百島小学校の歴史は古く、明治5年1872年、学制が発布された間近に百島尋常小学校が設立、あの木造校舎を憶えている人も少なくなりつつあります。
小学校5年生と6年生の時の担任は、百島小学校に赴任したばかりの佐藤先生でした。
ハーフのような顔立ち、孤高とした振る舞い、一風変わった先生でした。
初めて接する島の子供たちに、自らの少年時代を覆い被せて、何を思ったのかな?
記憶違いかも知れないけど、先生が「広島のシャープ工場が完全週休2日制になる」と言ったのかな?
「みんな、学校も土日休みだといいよなぁ❗」と笑わせてくれました。
当時は土曜日は半ドン、小学校が週休2日制になる30年昔の話です。
1ヶ月で休日が他の職場よりも1日少ない場合、10年経てば何日の休日数の差になるかな?
答え、120日の休日差。さらに完全週休2日制の職場と比べた場合、1ヵ月の休日差が4日ならば、10年過ぎると480日の休日差となります。
佐藤先生に教えられた社会矛盾。
社会に出る時に秘かに考えた第一条件は給与よりも週休二日制の職場を選ぶ事でした。
休憩時間にヤクルトの飲み物が無料支給されていました。
先生は教えてくれました。
ヤクルトが何故無料で飲ませくれるのか?それは、君たちが大人になってもヤクルトを覚えてくれるからだ。
そう、だから今もクロレラよりもヤクルトの方が親しみ馴染みがあります。
先生は、言いました。
暑い時は、海やら川で泳ぐのがよい、プールで泳ぐのは邪道だ。
勿論、教室にエアコンなんかありません。
暑ければ、泳ぐのはプールでなく、海の中です。
だからプールでの水泳大会は、水が重く感じられて波もなく、島の子には不利でした。
当時は、百島の人口は2000人以上、イノシシ、狸はいなくても、野良犬、野良猫はウヨウヨ歩いていました。
ペットという言葉も馴染んでいない時代、飼い犬の餌は飼い主人間の残飯が当たり前、ペット用の餌なんて売っていませんでした。
それでも、あの頃から飼い犬は、三食、寝床付きの安全環境で暮らせる選ばれた幸運な飼い犬でした。
現代のように動物愛護という概念はなく、野良犬、野良猫を棒を持って追い払っていました。
今思えば、可哀想な事をしたものです。
そういう環境で育っていた野趣溢れる純朴な少年時代、佐藤先生の登場によって一変しました。
来る日、来る日も放課後、遊べないぐらいの宿題を課すのです。
国語の時間に読んだページに載っている全部の漢字を5回ノートに書かせて提出させるのです。
宿題地獄で泣きそうになるような辛い二年間でした。
強制的な宿題、その後の結果、僕は根本的に勉強嫌いになりました。
メリットは、一般社会での基本情報、常識的な読み書き、算数は出来るようになった事、この事は本当に感謝です
佐藤先生の掃除方法。
箒を斜めにして右から左に掃くのではなく、身体の真正面、真ん前に置いて引くようにゴミを集めていました。
給食時間は一緒に食べていました。
パンは残っているスープに擦りつけて、プレートを綺麗にして食べ終えていました。
今思えば、先生の掃除方法、食事マナー、全て欧米型でした。
やっぱり、佐藤先生はダブル、ハーフもしくはクォーターだったような想いを強くします。
受験生ブルースの歌詞ではないけど、サイン、コサイン、タンジェント、古文、下二段活用、何に役立つのか? 分からなくても、生きて行けます。
世界は広い、例えばオリンピックの種目同様、一つだけでも興味あるモノに好奇心を持たせて深く大きく成長させる。
佐藤先生の教えは、そんな事を伝えたかったのかな?
先生は、どこで生まれ育ち、どんな生い立ちだったのか、聞いた事もありません。
どこで余生を過ごしたのか・・。
振り返れば、ソルト、シュガー&ビネガーな甘酸っぱい有意義な少年時代でした。
さとう先生、ありがとうございました。