百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

はやぶさ2!

2014年11月27日 | 千伝。
夜空を眺めれば、地球、そして太陽系や宇宙の生い立ち、生命の起源・・いかに人間が小さいものかと感じてしまいます。

次の日曜日、11月30日・・種子島から「小惑星探査機はやぶさ2」が打ち上げられる予定です。

4年かけて2018年に目的地の小惑星1999JU3(直径約900m程度の円球)の到着、サンプル採取後、2020年に地球へ帰還予定。


(写真提供:JAXA 日本宇宙航空研究開発機構)

11月30日午後1時24分48秒に打ち上げ予定・・1秒でも遅れると到達距離が約1000キロほど遠くなるとのこと?!・・よく理解できません。

今回の打ち上げ、大変な人気のようで・・種子島のホテル・旅館、タクシー等、全て予約満杯状態だそうです。

日本各地でもパブリック・ビューイングがあるみたいで、近所の回覧板でのお誘いもありました。

ところで、つい先日、欧州宇宙機関(ESA)が、人類で初めて彗星探査機ロゼッタから切り離された着陸機フィラエが、10年がかりで彗星に着陸成功したことを発表しました。
(この彗星探査機はフィラエとロゼッタという2つで、それぞれロゼッタストーンと古代文字のヒエログラフを解読するヒントとなるフェラエ・オベリスクが発見されたフェラエ島から名前を付けられたとの事。)

去年、ロシアへ大きな隕石が落下して大きな被害がありましたが、もし地球に落下してくる巨大隕石があれば、その軌道を変更させることも可能にするかもしれない人類科学の進化です。

今月、いちばんインパクトのあった写真をアップさせていただきます。


(Photo service: the daily express UK)

探査機ロゼッタから撮影したチュリモフ・ゲラシメンコ彗星(約4.1km幅x約3.2km高)が、もしも、地球に落下した場合のイメージ写真です。

恒星、惑星、小惑星、衛星、彗星、流星・・人工探査機「はやぶさ2」のミッションは、生命の起源を探ること!

反魂丹。

2014年11月20日 | 千伝。
今日は、自分の健康診断の為、二つの病院を巡りました。

朝は、何も食べていないので病院内にあるレストランで遅い朝食を頂きました。



・・心臓も、腎臓も好ましくない結果が出ました。

気落ちしている時の遅い昼食は、御蕎麦です。



それでも、遠くに見える白山連峰が眩しく、心も晴れ晴れでした。



身体は、食べるモノによって育つと言われます。

心は、染み入る言葉によって育つと言われます。

何か・・心身に「魂を呼び戻す」冒険を取り入れてみようかと考えています。

目の前にある頂戴した富山銘菓を食べようか、食べるのをよそうか・・悩んでいます。

反魂丹(はんごんたん)は、江戸時代、越中富山の薬を諸国に広めた万能薬・・日本を代表する最初の和漢薬名です。

その反魂丹になぞらえて、甘金丹(かんこんたん)・・美味しいそうです。



「越中富山の反魂丹、はなくそ丸めて万金丹、それを呑む奴あんぽんたん」

健康になりたいなぁ!

高倉健さんへ捧ぐ。

2014年11月20日 | 千伝。
イデオロギーを別物として、右翼でも、左翼でもなく・・真ん中の「なか」を取り、「なかよく日本人の心」が揺さぶれるようなコラムな一日でした。

日本の政治・社会を先導する立場であるのにもかかわらず、国会審議中に居眠りをする国会議員の先生たちにも読んでいただきたくなるような日本各地の今日の新聞コラムです。

北から南へ、日本各地の新聞コラムを下記転載させていただきました。感謝。

・・高倉健さんへ捧ぐ。

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「


日本映画の全盛期にデビューし、斜陽の時代にも気を吐き、80歳を超えても演じ続けた人が消えた喪失感はファンの胸に日増しに募ろう。スクリーンの健さんに揺さぶられ、映画館を出てもしばらくはその気分で街を歩いた――。それは昭和のいつかであったが、昨日のような気がする。(日経)

「男が生きていくには我慢しなければならないことがいっぱいある」▼誰もが健さんのように生きたかった。健さんならそんなことはしない。それでも現実は厳しくて、ずるいことも考える。調子よく立ち回りもする。泣き言と言い訳の日々▼「そういうのを草野球のキャッチャーちゅうんじゃ…。ミットもない」(「幸福の黄色いハンカチ」)。北風に向かって背中で「男」を教えた人の旅立ちに大人たちが狼狽(ろうばい)している。(東京)

