百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

充足感

2008年09月28日 | 千伝。
来週の日曜日にハーフ・マラソン大会が迫ってきました。

今朝は早くから・・試走会に参加してコースを走って参りました。

超スローペースでの走り込みでした。

最初の5KMは45分。次の5KMは40分。さらに次の5KMは35分。残りゴールまでは、30分内でした。

タイムは、ハーフ・マラソンの制限時間ぎりぎりの約2時間半でした。

このペースで走ると、とても充足感がありました♪

本番になると、他の方々の速いスピードに煽られて、どうしてもピッチが増えて、マイペースを守ることが難しいです。要注意です。

今回は、制限時間を目一杯使って、ハーフ・マラソンを堪能します。

コースの途中にある福井市郊外に広がる蕎麦畑は、満開でした。

蕎麦畑

走っている最中は、昼食は、おろし蕎麦でも食べようと思いましたが、知人と外食レストランで摂ることになり生姜焼きのランチになりました。
完走後、何故か身体が、どうも蕎麦を欲していませんでした。(笑)

ハーフ・マラソンの折り返し点です。

折り返し点

ひび割れたアスファルトの姿が、何かモノ悲しく映りました。

人生の過程も、こんなものかと思いました。

でも、一分一秒を縮めようと走っていると、充足感は自分に伝わってきません。

一歩一歩、地面をつま先から足裏まで確実に蹴って前に進んでいると、笑顔が零れるぐらいの充足感がありました♪

今日は、そんな余韻に浸っております♪

明日も、あなたに好い事が沢山ありますように!

Sometimes a Great Notion

2008年09月28日 | 千伝。
世界で一番愛された男優のポール・ニューマンさんが亡くなられました。(享年83歳)

心からのご冥福をお祈ります。

小生・・大ファンでした。

「明日に向かって撃て!」「スティング」・・等々、沢山の名作があります。

その中でも、一番印象に残っているのが、「邦題:わが緑の大地」という映画でした。

ポール・ニューマンさんは、アクターズ・スタジオでジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドと同期でした。

同期である彼ら二人の衝撃的な演技デビュー。

そして、彼ら二人が、世界的な人気と圧倒的な名声を博したあと・・

遅れて登場したポール・ニューマンさんでした。

昔、ロスに行った際に、ビバリヒルズにあるポール・ニューマンさんの自宅の前の道を隔てた緩衝帯の芝生の上で、一ファンとして寝込んで空を見上げていたことがあります。

その時、邸宅を映した写真があるはず・・探して編集して後日アップしておきます。

ポール・ニューマンさんが残した慈善運動、納税に関する発言、生き方は、人間としてのSometimes a Great Notion そのままかもしれません。

因みに、「わが緑の大地」という映画の原題は、Sometimes a Great Notion です。

合掌

セラピ

2008年09月26日 | 千伝。
何かの悩める時の名言です。

怒りは、無知。

涙は、修業。

笑いは、悟りの境地。

カントは、「笑いは緊張の緩和から来る」と言いました。

フロイトは、 ナントカ・・と言いました。

昨日は、ミュージック・セラピ(音楽療法)の研修会でした。

クラシックとか学校唱歌がメインですが、リズム重視で気持ちがよくて眠くなりました♪

近い将来、ロックやジャズやフォークを使った音楽療法用のアレンジ曲も登場するのでしょう。

音楽療法士という国家資格の職業もできるような事も聞きました。

純粋に音楽や名曲のメロディだけを聴いていると、笑うという感情が滅多に起こらないのは何故なのでしょうか?

音楽の力が感情を惹き起こすならば、笑いは理性によって惹き起こされるものではないかと・・。

笑うという事は、言葉の力で考えて生じるものかもしれません。

そうなると、笑いは、悟りの境地というのもうなづけます。

ただ、お笑い番組で秒単位で仕組まれた「笑い」が、とても悟りの境地とは思えません。

表情のない笑いは、冷やかし笑いです。

いつも朗らかに、元気で、笑顔で、強い気持ちで♪

お蔭様 遠い夢

2008年09月24日 | 千伝。
高野山 弘法大師さんのお蔭様でしょうか・・体重が、ぐ~んと減りました。

さらには、目の錯覚かもしれませんが、頭の毛が増えたような気もします。(笑)

