百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

助けて❗

2022年01月30日 | 千伝。

オミクロン株の感染者が、こんなに増えるとは❗

来月に3回目のワクチン接種予定、でも今回は接種したくない気持ちが大きいのです。

よく分からないけど、すでに感染して無症状ならば、接種の必要あるのかな?

中国のゼロコロナ対策も異質だけど、イスラエルの国策として4回接種すると、抗体が13倍に上がった?という宣伝?も異様に思えます。

不思議なのは、高齢者施設、学校でのクラスターの発生事項が多いけど、

20代の息子は言います。

パチンコ店でのクラスター発生はない・・抗体能力のある人々が集うのか?、換気がよいのでしょうか。

最近、20代の「人をたくさん殺して死刑になりたい」、60代の「人をたくさん道連れにして自殺したい」という犯罪が世間を騒がしています。

20代、60代の年齢層というわけではなく、社会全体像の歪なのかもしれません。

60代になると思うのです。

人間は、ずっと老人と子供の間を行き来する生き物かもしれません。

犯罪は、無くなりますか?

戦争は、無くなりますか?

「助けて❗」で始まる歌があります。

史上最高年齢で歌手デビューした左卜全さん、ひまわりキティーズの「老人と子供のポルカ」です。(1970年、昭和45年)

ゲバゲバは学生運動、ジコジコは交通事故、ストストはストライキ、当時の世相を反映しています。

被害者は「老人と子供」のポルカ。

詞:早川博二

作曲:早川博二

(たすけてー)
ズビスバー パパパヤー

やめてケレ やめてケレ
やめてケーレ ゲバゲバ
やめてケレ やめてケレ
ゲバゲバパパヤー

ラララ ランラン ララララ
ゲバゲバー ランランランラララ
ゲバゲバ どうして どうして
ゲバゲバパパヤー
おお 神様 神様 たすけてパパヤー

ズビスバー パパパヤー

やめてケレ やめてケレ
やめてケーレ ジコジコ
やめてケレ やめてケレ
ジコジコパパヤー

ラララ ランラン ララララ
ジコジコ ランランラン ララララ
ジコジコ どうして どうして
ジコジコパパヤー
おお 神様 神様 たすけてパパヤー

ズビスバー パパパヤー

やめてケレ やめてケレ
やめてケーレ ストスト
やめてケレ やめてケレ
ストストパパヤー

ラララ ランラン ララララ
ストスト ランランランラララ
ストスト どうして どうして
ストストパパヤー
おお 神様 神様 たすけてパパヤー

おお 神様 神様 たすけてパパヤー

(たすけてー)


名を挙げて。

2022年01月28日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今春の高校選抜野球、広島県から広島商と広陵の古豪2校が、20年ぶりにアベック出場決定・・楽しみです。

個人的には、福井県から21世紀枠で丹生高校が初出場・・嬉しいのです。

丹生と書いて「にゅう」と読みます。

福井で暮らし始めた頃、当時、丹生郡だった清水町、朝日町、織田町、宮崎村、越前海岸の皆々様に大変お世話になり、丹生(にゅう)の人たちは、何でこんなに親切なんだ❗という思い出が沢山あります。

今は、市町村合併で福井市に編入した清水町、他は越前町として一体化、海あり山あり里あり、かつての宮崎村・・日本一美しい村でした。

福井県の丹生という地域ブランド、もっと有名になればいいのにと、地元の丹生高校が甲子園でも出場すればよいのにと。

そう、考えていたのが30年以上昔・・想いは、いつか通じるものです。

因みに丹生郡の織田地区は、織田信長のルーツとなります。

さて、先日のNHK テレビ「歴史探偵」は、その覇王である織田信長に立ち向かった村上海賊と雑賀衆を取り上げていました。

謎多しのミステリアスな村上海賊、その歴史とエピソードを紐解くのが、「武家万代記」。

テレビ番組で初めて紹介されたのでは?

