ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

宝探し。

2017年07月29日 | 百伝。
午前中、朝のテレビ番組では、尾道が紹介されていました。

同じ時刻の裏番組では、福井の観光地の番組紹介があったり、テレビのチャンネルをあっちこっちと変えていました。



「ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道」も紹介されていました。

個人的には、ベラビスタが、もっと注目を浴びても好いのにという想いです。



今朝は、百島がテレビ画面いっぱいに映り・・満足な朝でした。

今秋から始まる尾道~百島~鞆の浦での「海と山のアート回廊」・・楽しみです。

瀬戸内海が、現代アートの世界発信地の有力なひとつになるかもしれませんね。

もし、個人的にゲストハウスを百島に所有しているならば、草間彌生さんレベルの世界的なアーティストに「お茶飲み時間」の招待状付きのお手紙を書きたくなるかもしれませんね。

よい承諾があれば、広島県、尾道市、マスメディア、べラビスタにも協力依頼も出来るでしょう。

午後から、映画「君の膵臓(すいぞう)をたべたい」を観て参りました。

原作の小説の表紙には、福井の足羽川に架かる橋の絵が描かれていて前々から興味はありましたが、映画のロケ地の大半は、お隣りの滋賀県内で撮られていました。



「真実か? 挑戦か?」・・よく出来たいい映画でした。

ただ、僕(男子校出身)にとっては、男女共学の高校生活は、よく分からない世界です。

「君と僕との記憶の宝探し・・君の膵臓をたべたい」のタイトルの意味するところが、涙します。

北前船。

2017年07月26日 | 百伝。
江戸時代に最盛期を迎えた西廻り航路・・今でも北海道から日本海側、瀬戸内海、大阪までの港、港には、豪商の屋敷(館)が残っています。

尾道も然り、おそらく百島とも深い関わりがあると考えます。

今日は、地元のFMラジオを聴いていると、北前船の歴史を詳しく話されている方がいて、南越前町河野(旧河野村)まで出かけて参りました。



北前船と河野と聞くと、うん?!と唸ってしまいます。



北前船・・ほんとうは、弁財船と言います。

江戸時代、北前とは、日本海のことを意味していました。
(ちなみに、江戸時代の太平洋は、江戸前と言っていたとのこと)

北海道最大の拠点だった小樽から、日本海側の港、瀬戸内海の港を転々と寄港して、つまり北前の海を走り大阪まで運ぶ船を、北前船と呼ぶようになったとのことのです。

「河野」には、右近家という豪商の屋敷が、北前船主の館として残っています。

・・今日は、生憎の休館日でした。



洋館のバルコニーからの景観は、素晴らしいのですが、今日は残念。

右近家が、明治以降に海上保険を興したのが現在の興亜損保ジャパン。

さて、どこから話を始めると分かり易いのやら・・江戸時代、東北諸藩、加賀藩までが、天下の台所と呼ばれた大坂の市場へ「米」を送っていました。

そのルートは、若狭経由、琵琶湖を経由していたのですが、日本海をぐるりと廻り瀬戸内海ルートで運んだ方が安くなるという新航路の発見でした。





「北前船 西廻り航路」と呼ばれた黄金航路でした。

その北前船が、どのように進化していくのか、その源流となるのが「河野」というスポットなのです。

昔昔・・越前和紙を都に運ぶのには、山間部の今立から、この海岸沿いの河野という港まで馬で運び、対岸の敦賀まで「小さな船」で運んでいたようです。

敦賀からは、近江の国(現、滋賀県)を通過しなくてはなりません。

この近江の人々が、いづれ日本中を駆け回る、商売上手の「近江商人」へと進化します。

北前船の航路を進化させたのが、近江商人なのです。

されど、船頭がいないとね・・船乗りがいないと、船は先に進みません。

この「河野」という地名で、ピンときませんか?

