百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

夏越大祓。

2017年06月30日 | 百伝。
今日は、水無月晦日。



早いもので、一年の半分が過ぎました。



明日から文月一日。

南海の途上にある備後の国桃島の蘇民将来の伝説神話(備後風土紀逸文)は、小さな茅の輪を腰に付けるものでしたが、江戸時代以降、日本全国の神社でも「大きな茅の輪をくぐリ、罪や災いと取り除く」という神事となりました。





その日の本の国の神々の頂点に立つ天照大御神をお祀りする伊勢の神宮。

内宮前の「おかげ横丁」を歩くとよく分かりますが、あの伊勢志摩の地域では、一年中注連縄に木札の門符「蘇民将来の子孫也」を飾っています。

我が家の中に、こっそりと一年中飾っている門符があります。



今年も、あと半年。



「笑う門には福来る」・・その源は、現在の備後の国、尾道の百島にあります。

アハハ・・笑い飛ばすぞ。

安部 公房 (1924~1993)

2017年06月29日 | 空木宝剣
梅雨の空 蛇の目蛇の道 傘の道

団塊が30代半ばの頃だったろうか?
雨の中、文具店に立ち寄って、帰ろうとした際、傘立てを見ると、 新調したばかりの傘がない。
代わりに少し似た、色あせた傘が残されていた。
道路に目をやると、お孫さんと一緒に、我が傘をさして去っていく女性を発見。
追いついて「すみません、傘を間違えられていませんか?」と尋ねると「えっ?どうしてこの傘が、あなたの傘と言えるのですか?」と、安部公房の小説もどきの受け答え。
おもむろに、その女性が手にする傘と同じ柄の袋をポケットから出すと、態度が一変して「ごめんなさい、申し訳ありません」と平身低頭の体だった。
もしも、傘袋がなかったら、防犯カメラもない時代、不毛のやり取りの末、お人好しが馬鹿をみたのだろうか?
あれから30年以上。
もちろんその傘は、今では存在しないし、その後、どこかに置き忘れたか、古くなったのでお釈迦にしたのかさえ記憶にない。
そして、某文具店さえヒャッキンに圧されて閉店。
もしも、お孫さん連れの女性が、傘を間違えてなかったら、
全ては忘却の雨の中。
存在は記憶の中にあり、記憶はアクシデントによって刻まれる。
(存在と記憶)