その横に、ちゃんと著者(口述伝承者)の村上喜兵衛(高吉)の名を見つけました。

もっと歴史のスポットライトを浴びてもよいのではないかと考える、百島村上海賊大将、村上喜兵衛(高吉)。

喜兵衛は、百島の曹洞宗西林禅寺のお墓に眠っています。


スキー場に連れてって。

2022年01月26日 | 千伝。

今朝、眼が覚めると、ラジオから大林監督の映画、尾道三部作の「時をかける少女」の歌が流れていました。

作詩作曲は、松任谷由美さん、主演、原田知世さん。

つい先日、NHK BS で、1987年(昭和62年)の映画作品「私をスキーに連れてって」が放映されていました。

当時、話題になったトレンド映画だったようで、作品名は知っていましたが、初めて観ました。

主演は原田知世さん、勤務先の脇役を田中邦衛さん、小坂一也さん、竹中直人さん等、皆さん若い❗

FOBやらCIF やらの貿易用語を入れた台詞。

全く貧困臭も生活臭もしないスキーブームだった世相。

当時は、ああいう時代だったのかな?

あれから35年。

時をかけた少女の原田知世さん、いい女優に成長しました。

若い頃、ロンドンの骨董街ポートベローで、原田知世さん姉妹が散策していたのをお見かけしたのを思い出します。

今の人気スキー場。

スノーボードが主流、手ぶらでスキー場に行っても、色採り採りの衣類、靴、板も丸ごとレンタル出来ます。

でも高齢者は、ゲレンデを見て、お風呂に入って、ちょっと飲食して、雪道をドライブして帰宅するのが楽しみ。


一ノ日は「百」。

2022年01月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

65歳になると、年金受給を繰り下げるか、どうかの判断を求められます。

そうこうすると、居住地の役所(自治体)から介護保険料の支払通知が届きます。

ちょっと、えー?という気持ちになります。

これって払わなければならない義務化なのかな?という感覚。

40歳以上の日本国民に課せられた介護保険制度だというのは、理解しています。

但し、介護保険料は、自治体によって料率が異なります。

今は便利なネット時代。

気になる他の自治体との介護保険料、福井市と比較調べてみたくなりました。

まずは、故郷の尾道市。

次に、鎌倉市。

それから、隣りの石川県の野々市市、ここは2年連続日本一住みやすい自治体に選ばれています。

そうこうしているうちに他の自治体のホームページへ、案外と面白いユニークさを時々アピールしているのが興味深いです。

自治体にも貧富の格差が拡がっているのでしょう。

市民町民村民の為、何をしているのかアピール、サービスするのが、自治体の役割、使命だと考えます。

請求されるばかりで、申請しないと全く恩恵を受けられないというのがお役所へのイメージ。

年収200万円以下の人口が約1200万人、貯金もなく結婚、家庭すら維持できない貧困が、今の日本の社会実態なのです。

例えば、生活保護家族に子供3人居れば、最低月30万円(年収360万円)支給されるとか、そういう自治体アピールもあってもよいのでは?

そんな自治体、国家は、ないのかな?

中国の寝そべり族、日本の引きこもり、世界のあきらめ症候群へのサービス提供の優劣性・・アメリカや日本の国民は、貧富関係無く自らの国家政府を全面的に信頼してはいないと思いますが、中国人(富裕層)の中国共産党政府への信頼度は高いのです。

これは、何を意味しているのでしょう?

かつては、水は井戸から飲んでいました。

今は、水は上水道、ミネラルウォーター、買うものになりました。

昔の熱源は、山にある樹木、小枝や枯れ葉でした。

今は、山の所有者が、それらを商品として扱います。

海辺に行けば、海の幸、アサリ、採り放題でした。

今は、漁業組合が管理します。

衣食住、年収200万円の人は、月額18万円、賃貸アパート、水道光熱費を差し引けば、毎日数千円で暮らさないと赤字借金の日々となる、日本の人口1200万人の現実生活です。

