白樺の 皮に書かれし 年賀状
「古くからの友人のようでした。ありがとう」
そう書かれた年賀状の送り主は、「神風特別攻撃隊河和隊」の生き残りだった。
源義朝(頼朝の父)終焉(1160年)の地でもある愛知県知多郡美浜町に「河和海軍航空隊」があった。
1944年、練習機にて訓練中、知多湾に墜落。
右足を負傷。
故郷広島の母親が、大怪我をした息子を案じて名古屋まで。
すし詰めの汽車の中での事だった。
立ちっぱなしの長旅で、つい、うとうとした隙に息子の為にと詰め込んだバックが消えていた。
我にかえった母親は叫んだ。
「私の息子は今、河和特攻隊にいます。訓練中大怪我をして見舞いに行く途中です。他の物はいりません。ただ白いマフラーだけは、息子に届けさせてください。お願いです」
そう言うと、足元に失われたバックが戻ってきたという。
ところが、その母は翌年8月6日広島にて被爆死。
親より早く死ぬ筈の特攻隊の自分が生き残り、原爆で家族全滅の運命を、呪うより他はなかったという。
戦時中の話を、静かに語っていた老人からの便りは、
8年前に途絶えた。
存命であれば、元特攻隊の藤城清治氏と同い年の92歳。
影絵世界の平和な空を、風になって飛んでいる事だろう。
「古くからの友人のようでした。ありがとう」
そう書かれた年賀状の送り主は、「神風特別攻撃隊河和隊」の生き残りだった。
源義朝(頼朝の父)終焉(1160年)の地でもある愛知県知多郡美浜町に「河和海軍航空隊」があった。
1944年、練習機にて訓練中、知多湾に墜落。
右足を負傷。
故郷広島の母親が、大怪我をした息子を案じて名古屋まで。
すし詰めの汽車の中での事だった。
立ちっぱなしの長旅で、つい、うとうとした隙に息子の為にと詰め込んだバックが消えていた。
我にかえった母親は叫んだ。
「私の息子は今、河和特攻隊にいます。訓練中大怪我をして見舞いに行く途中です。他の物はいりません。ただ白いマフラーだけは、息子に届けさせてください。お願いです」
そう言うと、足元に失われたバックが戻ってきたという。
ところが、その母は翌年8月6日広島にて被爆死。
親より早く死ぬ筈の特攻隊の自分が生き残り、原爆で家族全滅の運命を、呪うより他はなかったという。
戦時中の話を、静かに語っていた老人からの便りは、
8年前に途絶えた。
存命であれば、元特攻隊の藤城清治氏と同い年の92歳。
影絵世界の平和な空を、風になって飛んでいる事だろう。