百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

座学

2008年07月31日 | 千伝。
去年の今頃、ちょうど息子と二人して富士山に登る道中だった。

地べたに座り、雲海を眺めながら来年の今頃・・つまり一年後の今日が、どんな日になるかを想像していたわけでもないが・・人生は、先が読めない。

だから、荷を背負うような山道なのかもしれない。


正しい姿勢で座っても、時間という重みで、辛くなってしまい、正しい姿勢が崩れてしまう。

姿勢を崩して、ひと休み・・また正しい姿勢に戻そうとするのが、人間かもしれない。

明日から8月1日・・あの人の福となる風にもなれなかった。

明日から、1.8.2008 ・・誕生日おめでとう♪

・・逆にも言えなかった。

さようなら・・。

あの人から、その人へと・・ちょっぴり人生の悲しさ、切なさを背負い、泣いてしまう。

それでも、馬鹿のひとつ憶えのフレーズしか、湧いてきません。

いつも、笑顔で朗らかで元気で強い気持ちでファイト♪

出会えたことだけでも、感謝です。

ありがとうございました。

ポニョ 鑑賞記

2008年07月28日 | 千伝。
崖の上のポニョ・・観て参りました。

何だか親子連ればかりで、場違いな場所に迷い込んだという感じでした。
絵本のような映画でした。
幼い子にとっては、大人になるまで心に残るいい映画なのでしょう。

小生、中年のおっさんとしては、それほどの感動の余韻もなかったというのが正直な感想かなぁ・・。

ポニョが、魔法が解けて魚から人間になるストーリーですが、ポニョのお父さんは、人間で、お母さんは、観音さま・・?

月まで地球に落ちてくるような宮崎駿さんの世界ですが、瀬戸内海をイメージする風情が、とてもよかったです。

車椅子の老人達が、駆け出す最後のシーンは、老人たちの勇気ではなく、子供たちへのメッセージなのでしょうか・・。

♪海は広いなぁ・・大きいなぁ・・。

福井若狭梅

2008年07月28日 | 千伝。
今朝の福井地方、強い雷雨のあと大雨に見舞われている。

昨日、フジテレビ系の27時間テレビ(テーマは、みんな笑顔)を眺めながら考えたこと。

日本テレビ系の24時間テレビのボランティア募金活動とも違うようで似ているが・・あれだけの数の出演した芸人集団にギャラを支払うテレビ局、スポンサー企業が存在して、毎年恒例の行事とは言え、秒単位で笑い声が響く日本の豊かさである。

元夫婦である大竹しのぶさんと出ずっぱりの総合司会者の明石家さんまさんのトークには、我が家の不協和音にも似た雰囲気に同感して独り笑ってしまった。

ちいさな嘘の積み重ねが大きな嘘となり虚偽の愛情溢れる家庭は、それ以上に大きな愛情や笑顔がないと持ち堪えられないのかもしれない。

日本各地で彩る夏の花火大会で歓声を上げるほどの大きな喜ぶ声や笑い顔が・・日本全国を包み込み、持続しますように。

今日も独りで映画を観に行ってきま~す。
「崖のうえのポニョ」を観ます。(笑)

福井(若狭)梅が、おいしい朝です♪

マネキン時代

2008年07月25日 | 千伝。
21世紀は、人間味も人間臭さのない無臭人間の増産時代かもしれない。

人間は、時々「お金を儲けることが悪いのですか?」と公言する。

人の心を傷つけて、さも勝ち誇るような人間も増えてきた。

「人を殺して悪いのですか?」という人間が現れぬことを祈る。

さて、もうすぐ八月・・。

北京オリンピックである。

最近、竜宮城に居た頃の友だちから、中国に関する意見が沢山舞い込んでくる。

2005-11-25 22:00:31

人間の場合、最近、黙って居れば日本人も中国人も見分けが付かないが、うなぎの場合は、中国産は、日本産と違ったおしゃべり、違った舌にでもなるのだろうか?

