百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

君の名は。

2016年09月26日 | 千伝。
地方に暮らしていると、東京地方から発信するニュースに時々、辟易することがあります。

例えば、築地市場を豊洲に移転する問題・・何故、繰り返し全国ニュースで取り上げられるのか?

関東のローカルニュースで取り上げて欲しいものです。

日本のメディアを含めての東京一極集中の弊害は、かなり具合の悪い劣化状態に陥っているのでは?

海外からのニュースもFacebookから取り込む方が、正確迅速なのです。

昨晩のNHKスペシャル「人口減少 縮小する日本社会」・・誰もが東京の大規模な再開発事業がほんとうに必要なのかと疑問を持つのでは?

日本の政治家、経済人・・賢い方ならば、孫の世代までに地方へ移住させるのでは?

先日、久しぶりに東京へ行った折、以前よりも人口がとても少なくなった感覚がありました。

統計上は、いまだに増加しているようですが、家に引きこもる高齢者人口増、増々高くなるビルディングの中に吸い込まれる人口を差し引いて考えると、東京都心の人混みの少なさは、当然のように映りました。

昨日、三国湊まで出かけて参りました。





明治時代、騙し絵画家エッシャーの父親(オランダの技術者)が設計監督した防波堤が見えます。

・・藤野先生も同じ風景を眺めたのかな?
(日本よりも中国の方で有名な作家魯迅の恩師。福井県出身)

今世紀末まで、日系アメリカ人もしくは中国系アメリカ人・・アメリカ大統領になるのは、どちらが可能性大かな?



海を眺めながら・・そんなことを考えていました。

国際的なリーダーシップを発揮する国になるという安倍政権。

地方創生もままならず、貧困に喘ぐ若者の増加・・近い将来、豊洲の空洞化問題よりも、遥かに深刻な問題になりそうな東京の大空洞化。



「君の名は。」というアニメ映画が、大ヒット中です。

昔、昔、大昔・・とある名僧が、「君の名は、何だ?」と訊いたそうです。

「○○です」と答えると、「それは生まれたあとに付けられた名前だろう。私が訊いているのは、母親の胎内にいる時の名前だ」

続けて、「名前のついた自分も大事だが、今日こうして生きているのは、名前のなかった時の自分の命と同じぐらい、もっと大事だ」と言いました。

そう、「お茶」の本当の名前は、何だ?・・という禅問答があります。

お茶の本当の名前なんて、どうでもよいのです。

大切なことは、お茶を飲んで「美味しい」「旨い」「善い」と感ずるのであれば、命と「共生」しているのです。

逆境にある悩み多き若い人たちへ。

金持ちや、偉い人間に成るよりも、善い人間に成れば良いのです。

朝霧の街

2016年09月25日 | 空木宝剣
朝霧の 三次盆地や 運甓居

三次の人なら知っている。
尾関山から比熊山。
浅野長治や阿久里姫(瑤泉院)、
そして、忠臣蔵の大石内蔵助。
それに、頼杏坪の生きた街。


比熊山中腹より巴橋を臨む。


瑤泉院の像( 尾関山公園)


三次藩浅野家菩提寺鳳源寺境内




日本一のニート。

2016年09月24日 | 千伝。
この頃・・体調良しとは言えず。

さて、高速増殖炉「もんじゅ」の先駆けとなる実験炉「常陽」の炉内にも入ると、その足元の床には円形に、ラテン語で古代ローマ時代の詩人であり哲学者セネカの詩の一節が書かれているとのこと。

「かくも明白な事実を、我々が今やっと体験したということに、子孫たちが驚くときが来るであろう。」

大学卒業後、一年間ほど、アテネ・フランセのラテン語講座に通っていましたが、どんな文章なのかイメージも湧いてきません。

ただ、セネカのラテン語の詩を引用は、当時の原子力エネルギーに賭けた夢や希望や熱気が伝わってきます。

当時・・いや、ほんの22年前の日本の原子力政策は、夢のエネルギー源としての熱気を感じたのは事実です。

1994年(平成6年)4月、福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」が、臨界達成。

世界のマスメディアが、福井に集結。

この出来事は、世界のトップニュースになったほどの「夢のエネルギー物語」の始まりでした。

福井で暮らし始めていた僕にとっても、どれほど誇り高いニュースであったことか!