逆に、日本有数の億万長者の方は、毎日100万円を使って、1年3億6500万円、生涯百年として、365億円です。

世界一の富豪と言われるアマゾンのCEO ジェフ・ベゾスの資産は2000億ドル(約21兆円)を超えているとの事・・それでも彼はまだまだ働いて稼ぐようです。

一日の人間一人が生きる為の食べる量なんて限りがあるのに、底なしの強欲に映ります。

お金に賞味期限、使用期限を設定すれば、お金は自動的に富裕層から貧困層に流れて行きます。

個人の自由と社会への貢献、働かない自由人と働く社会人、強者と弱者、その両者が豊かな自由社会の世界を築く、それに気がつかないと格差社会は拡がるばかりです。

僕らは、この地球へ遊びに生まれて来たのです。

一ノ日と書いて、「百」となります。


大寒

2022年01月21日 | 空木宝剣

オミクロン   ツルの巣ごもり  いしのした

株式の株に、土日祭日はあっても、オミクロン株の感染情報に休みなし。

まさに有事。

令和2年の年明け、クルーズ船ダイヤモンド号に始まった、新型コロナウィルス騒動。

あれから、満2年の歳月。

太平洋戦争を知らない子供たち、ジローズの杉田二郎。

団塊世代は、太平洋戦争4年間を知るよしもないが、コロナウィルス2年間にして、この鬱屈感。

4年も続いたらエライこっちゃ。

囲碁、人混みの接近戦はさけ、曲がり四目の活路を手に、終盤に持ち込みたいものです。

沈黙の菌には、沈黙は金か。

菌と金の並行路線は、どこまでも白銀世界に続く。


三人の訪問者。

2022年01月20日 | 福伝。

今日は大寒。

地元新聞社のコラムに、冬と貧と老の三人が訪ねて来たという島崎藤村の短編小説(三人の訪問者)が紹介されていたので、久しぶりに読んでみました。

百年以上昔の作品だけど、読み応えがありました。

青空文庫より抜粋。

「冬」が訪ねて来た。
 私が待受けて居たのは正直に言うと、もっと光沢つやのない、単調な眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯れた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくと眺めて、まるで自分の先入主となった物の考え方や自分の予想して居たものとは反対であるのに驚かされた。私は尋ねて見た。
「お前が『冬』か。」
「そういうお前は一体私を誰だと思うのだ。そんなにお前は私を見損なって居たのか。」
と「冬」が答えた。
「冬」は私にいろいろな樹木を指して見せた。あの満天星どうだんを御覧、と言われて見ると旧い霜葉はもうくに落尽して了ったが、茶色を帯びた細く若い枝の一つ一つには既に新生の芽が見られて、そのみずみずしい光沢のある若枝にも、勢いこんで出て来たような新芽にも、冬の焔が流れて来て居た。満天星ばかりではない、梅の素生すばえは濃い緑色に延びて、早や一尺に及ぶのもある。ちいさくなって蹲踞しゃがんで居るのは躑躅だが、でもがつがつ震えるような様子はすこしも見えない。あの椿の樹を御覧と「冬」が私に言った。日を受けて光る冬の緑葉には言うに言われぬかがやきがあって、密集した葉と葉の間からは大きな蕾が顔を出して居た。何かの深い微笑のように咲くあの椿の花の中には霜の来る前に早や開落したのさえあった。
「冬」は私に八つ手の樹を指して見せた。そこにはまた白に近い淡緑の色彩の新しさがあって、その力のある花の形は周囲の単調を破って居た。
 三年の間、私は異郷の客舎の方で暗い冬を送って来た。寒い雨でも来て障子の暗い日なぞにはよくあの巴里の冬を思出す。そこでは一年のうちの最も日の短いという冬至前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて午後の三時半には既に日が暮れて了った。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱の色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極のはてを想像しない迄も、巴里の町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかりは、特別な冬景色ではあったけれども、あの灰色な深い静寂なシャ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンヌの「冬」の色調こそ彼地の自然にはふさわしいものであった。
 久しぶりで東京の郊外に冬籠りした。冬の日の光が屋内まで輝き満ちるようなことは三年の旅の間なかったことだ。この季節に、底青く開けた空を望み得るということも、めずらしい。私の側へ来てささやいて居たのは、たしかに武蔵野の「冬」だった。
「冬」はそれから毎年のように訪ねて来たが、麻生の方で冬籠りするように成ってからは一層この訪問者を見直すようになった。「冬」で思出す。かつて信濃で逢った「冬」は私に取って一番親しみが深い。毎年五ヵ月の長い間も私は「冬」と一緒に暮らした。けれどもあの山の上では一切のものは皆な潜み隠れてしまって、ついぞ私は「冬」の笑顔というものを見たこともなかった。十一月の上旬といえば早や山々へは初雪が来た。そして暗く寂しい雪空に、日のめを仰ぐことも稀な頃になると浅間のけぶりも隠れて見えなかった。千曲川の流れですら氷に閉された。私の周囲には降りつもる深い溶けない一面の雪があるばかりであった。その雪は私の旧い住居の庭をも埋めた。どうかすると北向の縁側よりも庭の雪の方が高かった。軒に垂れる剣のような氷柱つららの長さは二尺にも三尺にも及んだ。長い寒い夜なぞは凍み裂ける部屋の柱の音を聞きながら、唯もう穴に隠れる虫のようにちいさくなって居た。
 この「冬」が私には先入主になってしまった。私はあの山の上で七度も「冬」を迎えた。私の眼に映る「冬」は唯灰色のものだった。巴里の方で逢った「冬」はそれほど雪深いものではなかったが、でも灰色な色調に於いては信濃の山の上に劣らなかった。私は遠い旅から帰って、久しぶりで自分のところへ訪ねて来て呉れたものの顔を見た時、それが「冬」だとは奈何どうしても信じられないくらいに思った。
 遠い旅から帰って三度目の「冬」を迎えた年ほど私も常盤樹の若葉をしみじみとよく見たためしはなかった。今まで私は黄落する霜葉の方に気を取られて冬の初めに見られる常盤樹の新葉にはそれほどの注意も払わずに居た。あの初冬の若葉は一年を通して樹木の世界を見る最もうるわしいものの一つだ。「冬」はその年も槇の緑葉だの、紅い実を垂れた万両なぞを私に指して見せた。万両の実には白もある。ああいう濃い珠のような光沢は冬季でなければ見られない。あの※(「木+解」、第3水準1-86-22)の樹を御覧と云って「冬」がまた私に指して呉れたのを見ると、黒ずんでしっかりとした幹や、細くても強健な姿を失わないあの枝は、まるでゴシック風の建築物に見る感じだ。おまけに冬の日をうけた※(「木+解」、第3水準1-86-22)の若葉には言うに言われぬ深いかがやきがあった。
「冬」は私に言った。
「お前は是までそんなに私を見損なって居たのか。今年はお前の小さな娘のところへ土産まで持って来た。あの児の紅い頬辺ほっぺたもこの私のこころざしだ。」と。