海の中の世界でも差別がある・・もっとも、それは人間が作り出す差別である。

人間が、敵方の侵略を防ぐために、山の峰に延々と築いた万里の長城を思い出す夏である。

万里の長城

一生勉強

2008年07月25日 | 千伝。
今朝も4時起き・・ジョギング開始。

1KMポイントの所で左足裏からアキレス腱にかけて違和感をおぼえる。
トボトボと歩いて帰宅。
月末の山登りも中止・・しばらく、トレーニング方法を変更。

人間は、動物として動いているからこそ「生きている」のである。

つくづくそれを実感する。

人間の一生の終焉と言うものはゴールと同じ。

身動きのとれない一畳程度のベッドでの世界が、人生の終焉というのは避けたいのが心情。

ただ、人としての想いを馳せるならば、人の心は、動いているのである。

身体は動かなくなっても、生きている限り、心は動くもの。

出来れば、介護を必要としない、健全な身体に健全な心を宿らせて、悔悟なき一生を過ごしたいものです。

身も心も・・一生勉強かなぁ♪

鼻歌まじり♪

2008年07月24日 | 千伝。
今朝は、鼻歌まじりで・・午前3時ごろから動き回っている。

午前中、鼻歌まじりで・・20KM走の練習予定開始・・暑くて無理。
10KM歩10KM走で終わった。

甲子園への道を目指して、今日の午後、福井県高校野球決勝戦・・勿論、鼻歌交じりの選手は、いないと思う。

夏の名古屋場所であるが、滅多に見ない相撲を久しぶりに見た。
名古屋体育館は懐かしい。

15日間の大相撲で、平幕から横綱まで、誰一人・・鼻歌まじりで臨んでいる者はいない。 

土俵際まで力いっぱいである。

人生も諦めたらお仕舞いで、土俵際でも打っちゃるくらい粘らねばと思う。

粘って粘って粘り抜こう。

それでも、ぼくは、鼻歌まじりで走りたい♪


地蔵盆

2008年07月24日 | 千伝。
昨日は、実家の方で地蔵盆があり、所謂お地蔵さんを祭っての合同法要だったとの事。

随分賑やかだったらしいが、地蔵盆の意味をよく理解していなかったので、インターネットで調べてみた。

平安時代の981年頃、京都の祇陀林寺の僧 仁康が、治安3年に京都に疫病が起こったとき、夢の中に小僧が現れた。

「世を救うため地蔵菩薩像をつくり、その功徳を讃歌すべし」と言う。

それではと、金箔の像をつくり、地蔵講を広めたことから始まったとのこと。

お地蔵さんを知らぬ者はいないが、その言われを知らずして生きてきた。

そう言えば、日本各地に地蔵通りという通りがある。

その信仰は、お釈迦様が亡くなって、弥勒菩薩が登場するまで、救ってくださるお役目らしい。

衣食住から金銀財宝、安産健康長寿智慧まで、ご利益がある仏様でした。

空気に水を差す

2008年07月23日 | 千伝。
昨日の産経新聞の産経抄コラムで、山本七平氏の著書の内容が紹介されていた。

山本七平氏と言えば、「日本人とユダヤ人」で一躍注目された評論家である。

山本氏は、17年ほど前にすでに亡くなられたが、今尚、彼の著作が出版され売れている一方で、山本日本学を批判する勢力が現在に至るまであり、これほど評価が分かれている人物は珍しい。

大学時代、大講堂で山本七平氏の講演会があり、当時マスコミ志望だった小生は、ほぼ一番前に座って聴いたことがある・・何故か、空席も多くがら空きの状態だった。

見た目は線の細い方であったが、何か妙な質問をしても受け流されるような雰囲気を持った紳士のような温顔な方だった。

話を戻るが、昨日の産経抄コラムで、山本氏の「日本人とアメリカ人」の内容を引用していた。

日本人の美徳は、秘密を墓場まで持っていくという意識がある・・例えば、年金記録の紛失、大分県の教員不正採用の際の答案用紙の紛失、海上自衛隊の航海日誌の廃棄、厚生省の血液製剤によるC型肝炎リストの放置等々・・。
・・日本人は、何かあれば隠蔽工作をするとしか思えない日本人気質があるのではないかということである。

一方のアメリカは、国立公文書館に文書は集積されて、恥部といえる部分も、いつか白日のもとにさらすという。

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~産経抄コラムに記載された「日本人とアメリカ人」から抜粋~