我が家にも、その時の「もんじゅ 祝・臨界達成記念」の置き時計があるはずです。

あれから、22年・・実質的に稼働したのは、四か月。

その後、相次ぐ不祥事、エラー、ミス、事故の連続の不信続き・・ほんとうに夢のエネルギー源達成は可能なのか?

そして、決定的なのは、東日本大震災での福島第一原発の崩壊による原子力政策への恐怖感。

そして、とうとう廃炉とすべき「もんじゅ」への政府方針。

これに対して、昨日は、福井県知事が苦言を呈す。

しかし、これまでに、1兆円を超える莫大な資金を投入して、年間200億円の管理費、毎日5500万円の維持費・・。

その殆どが電気代出費という笑えないような皮肉。

とあるマスメディアは、日本一のニート「もんじゅ君」と評しています。

昔は、ニートという言葉は、存在していませんでした。

お金(予算)という使い方ならば、国家も個人も、その使い方で、その国家の品格、個人の品格・人生観を垣間見ることが出来ます。

国家百年の計に基づいてのエネルギー政策・・地球の限りある資源を考えれば、原子力エネルギーは、優先順位の上位に位置します。

高度な文明というのは、エネルギーの活用量が基準となるとのこと。

太陽のような恒星の全円周を人工物のようなもので包み込み、それをエネルギー源として宇宙漂流をする地球外の惑星文明もあり得るとか?

さらには、ブラックホールのような銀河系の中心部を人工的に包み込み、それには光速以上のスピードでワープ移動できる文明も存在するのではないか?

・・というSFの世界のような仮説も昨今、科学的見地から紹介されています。

そういうことを想像すれば、「もんじゅ」の廃炉は、余りにも大きい地球文明の躓きとなるかもしれません。

世界は、どこに向かおうとしているのか?

日本は、どこに向かおうとしているのか?

そのビジョン、目標が無いから、失敗するのでは?

向かい風も、追い風もない・・そんな社会なのでは?

昔・・北陸を評して「越中乞食、加賀強盗、越前詐欺」という言葉がありました。

越中の人間は、いざとなると乞食になる。

加賀の人間は、いざとなると強盗になる。

越前の人間は、いざとなると詐欺になる。

現在ならば、いざとなると「ニート」になりたくなるかもしれません。

越中富山の市会議員連続辞職問題・・乞食になるより、詐欺を選んだようです。

Accipere quam facere injuriam praestat.
アッキペレ・クァム・ファケレ・インユーリアム・プラエスタト。

(不正を行うより、不正を受けるほうがよい。)

古代ローマ帝国の哲学者キケロのラテン語の言葉です。

お金も時間も、限りある人生のエネルギー源です。

どういう使い方をするかによって、その社会性、人間性が見えてきます。

セネカが、暴君ネロの家庭教師だっただけに「もんじゅ」も暴走したかもしれません。

否、高速増殖炉「もんじゅ」に、罪はありません。

智恵の菩薩「文殊様」から、日本一のニート「もんじゅ君」にしたのは、誰なのでしょうか?

魅せられて♪

2016年09月17日 | 千伝。
今日の午後、久しぶりに福井市美術館(アートラボふくい)へ。



この逆円錐形のような建物設計者は、黒川紀章氏。

以前、聞いた話では、こういう建物の中で働いていると、心がアンバランスになるとか?!