「貧」が訪ねて来た。
 子供の時分からの馴染のような顔付をした斯の訪問者が、復た忸々なれ/\しく私の側へ来た。正直に言うと、この足繁く訪ねて来る客の顔を見る度に、私は「冬」以上の醜さを感じて居た。「お前とは旧い馴染だ」とでも言いたげなこの客に対したばかりでも、私の頭は下ってしまった。とても私には長くこの客を眺めては居られなかった。その私が自分の側へ来たものの顔をよく見て居るうちに、今迄思いもよらなかったような優しい微笑をすら見つけた。私は以前に「冬」に言ったと同じ調子で、この客に尋ねて見ずには居られなかった。
「お前が『貧』か。」
「そういうお前は私を誰だと思う。そんなに長くお前は私を知らずに居たのか。」
と「貧」が答えた。
「めずらしいことだ。今迄私はお前の笑顔というものを見たこともない。お前にそんな笑顔があろうとは、思って見たことすら無い。私はお前が笑わないものだとばかり思って居た。稀にお前に笑われると、私は身が縮むように厭な気がしたものだ。唯、私はお前に忸れたかして、お前が側に居て呉れると、一番安心する。」斯う私が言うと、「貧」は笑って、
「私に忸れてはいけない。もっと私を尊敬してほしい。よく私に清いという言葉をつけて、『清貧』と私を呼んで呉れる人もあるが、ほんとうの私はそんな冷かなものでは無い。私は自分の歩いた足跡に花を咲かせることも出来る。私は自分の住居を宮殿に変えることも出来る。私は一種の幻術者だ。斯う見えても私は世に所謂「富」なぞの考えるよりは、もっと遠い夢を見て居る。」

「老」が訪ねて来た。
 これこそ私が「貧」以上に醜く考えて居たものだ。不思議にも、「老」までが私に微笑んで見せた。私はまた「貧」に尋ねて見たと同じ調子で、
「お前が『老』か。」
と言わずには居られなかった。
 私の側へ来たものの顔をよく見ると、今迄私が胸に描いて居たものは真実の「老」ではなくて、「萎縮」であったことが分って来た。自分の側へ来たものは、もっと光ったものだ。もっと難有味のあるものだ。
 しかし斯の訪問者が私のところへ来るようになってから、まだ日が浅い。私はもっとよく話して見なければ、ほんとうに斯の客のことは分らない。唯、私には「老」の微笑ということが分って来ただけだ。どうかして私はこの客をよく知りたい。そして自分もほんとうに年を取りたいものだと思って居る。