「網走番外地」「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」…。健さんはひたすら、あらまほしき「日本の男」を演じ続けた。(産経)

高倉さんのたたずまいは、孤高に深く錘を下ろしている者だけが醸す存在感に満ちていた。吹雪の中に立つだけでこれほど絵になる人を、ほかに知らない。(朝日)

映画館を出た男たちはみんな健さんになっていたといわれる1960年代の任俠映画のブームである。やがて自ら求めて活躍の場を広げた健さんは、背負った運命を静かに引き受け、見る者の心の奥深くにポッと火をともすような男たちをひたむきに演じ続けてきた。(毎日)

健さんの多くの映画を貫く一筋のものがある。持って生まれたやせ我慢の美学、と言えばいいだろうか。信じたものや愛する者のために耐え忍び、逆境をはね返していく寡黙でいちずな男たち。その真っすぐな役柄に、健さんはぴったりだった▼だが任侠(にんきょう)映画のヒーローになった時には、なぜ観客が熱狂するのか不思議で、有頂天になれなかったという。そんな銀幕の自分を見つめる冷静なまなざしが、名優・高倉健を育てたのかもしれない▼耐えて、筋を曲げず、慎み深く。日本人が大切にしてきた美徳を誰よりも深く体現した、国民的な大スターだった。(京都)

 「自分、不器用ですから」。CMの台詞(せりふ)がやけに決まっていた。寡黙で無骨、でも心根は優しく、仕草(しぐさ)に哀愁が漂う。10日亡くなった俳優の高倉健さんは、男にして「こんな男になりたい」と憧れてしまう大きな人だった。(東奥)

その演技はファンの心のスクリーンから消えることはない。(上毛)

その時の一番気になる人の名を挙げ加護を祈ったという。耐えしのぶ映画の健さんを見るたび背筋が自然に伸びてすがすがしい気持ちになるのは、人柄が伝わってくるからだろう。あこがれの人はスクリーンで生き続ける。(信濃)

元東映東京撮影所長の幸田清さんが以前本紙に語っていた。「健さんは礼儀が正しすぎると言っていいほどの人。掃除のおばちゃんにも必ず頭を下げる」(新潟)

そんな光景に震えるほど心を動かされた高倉さんは、絵本『南極のペンギン』(集英社)に書いた。<ぼくの仕事は俳優だから、よくひとから拍手される。でも、拍手されるより、拍手するほうが、ずっと心がゆたかになる。そう思いながら、ぼくは手をたたきつづけていた。(中日)

寡黙でストイック。でもロケでは市民エキストラにもよく声をかける気さくな人だったという。たびたび訪れた熱海温泉の定宿からコーヒーの注文を受けた喫茶店ボンネットのマスター増田博さん(85)は「コーヒーも一本道だった」としのんだ。(静岡)

受刑者を前に、健さんがあいさつをした。「皆さんのようなユニホームを日本で一番多く着た俳優です」。聞きようによっては、ドキッとする。嫌みや皮肉にとられかねない。殊更言わなくても済むあいさつだろう。あえて、同じような「ユニホーム」という不思議な縁を口にし、相手を和ませる。素顔の健さんも「男気」のある人だと知って、また憧れた。着流し、軍服、鉄道員姿など、私たちも健さんと同じ「ユニホーム」をひととき装い、スクリーンに男の夢を追った。(北国)

本人は「作品を選ぶなんて偉そうなことはしてません」と語った。一方で、死肉をあさるハイエナを例に「まずい餌の獲(と)り方をしていると姿が悪くなる。人間にも通じるんじゃないですか」と述べている(「高倉健インタヴューズ」プレジデント社)▼長く残しておくべき話(映画)をやりたい。声高に主張せず、伝えたいことは低い調子でそっと伝えればいい、とも語っていた。健さんならではの美学を貫いた83年のスター人生だった。(山陽)