「ジュディ・オング倩玉 木版画の世界展」が、今日から、やっと開催されました。

前々から、楽しみでした。



ジュディオングさん・・若い世代の方は、余り存じていないかもしれませんね。

我々世代が若い頃には、知的で、数か国語を話し、しかも美人で、別格レベルの憧れの方でした。

25歳の(1975年 昭和50年?)の時から始めたという木版画制作・・今日に至るまでの圧倒的な数の作品の構成、色使い、その進化が素晴らしいのです。

今日は、オープン二ングセレモニーで、ジュディオングさんのお話を聞くこともできました。

一昨日、シンガポールでのコンサートから帰国したばかりだとのこと。



自分は、「日本家屋」と「花」を題材にした木版画家だとおしゃっていましたが、「光」とか「気」とか「風」とか「水」とかを大事にされているのでしょう。

福井は、子役の頃から、宇野重吉さんから故郷の福井の話を聞いており、現在は越前和紙を使用しているので、とても身近な土地柄だとも話されていました。

通常は・・帰宅後、夜7時のニュースを観終えて、そのあとの数時間に集中して制作に励むとのこと。

「時間は自分で作るもの。大事なものは継続。目標は苦しいではなく楽しいものにしないとね!」

版画家ジュディオング倩玉さん・・やはり只者ではないという存在感がありました。



・・寺尾聰の「ルビーの指輪」を聴きながら♬・・仰げば尊し。

魅せられました。

東京駆け足散策。

2016年09月13日 | 百伝。
東京都心は、ひと昔、ふた昔に比べて、人口が減ったのではないかという印象。

昔に較べると、新宿も渋谷も東京駅界隈も、人の数が少なくなったような気がします。



高層ビルが増えた分・・その中に吸い込まれる人間が多くなったので、そう感じたのかな?

例外的に感じたのが、吉祥寺界隈です。

40年前とほとんど変わらない井之頭公園の佇まい・・しかも、人気があるのでしょう。





平日の午後なのに、昔と比べものにならないぐらい人の数が多くて混んでいました。

この界隈は、思い出深い場所です。

大学の授業を終えたら、吉祥寺で途中下車をするのが当たり前のような日常でした。



南口の丸井の前から、調布の深大寺行きバスに乗って、兄の下宿先へと、よく通ったのも思い出しました。

何も変わっていませんでした。

さて、大学時代の四年間暮らしていた荻窪まで向かいます。



ハチミツの専門店「ラベイユ」の本店もあります。

荻窪も変わりましたが・・ちょっと雑多な場所は、相も変わらずの雰囲気でした。

昔、鯨定食のあった食堂の前を通り過ぎて、「ラベイユ」本店まで。



ラベイユとは、フランス語で「ミツバチ」という意味。

世界中のハチミツを扱っており、お薦めのハチミツを試食。

・・美味でした!

「銀座のハチミツ」を扱っていますか?と訊くと、銀座の松屋デパートの「ラベイユ」でしか取り扱っていないとのこと。

荻窪には、もっと居たいという気持ちもありましたが、そのまま東西線で神楽坂まで。

神楽坂には、「あかぎカフェ」というお店に美味しいアイスがあると、以前、家内から聞いており行ってみたくなりました。



赤城神社の境内にある「あかぎカフェ」です。



・・美味でした!

そのまま、神楽坂の商店街通りを下る・・楽しい散策時間でした。



・・飯田橋から有楽町まで。

このあたりで、やっと改札口の通り過ぎ方に慣れました。

福井駅には、自動改札口は無いのです。

必ず、駅員さんが立っており、切符を差し出します。

スイカもパスモも・・よく分かりません。

有楽町から銀座まで、散策。

ほとんど30年昔と変わらない風景です。

途中・・ネーミングのよいお店もありました。



銀座、松屋「ラベイユ」に到着。



銀座のハチミツを購買。

購買理由は、「百島のハチミツ」の味覚と比較するつもり。



36g 1728円・・高価です。

お店のお話では・・この頃は、他に「丸の内はちみつ」や「日本橋はちみつ」も取り扱っているとか!