「われわれは、罪を意識して秘(ひそ)かにじーっとしていれば・・それ以上追及しないのは武士の情けなのである」と言う。

「四辻(よつつじ)に立って『うそ偽りなく、私は罪をおかしました』と大声でその内容を懺悔(ざんげ)すれば、それ以上追及されない」

・・とアメリカ人と日本人との文化の違いは大きい。

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現在の日本人の内面気質は、この両面が育まれているのではないかと思う。

・・「空気の研究」では、人間はサルから進化した説を支持するなら、何故、同じサルから進化した天皇を現人神と崇めることができるのか?・・というインパクトの強いメッセージがある。

また、日本人としての「空気を読め、それに従え」は、今流行のKYの雰囲気を連想してしまう。

現代の新たなる「危機の日本人」に対して、山本氏の「水を差す」意見を日本教徒として拝聴したかったものである。

大暑の日

2008年07月22日 | 千伝。
昨日は、海の日、今日は、大暑。

この時期がくると、ふと自分の特技は、水泳ではないかと思うことがある。

でも、今まで自分のプロフィールや履歴書の特技・趣味の欄に水泳と書いたことがない。
逆に、ジョギングやマラソンやサイクリングや登山と書くことがある・・何故だろう?

物心がついたときには、泳げるようになっていた。
多分、父親が強制的に海の中へ放り投げたからであろう・・溺れるという恐怖は、一度海中に沈んだことがあるが、以来、子供の頃から、よく伝馬船を櫓で漕いでは沖合いに出て、海の中に素潜りで入り、手製の銛で魚を仕留めていた。

海中の世界は、体操の床運動のように自由に動き回ることができる海中遊泳なのである。

ただ残念だったのは、競泳大会では、1年中プールで練習してオリンピック出場を果たすエリートスイマー達に、負けてしまう・・海でしか泳ぐことを知らなかった少年には、プールの水は、消毒臭く、波もなく、非常に重いのである。(笑)

競馬でも、芝、ダートがある。テニスだってそうであるように、本来ならば、オリンピックの競泳種目は、海コース、川コース、池コースを選択してほしいものである。(笑)

少年から大人になって、南太平洋でも大西洋でもインド洋でも北海でもオーホツク海でも黒海でも地中海でも、泳いだことがある。

海を眺めていると大いなる畏怖と安堵が入り混じる。

ただ、海の中に入ると、潜るか、浮かぶしかないのである。
つまり、それが苦しいのか楽しいのか・・どちらかなのである。

家内が、「魚と海の匂いは嫌い」と言ったことがきっかけで、いつの頃からか・・海から一定の距離を置くことになった。

海が嫌いな人間もいるのである。

ただ、生きている根本的な躍動感は、体を動かすことである。

今日、今年秋の地元でのハーフマラソンと来年春の東京マラソン大会への参加を申し込み(抽選)を済ませた。

タイムや入賞よりも完走が目標だが、数年前に親子マラソン大会で入賞して以来の・・独りだけの練習スケジュールを組み立てている。

勝ったぁ!

さて、今年の夏、去年に続いて再び息子を富士山登山に誘っても、マラソンに誘っても・・断られてしまいました。

いよいよ、子離れしなければならない今年の暑い夏のようです。

子供は子供・・自分の人生を歩み、きっと山も谷も乗り越えて行くのでしょう。

そう、親は親・・残りの人生の後半を楽しんで歩みます。

お互いに・・ファイト♪

安心是薬更無方

2008年07月21日 | 千伝。
東京近郊だけでも、約2000ほどの劇団があると言われる。

その中で、一番の集客力があるのが劇団四季、二番が宝塚歌劇団だとか・・芝居人、演劇人も生き残るのも大変である。

ただ、観客や自分のストレス解消の方法や一番楽しむ方法を研究しているのが、役人や弁護士や医者や看護師や介護士よりも、いわゆる歌手やら演劇人なのかもしれない。

ところで話を変えて・・

昨日の地元紙福井新聞のコラムで、今、福井市郷土歴史博物館で開かれている郷土出身の「橋本左内と弟綱常」展に関しての記事を読ませていただいた。

兄である幕末の志士 橋本左内は、15歳で「啓発録」を著し、藩主松平春嶽に認められ江戸勤め。
が、安政の大獄で刑死するという不運・・26歳の短い生涯であった。

一方、弟の橋本綱常は、兄の左内の死後、医師として活躍した。

わが国の近代医療制度確立に尽力。
日本赤十字社を設立、初代病院長となった。

65歳でこの世を去った橋本綱常が書き残した・・「安心是薬更無方」。

コラムの筆者も感想を述べている。

「医学が進歩してもストレスが健康にとって最大の敵である」・・安逸心、是にまさる薬は無い・・という意味なのだろう。

「橋本」展・・訪れて見たい。

あなたが、心地よい朝を日々迎えて、生きてゆけますように♪

デンマーク!

