百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ムーディ勝山

2007年05月31日 | 千伝。
昨日の藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴をテレビを観ていた。
ホテルオークラ神戸 平安の間・・懐かしいなぁ。
東京ではなくて、わざわざお互いの地元となる神戸で結婚披露宴を行ったことに好感が持てる。

ところで、披露宴の途中で、ムーディ勝山という芸人が「右から来たものを左へ受け流す♪」を歌っていた。
支離滅裂で面白い。

勝山・・ヒットの予感。

福井県勝山市には、海外にも誇れる世界有数の福井県立恐竜博物館がある。
奈良の大仏よりも大きい日本一の越前大仏がある。
日本一高い五重塔もある。
日本海側、西日本最大級のスキー場もある。

また、勝山には、717年、泰澄大師が建てた平泉寺がある。
深幽の世界に立ち入ることができる。

それでも、日本において無名に近い過疎の町、福井県勝山市である。
支離滅裂な田舎町だと評している方もいらっしゃるが、面白い地域だと小生は感じている。

因みに、ムーディ勝山さんの大先輩にあたる大阪吉本興業の上方芸人「花菱アチャコさん」の故郷は、福井県勝山市である。

笑いは、支離滅裂な苦悩から生まれるようです。

裏町

2007年05月31日 | 千伝。
町は、二つの景色を持っている。

西から行った場合と東から入った場合と、全くちがって記憶していることがある。

表の顔と裏の顔・・

富士山にも裏富士があるように、町にも裏町がある。

ニーズ格差

2007年05月31日 | 千伝。
保険は、リスクに対する担保という考えかたと、節税という二つの面を持っている。

サラリーマンは生命保険に加入しても5万の控除と個人年金加入の5万と、合計10万円しか控除枠はない。

かたや、法人契約の場合、全額経費扱いできる保険があるので、儲かっている企業は、少しでも高い保険に加入しようとする。

解約返戻金(キャッシュバリュー)退職金に当てたり運転資金に当てたりする。

一般の顧客は、保険は少しでも安くて補償の良いものをニーズとする。

保険を節税の目的にする者は、少しでも高くて得なものをニーズとする。

決算期を迎えて税金を数千万支払う高額納税者は、経費で落とすためにベンツを買ったり、高額保険に加入したりする。

海へ

2007年05月30日 | 千伝。
若者は、ばか者といわれ、馬鹿の高上がりで、山を目指さねばなりません。

体力的に峠を越したにもかかわらず、まだ山を目指そうとしたことで、随分負荷を感じたものでした。

なにを目指すかといえば、答えは簡単。海です。
 
人間にも機械同様に、アクセルとブレーキがあって、積極と消極の狭間で、行動予定を計画しています。

目的地に早く着く自動車が優秀なように、人間もスピーディな者が重宝され、愚図は、うとまわれるようです。

自分の中の、プラスや積極性を引き出してくれるのが、良き友であり、相棒なのでしょう。
 
心の迷い、迷路を取り除くには、夢中になれるものに夢中になることにほかならない・・
ただ、ひたすら励むことが、すべての答えを導くのでしょう。

高さよりも、広さを目指します。

海よ

2007年05月29日 | 千伝。
昔、学生時代に利用していた中央線荻窪駅南口に、加山雄三さんの「海、その愛」の歌を、まる一日中流していた喫茶店があった。

中島みゆきさんの「海よ♪」を聴きながら、そんな思い出が浮かんできた。

海には、豊かさがある。

姨捨山のように、老婆を海に捨てたとしても、毎日の魚介類で飢える事はない。

年寄りは山は眺めるもので登るものではない。

「若者よ、人生の山を登れ。中高年よ、海の豊かさをめざせ」

つい、この前まで、山をめざして、下りのエスカレートを懸命に昇ろうとしていた自分の姿があらわれます。
 
そう、今からでも、海を目指そう。

かつて苦境の加山雄三さんが、光進丸のスケッチと波打ち際の海の絵で救われたように・・と物思いに耽っていると・・・。

70歳を超えた日本人の方々が、次々と世界最高峰のエベレスト登山の世界最高年齢記録を更新しているという情報が入った。

海と山の硲に、この世に蠢く希望の命が、横たわっているのでしょう。


負けないで!