「義理と人情を 秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界」。俳優の高倉健さんの訃報に接して、心に広がったのが、この歌だった。健さんが歌う任侠映画の主題歌は、日本人の心情に訴えかける。 背中の入れ墨も鮮やかな健さんが日本刀を構え、悪党に「死んでもらいます」と引導を渡すシーンに観客はしびれた。忍耐がいつ限度を超えるのか、ファンは今か今かと待っていた。 健さんが背負っていたのは、工場や商店、漁場、田畑で汗と油にまみれ、社会の悪や理不尽さに怒り、耐え抜いてきた庶民の心ではなかったか。 北海道を舞台にした映画「幸福の黄色いハンカチ」では、妻への愛を心に秘めた刑務所の出所者を演じ、観客を感動と涙の渦に包んだ。「昭和残侠伝」「八甲田山」「南極物語」「居酒屋兆治」「ブラック・レイン」「鉄道員(ぽっぽや)」「あなたへ」と、健さんはさまざまな役柄を演じ分けた。寡黙で、忍耐強く、謙虚で、優しく、思いやりがあって、絵になる男。それが健さんのイメージだが、素顔は気さくな人だったという。昨秋、健さんが文化勲章を受けた時、国は俳優を見る目があると分かった。 ありがとう健さん。別れに、寂しさも悲しさも尽きないが、唯一の救いは、健さんの出演作が200本余りあることだ。きょうは家でどんな役の健さんに会おうか。(徳島)

高倉健さんはフランスの映画俳優ジャン・ギャバンが好きだったという。「望郷」「現金に手を出すな」「暗黒街のふたり」などで見せた渋い演技を覚えている人は多いだろう。「セリフでも動作でもない。ただ黙ってカメラを見つめてる表情のなかに感情の動きが表現されてる」(野地秩嘉「高倉健インタヴューズ」プレジデント社)。このギャバン評は、そのまま高倉さん自身にも当てはまるのではないか。 「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」「駅 STATION」「南極物語」「鉄道員(ぽっぽや)」…、そして最後の作品となった「あなたへ」。演じた役柄は違っていても、スクリーンの中にいるのはいつも高倉さんその人だったように思う。 芸能プロダクションのマネジャーになるつもりが、ひょんなことから映画界入りし、任俠(にんきょう)映画でスターの座に駆け上がった。存在感のある静かな名優への「変身」には多くの苦労があったに違いない。共演経験の多い小林稔侍さんの「努力の人」「忍耐の人」という評がそれを物語る。酒を飲まず、たばこも3年がかりとなった「八甲田山」完成への願掛けでやめた。「熱くなるから」と賭け事にも手を出さなかった。「普段の生き方が芝居に出る」との信念が禁欲的な生活につながったのだろう。表情はむろん、背中だけで喜びや悲しみを伝えることができる数少ない俳優だった。
さようなら、健さん。(高知)

文化勲章を受けたとき《彼》は「日本人に生まれて本当によかったときょう思いました」としみじみと語った。《彼》がそう言うのを聞いて、私も「日本人に生まれてよかった」と思った。(宮崎)

主演俳優の名前だけで映画館に観客を呼べるのが「銀幕のスター」だとすれば、最後のスターというべき存在だった。背筋正しく、寡黙で、どこか影があり、情に厚い男。後半生はそんなイメージの役柄が多く、ファンは映画の主人公に高倉さん自身を重ねて引きつけられた。(佐賀)

CMを出した健康家族(鹿児島市)によると、実直な人柄が、土作りから手間暇かけた商品のイメージに合うと出演依頼したところ快諾を得た。小林市など撮影現場ではうわさ通り、周りのスタッフに遠慮して休憩中は絶対に座らなかった。
 鹿児島では知覧の特攻隊員を描いた映画「ホタル」を撮った。制作のきっかけとなった故鳥浜トメさんの孫の明久さんは、関係者の話に「はい」「はい」と正座したまま聞き入る様子に律儀さを感じたという。色紙にサインを求めると隅っこに小さく書いた。トメさんゆかりの資料館では、多くの人が待ち構える中に入っては迷惑になるからと見学を遠慮した。「いつかまた来ます」は実現しなかった。寡黙で義理堅く、ここ一番の時に立ち上がる勇気を秘めた存在感は、日本人の美学を体現していた。背筋をすっと伸ばし、含羞(がんしゅう)ある姿を見ることはかなわなくなったが、私たちの心に刻まれた数々の名演技が消えることはない。(南日本)

▼1960年代の任侠ものでは若い男性を魅了した。代表作中の代表作「幸福の黄色いハンカチ」で真骨頂を発揮し、人気を不動にした。必死に生きてきたのに報われず、武骨さの中に哀愁や優しさがにじむ愚直な役に魅せられた。(沖縄)

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

以上、とても遠い存在のようで、とても近くにある日本人の良心・善・美徳を体現した高倉健さんへの全国から届けられた日本人の想いです。

・・高倉健さんへ捧ぐ。

あなたに褒められたくて。

2014年11月18日 | 千伝。
・・職業という違いなのでしょうか?