「お蔭様」の語源としては、神仏の「御影(みかげ)・神霊」や「御魂(みたま)」の庇護を受けるご利益や恩恵から生じたものでした。

「お蔭様で無病息災・・」という言葉もあります。

(息災とは・・災いや厄を無くすという仏教用語です)

20代後半の頃、仕事で「伊勢神宮」を取材した体験があります。

当時は、ほとんど無休、1日20時間ほど働いていたような状態でした。

何度となく東京と伊勢を往復する「お蔭様参り」をしていると、何か善いことが起きる兆しがあるのではないかと思ったことがありました。

いや、何かいい事が起きて欲しいという期待であり希望です。

ただ、神や仏に何かを祈願しても何もしてくれないのが普通です。

一心不乱に祈願したとしても、神や仏は、なかなか奇蹟を与えてはくれません。

それに、どの宗教や神が一番正しいのかも未だにわかりません。

結局、凡夫の小生が考えた結論は、現状脱皮という考え方です。

そうなると、数百年、数千年も続く歴史もあり、世界的な規模で熱心な信者がいるアーメン、南無・・・・の智恵や啓示の世界ではないかという次元に辿り着くのです。

国宝級、世界遺産級の神社寺院仏閣、拝殿宮殿の建物、聖地ではありません。

悲願を請う祈りの姿と調和しますが、単純に、人間としての智恵の伝達です。

神や仏の一番の功徳は、生きる安心や勇気・・その智恵や啓示を与えてくださるということです。

個人的な捉え方ですが、転々と地球上を歩いていると、幸運も不運も善い事も悪い事も、人間の挫折や成功、逆境や順境は、1年1日に何度もあるということに気がつきました。

イエス・キリストさまの愛染振りまく長髪ならば夏は暑く、お釈迦さんの光を溢れる坊主頭ならば冬は寒いのです。

そして、個人的な思い込みです。

愛も光も、希望も夢も、善も良も、すべて生きることに好ましい楽しい栄養源だと言うことです。

希望を語り、夢を見るのは、楽しいはずです。

そうでないと、それを希望や夢とは言えないはずです。

さて、ますます目の錯覚なのでしょうか、近いものが見づらくなりました。

逆に、遠くのものがよく見えるようになりました・・老眼とも呼ぶらしいです。

お蔭様で、遠い夢さえも見させて頂くことができるようになりました。

明日も、さわやかな陽射しと風を受けて、沢山の好い事がありますように。

追記 : 同行二人

2008年09月21日 | 千伝。
イスラエルから高野山に観光で来られていたユダヤ人の方に感謝です。

嘆きの壁の話は、感動的でした。

また、一の橋の観光案内所で働く地元の方に感謝です。

地元 高野山のいろんな暮しぶりのお話は、興味深いものでした。

どうか、心和む人生を過ごされますように。

そして、小生の大好きな人たちに、今日一日、好いことが沢山ありますように。

合掌

同行二人

2008年09月21日 | 千伝。
無明の橋を渡れば、「弘法大師はいまだおわしますなる」奥の院です。

撮影禁止でした。

消えずの火として「貧女の一燈」。(心打つ伝説話です。内容省略)

また「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と言った白河法皇が、高野山に献上した白河燈。

この二燈は、千年近く燃え続けているそうです。

当時、怖れられはじめていた比叡山の山法師(僧兵)に対して、高野山からは、勧進(寺院の建立や修繕などのために浄財)という募金集めに全国各地へと出向き多くの僧が歩き周っていました。