2007年05月28日 | 千伝。
ZARDの人気女性ボーカル 坂井泉水が、入院中の病院で謎の転落死。
彼女の歌った「負けないで♪」は、好きな曲である。

かつて小泉政権をタリバン政権とののしったこともある男だった。
亀井派だったが、亀井静香と袂をわけ、自民党に残った。
安部政権で閣僚入り、歓喜感涙した男。一国の大臣になった。
その農林大臣の松岡が、自殺した。かれの名前は、利勝。
彼は、何に負けたのだろうか?

カンヌ映画祭グランプリ(二席)受賞作品 河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」という映画を観たい。
介護職員と認知症の老人が墓参途中で深い森に迷い込む物語だそうだが、興味深い。
グランプリ受賞のスピーチが素晴らしい。
「映画を作るって本当に大変なこと。それは人生に似ています。人生はたくさんの困難がある。お金とか服とか車とか、形あるものによりどころを求めようとするが、満たされるのは一部。目に見えないもの――誰かの思い、光、風、亡くなった人の面影。私たちは、そういうものに心の支えを見つけた時、たった一人でも立っていられる、そんな生き物なのだと思います」

宮沢賢治の詩を読んでいます。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

家作り

2007年05月27日 | 千伝。
「50歳すぎたら、頑張るな」の具体例として、大きな声を出さない。

声も少エネ・・・・・大きい声より、艶のある声を目指しましょう。

大きな声は、怒鳴っている時か、テンションをあげて何かを求めるときです。

おうおうにして見苦しい場合が多いです。

歌を歌う時以外、艶のある声、響きのある声を目指しましょう。
 
食事も少エネ・・・・・必要以上食べると、不細工になります。

食欲につぎ込むエネルギーを金銭欲に転化したほうが、50歳超えたら豊かです。

先日、NHK深夜便のこころの時代で、小説家のことを作家というが、作家とは「家を作る」と書く。よって小説家は家を作るひとで、昔は、書いたものを、作物と言っていたとの事。

家を建てるために作物を書く。

百姓と一緒で、この世の仕事はすべて、家を作るためにあるのかも知れません。

トロン

2007年05月27日 | 千伝。
TRON(Real-time Operating system Nucleus)という日本発明発信の世界で最も使われているOS(基本ソフト携帯電話用等々)がある。

数年前、NHKの番組「プロジェクトX 挑戦者達シリーズ」で「家電革命 トロンの衝撃」が放映された。

そのTRONプロジェクトのリーダー、日本でのユビキタス社会の名付け親でもある東京大学大学院教授 坂村健さんの講演会に参加してきた。

講演タイトルは、「どこまでコンピューターの夢」。
(詳細は、省きます。余談事しか憶えていません。笑)

夜、NHK教育で2時間ETVワイド「これからの介護」を観る。

二年前から介護福祉とコンピューターのネットワークシステムの二本立ての世界を学んでいるが、どちらも体力的にも精神的にもキツイというのが本音である。

老人というのは、必ず障害を持つ。
人生の総決算となる避けては通れないのが介護である。
介護の必要性は、信頼できる老後生活の公私による保障である。

ITの世界は、未来への道しるべ(地図)のような役割がある。
コンピューターの使用目的は、世界中で安心出来る利便性のある生活と地球上での政治経済・ビジネス環境の向上にある。

日本人の思考構造には、必ず「便利性」と「コスト削減」という基本的思考手順が働く。だからこそ、年金、銀行、保険、電話、鉄道、インターネット等々は、日本人は、どれひとつ発明できなかったとか・・。

今日の講演会で、北欧のスウェーデンの国の話があった。
今のスウェーデンには、バス停がないらしい?!
例えば、磁気カードやIDカードの個人情報を利用して、バスに乗れば、乗客の自宅に一番近い場所へと降車のために止まるらしい。
これは、老人福祉の立場で考えるからこそ実行できるのだと納得がゆく。

もうひとつ、興味を憶えたのは、日本の高速道路のETCシステムである。
小生も自分の車にETCを装着しているが、料金所を通り越す時、無事通過できるだろうかと不安もよぎるが・・大抵、大丈夫である。