それも現地販売店のみとして、お値段も差別化しているとか!

因みに、「銀座のハチミツ」が、ラベイユで取り扱う国内産では、いちばん高価だとのこと。

う~ん、この東京ベースの販売戦略・・いかがなものか?

銀座通りに出ます。

日本一高い地価価格の銀座4丁目です。



インパクト度では、百島の泊堂の坂道の方が、強烈です。



余談ですが・・現在の銀座通りの形作ったのは、初代東京都知事の由利公正(三岡八郎福井藩士)。

福井県が全力を挙げて、2年後の大河ドラマの主人公に推し上げていましたが、三八は落選。

鹿児島県の西郷どんに主人公を譲ってしまいました。 

・・残念です。

銀座通りから新橋まで散策。

バラエティ番組のロケ撮影をしていました。





この界隈は、20代の頃の社会人時代によく食べて飲んだ懐かしい思い出深い場所です。

虎ノ門、神谷町、六本木、渋谷までの散策は、時間的にも無理。

そのまま、新橋から渋谷まで。

渋谷駅は、再開発中で、凄く変わっていました。

井之頭線方面は、ほとんど変化無し。



当日のゴール地点に到着。



明日の神話・・何だろう?

終わりに・・翌日まで一緒に時間を過ごした仲間に感謝。

深夜の首都高速道をドライブ、羽田空港国際ターミナルへ。





送迎デッキから眺めた御来光です。





合掌。

東京から京都へ移動。



一昨夜、無事に帰福帰宅できました。

すると、東京ドームでの巨人戦に勝利して、広島カープが25年ぶりに優勝したとのニュース。

もう一日、東京に滞在すればよかったのかな?

沢山の働き蜂が、一所懸命働いて、巨大な蜜の巣のような空間が、東京なのかもしれません。

東京駆け足散策・・ミツバチのように、動き回ることが出来ました。

人生再稼働・・微速前進。

高崎山

2016年09月12日 | 空木宝剣
鈴虫や 淋凜倫と 夜は更ける

平塚らいてう(1886~1971)の「原始、女性は太陽であった」に対して、「原始、男は水であった」に違いない。
酔う水を飲んだ猿が、遥か彼方の夢を見て、衣食住工を発展させて人間に進化。
「思えば遠くへ来たもんだ」を確認するために、
今年は申年。
別府の高崎山に行くべえか。


東京散歩。

2016年09月11日 | 千伝。
久しぶりに東京での散歩。

二泊三日(9月8日~10日)の行程を楽しんで参りました。

18歳から30歳になるまで過ごした東京暮らしの生活。

実際、東京に行けば、特別に行きたいという場所がないのです。

ミニ同窓会待ち合わせまで、金曜日の日中がフリー。

その時間をどのように独りで過ごそうかと思案していました。

そうなると、やはり思い出すのが、学生時代に暮らしていた下宿屋界隈や母校かな。

そこで、早朝から独り、夕方まで東京散歩を楽しみました。

まずは、高田馬場へ。



ちょうど、上京した頃に出来上がったばかりの建物がBIX BOX。

広島カープが初優勝した42年前の昭和50年当時です。



当時は、この建物・・東京では話題のビルディングでした。

毎日のように、デビューしたての歌手が、BIX BOX内でミニライブをしていました。

実際に観て・・憶えているのは、岩崎ひろみさん、麻生めぐみさんかな?