 まだ誰か訊ねて来たような気がする。それが私の家の戸口にたたずんで居るような気がする。私はそれが「死」であることを感知する。おそらく私が以上の三人の訪問者から自分の先入主となった物の考え方の間違って居たことを教えられたように、「死」もまた思いもよらないことを私に教えるかも知れない。


採天気。

2022年01月19日 | 百伝。

先週末は、町内の新年会。

主な議題は、昨年度の自治会の収支決算です。

コロナ禍の為、多くの行事は中止、その為の今年度の連合自治会ヘの上納金、取り止めとの事・・寄付金は維持。

それから雪対策、除雪時の件。

公的な除雪は、原則は国道、県道、市道まで。

住宅地のほとんどが市道に接しています。

だから、除雪後の自宅前の門や玄関前の除雪は、自力でするしかないのです。(自助)

その後、県道や国道に出るまでにスタックした車があれば、周りの全員で脱出を助けます。(共助)

そうしないと自らがストップして身動きが取れなくなります。

国道での雪道で身動きが取れない大渋滞には、レスキュー隊、自衛隊出動。(公助)

因みに、国道、県道、市道、それぞれアスファルトの硬度、厚さ等が異なるとの事。

市道を重機が何度も走れば、道はガタガタ、雪が降ればスタックする車が続出します。

公道の中で、いちばん生活に密着しているのが歩道と共用の市道なのでしょう。

私道のある屋敷、駐車場所有者は、大雪豪雪の時期は、大変な出費となります。

その一方で除雪業者は、雪よ降れ降れ、雪がお金に見えるぐらいホクホク顔になります。

どこかの地方の町内会自治会が営利組織として活動しているというローカルニュース。

確かに商売するならば、町内の自治会とも仲良くしないと商売繁盛とはなりません。

新しい資本主義、新しい社会主義の見本となるかもしれません。

さて、阪神淡路大震災から27年。

合掌。

戦後に発生した大震災の犠牲者数としては、東日本大震災(平成23年/2011年)、阪神淡路大震災(平成7年/1995年)に次いで、3番目が福井大震災(昭和23年/1948年)でした。

というか、日本列島は毎日が自然災害の鎮魂忌。

思うのに、小学校で学ぶのは、防災サバイバルや介護の授業科目も必須にした方がより役立つかもしれません。

今は、小学校でプログラミングとか金融教育を学ぶ科目が必須とか、凄いね❗

でも、学校に通わなくても、ほとんどの事は、you tubeで学べるような気がします。

今日は、ストレッチ勉学・・しかし、コロナ禍の為、百歳体操は、しばらく中止だとの事。

人生の中で、いちばん楽しい時間とお金を費やしたのは、何かな?

そのいちばん大好きなモノが人生の宝物なのでしょう。

 


2022年01月18日 | 空木宝剣

今日は、宮中歌会始め、今年のお題は「窓」。

♪窓を開ければ 港が見える
メリケン波止場は神戸
船を見つめていた 神戸
風の噂の  神戸

せつない思い出を胸に  探して歩く  神戸
悲しい過去は  みんなで分けて  ともに歩もう  神戸

六甲 鳴動して27年
語り明かそう  神戸

誰か 昭和の 港街   神戸を知らないか?

(津村謙  上海帰りのリル  淡谷のり子 別れのブルースより)

 


帰巣本能と上昇煩悩。

2022年01月15日 | 資本と社会の問題

今年も早くも24分1が過ぎました。

今日から大学共通入試だとか。

僕は、高校入試、大学入試悉く失敗、不合格だったなぁ・・歳を重ねて、当時を振り返れば、ハハハと笑うしかありません。

合格していれば、多分、感情を押し殺した人生、人間になっていたような気もします。

人生は失敗失意の連続。

百勝百敗の百引き分けの思い込み、終わりの一勝が大事です。

よく思い出す事があります。

百島の同級生が小学生の時、お正月に県外の親戚が帰省して新年会があったとの事。

その場で、大人たちから子供たちに将来の夢を語りなさいと訊かれたとの事。

百島の同級生は、「将来は百島で釣りをしていたい、漁師」

その場に居合わせた県外から来た同い歳の子は、社会に役立つ、とても立派な事を言ったらしく、漁師と言った同級生の本人は気恥ずかしい気持ちになったという思い出話です。

因みに、その立派な事を言った同い歳の子は、東京大学に進学卒業、自治省に入り40代で県副知事になったとの事。

遠回しの喩え話、ニューヨークの家賃が高騰しているというニュース。

日本、東京でいうならば、皇居により近い千代田区や港区で暮らすというものかな?