西行もしかり・・その高野聖たちの足跡が、諸国に残る弘法大師の伝説と高野山信仰、納骨を多く広めたことは間違いないようです。

そして、今尚、弘法大師と歩む四国八十八ヶ所のお遍路巡りです。

奥の院を出て、中の橋に向かって歩きました。

途中に大石順教という尼僧さんの「腕塚」という供養塔があります。

障害者の母と呼ばれた方であります。

両腕を切り落とされて始まる過酷な人生を生き抜き苦難に耐えて、障害者の母と呼ばれた方です。

さらに進むと、親鸞聖人の供養塔があります。

なぜ浄土真宗の開祖の供養塔が、ここにあるのか不思議なのですが、実は、高野聖は、念仏を唱えて浄土教に近い教義を広めていました。法然(浄土宗開祖)しかり・・です。

もっと中の橋に近くに行くと、現代の宣伝効果もあるような供養塔を見かけます。

シロアリ退治の「しろあり供養」の塔、ロケットを建てた新明和工業さんの供養塔、福助さんがお辞儀をしている感謝の碑・・等々です。

考えてみれば、高野山への納骨や墓碑は、いまだに増大されているのでしょう。

小生、霊魂やお化けという存在の類は、一切信じていません。

スピリチュアル霊視や霊感占いもしかりで、戯言に聞こえます。

ただ・・「念という力」は、あるだろうと感じています。

鳩やツバメの帰巣感覚に近いテレパシーにも似た感覚です。

武者震いという感覚もあります。

奥の院に通じる表参道のある場所の供養塔のまえで体験しました。

そういう場合には、溜息ひとつします。

中の橋に到着。

その出入り口で、「もとの表参道に通って一の橋の戻る近道はありませんか?」とそこに居た地元の方に尋ねました。

「ないですね。この車の通る前の道を右に折れて歩けば、一の橋に戻れますよ」

「ありがとうございます」

そのまま数分歩いていると、後ろから車が追いかけて、目の前でUターンして小生の前に停まりました。

降りてこられた方は、先程尋ねた同年代の女性の方で、「すぐ、そこから戻れますよ。それと、これ奥の院の墓碑地図です。差し上げます」と言って風のように立ち去って行かれました。

その親切な行為に目が丸くなりました。

とても感謝・・朗らかな気持ちになれました。

嬉しい気持ちになって、高野山のお土産店で、高野豆腐、魔除けの鐘、開運厄除の鐘、金剛杖・・等々、沢山の御みやげ物を買ってしまいました。(笑)

弘法大師の「実ちて帰る」に通じるものがあります。

帰り途、九度山の道中で柿を買って、橋本の街でロト6の宝くじを買いました。

柿・・とても美味でした。

ロト6・・当たりました。(笑)

さて、空海と最澄を語る時、二人は袂を分けた密教の理趣経という存在があります。

「煩悩即菩提・・煩悩は、即ち浄化された菩薩の悟り」という人間の欲望や男女関係の情感を積極的に承認しています。

同行二人という考え方は、どんな辛い時にも、弘法大師さんと寝食共に歩き続けるお遍路さんの巡礼の姿、生き方なのでしょう。

煩悩とか悟りとか、恋だの愛だの、理だとか趣だとか、情だの業だの・・複雑で細やかで微かな心の動きです。

仏教が伝わる以前の心の境地や情感は、もっと単純だったのかもしれません。

万葉の時代・・飛鳥時代に残る沢山の男女の単純な陰陽なチンコ石を作りながら大笑いをしていたかもしれません。

猿や犬の動物に近いと言えば・・そんな風なのかもしれません。

明日香に残る石舞台を眺めながら、そんな想いを感じました。

因みに飛鳥時代に建立された寺院は個人の病気平癒を祈願しており、国家鎮護のものは存在しません。

そして、当時の大和の国は、巨石文化です。

仏教が伝来して盛んになり国家鎮護の寺院が建立存在するにつれて、木の文化に移り変わりました。

巨石文化の残存する文化が、皮肉なことに高野山の奥の院にある数十万の墓碑、供養塔かもしれません。

麓に流れる紀ノ川から標高900Mの高野山まで、あの夥しい巨石群を人力で引き上げたかと想像すると、エジプトのピラミッドやイングランドのストーンヘンジサークルを連想しますが、その注ぎ込んだ労力と財力は、天文学的な数値にもなるのでしょう。