褒められてばかり・・。

批判されるばかり・・。

褒められてばかりの日本の映画界代表の俳優 高倉健さんが、お亡くなりました。

いつか、こんな日が来ると思っていましたが・・悲しいです。合掌。

「黄色い幸福のハンカチ」という映画を観て以来、高倉健さんのファンになりました。

戦後日本の映画界最高のカリスマでもあった高倉健さんに会いたくて、東映の大泉映画撮影所でエキストラのバイトもしたこともあります。

梅宮辰夫さんや菅原文太さんのお姿は拝見しましたが、残念乍、東映を退社していた高倉健さんの姿をありませんでした。

「黄色い幸福のハンカチ」・・第1回日本アカデミー最優秀作品賞。
最優秀監督賞:山田洋次
最優秀脚本賞:山田洋次・朝間義隆
最優秀主演男優賞:高倉健
最優秀助演男優賞:武田鉄矢
最優秀助演女優賞:桃井かおり
優秀主演女優賞:倍賞千恵子
優秀音楽賞:佐藤勝

船員だった島勇作(高倉健さん)が、誤って喧嘩をして殺人罪で網走刑務所へ。

出所後、妻に「まだ独りで待っててくれるなら、黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。それが目印だ。もしそれが下がってなかったら、俺はそのまま引き返す」・・と網走から夕張までのロードムービでした。

東名の上り大津サービスエリアに行けば、ここの公衆電話から「南極物語」の出演を承諾した高倉健さんを想います。

長野県善光寺へ行けば、二月節分の早朝、30年間参拝していた高倉健さんを想います。

昨年、文化勲章を受章した時の高倉健さんのコメントです。

「映画俳優として58年、205本の映画に出演させていただきました。大学卒業後、生きるために出会った職業でしたが、俳優養成所では『他の人の邪魔になるから見学していてください』と言われる落ちこぼれでした。母が嫌う入れ墨のある前科者の役が多くて、それでも『辛抱ばい』という母からの言葉を胸に、国内外の多くの監督から刺激を受け、それぞれの役の人物の生きざまを通して社会を知り世界を見ました。映画は国境を越え言葉を越えて、“生きる悲しみ”を希望や勇気に変えることができる力を秘めていることを知りました。今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います。映画俳優・高倉健を支えてくださった多くの方々に、深謝申し上げます。どうもありがとうございました」

今夜、安倍首相は、衆議院の解散・総選挙を表明しました。

もし、与党の連立政権が過半数に達しなければアベノミックスが否定されているということで退陣すると言明しました。

何をしても、批判されるばかりの・・首相の立場が、とても幸福だと思えません。

・・辞めたいのかもしれませんね。

「黄色い幸福のハンカチ」が封切りされた当時、大学生だった安倍さんも、高倉健さんのファンだったのに違いありません。

昨年、文化勲章を授与された時の高倉健さん・・それを一番推薦したのは、安倍首相です。

でも、安倍さん退陣のあと、日本の次なる首相は、誰になってほしいものか見当もつきません。

今夜は、高倉健さんの自著「あなたに褒められたくて」・・読み直しましょうか。

ぼくの大好きな言葉です。

映画の撮影で、出番以外も常に現場に立ち続ける事への想いを語っている高倉健さんの言葉です。

「自分よりもお金を貰っていない人たちのほうがはるかに頑張っている。現場はそうした人たちによって成り立っている。そんなことに気づくまで何十年もかかった」

日本のどれぐらいの政治家が、「国民に褒められたくて」・・活動しているのかな?

とあるスピーチ。

2014年11月16日 | 千伝。
世界で最も貧乏な大統領、いいえ、世界一清貧と言われるウルグアイ・ムヒカ大統領のリオ会議スピーチです。
(訳:打村明)

下記、転載します。

youtubeのアドレスでも視聴できます。

https://www.youtube.com/watch?v=Q7aJcf_Lexs

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を、声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を、インド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか?
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか?

同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が
この地球にあるのでしょうか?
可能ですか?

それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか?

