- 昨日28日は、お不動さん詣で。
流れてくるカー・ラジオで面白いことを言っていました。
日本中のお笑い芸人から音楽、演劇等々の隅々の芸能人まで、その総人口は、約2万人ぐらいだとのこと。日本中の政治家、国会議員から村会議員まで合わせると、その総人口は、約3万人だとか。
でも、政治家から新型コロナ感染者が出たというニュースが無いのは何故かな?
・・・そんなことを言っていました。
すると、緊急ニュースで、安倍首相が健康上の問題で辞意表明するという速報ニュース。
ロシアとの平和条約、北朝鮮による拉致問題、憲法改革・・・この三つが成らず、痛恨の極みと表現していました。
森友・加計、公文書改ざん、忖度問題・・・長期政権による、その功罪もありますが、ともかくも、安倍さん、お疲れ様でした。
安倍さんとは一度お話したことがありますが、上流階級の良家のボンボンという坊ちゃん育ち
、成蹊大学アーチェリ部出身、友人を大事にする温厚な人柄です。
・・・だからなのでしょうか?
8年前、当時の民主党野田首相と自民党総裁安倍さんが国会解散の条件は、両党ともに国民に公約としたのは、国会議員の大幅な削減と、地方創生再生だったのでは?
その衆議院選挙で大勝利、政権を奪取した自民党の第二次安倍政権。
当時、新たな地方創生大臣のポストに、石破さん・・・あれから8年。
あれから、安倍さん、石破さん、二世議員の先生たち・・・何か変わりましたか?
8年間の長期政権の政治力でも変わらなかったもの、今年初めから世界に吹き荒れるコロナ禍で変わるものは?
政治家が保身という免疫力で新型コロナに感染しないというのが理解できます。
自分の事で精一杯なのに、無理してでも国民、国家のために尽くす生き方は、無理というものです。
自分に余裕がないと、政治家の仕事も出来ないと考えます。
今回、安倍首相の辞意表明、分別のある決断です。
夜、ガストに立ち寄りました。
テイクアウトだけではなく、店内の注文は、すべてタブレットを通して注文だとのこと。
高齢者の一人顧客には、店内での注文、食事すら難しい時代になりました。
この猛暑の日々、電化製品のある生活に感謝です。
これで、停電、水道ストップとなると、どうなることか?
地震も台風も、天災も人災も、必ず来ます。
コロナ禍は、いつ終息するのか?
こんな地球に、人間として生まれてきた事に、意味あるのかな?
分別とは、意味ある事だと過剰に考えない事。
政治をAIに任せると、いいのでは?
それでも、新しい日本丸の船長となる新しい首相に期待します。
若い世代の藤井聡太さんや、米津玄師さん・・・彼らの分別あるコメント、未来の政治像を聞きたいなぁ。
患者さんや利用者さんに、不安感を与える医師、看護師、介護士は、よくないですね。
今日は、大きな病院で、ちょっと注意。
言葉も大事ですが、その言い方も大事です。
されど、方言、訛りは、その言い方にも影響を与えます。
元気そうにみえても、持病を抱えているのが、人間の心です。
子供の頃に暮らした百島、特に泊地区は言葉使いが荒くて、本村や福田地区の言葉は上品に思えました。
あの界隈でガラの悪い地域といえば、尾道の吉和、福山の鞆、三原の旭町・・・すべて漁港です。
漁師が、~してください。頼みます。と丁寧な言葉のやり取りでは、魚は逃げてしまい、漁の仕事は出来ません。
だから、高校に入学すると、案外、漁港界隈の連中との言葉の波長が合った記憶があります。
東京で働き始めた20代になると、言葉は文字通りの羅列、インパクトの強さが求められました。
海外に出て外資系で働き始めた30代、40代になると、英語力という伝える力が必要になりましたが、would you? とか please! を付け加えれば、すべてが大丈夫という勘違い。
稼ぐには、スマイルという表示が大事となります。
自営業を経て、50代からは介護の世界。
人生でもっとも大事なことは、自分を介護する事です。
今は、福井市。
周りでは、あまり評判がよくない福井市の広報戦略ポスターです。
東京の実績のある有名な広告マンに頼んで作ったとのこと。
福井市は、自分から何をアピールすればいいんだ?