あの踏み切りのようなゲートの開閉が出来るコンピューターシステム制御を開発できるのは、日本だけであるそうである(その気になればアメリカも出来るとか・・)。
海外から、日本のETCシステムを視察に訪れる国も多いらしい。

あのゲート付のETCシステムだが、1台につき数千万円だとかで、それにメンテナス料金を入れると、日本全国の合計予算額は、膨大になるという。

渋滞解消の利便性、人員削減、人件費コスト削減目的のために開発されたETCシステムであるが・・少子高齢化社会に突入する日本社会は、発想の転換が必要かもしれない。

日本のETCシステムを視察したシンガポール政府が、実行に移したらしい。
実施したのは、シンガポールの全車にETC機能を装着する義務付け。
ただし、料金所には、ゲートなしである。
これだけでも、かなりの予算削減である。
では、自由にフリー走行して出入りできる違反者(車)は、どうするのか?
捕まった場合、刑罰、罰金が重くのしかかるシステム(仕組み)作りをしている。

こういう発想が、日本人にはできない。
和を尊ぶ集団思考で反論重視を考量して判断するのである。

今日のNHK教育番組「これからの介護」に出演していた厚生省の役人も同じである。

逼迫危機に瀕している日本の現状の介護制度の在り方に、「日本の国民の皆さんに十分認識してもらってから・・」というコメントを繰り返していた。

国民全体の意見の反映の結果を待つならば、イノベーション(革新)という言葉は、時代遅れであり必要もない。

何のために、そのために何をすればいいのか・・。
少子高齢化社会では、まず、老人、障害者の立場ありきである。
人生の終わりに、てんてこ舞いにならないような早急な日本社会のシステム作りを望む。

その方向性で、自由競争のある社会システムの安心、革新を訴えるのが、それが、民主主義の正道かなぁ・・と感じた一日でした。

パソコンの前に座っている方々へ。

2時間おきに休憩を取りましょう。
一日、5時間弱ぐらいにしないと、人間の身体は、変調不調を起こします。
不自然な体型での作業であることは、医学的に証明されています。

愉しみの時

2007年05月26日 | 千伝。
とある新聞記事のコラムに橘曙覧の「独楽吟」の一首が紹介されていました。

たのしみは まれに魚にて 児等皆が うましうましと いひて食ふ時

かつて、天皇陛下ご夫妻が、ご訪米の際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチで締め括った言葉は、橘曙覧の「独楽吟」の次の一首が引用されていました。

たのしみは 朝起きいでて 昨日まで なかりし花の 咲ける見る時

「橘曙覧」という人物に興味を持ち始めています。

江戸時代幕末期、福井に生まれ育ち、京都、大坂、江戸の中央の歌壇と交わることもなく、ひっそりと郷里福井で半農民の生活をしながら一生涯を終えた清貧の歌人「橘曙覧」の人物像を思い描いています。

ふと読んだ明治期に書かれた「橘曙覧」評が甚く気に入りました。

下記抜粋:

辺陬の地に空しく跼蹐して不遇の一生を畢つた彼が、折にふれ事に感じてその真情を吐露したもので彼の生命は何と言ってもこの一巻に残っている。

彼自身に尋ねたら、もっと大きな使命を感じていたかも知れないが、その時代と彼の天性とから考へれば学者としてよりも、むしろ歌人として栄誉を担うものと言わなければならぬ。
彼の生涯は隠遁的であり回避的であつたが、彼の歌は西行や芭蕉のようにその閑寂な生活から生れた芸術ではない。

その特色は、あくまでも人間的であつた。

取材用語の縦横、気魄の高邁、寸毫も世俗に媚びないで、しかも人情に背馳するところなく、無技巧に歌ひ捨てた感興の中に無限の詩味と実感を含む─―この点にかけては実に独自な境地を拓いたものと言ってよい。

彼は決して世を捨てたのではない。繁瑣な衣食住の約束を無視することによつて、真に自由な生活を獲得し自我を樹立し得たのである。

そこに解放された一つの人格が生れたのである。

 たのしみは 物をかゝせて 善き値 惜しみげもなく 人のくれし時

 たのしみは 門うりありく 魚買て 烹る鐺の香を 鼻に嗅ぐ時

「銭ほし、魚ほし」の生活欲を何の躊躇もなしに歌いあげ得るだけの広い心境にまで達していたのである。
それも景樹輩のやうに奇矯を衒ったところなく、極めて真摯な心持ちから自然に流れて出たのである。