高田馬場から地下鉄東西線早稲田駅まで朝の散歩。

・・夏目漱石の生誕地という石碑があります。



そこから、ゆるやかな坂道(夏目坂)を、ドンドンと真っ直ぐに上がります。



途中に立派な警備も厳しいマンションのような、とある銀行の社宅があります。



作家有島武郎の旧宅跡にあって、当時は、銀行のボロい団地のような雰囲気でした。

前の広場で団地の子供たちと三角ベースして遊んだ記憶があります。



その先、数十メートルぐらいに、お世話になった木造家の下宿屋がありました。

今は、小奇麗なマンションに代わっていました。

牛込界隈です・・東京女子医大もあり、河田町には、フジテレビもありました。

よく、生放送の歌謡番組のスタジオ内見学に行ったものです。

山口百恵、桜田淳子、森昌子、郷ひろみ、西條秀樹、野口五郎・・人気絶頂の時代です。

今は、笑点の座布団運びをしている山田君・・彼も「ずうとるび」というグループメンバーのアイドル歌手でした。

彼の同級生の友達というのが、予備校に居たのを思い出しました。

そうそう、僕が、高校を出て進学したのが、早稲田大学の大隈講堂裏手の並びにあった早稲田ゼミナールという予備校です。



実際、42年前に、我々が学んだ早稲田ゼミナールの建物が、いまだに現役で使われていたのには、ビックリ。



今は、早稲田大学に買収されて、予備校生相手ではなくて、高齢者向けの学習センターとして使われているとのこと。

ここで、1年間、みっちりと早稲田大学に入る受験テクニックを教わって学んだ思い出の場所です。

そして、見事に晴れて入学した大学が、アジア(亜細亜)大学でした。

何故?・・話をすると長いので省きます。

もうひとつ思い出深いこと。

早稲田ゼミナール予備校登校初日に、高校の同級生とバッタリと出会いました。

彼は某大学に現役合格・入学・・さらに早稲田大学を目指していて、その実力は十二分ありました。

そして、それ以来、彼の受験計画も頓挫。

僕と一緒に東京見学を兼ねての遊びが、多過ぎたのでしょう。

今も申し訳ないという気持ちがありますが・・人生、結果オーライです。

現在、彼は、経営者として、尾道の経済界を引っ張るポジションにいます。

近い将来、尾道の商工会議所会頭となることを期待しています。

リーガロイヤルホテル東京から眺めた大隈庭園です。





当時は、この庭園には、誰でも入れて、芝生が広くて、こんなに緑木深くもなかったです。

さて、武蔵野へ。

スマホを落として機能不全になるトラブルもありましたが、新宿のヨドバシカメラでリカバリー、感謝。

思うのに・・大学ビジネスは、凄く儲けているのでしょうか?

早稲田大学の建物施設、範囲を拡げて立派なビルディングだらけになっていました。

中央線沿いから見える順天堂、明治、法政、東京理科、東京医科歯科、すべて立派なビルディングに替わっていました。

我がアジア大学も新校舎の建築中でした。



今、通信教育でお世話になっている京都の佛教大学も同じく新校舎建築中。

中央・総武線吉祥寺、三鷹・・そして、次が、武蔵境駅です。



見事な変わりぶりに言葉を失くしました。

在来線の尾道駅舎から、新幹線の新尾道駅に建て替えられたぐらいの変わり様です。

さすがに、武蔵境駅周辺は、アジア大学一色の幟だらけです。



さらに、歩いて不思議な感覚になったのは、大学生の頃、畑の横を歩いていたのです。

今は、住宅地になって連なっていました。

当時、下宿していた40年ほど昔の荻窪の住宅地が、そのまま、40年後、ここに引っ越してきたような不思議な感覚です。

我が母校のアジア大学まで訪ねて歩きました。



途中に、見覚えのある木が立っていました。



日本獣医畜産大学跡です。

畑が、あった!

・・嬉しいですね。



母校が、近づいて来ました。

ちょっと・・ドキドキ。







振り返ると、独りの外国人が立っていました。

後ろから、ぼくのあとをついて来たのかな?