県庁も、市役所も、JR 駅も、図書館も、デパートも、スーパーも、大病院も、映画館も、書店も、必要とするほぼ全部、徒歩20分圏内にあります。
郊外の方でも、車で30分圏内で、ほとんど用が足ります。
利便性ならば、東京生活よりも、ずっとコスパが高いのです。
福井市は、既にスーパーコンバクトシティなのです。
雪景色も色彩りとなります。
今は、福井県。
隣りの府県からの幹線道路の県境の全てに、福井県は、歓送迎の看板を設置しています。
僕が知る限り、隣県は何も設置していません。
福井県人として、誇らしく思います。
幸福度、学力、体力、貯蓄高・・・日本一の福井県。
・・・ほんとうに日本一かな?
「いまの時代、自分からアピールしなきゃ❗」
・・・と、福井市の今年からの市政指針です。
百を巡る知と地に、福が届きますように。
賤ヶ岳中腹から、日本三大弁財天の竹生島を眺めます。
湖岸には、水遊びの集団、素っ裸で日光浴・・・真っ黒な肌は、火傷しないのかな?
若さという特権なのかな?
夏と冬の時季には、バイクに乗るのには、体力的にもちょっと無理な年齢になりました。
琵琶湖は、富士山周辺と同じような独特な地域性があります。
昔の人は、若狭近江、遠江駿河と、よく名付けたものです。
この夏、若い自営業の挑戦者の方と話す機会を得て思う事あり。
近江商人もいれば、遠江商人もいます。
顧客が百人いれば、大丈夫です。
顧客千人ならば、経営は安定です。
万人に顧客満足を与えるとなると、花火の打ち上げと似ています。
彦根市鳥居本町(旧百々村)まで参りました。
近江鉄道から数十M先には、東海道新幹線が走っており、同じ空間に異なる時間の流れ、速さを感じました。
この駅から数分歩けば、すぐ中山道。
猛暑で誰も歩いてはいませんが、かつて賑やかな中山道の宿場町の面影は、残っています。
鳥居本町の交流センターに立ち寄ると、高齢者ばかりが集まって二つ三つの麻雀卓を囲んで、賑やかでした。
百々(どど)の事、お訊きしたいのですが?
と尋ねると、高齢者の方々、一斉にあれやこれやと答えてくれるのです❗
中でも、百々さんという方が居られて、親切に教えてくださって感激ものでした。
町内には、今も百々という姓(苗字)を持つ家が、七、八軒あるとの事。
百々屋敷があった場所やら、この界隈には、百々山もあるとのこと。
かつて、百々氏は、佐和山城主として、この地の土豪まで成り上がったとのこと。
佐和山城のモノは、石田三成が敗れた関ヶ原の戦い以降、今の彦根城を築城する際、ほとんど活用されたとのこと。
僕から、瀬戸内海の越智氏から河野氏、河野氏から百々氏への簡単な系統系譜を説明をすると、もっと百々一党に歴史のスポットライトが当たってもよいのではないかと、共感して盛り上がりました。
さきに百々ありて、伊賀、甲賀、柳生です。
百々住宅家が、今、蕎麦屋さんになっているとのこと。
早速、訪ねてみました。
百が四つ、百百百百(どどもも)という蕎麦屋さんでした。
生憎の定休日でしたが、裏手の駐車場に車を止めると、お二人の方がいました❗
店長、店主かな?
鳥居本町に立ち寄った経緯を説明して、店内を見せてほしいとお願いすると、快く受けてくださいました。
この十割手打ち そば処 「百百百百」。
立ち入った事まで聞けませんでしたが、この屋敷を買い取り、昨年オープンしたばかり、とのこと。
若いご主人は、長野県から来られて、蕎麦屋を開業。
蕎麦を自分自身で畑で栽培されているとの事。
忙しい中、慌ただしく訪問したのに、親切丁寧に対応してくださり、感謝です。
先日、訪問した加賀市百々町のブーケも然り。
百の繋がりが、未来のどこに続くのかな?
