25日 | 百島恋綴り

矢島真砂子さんのエッセイを紹介させていただきますね。

穏やかさ、朗らかさ、優しさ、そして力強い文筆力に魅了されます。

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満天の星が見たかったら、百島がおすすめ。

火星も大きく見えるし、北斗七星や、夏の大三角形もはっきり確認できます。

圧巻は流れ星☄️

ペルセウス流星群の時期を外しても見ることができます。

島の人に言うと「夜に出歩かんけぇ見ることもなぁわ」とあっさり。

希少な体験ができるのにそれを当たり前の日常にしてたらもったいない。

でも空気が澄んで空が綺麗なだけではなく、おそらく照明が極めて少ないから星が見えるのね。

あの暗さなら夜に出歩かないのも頷けます。

鼻をつままれても分からないような暗さで、イノシシに出会ったら命に関わるもんね。

もう一つ、綺麗なのが水!

ともかく島にいる間は髪の毛がしっとりする。

シャンプーやコンディショナーは島でも横浜の我が家と同じ品である。

きっと空気も綺麗なのだろうがとくに女性には嬉しい。

そこに居たら分からない良さが他処から来たものには見えてくる。

逆も真なり。

(作:矢島真砂子)