私たちが、グローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが、私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは、発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるために、この地球にやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。

消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。

ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。

人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。

悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか?
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。
最近では、6時間働く人が増えています。
しかし、6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして、自分にこんな質問を投げかけます:
これが人類の運命なのか?

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:
発展は、幸福の対抗にあってはいけないのです。
発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。

愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が、私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。

環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。

日出ずる百島から。

2014年11月15日 | 百伝。

先日の日中会談の際、習国家主席が、安倍首相との握手の際、むっつりと笑顔もなく無表情だった映像。

僕の知り合いの中国の方は、あの時に国家主席が笑顔で握手すれば、中国内でどんな批判が起こるかもしれないと・・説明していました。

そんな会話を思い出していると、今朝のコミュニティ・FMラジオを聴いていると、かつての大スター・本間千代子さんが好いことを話していました。

「もし、お隣りの家の方(首相)が来られて、うちのお父さん(国家主席)がむっつり表情で対応していると、その家族、子供達は、どう思うのかなぁ?」

巨人とニューヨーク・ヤンキーズを渡り歩いた日本野球界に名を残す松井秀喜選手・・この方は、石川県出身。

この松井さん・・・この北陸地方でも、人間として、すこぶる評判がよいのです。

その理由が解るようなコラムを読みました。

松井さん・・一度も他人の悪口を言ったことがないとのこと。

あるインタビュアーが、松井さんに「本当に人の悪口を言ったことが無いのですか?」と訊きました。

松井さん「はい。一度も悪口を言ったことがありません」と素直に答えたそうです。

「本当?・・何故?」

すると、松井さんは、こんな風に答えたそうです。

「中学生の時、人の悪口を言っていると父親に叱られたんです。それから、父親との約束で悪口は言わないと決めたんです」

・・・!!

「じゃ、マスコミとか、外野から、松井さんへの悪口が、耳に入った時は、どうなんですか?」

「それは、それは・・腹が立っています。我慢しているんです」

・・・いい話ですね。

今日は、世界一清貧と言われる「南米ウルグアイのムヒカ大統領」の演説内容を読んでいました。

「もっと良い世の中の目指すということは、中古車を集めて乗客率を倍にするということではありません」

「人間の問題ではないのです。政治の問題なのです」

「・・石器時代に戻れと言ってるわけではない。私たちは発展するために、生まれてきているわけではありません。幸せになるために、この地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません」

「人は物を買う時は、お金で買っていないのです。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのです」

「人間はもっと良い暮らしを持つためにモノが必要なのですが、それを達成するために消費と仕事をどんどん増やさなければならない計画的陳腐化、底を知らない消費主義社会にイエスと言ってはいけない」

「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなくて、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」


(写真提供:村上真理さん。・・今朝の百島からの日の出。)

さて、日本も中国も、経済発展を優先した市場という消費主義社会に陥っています。

今回の衆議院の解散・総選挙・・その大義が求められています。

ムヒカ大統領に較べて、安倍さんも、麻生さんも、鳩山さんも、国会議員二世、三世さんも、習国家主席も・・政治家としての演技をされているように映ります。

皆さん、選挙に敗れても、政治家を辞職しても、全く生活に困らない資産家なのです。

政治問題で、生活に困るのは、生活問題と向き合う市井の人々なのです。

社会福祉学を学んでいると、貧困という生活問題は、個人の問題ではなく、ムヒカ大統領の主張する通り、社会の問題、政治の問題であると気がつくのです。

われわれ人間は、この地球に、幸せになるために、生まれてきたのです。

上記写真は、今朝、向島から眺めた・・・百島から陽が昇る光景写真をシェアさせていただきました。

感謝。


地方創生・・百年の計

2014年11月13日 | 千伝。
そろそろ、冬用のスタッドレス・タイヤへの交換時季になりました。

今年の年末年始の日程も考えていると・・衆議院の解散・総選挙があるとか、ないとかというニュース?!

前回の解散・選挙時の自民党と民主党の公約である国会議員の定数削減もせず、任期二年を残して?!

税金の無駄使い!・・しかも、我々市民は、選挙運動によって日常生活が忙しくなるばかりです。

国会議員は、税金による生活保護受給者ではありませんが、公約違反の税金の不正受給者と呼ばれても仕方ないのでは?