百が、導くのかな?
帰り道、百々山に登ってみました。
低い山ですが、四駆以外の車で上がるのは、危険です。
百の繋がり、過去ではないね、未来への何かかもしれません。
福井県と石川県の県境から、国道8号線を下って車で約10分前後。
「村の食堂屋」さんのある交差点を右に進むと、山肌に張り付いたような小さな百々町があります。
小さな集落で約20世帯、人口も数十人なのに、町単位で存在しているのが不思議でした❗
集落に入ると道は狭くて、いつのまにか住居の庭に入っていました。
そこの70歳前後のご主人に、百々町の謂われを尋ねましたが、「ここで生まれ育ったが、知らない」とのこと。
ただ、ちょっと読めない変わった地名で、昔、ここに城があったと聞いているとのことでした。
僕の知る百々の謂われを伝えると、「とてもいい話を聞いた❗」と喜んでいました。
百々町の鎮守、白山神社を参拝。
加賀市内には、大聖寺、山代、山中温泉と、なかなか観光資源も多く、レディ・カガでの街起こしやらユニークです。
女優の森光子さんが、自らの国民栄誉賞、放浪記の舞台セットも、山中温泉に寄贈しています。
尾道よりも、加賀市の山中温泉の方が居心地がよかったのでしょう。
さて、神社からの眺めがよかったです。
北陸新幹線の延伸工事も見えます。
帰り道、神社の下に、今年春オープンしたばかりの古民家風カフェ兼ダイニングバーがあります。
こういうと、大変申し訳けないのですが、片田舎の百々町には場違いのような雰囲気のある都会風の隠れ家ワインバーのような雰囲気を醸し出しています。
ブーケというお店です。
店内で、オーナーの若いご主人とお話もできました。
もともとは、北海道小樽の方だそうですが、落ち着いた雰囲気のある方でした。
いと珍しいコーヒーとケーキをいただきました🎵
とても美味でしたよ❗
ちょっと、僕も若返った気持ちになれました。
コロナ禍の今、経営多難かもしれませんが、ブーケには、踏ん張ってほしいなぁ❗
加賀市百々町・・・いいね❗
ホロコーストの時代にオランダは、アムステルダムの屋根裏に隠れ住み、13才からつけたアンネの日記。
架空の友人キティちゃんに、日常を吐露する形で綴られたとの事。
ペータは、兄妹と思っていたが、同居人という事だった。
戦争は悲劇であるが、多くの悲劇は、語られる事もなく過ぎ去って行く。
アンネも、日記を書いていなかったら、その存在が後世まで及ぶ事はなかっただろう。
驚いたのは、1945年当時16才だったという事。
戦後75年。
91才の母親と同い年という事に気付いた。
戦争を生き伸びた人には、「それからの物語」がある。
このコロナ禍。
ホロコーストの時代を生きた世代の、子や孫に対する警鐘かも知れない。
日本は、終戦記念日。
終戦特集としての番組「明子のピアノ」「太陽の子」を観ていました。
広島、ヒロシマ。
政治、戦争指導者は、今も昔も、市井に生きる個人の感情よりも国体護持、自己保身の方が重大な関心事なのでしょう。
20代、30代の若者の戦死、自死は、社会の何かが歪んでいるのかもしれません。
「太陽の子」の番組最後に、遺作となった俳優三浦春馬さんの死を悼んだテロップが流れていました。
三浦春馬さん、軽い役が似合わない好い役者でした・・・合掌。
焚き火が趣味だと言っていた渡哲也さんも亡くなりました。
「大都会」「西部警察」、ライフル銃を持って撃ちまくる役を「いい歳をしたオッサンがね」と自分自身を揶揄していた渡哲也さん・・・好い役者さんでした。
20代の頃に暮らした調布市のアパート、歩いて数分の所に石原プロダクションがありました。