2008年07月20日 | 千伝。
米政府が出資する研究組織「ワールド・バリューズ・サーベイ(世界の価値観調査)」が、世界約100ヶ国、約35万人を対象とした世界の国々の幸福度の調査結果を発表したという。

その結果、米国は16位、英国は21位、日本は43位、中国は54位・・きっと、妥当なのだろう。

輝く世界一幸福度の高い国の1位は、デンマークだった・・これも判るような気がする。

昔のクラスメートにデンマーク人のヤニがいた。

クラスメート

僕にとっては初めて出会うデンマーク人で、彼女にとっても、ぼくは初めて出会う日本人だった。

彼女には、デンマーク空軍のパイロットをしているボーイフレンドがいて、僕には、フィンランド人のガールフレンドがいた。

お互いに相方がいるのに、それでも妙に気があって、数人の仲間でパブに行っても、よく二人でゲームのように筆談で話し合っていた。

彼女曰く、デンマークは、恋愛と結婚の明確な区別がなく未婚の母親だって、幸せに暮らせる制度が整った社会福祉国家だと強調していた。

ぼくは、夫婦あっての家庭ではないかという当時としては素朴な疑問を彼女に投げかけた。

実際、彼女の姉が、未婚の母親として幸せに暮らしていることを、悲しい表情を隠すように誇らしく語りかける姿を・・昨日のように思い出す。

彼女のボーイフレンドが、明日デンマークから英国に来るという前日。
冬の冷たい深夜、月明かりがやけに眩しかった・・パブで飲んでの帰りがけに、ぼくとヤニの二人だけになった。

彼女は、途中まで歩いて帰ろうと言ったが、ぼくは、タクシーで送ると言ってしまった。

・・今、思い起こすと、あの時も運命の分岐点だったような気もする。

あの頃のイングランドでの懐かしい出来事が、今の状況と重なり、学習能力のない繰り返す「幸福さがし」状態です。

でも、あの頃のたくさんの出会いや想い出がなければ、きっと億万長者になって既に破産して・・もう、小生は、この世から自ら逃げ出して、あの世の人になっていたことでしょう。(笑)

・・何かに、救われたのです。

イングランドの地

デンマークが、いつまでも世界一幸福な国でありますように♪

静かな海

2008年07月20日 | 千伝。
1969年・・39年昔の今日、人類が始めて月面に着陸した日でした。

あの日、中学1年生だった僕は、朝からそわそわしてテレビをつけていましたが、どうもテレビ画面の映り具合が悪いので・・部屋を真っ暗にすればいいと思い、その部屋の雨戸を全部締め切って、今か今かと・・月面に降り立つ、その瞬間を待っていました。

しかし、なかなかその瞬間がこないのです。
そのうち、母から「この暑いのになんで雨戸を出して閉め切っているのか・・」と怒られた記憶もあります。

月面着陸時間が、日本時間の午後に延びてしまいテレビを観るのを止めました。
午後から夏休みのクラブ活動があったのです。
1年生でしたから、時間厳守です。

時間を守って登校しましたが・・あの日、誰も来ていませんでした。
しばらく経って、練習熱心な先輩が遅れてやってきて「人類の歴史的な日に、何でテレビを観ていないのか?」と言われて、がっかりした思い出があります。