時は、室町幕府時代直前、尾道の浄土寺で戦勝祈願をした足利尊氏は、京都に攻め上り、敵の大将「新田義貞」を追い詰めます。

新田義貞は、越前まで逃げ延びて、最後には現在の福井市で生涯を終えます。

その時、新田義貞に付いていたのが、瀬戸内海最大の水軍、伊予の国の河野水軍なのです。

当時、まだ村上水軍の名は、歴史に登場していません。

敗れた河野水軍の一部は、この越前海岸に住み着きました。

もともと、ここの地名は、中村だったとか・・互いの名を交換して、その後、中村と名乗り、地名を「河野」にしたとのこと。

「船乗り」として生きて、「船主」として生き残ります。

河野の船は、一航海の期間は、18か月だったそうです。

瀬戸内海が自分のルーツだと・・河野の船乗りたちは、自覚していたのでしょう。



時が経つにつれて、近江商人の商売が、船主にも引き継がれて、船乗りにも、徐々に港での物の売り買いを覚えて行う者が増えたようです。

以前にも、ここに書いたのですが、富山や北海道に「百島」という名字を見つけることができます。

その祖先は、北前船に乗り込んで、故郷に戻ることなく懐かしみ、その地で故郷の名を名字にしたような気がします。

そんなことを考えながら、馬借街道を通って帰宅しました。



太古の奈良時代からの道です・・狭い山道でした。





里に下りた時、ひと安心。





ユニークな里生活の標語を見つけました。



今日は、海の話なのに、最後は、里の話になりました。



人生の船乗りも、一人前でないと乗り切れません。

嘘発見器

2017年07月25日 | 空木宝剣
夏の怪 パーラメントに ポリグラフ

オフレコの案件が、表に出た場合。
「それは、聞かなかった事にしよう」と言ったことが、聞いてない事になるのか?
「ここだけの話だよ」と前置きした事が、言っていない事になるのか?
加計学園問題。
言った言わない、記憶にも記録にもない。
国会は、英知の集まりの筈が、ロッキード事件の小佐野賢治氏や認知症患者の真似をするのは、10年も20年も早い。
将棋や囲碁の世界でも、人工知能が勝利する時代。
政治も、嘘発見知能で、事の真贋を問う時代か?

大暑。

2017年07月24日 | 百伝。
来月八月の勤務表作りに苦戦しています。

人手不足で、休みが取れない状態です。

それほど責任感の強い自分ではないけど、お盆時季を含めて誰々を出勤、休みにするかは頭が痛い問題です。

この仕事・・もう辞めたい気分かな。

百島の同級生へ。

ゲストハウス計画があるんだけど・・また伝えます。

「毎日が、お祭り」という人生は、有り得ない。

「毎日が、祭りのあと」というのも、今一つ有り得ない。


(写真提供:テレビ東京「出没!アド街ック天国 尾道」百島net 漆原氏撮影)

百古の家。

2017年07月14日 | 百伝。


ひび割れた道を進み・・あの山の向こう側に福井県内、最古の民家(国重要文化財)があります。

「千古の家」と呼んでいます。

ちょっと出かけて参りました。

この界隈は、丸岡町竹田地区という山間部で、随分昔、初めて訪問した時は、スイスに来たような不思議な感覚がありました。









ここでの「千古の家 手打ちそば」を食してみたかったのですが、生憎、どなたも居られませんでした。

そこで、近所にある「油あげの谷口屋」へ移動、昼食を摂りました。



このお店・・とても不便な所にあるのにもかかわらず、テレビのバラエティ番組「秘密のケンミン SHOW」で紹介されて以来、全国区並みの人気店となりました。

今日も、県外から「油あげ」を目的に、大勢のお客さんが来られていました。

芸能人の方の色紙も多くあります。



店内も、どんどんとオシャレに変化しています。

今日のランチは、油あげ定食蕎麦付き・・このお店のメインは、油あげなのですが、個人的には塩分の高いものを避けています。



・・完食。

レモン水を頂いていると、ぼくが座った席は、「天海祐希さんと広瀬すずさん」が座った場所だと教えていただきました。

・・(笑)

それにしても・・蕎麦が物足りない。

帰り道・・松岡(永平寺町)の「けんぞう蕎麦」へ立ち寄りました。



おろし蕎麦一杯を注文。



このお店は、凄いのですよ!

芸能人は勿論のこと、政界、経済界、スポーツ界等々、各界の著名人が来られているのです。

おそらく、福井に来られた時に、「美味しい蕎麦屋」ということで、ここへ案内されるのでしょう。

そして、店内が、とてもインパクトがあります。

靴を脱いで、畳八畳ぐらいの二間の部屋続きのみがスペース。

しかも、テーブルが、昔の田舎の公民館にあったような折り畳み式の長いテーブル、座布団です。

すぐお隣に、お客さんが座って居て、迷惑になるので写真を撮りませんでした。

・・完食。



蕎麦湯も絶品です。

来店された稲盛和夫さんも、長嶋茂雄さんも、唸ったはずです?

