50年前の今日、当時、中学2年生だったけど、あの異様な三島事件の報道はよく覚えています。
松本清張は、三島由紀夫の割腹自殺事件を「書くことがなくなったから」と冷たく評しました。
互いに嫌いな文豪作家だったのでしょう。
それから、14、15年後かな?
写真週刊誌フライデーが、三島由紀夫の生首を載せたものを発売。
当時、僕は20代後半、取材編集担当の仕事をしていました。
ほぼ毎日、嫌になるぐらい退社時刻に合わせての打ち合わせ・・・写真、イラスト、原稿等々、今でいうフリーランサーとの打合せの続きが、夜の会合となるのです。
20代という若い時代に、毎夜毎夜、そんな日々がずっと続くと思うと嫌で、30歳手前で一年間の休職期間を頂いて、そのまま、延べ3年に及んだ海外生活、その後、転職人生となりました。
今では、あの時の上司からの恩恵に感謝の念しかありません。
結婚して福井生活、50歳手前までドイツの外資系企業に辛抱勤務、それから介護業界へ。
はて、美徳というのは、自分の履歴書を飾ることと、もう1つは、死後の追悼の辞に表現される、どんな人間性として生きた証を飾る二種類あるとのことです。
ほとんどの人間は、自分の履歴書に生きた美徳を飾る生き方をするようです。
三島由紀夫は、若い頃、太宰治に「あなたの作品は嫌いだ」と直接言いました。
ノーベル文学賞候補になっていた頃には、「松本清張の作品は文学ではない。文体(個性?)を成していない」と酷評したとのこと。
因みに、太宰治と松本清張は同い年で、三島由紀夫よりも17歳も年長です。
さて、僕が毎夜の打合せをしていた20代半ばの頃の三島由紀夫に関する思い出話です。
あの三島事件から10数年、忘れた頃に写真週刊誌が三島由紀夫の生首を載せたのです。
三島由紀夫は、海外でもハラキリの作家文士として有名ですから、世界中で話題になりました。
当時、警察絡みの死後の検体は、東大か、慶応大の医学部に運ばれていたとのこと。
割腹自死後の三島由紀夫の検死も、どちらかで行ったはずです。
ある夜の打合せ、会合で聞いた話です。
テレビ番組ディレクターからの三島由紀夫の美徳という話題でした。
三島の遺体を検死した医師の一人に取材した時の事。
武士の切腹作法は、介錯人が一刀のもとに首を斬るとのこと、そのために姿勢は真っ直ぐにして、腹は、軽く線を引くかたちのような作法が美しく正しい切腹作法だとのこと。
しかし、三島由紀夫の割腹は、深く長く凄まじい切り口があって、途端の苦しみにもがいたはずだとの事、さらには、激痛のうえ首の周りに力が入り過ぎて筋肉が膠着状態となり、介錯人は首を切り離せなかっただろうとのこと。
それゆえ、三島の首の切り口は、日本刀でノコギリのように斬られていたとのこと。
嘘か誠か、割腹前、男性の精子を体内に残す行為をしていたとのこと。
「三島由紀夫の生きた美徳、死の作法なんて、こんなもんだよ」と彼が話していたのを思い出します。
個人的には、三島由紀夫の文学は天才的な作品だと思います。
心中自殺した人間失格の太宰治と、仮面の告白をする三島由紀夫は、ちょっと同じ匂いがします。
潮騒の「その火を飛び越えてこい」・・・いいなぁ。
松本清張は、書くという才能は、延々と座って机に向かう事だと言いました。
書くというのは、社会に対して何かしらの敵対心、心の中に不満不安という熱情がないとね。
熱は、上に上に上がるものです。
生まれも育った環境も大違いの松本清張も三島由紀夫も、不思議な事に、森鴎外を尊敬していました。
あの太宰治さえも、森鴎外と同じ墓地に眠ることを願っていたとのこと。
・・・夏目漱石の名が出て来ないなぁ。
先日、NHK Eテレビで「中高年の引きこもりの家族」を訪問医療している老医師の活動が映し出されていました。
小堀先生という医師、森鴎外のお孫さんだとのこと。
森鴎外の作品に、尾道や百島という地名、氏名が出てくる「細木香以」という史伝作品があります。
細木香以なる人物は、紀伊国屋文左衛門と比較されるほどの幕末の大商人、パトロン、文化人だったけど、遊蕩三昧、没落人生?
細木香以は、芥川龍之介の母の叔父であり、芥川龍之介の短編作品「孤独地獄」にも名があるとのこと。
美徳の傾きは、文学作品になるのかな?
森鴎外、本名は、森 林太郎。
遺言には「余ハ 石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
「墓ハ “森林太郎墓”ノ外 一字モホルベカラズ」
三鷹、禅林寺境内、思いの外小さな墓石の下で眠っています。