アジア大学の留学生?と訊くと、ノーとの返事。

フランスのパリから来て、今は、浅草で地域興しを手伝っているとのこと。



名刺もくれて、ちょっと・・不思議な出会い。

夏休みのキャンパス内へ。



少人数ですが、学生さんも歩いていました。



先日、テレビを観ていると・・。

明石家さんまが、亜大生のタレントに「アジア大学は、誰でも入れるじゃないの?」という意地の悪い質問をしていました。

その通り・・一芸があれば、入学可能性大です。

「ようこそ、亜細亜大学へ」です。



職員さんの許可を得て、屋上に上がってみました。



ここで、よく昼寝をしたものです。



ここからは、新宿の高層ビル群、富士山の威容も、よく見えました。



不倫問題のタレントのベッキーも、歌手の夏川りみさんも、登山家の野口健さんも、中退した俳優の吉岡秀隆さんも、松たかこさんも、みんな通ったアジア大学キャンパス内です。

プロになった野球人、芸能人、オセロ日本一、けん玉日本一・・その他大勢いるのが、亜大OBです。

卒業生約10万人近いとか・・でも、ほとんどの有名人でもある亜大OBでさえ、自分の大学を率先して名乗りません。

そのあたりが、訊かれてもいないのにも関わらず、早稲田大卒と名乗る早稲田OBとは違うのです。

俗に言うと、MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)、関関同立の偏差値レベルの以上の大学に進学卒業しないと、そういう点、誰でも入学できて卒業した亜大OBは、他大学OBとの競争という先入観では、社会に出ると苦しい立場に直面します。

日本での学歴優先の一般的な社会では、国士舘大、拓殖大と同様なイメージが重なります。

だからなのでしょう・・亜大卒と言わないで、「とある大学を中退した」という仲間がいます。

彼の出身高校は、抜群に知名度もある進学校です。

そこに力点を置きながら、自分の会社では、東大卒や早慶卒を雇い入れて、こき使っているようです。

ほんとうに・・彼は、中退すればよかったのにと思います。

そんな話題が、ミニ同窓会で盛り上がります。

「ふぞろいの林檎」という三流大学卒の青春ドラマがありました。

還暦になるまで、亜大卒という学歴は「有り難くなかった」と言いながらも、アジア大学大好きなのです。

人脈とコネを活用しながらも、何とか・・裏道街道を自力で走り抜けて生き残ったツワモノ仲間です。

あくまでも、僕個人が勝手に想像する限りの亜大時代の友人像です。

自助協力・・亜大の体育館です。



とても嬉しくもあり・・健在でした。

この体育館で、40年ほど昔、入学式も、卒業式も行われました。

当時の理事長は、東急グループの総帥であった故五島昇氏でした。

学長は、太田耕造氏・・実質的な亜細亜大学創立者で初代学長です。
(明治22年、福島県生まれ。苦学の末、東京帝国大学法律科を卒業。その後弁護士から貴族院議員となり、平沼内閣では内閣書記官長(現在の官房長官)、終戦時の鈴木内閣では文部大臣を歴任。敬虔なクリスチャンでもあり、教育の重要性を説き、実践し続けた人格者でした。亜大の建学精神「自助協力」は、太田初代学長の意志を反映されたもの。)

卒業式での太田先生から贈られた言葉は、今でも覚えています。

・・要約です。

「皆さんは、この大学で沢山の下駄を履かされていたのです。そして、単位が取れて、今日の卒業式を迎えることが出来ました。社会に出ると、その高下駄はありません。皆さん・・80点、70点の目標では駄目。常に、百点満点を目指しなさい。そうすれば、ミスをしても人生という成功単位を取れます。いつまでも、あなたがたの人生を応援しているのが、あなたの母校となるアジア大学だということを忘れないでください。」

我々が卒業した翌年、太田先生は、他界されました。合掌。



もうひとつ、あの体育館での思い出が甦ります。

あの体育館での体育の授業中・・バスケットの試合をしている最中に、体育会の学生とトラブルになりました。
(体育会・・学生服を着た応援団体のようなもの。正式な応援団は、当時、他大学の応援団と衝突して活動中止処分中でした。)

体育会の学生相手のトラブルだと、あとあと面倒です。

そこに、友人のAが現れて、「おまえがラフな態度でぶつかってきて、喧嘩を売るというのは、どういう了見だ。体育会だと思って偉そうにするな!」と一喝。

相手側から謝罪。

Aに「助け舟を出してくれて、ありがとう」と言うと、「お互い様だ」と答えていました。

以前、同じような状況で、僕が、彼を助けたとのこと。

今回も、Aには、会えませんでした。

Aは・・何をしているんだろうな?