黙祷。

2017年06月28日 | 百伝。
今朝、目が醒めて、テレビのスイッチオン。

以前、息子とドライブ中に、すれちがう車両のご当地ナンバープレートの件で、字画の多い「飛騨」ナンバーは、いちばんインパクトがある!と呟いたことがあります。

息子が、「愛媛ナンバーもインパクトが強いと思う」と言ったのを思い出しました。

隣県となる福山ナンバーも福井ナンバーもインパクト度は低いけど・・それなりに愛着があります。

NHKの番組「世界ふれあい街歩き」の再放送を観ていました。

今回は、車の乗り入れを禁止しているギリシャのイドラ島の街歩きでした。

大きな物を運ぶ時、観光客の移動、主たる乗り物は、ラバだとか。

車が必要無いイタリアのベネチア(ベニス)の生活とは大きく異なり、意図的に車の乗り入れを禁止した、こういう島暮らしも存在するんだと・・妙に感心しました。

・・車の無い生活。

車の有る生活だけど・・何かの有無が欠けているんだろうなぁ。



この女性・・30年ほど前まで、ニューヨークでモデルをした頃、世界中を旅をしていてイドラ島を訪問した時、こんな美しい場所は無いと思い、移住してきたそうです。



よそ様は、よそ様であり、自分の生活スタイルを大事にされているようです。

こういう方の人生には、定年も老後も余生もないのかもしれません。

誰もが、いつの日かの死に向かって生きているはずだけど、その死を迎える一瞬まで、人生の現役であろうと生きているのでしょう。

さて、今日28日は、不動明王様参り。



「知る」という事と「わかる」という事は、異なる世界のようです。



知っていても実行しないと、わかったことにはなりません。

薬の効能書きを読むだけでは、病気も治らないし、健康にも戻らないとのこと。



合掌。

そして、今日は、ソファに座って、テレビを観ていると、福井市街地全体に響き渡るサイレンの音が聞こえました。

今から69年昔の今日(1948年(昭和23年)6月28日夕方)、マグニチュード7・1を震源とした大地震が起こりました。

犠牲者は約3800人、市街地の家屋8割が崩壊したという直下型地震でした。

戦後、空襲で焼け野原になった福井市街地、やっとの思いで復興したものの、その矢先、さらに追い打ちをかけるような悲しい出来事でした。

黙祷。

大すりこぎ棒。

2017年06月26日 | 百伝。
今日は、禅の里、永平寺町のカフェまで出かけて、お茶を飲みながら来月の勤務表作りをしていました。

もう数え切れないぐらい参拝していますが、ふと午後から、永平寺に参拝したくなりました。



全国に約1万5千余りある末寺の大本山 曹洞宗永平寺です。



日本曹洞宗第一道場 吉祥山 永平寺 開祖は道元禅師。



百島の西林寺まで繋がる出家参禅道場であります。



「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」

先日、白山信仰の開祖と言われる泰澄大師に深く関わる寺の住職さん曰く。

「歳を取って、目や足腰が悪くなるのも幸せなこと。身体が弱っていくのも幸せ者」

・・そうだろうか?

道元禅師曰く。

長生きをすることが幸せか? そうでもない。
短命で死ぬのが不幸か? そうでもない。
問題は、どう生きるかだ。



先程、ニュース速報あり。

中学3年生の藤井四段 公式戦29連勝 歴代最多連勝記録達成の報あり。

昨日のNHKスペシャル「人工知能 天使か? 悪魔か?」

人間の将棋棋士は、人工知能に到底敵わないとのこと。



未来社会、人間の仕事は、人工知能に奪われるのではないかという危惧。

もともと、人間は、仕事嫌いなのでは?

ならば、日本の経済社会は「最低限の社会生活保障」を確立しないとね。



安倍さん、大臣連中、政治家として・・官僚の寝業を見縊っていたのかもしれません。



「忖度」やら「癒着」やら「自殺」やら「願望」が、人工知能に感情存在しないのならば、神様のような手腕です。

人間の頭部を他の人間の頭部と交換移植が可能となった地球文明、人間倫理です。

その神様のような手腕(人工知能)を、政治システムの効率化を図るために任せればよいのにと考えます。



傘松閣の天井です。



一面に230枚の絵が埋め込まれて、鯉2枚・唐獅子2枚・リス1枚の5枚を見つけると願いが叶うとのこと。

道元禅師は、全くそんなことを考えてもいないでしょう。

立つ場所、座る場所、手洗い、うがい、洗面・・雑用は無く、すべてが修行の場、時なのです。



永平寺の大すりこぎ棒です。

三回触れると、女性は料理が上手くなり、男性はご機嫌取りが巧くなるとのこと。

これまた、道元禅師は、全くそんなことを考えてもいないでしょう。



門前通りのお土産店で、T-シャッツを買いました。



「身を削り、人に尽くさん すりこぎの その味知れる人ぞ 尊し」と、ローマ字で書かれています。

喝。

秦の始皇帝 (BC259~BC210)

2017年06月23日 | 空木宝剣
ベ二クラゲ 水母に骨の あるものか

人間の寿命は、せいぜいオールドパーの126歳ほどが記録。
ところが、海に棲むものには、200年300年400年ものはザラだという。
北極クジラ200年、ゾウガメ250年、アイスランド貝400年、海綿イカ1500年。
その上に君臨するのが、不老不死のベ二クラゲだという。
秦の時代、不老不死の薬を求めて徐福が辿り着いた所が、
現在の神奈川県の秦野(はだの)市。
徐福の末裔かも知れないという、その名も秦野先生の弁によれば、
地上より海中のほうがストレスが少ない為、海の生物は、陸上の生物より長生きだという。
今から、2200年まえの始皇帝の夢は、未だ叶わず。
アンチエイジングの講義の結論は、セロトニンつまり幸せホルモンということだった。
2017年6月24日、水の躍動 生命の鼓動 マリホ水族館広島マリーナホップにオープン。
海月も最近、人気上昇中。