帰宅すると、母までがアポロ11号のアームストロング艦長の月面(静かの海)への着陸のニュースを話題にしていました。

The Sea of Tranquility of the moon ・・月面「静かの海」にと訳されています。

それから、数年後、現代に至るまでアポロ計画の月面着陸の捏造説やら陰謀説までも現れていますが、茶番劇だとしても、世界中を騙すというのは、不可能です。

何故、人類が月まで足を伸ばしたことを素直に歴史的事実として、肯定しないのか不思議です。

明日は、海の日です。

手も足も目も届かない月の「静かの海」よりも、手も足も目も届く地球の「静かな海」の方がはるかに素敵なのに・・。

だから、人は、月に祈り、太陽に祈るのでしょう。

心安らかでありますように・・。

福の島

揺れる槍

2008年07月19日 | 千伝。
四年前の昨日・・福井は、ひどい豪雨に見舞われ大きな被災を蒙りました。

我が家も床下浸水となり、泥水が押し寄せて、ひどい状況になりました。

あの時、いちばん落ち着いていて、せっせと生き生きとして熱心に後片付けをしていたのが、当時小学生だった息子でした。

あの日、息子の姿を見て、普通のサラリーマン人生を辞めようと決断した日でもありました。

あれから、いろいろとありましたが、あの決断が正解だったのかどうか・・今の今でさえ判断できません・・これからです。

フリーターのような個人事業主としての資金繰りの苦しさや重圧感も時々ありますが、それよりも大事なことは、自分が生きているという舵取り感覚が、非常に楽しいのです♪

昨日、息子と同年代の山口県の中学生が東名高速道でバスジャック・・負傷者も出ず安堵です。

「親から恋愛に反対されて、親の人生をメチャメチャにしたかったとか・・」
この中学生の一途な想い・・これからどうなるのだろうかとちょっと心配です。

8年前、山陽道上りで九州の高校生が西日本バスをハイジャックした事件を思い出しました。
当日の同じ時間、山陽道の下りを走っていました。
物々しいパトカーの配置やその数に何だろうと驚かされた記憶があります。

十代の中学生、高校生よ!
揺れる心にナイフがあるならば・・
「たけくらべ」や「野菊の墓」の初恋小説もいいです。
さもなければ、放課後の校庭を走ることです。

いや、大人になっても、揺れる心に槍があるならば・・
シェイクスピアの作品を読むことがあります。
田園地帯を走ることもあります。

随分昔、シェイクスピアの故郷に滞在して、あの付近を毎日ジョギングした思い出があります。

シェイクスピアの生家


幾つになろうが、人間の「愚かさ」や「幸せ」や「儚さ」を考えさせてくれます。

心で揺れる槍を・・杖代わりに人生のフィールドで楽しく使います♪

フィールド


見果てぬ夢

2008年07月18日 | 千伝。
英国のシェイクスピアが生きていた時代に、スペインには、ミゲル・デ・セルバンテスが生きていた。

この二人の偉大な作家は、1616年の同年に亡くなっている。
(因みに徳川家康も同年没)

聖書に次いでロングセラーとして、いまも世界中で翻訳されて愛し続けられている「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの生涯は、ラ・マンチャの男 ドン・キホーテと同じぐらい波乱に満ちている。

ドン・キホーテの物語は、世の中の不正をただすために正義かつ狂気の初老騎士が旅に出るあらすじである。
風車を敵の巨人と思い込み、突き進みすすむが、吹き飛ばされてしまう・・。

風車は、オランダの象徴である・・スペイン人セルバンテスの隠喩が利いている。

さらに可笑しいのは、セルバンテスは、「ドンキホーテ」を書いたのは、自分ではなく、聞き伝えを記録しているのだ言う。

セルバンテスは、捕虜になったり何度か牢獄に入っている・・そこで「ドン・キホーテ」の構想を練ったともいう。

彼は、当時世界の海を制していたスペインの栄光と挫折を経験しているのである。

彼は、スペイン無敵艦隊の食糧調達係をしていたともいう。
英国侵攻を進めたスペイン無敵艦隊だったが、1588年7月、アルマダ海戦で英国に破れた。(英国人ならば、誰もが知る歴史的な勝利したアルマダ海戦である。)