・・そんな想いを持ちながら、アジア大学をあとにしました。



銀杏並木も大きくなった母校訪問・・暑い中、フラフラしながら都心に向かいました。

いつか、機会があれば、Aと一緒に訪問したいものです。

ガウディ風の建物の外壁に組み込まれた時計。



温故知新・・そんな時間を過ごすことが出来ました。

感謝。

フェリー百風紀行。

2016年09月03日 | 百伝。
フェリー百風・・いいね❗



もっと世間に認知認識されても、よいのでは?

何故、それほど取り上げられないのか?・・と考えてみました。

単なる浦崎や常石の飛び地、百島への住民の足としての船舶経営?

だから、赤字を出しても、離島振興法で守られて、自治体尾道市が補助してくれるという安心感?

常石グループの備後商船・・今のような取り組み経営でよいのかな?



単なる地元民の足(フェリー)だけで、いいのかな?

・・勿体無い使い方です。



地元民だけではなく、もっと・・若い年齢層、しまなみ海道に飽きたサイクリストも呼べるはずです。



さぁ、出航です。



3階の客室外側通路を回れば、ぐるり360度・・尾道水道を見渡せるのです。



千光寺山を背景にして、何のアナウンスも無い、観光情報も無い・・という勿体無さです。

尾道の宣伝情報・・観光資源いっぱいあるのにです。



個人的な想い連ねて・・フェリー百風は、進みます。

・・弁当を食べながらのクルージング気分もよいです。



尾道市役所です。

尾道市公会堂は、取り壊し中?



松本病院です。

生前の父が、とてもお世話になりました。



浄土寺です。

高校時代の同級生の家も見えます。

あの家の窓から、よく手を振ってくれたものです。

足利尊氏が、九州から反転して京に上がる途中に勝利祈願したのが、浄土寺です。

あの界隈は、小津安二郎監督の東京物語のロケ地の核となる場所です。



右手に、日立の向島造船所・・岩屋山の巨石ミステリーと浄土寺の関連話は、どうでしょう?

尾道大橋が見えて来ました。





















尾道造船所です。





山波の洲。









対岸となる向島の歌(地名)が見えて来ました。





対岸は、戸崎のクジラ島。



その前方に目を向けると、正面に加島が見えます。





加島の山は、九頭龍山と呼ばれています。

誰が、どういう謂われで名付けたのか知る由もありませんが、眺めるだけでも箱根芦ノ湖、奈良の三輪山レベルのパワーアップスポットです。

左45度、航路旋回。

飛鳥の時代も、源平の時代の那須与一も、足利尊氏をはじめ数々の歴史上の登場人物も同じ風景を見たはずです。

志賀直哉も小説「暗夜行路」の中で、四国へと渡るこの航海ルートにも触れています。







見えるのが、百島の軍殿山と十文字山です。

余り言いたくありませんが、かなりのパワーアップ聖地です。

もともとが桃島で・・桃源郷のような地で、蘇民将来が暮らしていた神の島のようでした。

時々・・蘇民将来の顔が、軍殿山の麓に現れます。

蘇民将来の子孫也・・日本全国の茅の輪くぐりの伝説の源、伝承地にしたいものです。





別荘が並ぶ百島の女男鼻エリアです。







真っ正面に見える白い建物が、ホテル境ガ浜ベラビスタ(ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道)です。