ニューヨークには、お金のキングが居るのかな?

そのニューヨーク市内でも、マンハッタンとクイーンズやブルックリンでは、かなりの家賃格差があるとの事。

中核となるマンハッタン島の中でも、イーストサイドとウェストサイドもまた家賃格差があるとの事。

その摩天楼のマンハッタン島で巨万の富を得た者の夢が、小さな島に行って「釣りをして暮らす」・・その話を聞いた漁師が「ワシは若い頃から釣りをしている」と話したという昔からの有名な資本主義の夢、喩え話です。

資本主義の核は、自由競争市場主義、所得格差は当たり前、上昇志向という煩悩です。

人権第一の民主主義を凌駕するのが、資本主義の危険性です。

子供の頃、百島で鳩を飼うのがブームになった一時期がありました。

鳩キチガイ、鳩ドロボウという言葉も飛び交っていました。

鳩は、平和のシンボル。

伝書鳩として、紀元前のエジプトの時代から重宝されていたようです。

旧約聖書のノアの箱舟の先導役は、鳩でした。

神社仏閣にいちばん集うのは、鳩の集団。

帰巣本能には、鳩だけではなく、人間を含めて何らかのシグナルを発しているのでしょう。

飛ぶ鳥の勢い、上昇煩悩だけでは危険なのです。


百島かるた。

2022年01月14日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

鎌倉から保ちゃんから「百島かるた(みんなの百島)」が届きました。

なかなかのモノです。

百島小中学校の先生方、百島有志の皆さまが編纂した百島の歴史、地名、先人の偉業等々をコンバクトに纏めた「百島かるた」です。

但し、応援するのなら兎も角、現在尚、現役で一所懸命に活躍している人物を「百島かるた」に登場させるのは、どうなのかなぁ?という疑問もありました。

未来は、何が起こるかは分かりにくい分野だからです。

明治時代に設立された百島造船所、村上喜兵衛高吉、百島の米騒動、平家の厳島神社(泊)、源氏の八幡神社(本村)、泊の分校、本村の蚕工場、パナマ帽子工場、シルバーオックスを創業した西崎保三さんの事等々、まだまだ載せて欲しかった「百島かるた」。

それでも今回の百島かるたを詠んでいると、百島という郷里を誇りに思うだろうなぁ❗

知的でした❗

最近、よく耳にする話。

百島の僕らの同年代の子供が優秀で、東京大学に進学卒業した子が多いとか❗

しかし、偏差値の高い難易度入学の大学に進学するだけが取り柄になってはいけません。

それを、どう活かすかでしょう。

例えば、最近マスコミからの取材も多く世界からも注目されている日本を代表する若きワクチン学者の赤畑渉さん・・彼のお母様は、百島中学校の先輩にもあたり兄の同級生です。

まだまだ、未来の「百島かるた」に載せる可能性の夢は盛り沢山あるのでしょう。

百島恐るべし❗


無表情の風景。

2022年01月13日 | 空木宝剣
  1. 蓑虫や  焚き火で煙る  雪景色

コロナウィルス蔓延防止措置法、広島県全域に拡大予定。

昨年末には、コロナ感染者ゼロが、令和4年の年明けと共に様変わり。

オミクロン株の感染力恐るべし。

1月13日現在、広島県の感染者、1日800人超え。

東京3000人超、大阪2000人超えも驚くが、人口10万人当たりの感染者数は、それらを凌ぎ、沖縄の約611人に次ぐ約135人で、全国2位の密度。

1月23日予定だった広島開催の、天皇杯第27回全国対抗男子駅伝は、2年連続中止となる。

有事には、いろんな行事が中止となる。

NHK今日は何の日によると、昭和18年の1月13日は、戦時下の不適切音楽として、ジャズが禁止されたそうな。

「戦時だから仕方ない。我慢しなさい勝つまでは」の合言葉が、一億玉砕まで危うくした昭和20年。

団塊が生まれるたった5年前の事だった。

有事と平事のバランスにご用心。

平事が、ドンドン中止や禁止になると、有事に傾いてゆく。

そして、その傾斜が15度30度となるにつれ、何者にも阻止されない勢いで有事戦時下まで転がり落ちていく。

毎日報道されるオミクロン株感染トレンド。

偏っていないか?

