お遍路さんが、道に倒れても、卒塔婆として墓標ともなる「地水火風空」の梵字と「南無大師遍照金剛同行二人」の白木の金剛杖を求めて・・
一昨日、独りで高野山まで行って参りました。
我々は、何処から何処へ行くのでしょうか?
根本的な生き方を突き詰めれば、そこにぶつかります。
深夜に福井を出て、大阪の羽曳野ICで降りてからの一般道からが遠い・・富田林、河内長野、それから山を越えて和歌山県に入り、橋本へ。
そこから、雨の中をくねくねした山道を登っていると車酔いをしました。
やっと、辿り着いたかと思って標識を見ると・・まだ九度山町でした。
泉鏡花が「高野聖」という作品を残しています。
高野聖は、すでに江戸時代以降には存在しなくて、鏡花は、明治期(1900年)に意図的に登場させています。
これまた舞台を飛騨と信州の国境にある安房峠を天生峠(実際は飛騨の白川村)としているのは、何かを意図しているのでしょう。
ふと思ったのですが、高野山の雰囲気が、非常に飛騨の山中のものと似ていました。
ただ、泉鏡花は、一度も高野山に参ったことはなかったと思います。
ラジオをつけると、関西は、FM局が多いので楽しいです。
(因みに、福井には、FM福井とNHK福井しかありません。)
FMCoCoLoというFM局が、早朝からBBCニュースの英語放送を流しているのには驚きました。
ちょうど、アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻ニュースを大きく報道していました。
まさか、山深い高野山の道中でロンドンからのニュース解説を聴けるとは思わなかったので、高野聖への幻想から、現実的な世界経済の揺れる動きに車酔いを起こしてしまいました。
そのBBCニュースの番組が終わる6時半頃、やっと、雨に煙る金剛峰寺の前の駐車場に到着・・。
平日の雨の早朝なのに県外ナンバーの車も停まっていて、すでにあちらこちら歩いている方が多く不思議な雰囲気でした。
それにしても・・何だかビシッとした雰囲気のある美しい町 高野山です。
1200年近くの歴史のある高野山ですが、実際は明治以降に全国各地から、仕事を求めてこの霊山に集まり移り住まれて整えられた開墾された町です。
それ以前は、女人禁制、しかも一般人がこの高野山に暮らすことは許されていなかったようです。
とぼとぼと・・弘法大師の御廟のある高野山奥の院まで歩き始めました。
一の橋から御廟まで約2KM・・・・皇室・貴族から戦国武将の巨大な石の供養塔があるわあるわ・・です。
江戸時代には宗派をこえて大名、文人、庶民の供養塔ができて、その数は、数十万基にも及ぶようです。
多分、小生のご先祖にあたるのではないかと思われる供養塔もありました。
奥の院につながる無明の橋(煩悩をとる橋)です。
向こう側は、結界と呼ばれる奥の院です。
後日につづく・・。