歩くこと、寝ることが大事。

2017年06月19日 | 千伝。
今日は、福井県勝山市の白山平泉寺まで参りました。



「美しい日本の歴史的風土100選」「かおり風景100選」「日本の道100選」「新・日本街路樹100景」。

そして、「歴史の道百選」にも選ばれた、かつては、中世時代の巨大宗教都市でした。





京都の延暦寺が三千坊といわれた戦国時代、平泉寺は六千坊を擁したとのこと。



養老元年(717年)、泰澄大師が開いた白山を霊峰として信仰する山岳信仰の場となりました。

・・今年は、開山1300年を迎えます。



司馬遼太郎先生が評した御言葉が遺っています。。

「京都の寺より美しい」





国内最大の中世石畳の道のほか、石垣も多く残されています。



全国屈指の散策路コースとの評価もあります。

・・心地よい風に吹かれました。

平泉寺より帰福帰宅。

いつものように散歩していると、こんなお店を発見。



去年オープンしたとのこと・・よく通り過ぎる場所ですが、全然気づかなかった。

「瀬戸内海の尾道風の焼きそば」をイメージして入店すると、愛知県瀬戸市名物の「焼きそば」でした。



瀬戸市から、福井へお嫁入りした方が、昨年オープンしたとのこと。

とても気さくな方で、美味しかったです。

今、注目を浴びている27連勝中の天才中学生、麺類大好きな藤井聡太将棋四段(瀬戸市出身)も、この「瀬戸の焼きそば」を食べて賢くなったのでしょうか?

さて、昨晩のNHKスペシャル番組「睡眠負債」・・目が醒めるような、目から鱗が落ちるような・・衝撃的な言葉でした。

睡眠不足が続くと「睡眠負債」という返済出来ない健康バローメーターの崩壊です。

全く、その通りなのです。

50歳になるまでは、週末になると家族で過ごし、「その週末の疲れ」を、月曜日から金曜日まで職場で癒すというダメ社員でしたが、睡眠時間たっぷりの病気一つしない健康体そのものでした。

ところが、50歳過ぎての心機一転、独立心旺盛、夜勤も厭わない・・寝る時間も無駄と思いながら「やる気満々の人生再挑戦」。

あっという間に、この10年間で、二度の大病を患らうことになりました。

そう言えば、20代の若い頃も寝不足の時代でした・・多分、だから、東京脱出を試みたのでしょう。

先日、深夜ラジオで、「福井に行くと歴史の登場人物に次々に出会える凄い場所だ」と・・かつて司馬遼太郎先生が述べていたとのこと。

万葉の時代、平安、鎌倉、室町の時代、戦国の時代、江戸の時代、幕末の時代。

古代、中世、近世・・確かに歴史道の溜り場、その通りです。

趣味は、「道を歩く」こと。

今日から、よく「寝る」ことも加えます。



御休みなさい。

百合の気。

2017年06月14日 | 百伝。
今日は、隣町の春江町(坂井市)の「ゆりフェスタ」まで。

一面、様々な百合の花が、咲き誇っていました。









施設内の売店に入ると、何故か?・・福井の牛乳と広島のレモンサイダーが並んで売られていました。





広島レモンサイダーを飲んでしまうと、海を見たくなりました。

・・日本海へ。



右親指、右肘、右膝に、少々・・シビレ感があるので、バイクよりも車で、越前海岸まで参りました。



海に面したカフェ・レストランで、しばらく海を眺めていました。





食後のコーヒーを際立たせたのが、越前焼のカップ。



・・なかなかの陶器に感心してしまいました!



・・久し振りに、見惚れてしまいました。

百島にも、陶芸家の佐藤和紀さんが、備前焼・波の浦窯を運営していますが・・。

備前焼を「百島焼」へと改名すると、お好み焼きのようなイメージがあるので、「百島・波の浦焼き」へと独立独歩・進化できないものでしょうか?



「弁慶の洗濯岩」に立ち寄って、越前海岸から帰福。



ずっと、見ていると、気力が湧いてくるという・・石川県のどこかの寺院で頂戴した「気」という文字。



さまざまのこと、いろいろなこと、モノ・・書き遺します。



気合いだ。

紙の神さま。

2017年06月12日 | 百伝。
「紙の神さま」からお話を伺っていると、英字新聞「ジャパンタイムズ」の全株式を、News2u(東京)に売却するとのニュースリリースあり。

百島の対岸にある常石グループとジャパンタイムズが仲間になるという出来事です。

今日は、かつての越の国(越前・越中・越後)の都とも言われる味真野、花筐のある越前市今立町まで参りました。

この界隈は、1500年ほどの昔々、男大迹皇子(おほとのみこ、後の継体天皇となる=現皇室の祖と言われる)が暮らした地でもあり、今に伝わる越前和紙の里でもあり、日本で唯一無二の「紙祖神」を祀っている岡太(おかもと)神社、大瀧神社があります。