復原力は大丈夫か?

心配する弥次郎兵衛です。


中学生のアート甲子園。

2022年01月11日 | 千伝。

例年ならば、大阪で開催される予定だった2021全国中学生アート甲子園、今回は、コロナ禍で感染者が少ない福井で開催されました。

その入賞作品が、福井県県立美術館で展示されていたので見学に参りました。

中学生とは思えない筆力、中学生らしい繊細さ、人間力の色彩に感心しました。

グランプリ受賞作の他にも、素晴らしい作品を鑑賞する事ができました。

校名、個人名出さなければ、写真撮影OKでした。

さすがです❗

グランプリ受賞作品、久しぶりに唸ってしまいました。

素晴らしい未来あれ❗

 


ドライブ・マイ・カー。

2022年01月09日 | 百伝。

2021年8月20日投稿分。

映画「ドライブ・マイ・カー」観て参りました。

この映画は、芸能人向け、演劇人向け、エンターテイメント、映画関係者向けに作られたのかな?

賞狙いは、あるだろうなぁ。

僕個人は、ドライブは大好きですから、問題無しです

広島が、主なロケ舞台です。

もともとは韓国の釜山が舞台予定だったのが、コロナ禍で、広島へ変更したとの事。

3時間にも及ぶ長い上映時間ですが、卑猥なシーン、広島のよく知る風景、道路、ホテル、知的な台詞、あっという間の映画時間でした。

村上春樹原作だとの事・・・ほとんど読んだ事がありませんが、知的な作品ですね。

映画の中の多言語劇の中のチェーホフの台詞が輝いていました。

絶望を受忍して、なんとか希望へと繋げる知的な言葉の使い方と努力、その創造力に考えさせられました。

チェーホフの「ワニャー伯父さん」の台詞一節。

「仕方ないわよ。生きていかなくちゃ・・ね。長い長い昼と長い長い夜をどこまでも生きていかなくちゃ・・。いつか、その時が来るまで、そして、おとなしく死んでいきましょう。あっちの世界に行ったら、苦しかった事、泣いた事、辛かった事を神様に伝えましょう。そうすれば、そうしたら、私たちを神様は憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そして、私たち、ほっと一息つけるのよ。私、信じているのよ。おじさん、泣いてるのね。でも、もう少しよ。私たち一息つけるんだわ」


広島人の初夢。

2022年01月08日 | 資本と社会の問題

忘れないうちに、今年の初夢の話。

もう40年ほど昔、東京で働いていた頃に、上司から「この宝クジ券、当たっているよね。もう一度見てくれ」と言われました。

当時の1等賞金は、1億円ではなくて、1千万円だったかな?

その上司が持っていた宝クジ券は、間違いなく1千万円の当選宝クジでした❗

まだパワハラ、セクハラのハラスメントも過労時間労働も社会問題になっていない時代の初夢が、正夢になった瞬間でした。

にもかかわらず、それほど歓喜した雰囲気はなかったです。

1千万円ぐらい、そのうち僕も稼げるだろう、という楽観した時代でした。

さて、今年の初夢に現れたのは、日本の首相である岸田さんでした。

政府は、沖縄県、山口県、広島県の3県が、明後日から「まん延防止等重点措置」に適用する事を決定。

岸田首相のはやい決断に、勿論賛同です。

昨今、やたらに「広島出身である私は、首相として・・⚪⚪します。」と、岸田さんは語ります。

とりわけ、平和外交、防衛関連になると、被爆地ヒロシマ出身としての私人としての首相の顔が表れます。

最近ののニュースで、核保有5大国(米、中、露、英、仏)の共同声明を発表したとの事。

「核戦争に勝者はおらず、決して戦ってはならない」という声明文。

その一方で、核兵器は防衛、侵略の抑止、戦争防止のための目的であり、他国への攻撃目的ではないとの事。

この言行不一致の理念、ならば、核廃絶でよいのでは?