スペインは、この敗戦で、世界の覇権を英国に譲ることになる。

その後、英語圏がスペイン語圏よりも勢力を拡大するのは歴史の流れである。
シェイクスピア文学しかり・・。

シェイクスピアもセルバンテスも正規の高等教育を受けていない。

加えて、当時の中世ヨーロッパの文化というのは、イスラム教圏世界の文化よりも見劣りしていたのは事実なのである。

セルバンテスは、「ドン・キホーテ」をイスラム教徒が書いたものを翻訳した記録を伝えているとほのめかしている。

彼は、全くのデタラメを言う根拠がある・・スペインの凋落を知るスペイン人の見果てぬ夢なのである。

さらに、アルマダの海戦以後、ネーデルランド(オランダ)における独立運動が高まる。
スペインは、一挙に経済基盤を失うのである。

スペインが最盛期だったレパントの海戦(1571年)でトルコに勝利し、セルバンテスは、従軍兵として左腕を失っている。

老いても、彼の見果てぬ夢は、風車の向こうの世界にあったのでしょう。

風車

崖の上のポニョ

2008年07月17日 | 千伝。
この映画は、スタジオジブリの作品。
脚本、監督の宮崎駿さん・・広島県鞆の浦(福山市)で自炊生活と散策をしながら、滞在中にこの映画の構想を練ったとのこと。

テレビCMで、♪ポニョ、ポニョ、ポニョポニョ・・とテーマ音楽が流れているのを聴くと、ちょっと引いてしまいますが、試写を観た中年世代の評判がよいのです。
思わず涙がこぼれてしまう作品だと言います。

鞆の浦には、幼い頃から何度か連れて行ってもらった思い出があり、それに伴う自分なりのイメージもあります。

以下、取り急ぎ個人的な箇条書きです。

沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)がある。
地元では「祇園さん」と呼ばれており、京都の祇園神社(八坂神社)の本社でもあるらしい?

室町幕府初代将軍足利尊氏は、ここで挙兵し京に上り、最後の将軍足利義昭は、京からここに追放されたのち、この地で室町小幕府を樹立し終焉した。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った山中鹿之助の首塚がある。

また、おもてなしへの返礼(リップサービス)であろうが・・福禅寺の対潮楼の座敷から眺めた仙酔島の借景を、朝鮮通信使代表は「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番の絶景)と墨書した。

頼山陽の「日本外史」も鞆の浦で構想が練られたとも言う。
坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」事件の舞台にもなっている。

万葉の時代からの歴史のある港町「鞆の浦」である。
西の九州豊後水道と東の紀伊水道からの流れる瀬戸内海に潮流がぶつかる場所、鞆の浦の沖合いだったことから、潮待ちの港町としての繁栄があった。
明治以降、港町としての利点が、船舶技術の発達により近隣の尾道へと変遷してゆく。

現在の鞆の浦は、埋立て・架橋計画問題が持ち上がっており、「世界遺産に値する景観価値を破壊する」などとして反対の立場の声があがり、尾道出身の大林宣彦氏、宮崎駿氏等の著名人から見直しを求める運動もある・・景観か利便性か・・どちらかを選択するのかで揉めている鞆の浦なのである。

宮崎駿さんは、日本国憲法第九条を支持表明をしている。
「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」と言った作品には、必ず体制を批判するメッセージを残している。

中学校の音楽の授業で、宮城道雄の箏曲「春の海」が、鞆の浦をイメージしたものだと教えられた記憶がある。

実際、鞆の浦は、道も狭くて不便で漁港程度の様相を呈した小さな町である。
あくまでも個人的な感想であるが、とても「春の海」をイメージする長閑な空間があるとは思えない。
観光客を誘致しようと目指すものの今の状態ではリピート客は、少ないと思う。

鞆の浦から四国多度津に渡るフェリーが、まだ運航されているはずだが・・?
どれぐらいの経済波及の効果があるものか判らない。

とりあえず、以上が鞆の浦に関する個人的な見解としての箇条書きです。

はて、余談ですが、鞆の浦の近郊に海に突き出た格好の阿伏兎(あぶと)観音という子宝神社があります。結婚後、数年経ち、ここにお参りに行くと、小生にも息子が恵まれました。
なかなか威風堂々とした景観に驚かれるはずです。

鞆の浦という港町は、好きでも嫌いでもありません。
要は、掴めきれない歴史の港町というイメージがあります。
言い換えれば、潮の流れ同様に歴史の流れに流されたまま、この港町自体が、歴史の流れの中で舵を切っていないというイメージなのでしょう。
外部から押し寄せる歴史の流れに、単に場所を提供しただけという雰囲気です。

さて、鞆の浦をどのようにイメージさせるのかどうかわかりませんが・・
「崖の上のポニョ」観にゆくつもりです♪