話は変わりますが・・

中世キリスト教の教えでは、金を貸して金利を取るというのは、汚い仕事でした。

だから、ユダヤ商人が嫌われた根本的な原因があります。

キリストを殺したのがユダヤ人だからという理由ではありません。

キリストもユダヤ人だったからです。

その金利を取る商売が、金融業というビジネスの原点です。

日本においても、戦後間もない頃は、証券会社などの金融機関に就職する国立大生などは、ほとんどいなかったそうです。

鎌倉時代から室町時代にかけて徳政令という借金帳消しという滅茶苦茶な政令が何度か施行されました。

これは、天人相関思想に基づいており「天地の気は自らは秩序を乱さず、乱れるのは人が乱すからある」というものらしいです。

今、世界を揺るがす金融不安は、まさしく人間が執り行う貨幣紙幣の問題になります。

お金が、人間の心を操る時代は、悲しいものです。

不安は心です。その不安を取り消すのも、人間の智恵が求められます。

もうひとつ、万葉の時代から現代に続く言霊信仰というものがあります。

縁起を担ぎ、不吉な言葉は避けます。

たとえば、閉会宣言に「お開きにします」とか、結婚式に「去る」「切る」は、使いません。

八は末広がりですが、病院では、四や九を忌み嫌い、「なくなる」と使います。

たとえば、「平和、平和・・」と念仏のように唱える平和主義者です。

「お金、お金、お金が欲しい・・」と念仏のように唱える拝金主義者です。

「仏作って魂入れず」という言葉もあります。

弘法大師は、言います。

「生きながらにして幸せになりなさい」

「生きながらにして仏になるのです」

でも、仏頂面は嫌いです。

笑顔が大事です。

和顔施とも眼施とも言います。

同行二人の人生・・我々は、何処に行くのでしょうね。

弘法大師さんもいいですが、愛する人とならば尚いいです。

悟りの境地とは、案外近くにあるのかもしれません。

そろそろ、これで、お開きにします。

さて、秋のお彼岸入り・・お墓参りです。

合掌

飛鳥の石舞台

2008年09月19日 | 千伝。
奈良 明日香村の石舞台をたずねました。

古墳と言うよりも、何かと結ばれているような生命力の姿を感じました。

石舞台

恋は、誤解から生まれると言います。

愛は、理解から生まれると言います。

そのまえに、子供が生まれることもあります。

石舞台の内側から外界を覗いて見ました。

石舞台の中

飛鳥(明日香)には、インパクトのある陰陽を表す石造物が沢山散在しています。

古墳でもある石舞台も・・そうなのだろうかと考えた次第です。

同行万人

2008年09月18日 | 千伝。
お遍路さんが、道に倒れても、卒塔婆として墓標ともなる「地水火風空」の梵字と「南無大師遍照金剛同行二人」の白木の金剛杖を求めて・・

一昨日、独りで高野山まで行って参りました。

我々は、何処から何処へ行くのでしょうか?

根本的な生き方を突き詰めれば、そこにぶつかります。

深夜に福井を出て、大阪の羽曳野ICで降りてからの一般道からが遠い・・富田林、河内長野、それから山を越えて和歌山県に入り、橋本へ。

そこから、雨の中をくねくねした山道を登っていると車酔いをしました。

やっと、辿り着いたかと思って標識を見ると・・まだ九度山町でした。

九度山町

泉鏡花が「高野聖」という作品を残しています。

高野聖は、すでに江戸時代以降には存在しなくて、鏡花は、明治期(1900年)に意図的に登場させています。

これまた舞台を飛騨と信州の国境にある安房峠を天生峠(実際は飛騨の白川村)としているのは、何かを意図しているのでしょう。

ふと思ったのですが、高野山の雰囲気が、非常に飛騨の山中のものと似ていました。

ただ、泉鏡花は、一度も高野山に参ったことはなかったと思います。

ラジオをつけると、関西は、FM局が多いので楽しいです。
(因みに、福井には、FM福井とNHK福井しかありません。)

FMCoCoLoというFM局が、早朝からBBCニュースの英語放送を流しているのには驚きました。

ちょうど、アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻ニュースを大きく報道していました。

まさか、山深い高野山の道中でロンドンからのニュース解説を聴けるとは思わなかったので、高野聖への幻想から、現実的な世界経済の揺れる動きに車酔いを起こしてしまいました。

そのBBCニュースの番組が終わる6時半頃、やっと、雨に煙る金剛峰寺の前の駐車場に到着・・。

平日の雨の早朝なのに県外ナンバーの車も停まっていて、すでにあちらこちら歩いている方が多く不思議な雰囲気でした。

それにしても・・何だかビシッとした雰囲気のある美しい町 高野山です。

金剛峰寺正面

金剛峰寺石段

1200年近くの歴史のある高野山ですが、実際は明治以降に全国各地から、仕事を求めてこの霊山に集まり移り住まれて整えられた開墾された町です。
それ以前は、女人禁制、しかも一般人がこの高野山に暮らすことは許されていなかったようです。