近所の畑を潰して出来た砂利の駐車場には、西部警察で使われていた特殊な車両や車がいっぱい駐車していました。
豪華というよりも、石原プロの直向きな経営状態に感心しました。
でも、石原裕次郎さんも、渡哲也さんも、ここを根城に踏ん張っているんだ・・・と、転職するならば、石原プロ・・・そう思いながら、マスコミの片隅で働いていた20代の頃を思い出します。
石原プロも解散するとのこと、寂しくなります。
ちなみに、石原裕次郎さんの母方のルーツは、広島県。
渡哲也さん、渡瀬恒彦さん兄弟、淡路島育ちですが、お父様は、広島県出身だとお喋っていました。
焚き火が趣味だった渡哲也さん、大好きな俳優さんでした。
家族葬のみ、送る会等無用とのこと。
法名を、故郷淡路島の寺より、すでに生前に用意してあったとのこと。
その生き方にも、教えられます。
送り火の日、ご冥福をお祈り申し上げます。
明日は、ナガサキ原爆忌。
原爆投下後、「これから75年間は、草木は生えないだろう」と言われて、75年目の今年。
しかし、草木はあっという間に生えました。
そして、この75年の間、核兵器も一万倍に威力増強、拡大増加。
ほんとうに、この75年間、草木が生えなかったならば、地球上のすべての核兵器は廃絶していたかもしれません。
今や地球上には、人類を地球文明を絶滅させるに十二分な約1万5000発の核兵器が存在しているとか❗
水爆級になると三発投下で、日本国全体が壊滅状態になるのです。
ここ数日間、海外メディアに投稿するコメントを読んでも、相も変わらず、原爆投下の背景説明やら非人道的な責任結果ばかりです。
戦争を終わらせるために投下、真珠湾攻撃を思い出せ、日本軍の残虐行為を思い出せ、大日本帝国の市民に全く責任は無いのか?
世界は、各々自分自身が正義だと考えているのです。
僕は、20代の頃に東京の日本原水爆被害者団体協議会(被団協東友会)や草の根の平和運動にも二世として参加していました。
ただ、活動部分のどこかで政治色が入るのが嫌で、離れて行きました。
平和とか福祉は、戦争の反対側に位置する人道主義を基本とします。
その人道主義の世界は、イジメ、経済貧困、病苦、自殺他殺、勝ち負け、勝者敗者、社会的弱者が存在してはならないのです。
例えば、人間の魂を安逸を求め、悲嘆を救うはずの宗教なのに、宗教戦争、宗教分派対立の争いがあります。
ナガサキに原爆が投下された翌日から毎日、長崎のクリスチャンは神に祈りを捧げたようです。
神様に、何を祈ったのでしょうね?
人間の非情への救いなのかな?
目の前には、神様は存在しませんが、想いの中に存在します。
想いも、祈りも、気持ちも、物質です。
物質だと考えると、神は存在することになります。
神様と悪魔も、ウィルスも然りです。
宗教と平和、戦争と平和、経済と平和・・・経営と雇用、暴力と非暴力、疫病と健康、吹きこぼれと落ちこぼれ、出しゃばりと引きこもり、男性と女性、多様性と同一性等々。
半沢直樹の倍返しだけでは、丸く収まらないのが社会の日常生活。
百倍の恩返しのような優しさも必要なのでしょう。
社会機能の維持には密接な潤滑油があってこそが、平和な日常生活のなのでしょう。
日常生活の維持は、時々非日常という役割(例が山へ海へ、ディズニーへUSJへ)も大切。
異日常という異文化への理解も含めてです。
ノーモア、ヒロシマ。
ノーモア、ナガサキ。
今年と来年は、防災学、平和学を学び直して、2年後から平和運動の活動従事したいかなぁ。
百倍の平和学は、譲り合いの優しさ沸騰点、尊いはずなのです。
何故かな?
