百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

万足の靴

2007年04月29日 | 千伝。
一足、十足、百足、千足、万足で満足。

人間、努力せねば目標は達成できないという、
努力症候群に陥っている場合があります。

果たしてそうでしょうか? 

万足の靴を履きつぶすほどの努力ではなしに、
万足の靴を楽しむ症候群に変換すれば・・

人生は大満足なのかもしれません。

牛窓

2007年04月27日 | 千伝。
日本のエーゲ海と呼ばれて久しい牛窓は、岡山県瀬戸内市にあります。
隣町の邑久町は、竹久夢二の故郷でもあり・・個人的には、東京で働いていた頃の小生の上司だった故郷でもあります。

ちょうど小生の故郷尾道の百島から100KMほど東に位置します。
昨日、百島から牛窓へと25年ぶりの訪問をしてきました。

かつては良港として恵まれて、牡蠣が美味しかったようです。

一時、ペンションブームの時代には、旅行雑誌には必ず「牛窓」特集が掲載されていたものでした。

それにしても、この牛窓のある瀬戸内海界隈は、二十四の瞳の小豆島や世界的に知名度を上げている直島などが存在するのにもかかわらず・・
ちょっともったいない観光戦略(政策)かなぁ。・・と感じました。

今度、訪問するのはいつだろう?
かつての上司のこと・・昔、牛窓を訪れたこと・・

走馬灯・・いいえ、走牛灯のように思い出しました。
嗚呼、戻れぬ25年の歳月!

Go West・・

2007年04月24日 | 千伝。
今から、Go West です。

今まで、何度見たことか・・
人生や運命の流れが変わる潮目の時でもあります。

百島への出入りには、フェリー船を使います。

潮路を越えて、門のまえに大きな道がある・・。

人生の大きな分岐点なのでしょう。

最善の解決策は、いつも自分の中にあるはずです。
少しだけ日常生活を変えると、大きく運命も人生も変わります。

潮目

2007年04月23日 | 千伝。
百年の人生だとしても、「嫌々生きる」のは、どうかと思います。

勿論、楽しく生きてゆける術を知っている方は、それだけで充分幸福なのかもしれません。

楽しく生きてゆくのには、愉しい仲間や人間関係、充足感のある仕事、金銭的な余裕、上機嫌な家族、いつまでも医者要らずの身内、病気とは無縁な元気さ・・等々。

これが全く逆の場合は、どうなるのでしょうか・・。

冷たい人間関係、ストレスのある仕事、薄給、低収入での生活の苦しさ、喧嘩ばかりの家族、介護が必要な身内、病気がちな毎日・・これでは、嫌々な人生と揶揄されても仕方ないのでしょうか?

でも、嫌々とは、自分の状況を嫌いになることではありません。

どう思われるのかと気にしながら生きるからこそ「嫌々な人生」になるのでしょう。

今の状況が、運命の流れというものに喩えるならば・・
厚かましく、図図しく、その流れに身を委ねましょう。

渦に巻き込まれて溺れる「嫌々な人生の終局」よりも、ずっとましです。

「人に嫌われようがお構いなく、自分のペースを守るべき」です。

いつか、潮の目が変わるように、運命の変わり目まで待ちましょう。

「嫌々な人生」だと感じておられる方には、早く脱出されることを願います。

長くても百年ほどの人生。

愉しい時間、楽しい日々が多い方がよいのに決まってきます。

珈琲一杯の香りを嗅ぎながら・・・。

天皇陛下

2007年04月22日 | 千伝。
昔、家に天皇皇后両陛下の写真を飾っているのを見ると、右翼か保守的な人と決め付けていました。

最近は、少し感覚が違ってきました。

子供の頃、母から家の掃除を言いつけられたとき、ブツブツいいながら従いましたが、「天皇陛下が来てもいいように、きれいにする」と言って箒を動かしていた記憶があります。

誰もこない家は、掃除も飾ることもありません。
また馴れ合いの人間だけの場合も緊張感はありません。

家でも、会社でも、店でも、最高級の人間が来る事を想定して、ありったけの清潔感を用意できれば、その清潔感が「あふれ現象」を起こし、運命をあふれ出すこと必定なのでしょう。