とぼとぼと・・弘法大師の御廟のある高野山奥の院まで歩き始めました。

一の橋から御廟まで約2KM・・・・皇室・貴族から戦国武将の巨大な石の供養塔があるわあるわ・・です。

江戸時代には宗派をこえて大名、文人、庶民の供養塔ができて、その数は、数十万基にも及ぶようです。

多分、小生のご先祖にあたるのではないかと思われる供養塔もありました。

供養塔

奥の院につながる無明の橋(煩悩をとる橋)です。

向こう側は、結界と呼ばれる奥の院です。

奥の院

後日につづく・・。

ふくのき

2008年09月15日 | 千伝。
これから外出です。

ホテルのレストランで夕食です。

さすがに、短パンとTーシャッツの格好では・・というわけで着替えの用意です。

帰宅後、また服を着替えて、そのまま高野山まで出かけます。

ちょうど一週間前は、比叡山延暦寺参りでした。

明日の朝には、金剛峰寺にお参りの予定・・そのまま帰福予定。

明るい日、ふくきがえる・・。

最も澄み切った空や海のように・・
心は、空になりたい。
情は、海になりたい。

ここを訪れて、小生の拙文を読む皆様には・・

どうか、楽しい日々の中に好い事がたくさんありますように♪

月見る月

2008年09月15日 | 千伝。
今宵は、中秋の名月です。

明夜は、十五夜の満月です。

本居宣長の随筆集「玉勝間~兼好法師が詞のあげつらひ~ 四の巻231段」を熟読していると、夜明け近くになってしまいました。

吉田兼好の徒然草 137段 「花は盛りに 月は隈なきをのみ 見るものかは 雨に対ひて月を恋ひ 垂れこめて春の行衛知らぬも なほ あはれに情深し 咲きぬべきほどの梢 散り萎れたる庭などこそ見所多けれ・・」

~兼好法師が詞のあげつらひ~ 下記抜粋。

大変興味深い随筆です。

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「・・とかいへるは、いかにぞや」
いにしへの歌どもに、花はさかりなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、月の夜は、雲をいとひ、あるはまちをしむ心づくしをよめるぞ多くて、こゝろ深きも、ことにさる歌におほかるは、みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬ を歎きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん、さるをかのほうしがいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流(ミヤビ)にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かのほうしがいへる言ども、此たぐひ多し、皆同じ事也、すべてなべての人のねがふ心にたがへるを、雅(ミヤビ)とするは、つくりことぞおほかりける、戀に、あへるをよろこぶ歌は、こゝろふかゝらで、あはぬ をなげく歌のみおほくして、こゝろ深きも、逢見むことをねがふから也、人の心は、うれしき事は、さしもふかくはおぼえぬ ものにて、たゞ心にかなはぬことぞ、深く身にしみてはおぼゆるわざなるは多きぞかし、然りとて、わびしくかなしきを、みやびたりとてねがはむは、人のまことの情(ココロ)ならめや、又同じほうしの、人はよそぢにたらでしなむこそ、めやすかるべけれといへるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にもよみ、つねにもいふすぢにて、いのち長からんことをねがふをば、心ぎたなきこととし、早く死ぬ るを、めやすきことにいひ、此世をいとひすつるを、いさぎよきこととするは、これみな佛の道にへつらへるものにて、おほくはいつはり也、言にこそさもいへ、心のうちには、たれかはさは思はむ、たとひまれまれには、まことに然思ふ人のあらんも、もとよりのまごゝろにはあらず、佛のをしへにまどへる也、人のまごゝろは、いかにわびしき身も、はやくしなばやとはおもはず、命をしまぬ ものはなし、されば萬葉などのころまでの歌には、たゞ長くいきたらん事をこそねがひたれ、中ごろよりこなたの歌とは、そのこゝろうらうへなり、すべて何事も、なべての世の人のま心にさかひて、ことなるをよきことにするは、外國(トツクニ)のならひのうつれるにて、心をつくりかざれる物としるべし」

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

要は、吉田兼好は、花は散り際、月であれば雲のかかる朧月のような状態も趣きがあってよいという考え方です。

一方、本居宣長は、花は満開、陰りの雲がない月を思う情心が優先するという考え方です。

「もののあわれ」という言葉があります。

古事記を読破した江戸時代の国文学者の本居宣長が、源氏物語を高く評価して言い表した平安時代の美意識を指したものです。

鎌倉時代の吉田兼好が書いた「徒然草」は、室町時代に注目されて江戸時代には町民文化にも大きな影響を与えるぐらい読まれたようです。

「滑稽さと無常感」の魅力が溢れているのが、「つれづれなるまま 日暮らし・・あやしうこそものぐるほしけれ」の世界観かもしれません。

中秋の名月の夜に、過去からの人生訓、処世術を投げかけられたような気持ちです。

今日か明日は、弘法大師 空海に会いたくて、高野山へ出かけてみようかと思うような夜明け前です。

月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月。(詠み人知らず)