福井には、美味しいお蕎麦屋さんが多くて、広島出身の矢沢永吉さんがバイクに乗って、わざわざ蕎麦を食べに来たという噂の店もあります。

広島に居るまでは、駅前の立ち食い店でも、高校の学食でも、蕎麦というのは中華蕎麦を意味していました。

東京に出てから、駅の立ち食い店、長野県の小諸そばのスタンド店形式のチェーン店で、蕎麦というのは、和蕎麦だと認識したのです。

ただ、幼い頃、百島の祖母が、手打ちそばを作っていた記憶があり、その味覚、香りの記憶・・ぼくの蕎麦好きの原点となるような気がします。

ちなみに、蕎麦は、五穀豊穣の一つではなく、雑穀です。

さて、今日も海を見に行きました。









・・今度、入店したいカフェです。



それぞれの家にも、それぞれの物語、歴史があります。

千古には及ばないけれども、百古の再生力は出来るはずです。

住みにくい場所も、心の持ち方で住みやすくなるはずです。

中国を愛して、険しい道を歩いた同年代の劉暁波氏のご冥福を祈ります。合掌。

ナルシスト。

2017年07月12日 | 千伝。
七月半ば・・先週は、ちょくちょくと海を見に出かけて参りました。



海を眺めていると、笑顔になれます。

・・少煩多笑が善いのです。







カフェ・アースで、有機コーヒーを飲んでいると、スターバックスのシュルツ会長が、こんな事を言っている記事を見つけました。

「ビジネスにおいて大事なのは経済的価値だけではない。私が今から話す次の3つの問いかけを心に持ち続けていて欲しい」と。

1つ目は、自分の両親を敬い、家族に誇りを持つためにどう暮らすのがいいか?
2つ目は、成功を仲間と分かち合い、人々の役に立つためにどうすればいいか?
3つ目は、人々の人間性を高め、道徳的な勇気を奮い起こさせるために何が出来るか?

・・を考え続けること。



越前岬の水仙の丘を散策して参りました。





四月にオープンにした「ガレットカフェHAZE」にも立ち寄ってみました。





外国人の女性を含めて、イケメン男、美男美女の若いスタッフで固めての接客体制でした。

来月八月のお盆時季の勤務体制を考えながら・・人手不足の勤務表作りを始めています。

人生には、自立の成長と崩壊という・・とても難しい時季が二つあるような気がします。

一つは、若い頃の思春期。

もう一つは、高齢者が自分で出来ると考えても失敗は増える、認知は進む要介護初期。

両端は、心と体のアンバランスで結ばれています。

さて、越前岬の水仙の丘・・なかなか好いです。















水仙の花の語源は、ギリシャ神話のナルキッソスの伝承から派生しているとのこと。



~(くらしの豆辞典から抜粋)~

水仙の花言葉にはギリシャ神話と深く関わりがあります。
学名でもある「ナルシサス」に注目していただきたい。
花言葉はギリシャ神話から由来している物が多いのですが、水仙は、美青年ナルキッソスの変わり果てた姿なのです。
ナルキッソスはその美しさより、多くの女性にいい寄られている様な青年でした。
しかし、彼は高慢に女性達をあしらい傷つけてばかり。
見るに耐えない高慢さに復讐の女神ネメシスはナルキッソスに呪いをかけてしまいました。
その呪いとは、自分自身に恋をしてしまう呪いでした。
日々水面に自分を写し、その姿に恋をし、想いが届かずしまいには食事も喉を通らなくなり最後は動かなくなってしまうのです。
その後、彼が座っていた水辺に1本の水仙が咲いていたのです。
そう、水面に写った自分に恋をし姿を変えたナルキッソスの変わり果てた姿!
そのため水仙はうつむいた風に花を咲かせるというのです。
そのため、水仙の花言葉は、うぬぼれや自己愛などといった言葉が多いのです。
他に黄色の水仙の花言葉からは、振られた女性の気持ちが花言葉になっています。
ナルシストって言葉も実はナルキッソス青年から生まれた言葉です。
(くらしの豆辞典)



一人で仕事や悩みを背負い込んでは、ダメです。

「他人に迷惑をかけてはいけない」と考えている人が、意外に多いのです。

他人に迷惑をかけたら、別のことで恩返しすればよいのです。

紫陽花も、水仙も、ナルシストです。

食用ではなく、観賞用の花です。

諸葛孔明 (181~234)

2017年07月10日 | 空木宝剣
空泣いて 山川泣いて 夏の海

九州豪雨 死者21人に 250人孤立 救援続く。(中国新聞7月10日)
国会も、天変地異の大災害に対しては、超党派である。
戦争や格差や貧困に対しても、超党派と行きたいところだが、人間の差配する領域は、責任が発生する。
国会の中の与党と野党。
国民の信頼を得れば与党、得られなければ下野する以外にない。
「泣いて馬謖を切る」ほどの人物も見られないが、せめてノーコン大臣は、即ピッチャー更迭の人事力が欲しい。
現在の広島カープ程のチームワークが、与野党にあれば、どれほどの、歴史的市民国家が現れる事だろうか。