その向こう側に、常石造船所(福山市)が見渡せます。



さらに奥に進むと、口無し瀬戸と呼ばれる鞆の浦(福山市)へと続く「海の抜け道」です。







備後商船のファンとして、次なる提案を示したいものです。

フェリー百風には、冷暖房、トイレ完備、おまけに自動販売機設置してあります。

それならば、一日乗り放題チケット発売。

・・3階の客室の雰囲気が乱雑過ぎます。



3階の客席客室を、もっと図書室風?自習室兼飲食できるダイニング風に、オシャレにデザイン設計再考。

大抵、よい雰囲気のあるスペースは、風景、窓外に向けて、テーブルと椅子を配置しています。

一日中、船上図書(自習)室スペースで過ごすのも可。

瀬戸内海の風景を眺めながらの読書も学習も飲食も可。

途中乗船下船も可。

学び遊ぶパワーアップエリアを担うことができる役割を、フェリー百風が担って欲しいものです。

以上・・個人的な見解です。



さて、百島到着です。



百島の玄関口は福田桟橋ですが、その門構えは尾道桟橋であり、常石桟橋であり、履き物は、フェリー百風であったりします。





尾道のU2も、境ガ浜エリアも、加島ビーチも・・実質的には、この頃、常石グループの勢いが率先して富裕層対象にビジネス展開しているように映ります。

水陸両用飛行機の運航も然りです。

それならばそれで良しとして、広島県備後地方の観光ビジネスの核となればよいと考えます。

それに便乗して・・百島カラーを出せばよいのではないかと思うのです。

百島の存在あっての対岸の境ガ浜、常石の存在です。



そして、百風の船体をデザイン化したアートベース百島さんの踏ん張りにも期待します。

尾道のU2で、「百島はちみつ」を購買しました。



銀座のハチミツよりも断然安価です!・・120g、1000円でした。

でも、百島のハチミツは、銀座のハチミツよりも美味いはずです。

百島 夜景。

2016年09月02日 | 百伝。
台風のスピードが落ちて、西日本には明後日以降に影響が出るとの天気予報。

それで、今夜は、3週間ぶりに百島の実家に滞在しています。

年老いた母の独り暮らしを気にかけながらの今回の帰省です。

泊港の波止場まで散策して来ました。

キャプテンの家は、留守。



波止場に寝転んで夜空を見上げていました。

・・独り暮らしの年老いた母のこと。

孤独死というものも覚悟していますが、結論は出ません。

どこかの施設に入居?
我が兄弟の誰かの家庭で一緒に暮らす?
それとも百島で介護生活?

今尚、自炊洗濯が出来るまでが母の独り暮らしのリミットかな⁉

子供の言うことを聞かない母が倒れるまで、家族の結論も迷走気味です。

父が倒れた時は、母が百島での在宅介護して、その母を松本病院、親類身内も我々子供もフォローしましたが、今は頼りになる元気な親類身内もいない状況です。

あの世に送られる側よりも、この世で送る側の方がツライ・・日本の人口減少の現実問題です。

母ヘの現実問題は、我々の近未来の老後問題でもあります。

今日、帰省途中に岡山のイオンモールと尾道のU2に立ち寄って見ました。









とてもオシャレで素敵な空間でした。







でも、老いるという高齢者の人生視点から観ると、とても不便かな。

来週は、東京でのミニ同窓会に参加予定ですが、百島の夜空を眺めながら思案中です。

老いる社会生活・・どうすべきなんだ❗

宮沢賢治 (1896~1933)

2016年09月01日 | 空木宝剣
早池峰の 麓に風の 又三郎

今日は防災の日。
風の又三郎が転校して来た日。
台風10号、早池峰山麓を襲い、小本川は大氾濫。
熊本では、又もや震度5弱の地震。
日本列島細動。
海が襲ってくる、山が襲ってくる天変地異を避ける為の保険とは何か?
又三郎に聞く。