保身ばかり考えるのではなく、国家百年の計を持った大きな政治家が現れて欲しいものです。

責任感の強い安倍さん・・歴史上の名宰相となるチャンスなのに「公約」を達成出来ないジレンマと責任感に押し潰されて、再度、首相を辞めたいのかもしれませんね。

がんばってほしいものです!

ところで、地方創生を掲げるならば・・。

ただ、地域間競争を煽るだけではなくて、一層、「東京で暮らす都会人は不幸である」と言うぐらいの政治家がいないと、田舎に暮らす人口は増えません。

田舎暮らしの素晴らしいプラス面を!

東京一極集中の都会生活の悲惨なマイナス面を!

かつて、都会に夢を見て若者たちが上京したように・・今度は「誰もが田舎暮らしを夢見る」ようなキャッチ・フレーズを、政治家は、どんどんと主張しなければなりません。

そうでないと、地方創生どころか、新たな日本創生は、不可能です。

昨日、テレビを観ていたら「瀬戸大橋」が映し出されていました。

25年前の1988年に開通・・総工費1兆円を超えた国家プロジェクト「電車も車も通る驚異的な巨大橋」です。


(写真提供:倉敷観光協会)

この瀬戸大橋を、電車も車も、両方利用して渡ったことがありますが、誰もが、半端な維持・管理では「安心安全」が「不安」だと感じてしまうのではないでしょうか?

・・しかも、この橋の寿命は、200年という歳月を目標にしているとか?

今日のニュースで、13年後の東京ー名古屋開通完成予定(2027年)のリニア式中央新幹線の試乗会が映し出されていました。

試乗された皆さん・・時速500キロを超えたスピードに誰もが感動していました。


(写真提供:JR東海)

いずれ、東京ー大阪間が、約1時間で移動できる近未来の世界です。

着工も始まり、大阪までの総工費約10兆円近くだとか!

来年春・・北陸新幹線が、やっと東京から金沢まで延伸されます。

福井までは、あと10年近くだとか・・?!

それを考えると・・新幹線よりも、リニア式新幹線?!

ふと思ったのは、道路もトンネルも橋も高層ビルも、全て百年か二百年程度の寿命であるならば、そのあとの物流や交通機関、交通ルートは何だろうか?

・・という事です。

「空飛ぶ車」やら「空飛ぶ船」、「海潜る車」やら「海潜る飛行機」が、近未来の地球上で現れるのだと思います。

地方創生、あるいは、日本創生の国家百年の計という近道のヒントが、そこに、あるような気もします。

百島で働きたい。

2014年11月13日 | 百伝。
はじめ、百島農園の求人案内かと思ったのですが・・

アートベース百島さんが、スタッフを募集していました。

・・いいですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【スタッフ募集のお知らせ】

ART BASE 百島では、一緒に活動していただけるスタッフを募集しています。

瀬戸内海の島で生活しながら世界的に貴重な作品や国際的なアーティストと共にアートプロジェクトを作り上げていきませんか!

アートプロジェクトの運営に関心があり、以下のような活動内容に意欲をもって取り組んでいただける方を求めています。

実務経験のある方は歓迎いたします。

・アートNPOなどで経理を中心とした財務業務
・アートマネージメント業務
・空き家などの改装作業
・アーティストの制作補助
・ウェブデザイナー・エンジニア
・メニューの企画、調理も含めたカフェの運営業務全般

農業やレストラン経営、民宿業などをやってみたい!という定住希望の方には空家の斡旋などお手伝いします。

アートベースとの兼業もOKです。気軽に御相談下さい。

詳しくは下記のリンクをご覧のうえ、興味のある方は、Eメールにて履歴書をお送りください。

http://artbasemomoshima.jp/recruitment/index.html

【お問い合わせ】

ART BASE 百島
〒722-0061 広島県尾道市百島町1440
TEL / FAX:0848-73-5105
E-MAIL:info@artbasemomoshima.jp

雨の駅伝。

2014年11月09日 | 百伝。
今日の福井地方・・朝から雨でした。

福井スーパーレディス駅伝の道路規制もあるため、久しぶりに電車に乗りました。



行く先は、高校時代の俵万智さんが通っていた田原町にあるフェニックスプラザ。



今、社会福祉学を学んでいる関連の用向きで参りました。

建物に入ると吃驚・・大勢の女性たちで、いっぱいでした!

その中に、知人の方とバッタリ!

福井選出の自民党政調会長・稲田朋美さんが来られていて、その応援部隊?