その意味で、飾る予定は未定ですが、天皇皇后両陛下の御影を飾るのは湧けありであると思うのです。

現実に、天皇陛下様が、いつでもご見学に来られるような家庭作り、事務所作り、お店作りをする努力も必要なのでしょう。

生き仏様、福の神様の巡り会いもまた・・
勿論、心構えひとつなのでしょう。

海広く空高く

2007年04月19日 | 千伝。
とある複合ビルがオープン。

見学後、気分転換よろしく、今日の午後、越前海岸まで足を伸ばしました。

海を眺めながら、珈琲を飲んでいました。

海は、大きいなぁ。広いなぁ。
空は、どこまでも高いなぁ。

老いの国

2007年04月18日 | 千伝。
地方、田舎を見渡すと、子供や若者は少なく、老人の方を多く見かける。
これが、現状の日本の地方社会である。

ただ、各地域の人口統計を見ると・・
東京を中心とした首都圏や大都市周辺の老人人口が急速に伸びてくる。
東京などの大都市が、著しく巨大な老人街へと変化することがわかる。
それも、ここ10年以内である。

これは、現在の地方の現象の比ではない。

日本の近未来の新たな大きな社会問題になりそうである。

ただ、無差別の銃撃事件のような犯罪は、少なくなるかもしれない。
いや、祈るばかりである。合掌。

佐久間艇長

2007年04月17日 | 千伝。
たまたま一昨日、若狭路を車で走っていると、「佐久間艇長出生の地(福井県三方町)」という看板が目に入りました。
偶然でしょうが、97年前のその日が、佐久間艇長の命日でした。

時は、1910年(明治43年)4月15日。
広島湾沖で潜水訓練中のある潜水艇に事故が起き海底に沈んでしまいました。

4月17日、佐久間艇は引き上げられ、艇内は、各船員が持ち場を離れずに、その場で息絶えていたようです。
さらに、事故発生後(午前10時)から2時間40分ほどの間に書かれていた佐久間艇長の遺書が発見されました。

事故の原因と責任。今後の潜水艇の発展と教訓。
さらに部下の遺族の生活が困窮しないように懇願していました。
当時は、軍人殉職者遺族への補償規定はなかったようです。

国内では、夏目漱石も与謝野晶子も哀悼文を残しており、世界中で軍人、偉人の誉れと教訓として讃えられたようです。

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<佐久間艇長の遺書>

小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ

沈没原因

 瓦素林潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦メントセシモ 途中
「チエン」キレ依ッテ手ニテ之シメタルモ後レ後部ニ満水 約廿五度ノ傾斜ニテ沈降
セリ

沈拒後ノ状況

一、傾斜約仰角十三度位

一、配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 十四日午前十時頃沈没ス 此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム

一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水終レルモノト認ム 電流ハ全ク使用スル能ハズ 電液ハ溢ルモ少々海水ハ入ラズ 「クロリン」ガス発生セズ残気ハ五00磅(ポンド)位ナリ 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ 「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六00(モーターノトキハ二00位)トセリ (右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)

溢入ノ水ニ溢サレ乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ 余ハ常ニ潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス
 
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ 此ノ辺深度ハ八十尋位ナレバ正シキモノナラン

一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス カカルトキニ困ル故 幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽セリ 満足ニ思フ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期スサレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)

公遺言

謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ

左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)
一、斎藤大臣  一、島村中將  一、藤井中將  一、名和中將  一、山下少將
一、成田少將  一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)  一、小栗大佐 
一、井手大佐  一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(龍)  
一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ)  一、船越大佐   一、成田綱太郎先生 
一、生田小金次先生

十二時三十分呼吸非常ニクルシイ

瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ

一、中野大佐

十二時四十分ナリ
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合掌。

先祖供養

2007年04月16日 | 千伝。
人間みんな、お墓に行くまでの毎日一生が、一年生だとの事。

ご仏壇を拝んでいて、ふと気が付きました。

幾万のご先祖があって、我等の時代があることにちがいない。
が、おそらく、多くのご先祖は、確実に現在より不便な生活で、車もなければ、冷蔵庫も電子レンジもない、冬はファンヒーターもなければ、夏はクーラーもない。
 