人間の生涯には、3つの時代がある・・・と教えてくれた中学時代の先生がいました。
先日、NHK の72時間の再放送を観ていると、同じ事を言っている方がいました。
青年期は、走る時代。
中年期は、歩く時代。
老年期は、歩けなくなる時代。
人間の自立するための源は、足元だと理解できます。
前にも書きましたが、百歳まで生きる方は、必ず足首、足の裏、足の指をしっかりと揉んでいます。
最近、もうひとつ気がついたこと。
施設に暮らす高齢者の多くの方々の足の指の爪は、水虫(足白癬)に感染しますが、全く正常な爪を揃えたままの高齢者がいます。
その方々の共通点は、一年中、靴下を履いていないのです。
裸足の生活の特長を考えるよい機会を得ました。
今年、コロナ禍でうがい、手洗い励行によって、手足口病が百分の一まで減ったとの事。
足と手・・・密接な関係があるのは間違いありません。
東北の方では、夏でもマスクをしている人を、たまにみかけると聞いた事がある。
団塊が学生の頃である。
あれから半世紀の令和2年。
日本人全体が、夏でもマスクをしている。
周知の通り、コロナの脅威に晒されての事である。
では、前者のマスクはというと、熊に出くわして、頬に受けた傷を隠す為だった。
山より大きい熊はおらへんと言うが、今は目にも見えない菌に怯えて、マスクをしている。
コロナか経済か‼️
コロナは、医術の問題。
経済は、誰かが損をすれば誰かが儲かる、ゼロッサムの問題。
全体が損をしたり、全体が得をする事はありえない。
一人勝ちしている容疑者。
「容疑者を捜せ」(カサブランカ)で、物語は結末を迎えるのかも知れない。
東京おもちゃ美術館館長の多田千尋氏の東京散歩が実に楽しいです。
多田千尋氏の生まれ育ったのは新宿区、百年昔を遡れば、百島がルーツとなります。
今回、多田氏による「百人町」散策を、このブログにも紹介させていただきます。
ましてや、「百」がつく地名です❗
百人町は、徳川将軍を警護するために伊賀鉄砲隊百人が大久保村に暮らしたことが地名の由来になっているとのこと。
伊賀鉄砲隊は時間がある時にはツツジを栽培していて、それが由来となり、「新宿区の花」は、ツツジだとのこと。
百人町は、世界一の乗降客を誇る新宿駅の間近にあるが、65歳以上の高齢者が50%を超える限界集落となる共存エリアもあるとか。
日本一の繁華街歌舞伎町とは、目と鼻の先にある百人町の未来・・・新宿区を故郷とする多田氏にとって、逆に、限界集落の百島はどう映るのかな?
余談になりますが、個人的な思い出です。
学生時代に百人町にほど近い大久保駅の近くに暮らす朝鮮系クラスメートがいました。
彼の実家は焼き肉屋で、アルバイトに来ないかとよく誘われました。
当時から、大久保界隈はコリアタウンとか呼ばれていたのかな?
僕個人の記憶ですが、あの界隈は、朝鮮系も中国人も、とても縁起の良い「百」のつく百人町があるから移り住むのだろうと考えていました。
さて、新宿区百人町。
伊賀組百人鉄砲隊。
それに関連して、百人衆の事。
戦国の世の倣い、百々一族の祖となる四国伊予の国河野一族は、土佐の長宗我部一族との四国の覇権争いに敗れて、支配下の立場になります。
その後、豊臣秀吉の時代になると、瀬戸内海の覇権代理戦争の犠牲となり河野一族は小早川一族に滅ばされます。
徳川の時代になると、土佐から長宗我部一族は追放されて、新たな大名は山内一豊に代わります。
山内一豊は、今で言うと百々越前守をスカウトします。
土佐藩山内家の家老に抜擢されて、百々越前守は、穴太衆を引き連れ高知城を築城します。
近江の国の地縁コネクションです。
因みにその際、長宗我部の家臣を百人衆郷士(下級藩士)として集めて開墾させます。
百人衆の語源です。
その土佐百人衆郷士こそが、約250年後の幕末の志士、坂本龍馬の祖となるのです。
そして、当時、最後の土佐藩主は山内容堂、土佐藩大目付、参政だった吉田東洋は、百々一族なのです。
新宿区百人町から、話が飛びました。