七夕 小暑。

2017年07月07日 | 千伝。
自分の人生を振り返っても、七月七日が今日のように晴天だった記憶は殆ど皆無です。

今夜は、まん丸いお月さんが、青い夜に浮かんでいました。



天の川も眺めてみたいものです。

・・なので、今夜は、少し星空散歩。



天体望遠鏡を覗いて見ると、こんな雲一つない夜空にもかかわらず、木星と土星しかみることができませんでした。



「天の川を見たければ、街灯の無い山奥やそんな場所に行かないと・・」と係員のアドバイス。

・・短冊に願いを。



七夕に、満天の星が輝く天の川を見た人は、幸せなんだろうなぁ。

・・星に願いを。

亀山天皇 (1249~1305)

2017年07月05日 | 空木宝剣
梅雨の日や しばし床屋で 雨宿り

床屋の椅子に掛けると、すぐさま「右分けにされますか?左分けにしますか?」との質問。
「斎藤さんだぞ!分けれるものだったら分けてみろやい。」と言いたいところだが、マニュアル質問に対しては、「適当に」と返した。
「このハゲー」で一躍、時の人となった豊田真由子議員。
自虐芸人のハゲギャグは売りだが、一般人の禿頭にハゲと言うのはタブー。
人には名前がある。
仕事の失敗を叱責するに、「このハゲー」と言ったばかりに、盗聴される程の恨みを、買ってしまった。
防犯カメラ、盗聴器の氾濫する現代社会。
大雨を逃れて、BGMの流れる床屋は、居心地の良いひとつの避難場所。
元寇のあった鎌倉時代。
床屋の発祥の地は、下関だとの事。
その場所は、関門海峡見下ろす、亀山宮のすぐそばにある。






雪国のかまくら。
ビバークの雪洞。
人間が、逃げ込むシェルターは、
世につれ、時代につれ、常に人のそば。

幕末の七夕。

2017年07月01日 | 千伝。
12年前の熱い夏、小泉内閣時の郵政改革の是非を問う衆議院の国政選挙が行われました。

広島6区の尾道では、亀井静香さんに挑んだ堀江貴文さん(愛称ホリエモン)の衆議院選挙でした。

同じく、地元福井1区では、首にタオルを巻いて、無名の女性立候補者が必死で動き回っていました。

世襲制の候補でもなく、「福井のおっかさんになります」と声を絞り出していました。

12年後の今、自民党の政調会長等々を歴任したあと、現在の防衛大臣となっている稲田朋美さんです。

都議選での「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」との応援演説・・地元の福井県議選でも言えたのかな?

一時、日本初の女性宰相の可能性も示唆されたり、背伸びをし過ぎたのでは?

この方、はじめに国政よりも地方議会から出発すればよかったのにと思います。

う~ん、その一方で当時、その逆もありと思える逸材なのに、国政デビューよりも県知事への道を優先したために政治家を諦めた方もいました・・残念。

・・人生も様々です。

福井県選出の代議士先生たち・・下着泥棒容疑の元復興大臣、背伸びをし過ぎる防衛大臣。

「福井の為に馬車馬の如く働く」と誓ったのではありませんか?

・・福井の先人の足跡を見よ!

さて、今日は、県立図書館に参りました。



土砂降りの雨、雨あがりの晴天・・幕末の時代を想い描きました。



福井の歌人「独楽吟」の橘曙覧も、幕末の志士達も、七夕の短冊に願い事を書いたのだろうか?

土佐の坂本龍馬が惚れた男・・幕末の福井藩士三岡八郎。

薩摩の西郷隆盛が惚れた男・・幕末の福井藩士橋本佐内。

いつか、NHK大河ドラマの主人公は、幕末の福井藩絡みになると期待します。

図書館の玄関入り口の近い所に、福井藩士三岡八郎(のちの由利公正)が起案した「議事之体大意」が掲げられています。

明治維新の指針となる「五箇条の御誓文」の起案です。



由利公正の大意:
一 庶民志を遂け 人心をして倦まさらしむるを欲す
一 士民心を一にし 盛に經綸を行ふを要す
一 知識を世界に求め 廣く皇基を振起すへし
一 貢士期限を以て 賢才に讓るへし
一 萬機公論に決し 私に論するなかれ





木戸孝允(長州 桂小五郎)の修正した「五箇条の御誓文」参照;
一 廣く會議を興し 萬機公論に決すべし
一 上下心を一にして 盛に經綸を行ふべし
一 官武一途庶民に至る迠各其志を遂け
  人心をして 倦まざらしめん事を要す
一 舊來の陋習を破り 天地の公道に基くべし
一 知識を世界に求め 大に皇基を振起すべし



作詞/権藤はなよ 補作詞/林柳波 作曲/下総皖一
ささの葉 さらさら
のきばに ゆれる
お星さま きらきら
きん ぎん 砂子
五しきの たんざく
わたしが かいた
お星さま きらきら
空から 見てる♬