寒くて、暑くて、ひもじい一生を多くのご先祖は終えられた筈である。

そんな、苦難の時代のご先祖からみれば、現在は外見では、長者さまの時代。 
それなのに、お墓や仏壇を拝む場合は、「もっと与えたまえ、授けたまえ」である。

ご先祖から見れば、「なにを頓珍漢なことを!贅沢な!」ということかも知れない。
  
これからは、もし未だ、御浄土に往かれず、冥界を彷徨っているご先祖がいるとすれば・・

「どうぞ、御浄土にいかれますように!」とお祈りすることにしました。

祈ることの見えない力を感じました。

虫でさえ・・

2007年04月15日 | 千伝。
まだ4月ですが、西瓜(すいか)をいただき、美味しく食しました。

学生時代、アパートの3階に暮らしていた友人の話を思い出します。
食べ残した西瓜を窓の外に置いていたら・・
翌日、蟻が群れをなして登ってきたそうです。

蟻でさえ、虫でさえも、餌を求めて一生懸命に生きているものだと・・
感心したことを思い出しました。


ロダンの悩み

2007年04月13日 | 千伝。
今日は、13日の金曜日。明日は、仏滅。

一昨晩から徹夜作業続き・・生活のためとは言え、これでは満足感よりも疲労感の方が大きいです。(笑)

ロダンの「考える人」というタイトルは、実は「悩める人」ではなかったかと思います。
作品の「カレーの市民」も悩める市民の群像です。

そう言えば、パリのロダン美術館を訪ねたこともありました。
「地獄の門」「考える人」はロダン自身の姿かも知れません。

地球は、悩みの星。
ロダンの時代も今も。

宇宙船に乗った、未来のロダンは、あのポーズで、その窓から青い地球を覗いているかも知れません。

「笑う門」に「悩める人」ありて・・福来たり。

さて、笑い飛ばすぞ!

シーソーゲーム

2007年04月13日 | 千伝。
人間、失敗してからの時間は、案外長いものです。
うまく行っている時の時間は竜宮城のように短いものです。
端的に言えば、「成功の時間は短い」です。

例えば、藤圭子さん。
娘の宇多田ひかるさんが生まれるまでは、失敗してからの長い時間でした。
娘が大ヒットして、成功の短い時間にスイッチが切り替わりました。
それで、「お金を使い切って死ぬ」という焦りが、5000万円を所持しての放蕩旅行に駆り立てたのかもしれません。

ひょっとして、人間は大きく儲けた時は、時間を誰かに売って、儲からない時は、誰かから時間を買っているのかも知れません。

息子が聴いていた「機動戦士ガンダムSEED」を借りて聴いてみました。
なかなか心地良い音楽なので、びっくりです。

See-Sawを聴きながら・・。

桜の空

2007年04月08日 | 千伝。
今朝は、投票所へ。

ある政治家が、こっそり呟いた。
「人の金を使うぐらい面白い仕事はない」

気になる候補者は、一人だけ。
彼は、「政治って・・一生を賭ける仕事だ」と断言する。

そのあと、桜見へ。
多勢の養護学校の生徒とその父兄やら、梅の国、隣国の中国からの大観光団が歩いていた。

中国人が、日本の桜の写真を撮りまくっている光景・・心が妙に和らぐ。

1年に1度の桜の花咲く時季・・
あと何度、人生で、この時季と巡り会えるのだろうか・・。

桜の木立ちから見える空は、晴れ上がっていました。

わらしべ長者

2007年04月05日 | 千伝。
ビジネスアイデアを提案しただけなのに、小額ですが・・
お礼を頂きました。感謝です。

夢は、世界中何処にも彼処にも転がっています。

これを元手(機会)に、わらしべ長者を目指して「夢を転がす」つもりになっていましたが・・・。

はてさて「わらしべ長者」って、何だろう?

何か喜んでいただけるものを提供するのが、商売の本来の道筋ではないかと思っています。

・・・為替を眺めながら妙な考えにふけっています。

時間だけが過ぎてゆきます。


梅に酔いて桜桃

2007年04月04日 | 千伝。
昨日、瀬戸内海沿岸の山陽路を通りすぎていたら、ほとんどの桜が咲いていた。

この桜咲く時季に、目立つ花がある。

岡山の倉敷の近くに鴨方という場所があるが、あの界隈の山一面に桃の花が咲き乱れていた。

吉備の国の桃太郎、鬼が島伝説を彷彿させる。

淡い桜色に目が慣れているところに、桃の濃い紅の色の鮮やかさに目を奪われてしまった。

昔、同じような感覚を山梨県の勝沼盆地でも味わったことがある。

また、今年も桜と桃の花が、咲いていた。