それから、タレントの工藤夕貴さんも来られて「明日もキレイ」という講演会もあるとか?

さらに、建物の前を、今、ぼくが学んでいる京都の大学チームも走るとか?

駅伝を観るのは好きなので・・雨の中、応援しました。

箱根出場へ何年も遠ざかっている東京の母校を想いながら、今、在籍している京都の大学・・がんばれ!

・・でも、走っていなかったぞ?!

・・残念。

それでも、日本各地から集った実業団、大学、県選抜チーム等々・・素晴らしい走りでした。



・・雨の中の激走です。



福井出身のモデル・アンジェリカ道端さんも来て応援していたとか?

・・走ったのかな?



・・凄いなぁ!



・・がんばれ!



ドイツからの輸入した電車も走って来ました!



隣りで応援されていた方の娘さんのチームが、優勝されたようです。

・・よかったです。

ところで、そのあと知人の便宜計らいで会場に入っての「工藤夕貴さんのお話」・・とても好いお話でした。

福井のこともよく勉強されていました。

キャプテンのFBの友人のようです。

工藤夕貴さん・・ハリウッド・スターだったようです。

工藤さん・・百島へ来られたら素晴らしいのにと思いました。

帰り道・・ブータン・ミュージアムへ。



「ブータン国の農業の父」と言われた西岡京治(1933年- 1992年)さんの大きな足跡を知りました。

ブータンの国土いっぱいに、桃の花を植えて・・桃源郷のような国を夢見ていたようです。

雨の日の今日一日・・とても楽しい時間を過ごしました。

立冬へ。

2014年11月06日 | 千伝。
今、書いている提出予定の課題文「自助努力と社会保障」。

イギリスで資本主義社会が成立して、約200年・・。

いまだに、人間は、景気循環を克服もできず、失業が絶えず再生産されて、貧困に苦しむ人が多い世界です。

さて、はやくも・・年賀状が売り出される時季になりました。

ドル箱の年賀状・・日本の年始挨拶の大イベントであり、日本郵便の寡占事業です。

地元の郵便局に勤める知人から「年賀状の注文予約」を受けました。

その度に考えさせられるのは、黒字確実となる年賀状利権と職員への「年賀状発注ノルマ制度」です。

一番多い頃は、身内親族で合わせて千枚ほど注文したこともありましたが、今は、残念乍、毎年毎年、年賀状を書き送る枚数は、減る一方です。

この時季・・「今年は、年賀状を何枚頼もうか?」と思い始める年末準備の始まりです。

ところが、今年から「年賀状」は「LINE」等とも連携したサービスなどを展開するとのこと。

こういうビジネスに限ると、自助努力よりも利潤優先のサービスが、どんどん素早く進化していきます。

それに較べて、日本の社会保障制度というものが、遅々として進化しないのは何故か?・・と思案中です。

明日は、立冬。

十年後。

2014年11月02日 | 百伝。
船乗りだった父は、55歳にリタイアしました。

還暦60歳前の父は、陸(おか)の仕事を探して、百島での人生の再スタート。

NTT松永局の百島代理店を立ち上げていました。

当時は、ダイヤル式電話からプッシュ式電話に変遷してゆく頃で、父は、百島代理店として、松永エリアから尾道、福山エリアまで営業を拡大して、個別訪問に走り廻っていたようです。

・・百島の自宅から、日々、対岸の尾道や福山へ、125㏄のバイクで走り廻っていたようです。

きっと、楽しい日々だったのでしょう!

・・今のぼくと同じ年齢です!

ある日、新築の家に「プッシュ式電話」の契約を取りに行った際、そこが僕の高校時代の同級生の家だったということもありました。

その同級生から「お父さんが来て新築祝いに一升酒をいただいたぞ!お父さんに宜しく伝えてくれ」という連絡もありました。

不思議なのは、自分が描いた油絵を、福山のとある大きい病院のロビーに飾ってありました。

今思うと、どういう経緯だったのか、その交渉術を知りたいものです。

当時は、テレホンカードが必須の主力商品で、まだ携帯電話が登場する以前の時代でした。

「空を飛ぶ車」も、近い未来に現れるのでしょう。

そのまえに「空を飛ぶバイク」が、市場に一般的な商品として販売されるかもしれません。


(写真提供:英国MA社)

こういう未来商品の販売または広告代理店を、百島で立ち上げる・・または誘致するのも面白いかもしれません。