1500年昔ということは、平安時代以前の歴史を有した地域なのです。

この界隈へは、ほとんど信号もない農道やら県道、町道を走りながら、ミニバイクで行くのが楽しいです。





その岡太神社へ行く前に・・近くにある「不老神社」へ。





健康を願い・・不老(おいず)という呼び水と拍手。

さて、岡太神社、大瀧神社へ。





境内に入ると、太鼓の音が響いていました。

大瀧神社と岡太神社の関連性の詳しい説明は、省きます。

大瀧神社の御神体は、権現山。

岡太神社の祭神は、紙始祖とする川上御前・・日本全国の紙業界の守護神でもあります。

境内は、とても不思議な空気が漂っています。







神仏道場という堂があり、木造十一面観音坐像も鎮座しています。





かつては、大瀧神社が、大瀧寺だったのでしょう。

僧侶が神職をも司っていたのかもしれません。

それから、「葵の紋」と「桐の紋」を見ることも出来ます。





・・さて。

かつて、NHK「世界の名建築100選」に、伊勢神宮、東大寺、金閣寺とともに選出されたという大瀧神社・岡太神社の拝殿・本殿。







実の所、紙の神さま「川上御前」は、この道の先、約30分ほど歩いて権現山頂上近くにある奥之院本殿に祀られているのです。





この先は、草ぼうぼうの獣道のような悪路で、この時季は、野生の猿やらイノシシやら、熊も現れるかも?・・と。

登山靴に登山準備をきっちりとしたうえで、気をつけた方がよいとアドバイスされました。

・・和紙の里通りに戻ると、観光客もいなくて、寂しい場所でした。



1200年の歴史を有する京都よりも古く、1500年の歴史を有する福井の歴史的文化遺産・・惜しいです。

合併して越前市(武生と今立)となる以前の今立町時代の方が、活気があったような気もします。

お隣りの金沢の賑わいは、たかが江戸時代からの加賀百万石文化の賜物なのでしょうが、地域経営投資が見事です。

経営が投資ばかりとなっては、本末転倒となりますが・・。

例えば・・奥の院へ続く道が、何故整理されず、獣道のようなまま放置されているのか?



・・街中の広場にある誰もいないステージ。

何故、神社境内ではなく、この場所で、太鼓を叩かないのか?

紙の神さまの御伝です。

「細々と長々と。人手不足? 紙漉きの流儀がある。嬉々として生きよ!」

紙風船に乗って・・備の国、常石や百島のことも思い浮かびました。

梅雨入り。

2017年06月10日 | 空木宝剣
蛞蝓や 蝸牛など つゆ知らず

なめくじは、腹足類柄眼目ナメクジ科の軟体動物の総称。
体長約6cm、淡褐色で三条の暗褐色の帯がある。
頭上に長短2対の触覚があって、長い方の先に眼を持ち、これに触れれば収縮。
腹面全体の伸縮によって進み、這った後に粘液の跡を残す。
雌雄同体。
暗湿を好み、草食性で、日本に広く分布する害虫とある。
(広辞苑より)

かたつむりは、腹足類柄眼目の軟体動物の一群。
種類が多い。
5~6層の螺旋状の殻があり、右巻きと左巻きがある。
頭に2対の触覚を具え、長い方の先端に眼があるが、単に明暗を判断する能力しかない。
体は柔軟で縮ませて殻の中へ入ることが出来る。
雌雄同体、卵生。
湿気の多い時、木や草に這いあがって若葉を食う。
でんでんむしカタツムリ、マイマイツブロ陸に住む巻貝とある。
(広辞苑より)

双方、殻を背負う事以外は、よく似た軟体動物だが、団塊が幼い頃、なめくじに塩をふりかけて、溶けていくのを得意げに見た覚えがある。
「害虫」というレッテルが、良心を傷めずに、それらを駆除出来る大義名分とすれば、戦争は、「敵」という名の大義名分で、敵国人をゴキブリの如くに、殺戮するのが悲しい。