今日一日が、たくさん善いことがありますように。

武術と芸術

2008年09月14日 | 千伝。
若しくは、空と海と・・。

日本の一般企業間での取引での打ち合わせという接待の際の食事飲食代は、当然の如く顧客側が支払うことはありえません。

・・しかし、逆のバージョンもあります。

今は、どうかわかりませんが、出版雑誌のマスコミの業界です。

20代の頃、仕事柄、よくフリーのイラストレーターやらカメラマンと打ち合わせをする機会が多くありました。

時と場合によりますが、通常、その際の食事飲食代の支払いは、仕事を与える側であり、仕事を貰う側のフリーランサーではありませんでした。

勿論、割り勘を申し出る少数の方もおりました。

フリーである彼らは、感覚的な言葉で表すと勝ち残ったクリエイターであり、資本社会での芸術家であるのでしょう。

ただ、多くの方々の数字計算、営業力、外見の風体も含めて、一般企業では、到底使い者にはならないという印象も残っています。

誤解を招くといけません。

協調性の能力や個性の優劣ではなく、個性の強さや感覚の多様性を言いたいのです。

さて、昨日の「古武術に学ぶ介護術」のフォーラムは、参加者は、100~200人近くいたのでしょうか・・介護に携わる人材って、何だか前述したフリーランサーと似たような面が多々あります。

物事の良し悪しは別にして、各々の覗く世界観が真面目な方が多いという印象です。

ところで、古武術というもの・・力技を必要とする筋肉を使わない実技もあり、非常に興味深く参考になりました。楽しく面白かったです。主催側に感謝です。

介護に応用するのは勿論ですが、個人的に「なんば走法」の練習方法も教えて頂きました。(笑)

小指を立てて、小指と膝に糸が繋がっているイメージで、前の倒れてゆく走る力を利用すれば巧く走れるとの事・・一緒に走ってくださいました。(嬉)

「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが・・その通りです。

久しぶりに味わった感覚です。

ただ、何故か、今・・腰痛と片痛の状態に入りました。(痛)

武術と芸術・・修行と放蕩のようで、空と海の間にある人の有り様(よう)である気もします。

近いうちに、空海が開祖した高野山金剛峰寺に参りたくなりました。

がんばります♪

今日一日、いいことが沢山ありますように。

汚い仕事

2008年09月13日 | 千伝。
今日は、午後から「古武術に学ぶ介護術」という講演会があるので出かける予定です。

会場は、片道20KMぐらいの場所にあるから、走って行こうかなぁと思いましたが、外は、あいにくの雨模様です。

最近、農薬やらカビで汚染された事故米の不正転売の問題が大きくなっています。

・・何だか、「卑しい・・汚い仕事」をしている方が多いですね。

いや、そうではなくて・・世の中には、卑しい仕事というのは、ありません。

卑しい人間が、いるのでしょう。

介護も、有る意味で便の汚染を始末する「汚い仕事」ですが、汚染を美しくする「尊い仕事」です。

肉体労働の介護仕事のあとの感覚は、山の頂に辿り着いた時の達成感、マラソンを走れ終えた時の開放感とよく似て、「自分を褒めてあげたい感覚」になるのです。(笑)

昨晩から、病院側に提出する介護職員の総意による労働条件の改善・要望をまとめたものを作成しています。

・・小生、ボランティア奉仕の精神で書いていますが、要は、給与の低賃金と人手不足が、改善の必須条件かもしれません。

それよりも、根本的な改善の余地は、対看護師を含めてのコミュニケーションの問題かなぁ。

女性の多い職場関係というのは、難しい面が多々あります。

根本的には、患者さんを中心とした「やさしい看護と介護」なのでしょう。

とんでもない患者さんが、増えているというのも事実ですが・・。

自分の仕事への取り組む誇りなのでしょう。

仕事が、楽しい・・または楽しくない・・思う人の意識の違いは、大きいです。

小生も、かつて、逆バージョンですが、Made in Germany の高品質の工業部品を、低品質の Made in Japan として(意図した合法的な三角貿易業務の抜け道)、アジアの隣国に輸出した経験もあるので・・大きな口を叩くことはできません。