その随筆「ゐろり譚」の中にこんな意味のことを述べている。
 
「世に天狗というものがある。自在を得て雲を踏み、空を翔り、海を渉り、人家に出没し、世の中のあらゆることを知っているが、日に数度魔界の苛責を免れることが出来ない。自分も五尺の身、人に扶持せられず、寝たければ寝、食ひたければ食ふ。千里を行かうと思へばいつでも行ける。誰一人妨げる者はない。読書を欲すれば終日窓を閉じ、山水に語らい、花鳥に交り、一切の自由を得ている。ただ、一ヶ月に一二度、米櫃の底が鳴るのが苛責のせめだ。さすればおのれも人界の天狗の類か」

以上

ノミ・シラミがたかり、床から生えた竹・・貧しく平凡な日常生活を恨む事もなく愚痴る事もなく、すべてを「たのしみ」に変化させる人生の達人「橘曙覧」が、しっかりと生きていた証「独楽吟」を誇らしく思います。

人生半ばを過ぎて、本当は、下りのほうが楽です。
登りのときは、頂上を、ただひたすらにめざした頑張りにたいして、
下りは、人生の景色を眺めながら歩くことができます。

そんな、逆説的なモノを書けたら面白いと思うこの頃です。

自由の国

2007年05月24日 | 千伝。
時が、ものを変化させていくさまを進化というのかも知れません。

なにも、前に進むとは限らず、物が朽ちたり、錆びたり、実ったり・・

その繰り返しで、新しいものと思うものも、

ただの変種に過ぎないものかも知れません。

今の世の中、子供は引きこもり。大人は立てこもりのてんこ盛り。

この前まで、奴隷制度のあった自由の国への追従は危険です。


備後国風土記逸文 蘇民将来子孫之門 

2007年05月23日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
尾張の国 愛知県津島市百島町まで参拝。

この町を訪問するのは三度目です。

故郷の備後の国 広島県尾道市百島町との歴史的な因縁めいたものがあるかどうか分かりませが、個人的には、はっとさせられるエピソードが沢山ありました。

津島市を訪問すると、立ち寄る場所が、津島神社です。(写真添付)

ちょうど、本殿を普請中で5億円の寄進のお願いを立て看板に申し出ておりました。

さすがに、全国の牛頭天王信仰の総本山とされる古社です。

5億円の寄進集めなど簡単なことかもしれません。

牛頭天王信仰と言ってもピンとこないかもしれませんが、日本三大祭りの京都の八坂神社の祇園祭の祭神(牛頭天王・・お天王さま)の起源(疫病退治)になっています。

天王祭り、天王洲アイル等々の祭り、地名の起源は、牛頭天王信仰から始まっています。

タイトルに備後国風土記ですが、残存するその逸文に、わが国日本でもっとも古い「蘇民将来」という人物の説話が残されています。

ここで詳細を省きますが・・・因みに、蘇民が名前で、将来が姓です。

京都の八坂神社と同様に、津島神社は「蘇民将来子孫」のお守りがあります。

「蘇民将来子孫」というお守りがあるのは、スサノオノミコト(神仏習合して牛頭天王)が流浪していた時に、「蘇民将来」という人がスサノオ(牛頭天王)を助けたので、蘇民将来の子孫をスサノオが守ってくれるという伝説から来ています。

スサノオのオロチ退治に出雲神話・・・だとすれば、蘇民将来は、南海に位置する備後の国の百島界隈で暮していた可能性もあります。

いずれにせよ、神話の世界です。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。


人生の基数

2007年05月22日 | 千伝。
映画「博士の愛した数式」は、興味深いものでした。

友愛数や完全数、素数の探求は、未知への探求にも似ています。
π や i の割り切れないものの総数に1を加えると、おそらく0というのも色即是空にも似ています。

ところで、アフリカのマサイ族では、誰もが自分の年齢がわからないそうです。
数字という数える概念がないそうです。
つまり、モノを「1,2・・」というより「これ、あれ・・」という意識概念かもしれません。
・・何故か、12進法が得意だった人物を思い浮かべます。