壺と甕。

2017年06月05日 | 百伝。
今日は、眼科へ。

昨日の夕方、駅前界隈を散策して参りました。



お花、お花でいっぱいでした。





・・久しぶりに嗅ぐバラの香り。



・・ぷーんとしますね。





さて、高校時代の友人から、仲間内でのLINEが出来上がったので「参加するか?」という連絡を頂きました。

その返答の件で、彼と久しぶりの会話。

卒業して、40年以上も経ちましたが、今尚、会話が始まると、あっという間に「当時の高校生気分に戻れること」が嬉しいです。

我々の母校は、不合格者ばかりが集まる滑り止めの私立の工業系男子校でした。

当時の広島県東部地区の県立高校は、福山の誠之館、尾道の尾道北、三原の三原をトップに序列・偏差値化された進路コースがありました。

・・気の滅入る事も多かったけど、振り返れば、県立の共学校に進学しなくてよかったというのは、結果オーライの事実です。

彼が、今も嬉しいことを言ってくれるのは、高校三年間無事に卒業できたのは「おまえが、百島から通学してくることで、凄く元気を貰っていた!」と言うのです。

朝起きるのが辛く眠い時でも、「おまえが、もう起きて船に乗っていると思うだけで起きなければ!」と気合いが入ったとのこと。

・・人を喜ばすことが巧い面白い人物です。

彼は、東京六大学の一つに入学卒業、20代半ばで若くして起業、経営者一筋の人生を過ごしています。

今思えば、偏差値重視の学力教育よりも、「いじめ」やら「人間関係」やら・・その障害物を乗り越えてゆく「生きていく能力」を重視した教育の方が大切なのかもしれません。

この夏、また恩師のH先生を囲んでの同窓会があるとか・・。

高校入学した際、担任となったまだ若かったH先生が最初に言い放った言葉を思い出しています。

「おまえら、県立高校で不合格になって来たんだろう? この高校に入って来て本当に悔しくないのか? この三年間で見返してやれ!」

あの三年間で見返すことができたかどうかは、兎も角です。

我々が卒業したあと、このH先生自身が、私立高校教員を辞めて、県立高校の教員へ転職。

その後、転々といつのまにか三原高校校長となり、市の教育委員長まで勤め上げたのです。

ユニークな団塊世代の先生でした。

・・感謝です。

今日は、大戸屋でランチ。



・・友人たちにも感謝です。



白い世界、白い人。

黒い世界、黒い人。

・・白黒の世界、黄色の人。

壺の人。

甕の人。

白い目で見る世界は、歪(いびつ)な社会になります。

白内障になったみたいです。

イワン雷帝 (1530~1584)

2017年06月03日 | 空木宝剣
雷鳴や 虎穴に逃れ 雨宿り

「私は、良妻でもなく悪妻でもなく、ただの愚妻でした。」と言って離縁したのは、石田あゆみ。
ソクラテスの妻、クサンチッペ。
モーツァルトの妻、コンスタンツェ。
トルストイの妻、ソフィア。
リンカーンの妻、メアリー。
ボナパルトの妻、ジョセフィーヌ。
これら悪妻は、夫達を皆、歴史上の人物に育て上げた。
大物の陰に悪妻ありと言っても、過言ではない。
事を為すには、何かの奴隷に為らねばならない。
勉強なら勉強の奴隷に。
スポーツならスポーツの奴隷。
仕事には仕事の奴隷に。
虎児を得るには虎穴に入らずんば。
例外はあるにせよ、成功者になるには、悪妻の尻に敷かれる以上の重石はない。
昨今、タイガーウッズの逮捕劇。
芝生の絨毯を踏んだ男の末路。
元妻エリンも、悪妻の定評だったが、悪妻の重石が外れた為の顛末か?
悪妻あっての名誉とは、気の毒でもあり憐れかな。
高いところに登れば上るほど、雷に撃たれやすし、クワバラクワバラ。

空海 (774~835 宝亀五年~承和二年)

2017年06月02日 | 空木宝剣
水無月や 宝亀五年の 空と海

帰命頂礼遍照尊 宝亀五年の六月に
玉藻よるちょう讃岐潟 屏風ヶ浦に誕生し
御歳七つのその時に 衆生の為に身を捨てて
五つの 岳に立つ雲の 立つる誓いぞ頼もしき
遂に乃ち延暦の末の年なる五月より
藤原姓の賀能らと 唐土船に乗りを得て
しるしを残す一本の 松の光を世に広く
弘め給える宗旨をば
真言宗とぞ名づけたる
(弘法大師 和讃より)