世界の5大国の平和理念が、このレベルなのか⁉

今のところ残念ながら、岸田首相のコメントは無し。

伊勢市での首相の年頭記者会見。

「自由で開かれたインド太平洋」の外交推進を挙げていました。

オミクロン株への対応、北朝鮮のミサイル発射への対応、新しい資本主義への成長と分配という経済政策、首相自身による模索。

経済団体との年賀式会見。

自らの政策提案した「新しい資本主義」にふさわしい成長と分配、賃上げ要請を企業、経営側への要望していました。

待った無しの広島出身の岸田首相です。

7年前の年末、広島出身、東大卒女性、電通に入社したものの数ヵ月後には退社したいと悩んでいたとの事。パワハラ、過労が原因であろう精神疾患を患い自らの命を絶ちました。

2年前の年末、広島出身の同年代の女性がホームレスとして、東京の街で行くあてもなく寒い深夜バス停のベンチで座って居ると、近所の男に邪魔だと撲殺されました。

今年の初夢に現れたシーンは、何故か?深夜のバス停のベンチに独り座っている広島人の岸田さんの姿でした。

広島出身だと語る首相として、日本の衿持を最大限発揮していただきたいものです。

勿論、広島人として応援します。


人日の節句

2022年01月07日 | 易行難行修行

今日は、七草粥を頂きました。

古来、中国では、この日を「人の日」として、犯罪者への刑罰を行わなかったとの事。

これが日本に伝わり、いつの間にか一年の無病息災を願う七草の節句になったとの事。

さて、人間誰だって、大なり小なり、苦労されていると思います。

おまけに、コロナ禍の時代。

それなりに働いて、いくらかの生業、商売でもしていれば、そりゃ、いかにも苦労している人間に関しては、よく分かるものです・・銀行は、相手にせず・・中小企業は、またまた休業、倒産、非正規労働者は失業が相次ぐようです。

苦労って、金の苦労、病気の苦労いろいろだけど、見るからに苦労人って、それが現実にいちばん向きあっている生き方なので、ホンマモンの人間なのかもしれません。

愛読書のひとつに、夏目漱石の「私の個人主義」があります。

現代でも、全く遜色のない「生き方」が語れています。

最近、作家の五木寛之さんと京セラ創業者、KDDI(auの最高顧問)でもある稲盛和夫さんの対談集「何のために生きるのか?」を読んでみました。

お二人は、九州男児の同年生まれ・・共に仏教道に深く心根ざす生き方を傾注されています。

釈迦の六波羅蜜の教えを絡ませて、生きている魂を磨いているようです。

お二人とも、最終的には「死への準備」を模索しながら生きてのでしょう。

最近、「生きがい」ならぬ「死にがい」という言葉も使われています。

生きがいのある街(がい)、死にがいのある街(がい)・・村や島ではないの?

このまま書き終えると、何だか中途半端な暗い気持ちになります。

去年末に亡くなった、瀬戸内寂聴さんの簡便な法話を以下に列挙します。

人間笑っていないと幸せがこない。

貧乏神も病気も、笑わない人が好き。

「自分は元気だ。幸せだ」この言葉で病気が逃げ出す。

子供の出来が悪い。
それはあんたの子だから出来が悪い。(笑)
そう思えば腹が立たない。

自分の幸せを考えているだけでは、本当の幸せではない。

私達は死ぬまで可能性がある。

死ぬまで自分を変革することができる。

死んだらどうなるかって、よく聞かれるけど、そんなことわからない。(笑)

いろいろ予定を立てたって、その通りにならないことが多い。

だから先のことをくよくよ思い煩うことない。
もう仏様に任せておけばいい。

とにかく「自分は元気だ」「自分は幸せ」とか・・そういうふうに「いい」風に考えましょう❗

さてさて、身の持ち物を整理処分していると、若い頃に買ったカセットテープが沢山出てきたけれども、ウォークマンはあるけれども、ラジカセが見つかりません。

ラジカセを買い求めて、大型電器店に足を運びました。

久しぶりに行くと、何か分からないけど、製品を見るだけなのに技術進歩から取り残されている感覚、浦島太郎になったような気分でした。

因みに、ヤマダ電機・・宣伝ではないけど、店内にカフェがあったり、過ごしやすかったのも事実です。

世の中の売り場を、もっと歩いてみようと考えました。