因みに、デジタルは、0と1との2進法則です。
(11に1を加えると、桁が一つ増えて100になります)

人間の生活の営みは、基数変換が10の10進法則です。
収入も支出も預金も借金も、生活のあらゆる一喜一憂する数値は、10進数が基本となっています。

数字というものは、単なる数える記号ではなく、宇宙の果ての無限大(∞)と生命の無(0)との間を橋渡しする伝達表意記号かもしれません。

たとえば、テレパシーによる伝授は、16進数以上の基数変換できる能力を自然に身につけているのかもしれません。

昔、宜保愛子さんという方がいらっしゃいました。
今、木村藤子さんという方がいらっしゃいますが、そういう方々の超能力のような霊能力のような・・力は、本人の自覚なしで、ひょっとすると、基数をかなりの高度のレベルで変換して、自由自在に駆使できるのかもしれないと、何気なく感じ取っています。

基数とは、デジタル的な数学的な表現ではなく、アナログ的な潮の満ち引き、太陽の動き、水の流れ、呼吸・・時間とともに変化移動するすべての自然現象の基準値にもなります。

嗚呼、映画に出てくるようなセンセイがいたら、もっと数学が好きになっていたでしょう。(笑)

リトル・ランナー

2007年05月21日 | 千伝。
カナダ映画の「リトル・ランナー」という映画は、良かったです。
以前観た「リトル・ダンサー」という英国映画も良かったなぁ・・。

リトル(子供)が、成長するのは、心優しい正しい大人や親が周りにいるからこそだと確信させられました。

何が善いのかというと「奇蹟を起こすために生きる」という人生のテーマがあります。
たとえ、奇蹟が起こらなくても、それに向かって走る、生きる姿に心打たれるのでしょう。

とある新聞記事に「世界経済マラソン」というコラムが載っていました。
世界における日本経済の実力の順位の変動ですが・・。

社会全体の満足度、人生の達成感を重視するならば、利益率ばかりのたまう企業や経営者は、必要ないかもしれません。

ところで、関ヶ原から養老まで走る一般道の道すがらに、何故か、黒牛のステーキ屋さんが立ち並んでいました。

ちょっと立ち寄ってみたくなるような感覚になりました。

牛歩のような「シニア・ランナー」にも奇蹟が起こりますように。

翼をください

2007年05月18日 | 千伝。
愛知県長久手の29時間に及ぶ立てこもり事件で容疑者の身柄が確保・逮捕されました。
元暴力団員の容疑者とは同年齢ですが、狂気の沙汰としか言いようがありません。

狂気の人間に対する安全確保という逮捕劇・・警察官の大動員・・護送される車へのマスコミの執拗な追跡と報道・・世の中・・ほんとうに何か変です。

長久手の近くに名古屋市千種区城山という地域があります。
そこに暮らしていた男が、後に経済小説を題材にして書き上げていたペンネーム城山三郎という作家です。

「ヒマラヤを仰ぐ山国の湖畔で悠々と草をはむ牛がうらやましく、生まれるのならばネパールの牛になりたかったとか・・それと同じ体験を戦争末期にした」とのことです。

17歳で海軍に志願入隊・・朝から晩まで毎日、意味もなく殴られつづけて芋の葉を食べる生活。士官達はトンカツや天麩羅を食べていた時、余程、河原の牛になりたかったと思ったそうです。

終戦日のあと、特攻に散った若者達・・その体験が「大義名分のこわさ、組織のみにくさ」という信念に変わったそうです。

翼をください♪を聴きながら・・。

人間の大空を飛ぶ鳥になりたい願望は、人間社会の殺風景を飛びこしたい気持ちなのでしょう。


感覚の質

2007年05月17日 | 千伝。
感覚とは恐ろしいものです。

慣れも怖いものです。

一日のノルマを10と100と1000と定める事によって、感覚が修正されてくるはずです。

眠っていても、今日一日は終ります。

人間、今日一日、何人と会うかを(正)印をつけると、気になりはじめます。

A succession of visitors 千客万来は、まず、自己のなかに数字の数を定めるところからあるような気がします。