海外バイヤー(顧客)からの関税対策(ヨーロッパ製品の輸入関税率が高い)の依頼と上司からの暗黙の指示があり実行に移すしかなかった自分を恥じています。

給料を頂いている雇われの身の上としての会社員の悲哀と臆病さです。

そうしないと生き残れないという不安がありました。

ビジネスとしても卑しく、人間としても美しくないという気持ちです。

卑しいとか、美しいとかというのは、「汚い仕事」の取り扱いで決まるものではないかと考えるのです。

生きていると恥多し・・です。

それでも、元気で朗らかに笑顔で強い気持ちで・・

ファイトです♪

ほどほどのあき

2008年09月11日 | 千伝。
「過ぎたるは及ばざるが如し」

煙草をやめようと何気なく思ったのが7年前の今日・・ 9.11でした。

・・合掌。


それから、少しづつ少しづつタバコを減らして、完全にタバコをやめたのが、3年前。

実に、完全禁煙までの道程が4年間も要したことを思い出します。

不思議なことに、タバコが減り続けると、収入も同じく減り続けて、一方で食事摂取量は増加の右肩上がり・・そして、いつのまにやらタバコ嫌いのデブ状態です。(笑)

食の場合は、肥満からの脱出のためもっと簡単だろうと思いましたが、そうでもありません。

とかく、いや日常という繰り返す食の環境もしくは牢獄のような単調な生活リズムからの脱出や変化というものは、自分を律しないと難しいものだと痛感します。

減量目的で、なるべく過食生活はコントロールしているのですが、1~2週間経つと、食事のお付き合い・・いろいろと何か食べないといけません。

そうなると、再び過食気味になります。

昨日は、昼食はお寿司屋さん、夜食は焼き鳥屋さん・・

食べ過ぎてしまいました。

食べ過ぎて、お腹が痛いです。

走りすぎて、両足が痛いです。

「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」

そして、秋が深まれば越前ガニも解禁・・味覚の秋です。

美味しいものを美味しいと思うまま食べると・・きっと快楽幸福なのでしょう。

天国も地獄も、この地球上にあります。

今年も、福井産のコシヒカリの新米を頂きました。

これから、精米して参ります♪

浴して何事も「ほどほどのあき」がよろしいのでしょう。

菊の節句

2008年09月09日 | 千伝。
今日は、九月九日・・重陽の日(節句)。

または、菊の節句とも申します。

今日は、比叡山延暦寺に行って参りました。

ただ、一日では全部をお参りできるものではありません。

それぐらい諸堂・諸院が、比叡山山中に点在しています。

さて、比叡山と言えば、錚々たる名僧高僧を輩出した日本仏教界の母山と呼ばれるほどの霊山です。

四恩の空海が開基した高野山真言宗金剛峰寺に比べて、止観の最澄が開創した天台宗比叡山天台宗延暦寺の方が隆盛を誇ったのは地理的条件の良さが幸いしたのかもしれません。

法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、空也、一遍・・等々、層々の若き修行僧が、この比叡山山中に息づき足跡を残してことを偲ぶと、眼下の琵琶湖が心の鏡のように映ります。

一方、田畑を耕すこともなく年貢という生産性もない何千もの屈強な山門僧兵が寝起きしていた比叡山・・足利義教、織田信長が感じた比叡山から吹き荒れる恐怖を考えれば、比叡山焼き討ちも理解できるような気もします。

・・等々、日本の歴史をいろいろと考えさせられた一日でした。

また、思い起こす時に・・比叡山のイメージを膨らませたいです。

比叡山延暦寺東塔の大講堂で、御念珠(お数珠)を、ひとつを買いました。

ちょっと、お値段が高かったですが・・。(笑)

数珠

さて、余談ですが・・

比叡山天台宗の紋章は、菊の御紋の中央に輪宝を飾っています。

その理由を訊きましたら、もともとは、菊の御紋だけだったこと・・。

皇室(朝廷)に菊の御紋を献じたそうです。

そのうえで、天台宗は、菊の御紋の中央に輪宝を飾ったとのこと・・。

人が悟りを開くには、五十二の階段(段階)を踏む必要があるみたいです。

ふと、菊の香りがする夜更けです。

合掌

52段