百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

運命の安全旗

2012年01月31日 | 百伝。
「人生は、冬の日。冬の道」という諺があります。

言葉通りに、「生きてゆくのは寒くて辛くて、泥んこのような道を歩む」という意味になります。

一月も今日で終わり、明日から二月です。

今月は、家庭内での自分の居場所の引っ越し作業でした。

まだまだ半年、一年ぐらい、いやいや・・おそらく死ぬ前日まで整理整頓の日々が続くような気がします。

「心に蓋をするな」という教訓があります。

「生きているのに生きていないのではないか」ということになります。

今月は、読書に多くの時間を費やしていました。

とりわけ、旗手安夫さんの自著「潮の香りに乗せて 心をつなぐメッセージ」を繰り返して読んでいました。

百島の同郷だから、先輩だから、推奨するのではありません。

今日は、その216ページから引用させていただきます。

「安全を守ることが人生であり、すべての幸せの根拠は、そこからスタートするのだと思う。もし、無事を軽視して笑う者がいるとしたら、それは自分の命を笑っている者にほかならない」

旗手のおじさんのバックグラウンドが、奥深い原点から生み出されているのが判ります。

これほど安全旗を振る「安全尊守」という意識を伝える著作は、他に読んだことがありません。

これは、ひょっとすると・・ひょっとする可能性が大です。

百島人の誇り、広島県人の誇りというよりも・・船乗りとしての、日本人としての、「仕事と人間の誇り」を考えさせられる著作です。

51ページ;

天命で生まれ、運命で育ち、宿命で天に戻る。

運命とは、「命を運ぶ」と書く。

微速前進・・つづく。

上機嫌

2012年01月31日 | 千伝。
スマートフォンを使用して3週間が過ぎました。

便利そうで不便です。

スマホで、twitterやらfacebookができるかな・・と考えていましたが、メールで送信するのにさえ、パネルタッチでの書き込みにストレスを覚えるようになりました。

かつて、父が肩から担いでいた初期の大きな携帯電話とイメージが重なります。

スマホは、まだまだ進化の途中なのでしょう。

退化しつつある能力を補うモノが、進化を遂げる機器だと考えます。

機器を巧く使いこなせば、それが人を守る道具にもなるし、人を傷つける武器にもなります。

自分を守るものは、上機嫌というメッセージです。

急がず休まず

2012年01月30日 | 百伝。
数日前、百島から不安になるような知らせを受け取りました。

もう身内で一人だけの叔父が、「小船に乗って出かけたまま帰って来ない」というものでした。

海上保安庁に頼んで、「捜索中」だと言うのです。

また葬儀が重なるのかな・・というのが、正直な心情でした。

幸い、叔父は、無事に帰還しましたが・・、

あの世は、とても好い場所なのでしょうか?

あの世から、誰一人も帰還しません。

遅かれ早かれ、この世に生まれてきたならば、誰もがゆく場所ですが、来世への希望よりも、この世の現世に生きるのが「安心」という事なのだと、あらためて気づかされました。

急がず休まず。

雪降る夜に

2012年01月26日 | 百伝。
百島には、冬がありません。

・・と思い感じたのは、雪国の福井に暮らし始めてからの事です。

とりわけ、雪が降り積もる時季に帰省すると、瀬戸内海には、春、夏、秋しかないような季節感が漂います。

今宵の福井地方・・また雪が降り始めました。

明日の朝は、雪国の多くの人々は、朝早くから、雪かきという汗かきの肉体労働となります。

雪というのは、不思議なもので「白い天使」とも「白い悪魔」とも呼ばれています。

福井に暮らし始めた頃を思い出します。

あの当時は、まだ雪の怖さを知らなかったのです。

雪降る真夜中の国道の交差点で渋滞、右折しようとした時に、あっという間に雪が降り積り、車が動かなくなった思い出があります。

車のタイヤも冬用にも交換せずに、スコップを車内に入れておくという雪国の習慣も知りませんでした。

誰も助けてくれません。

長い時間かけて、前輪のタイヤの前の降雪を足先で蹴り上げながら散らして、やっと脱出した思い出があります。

雪にからまれた初めての体験でした。

でも、墨絵のような雪景色は、素晴らしいです。

そして、夏になればわかりますが、雪国には、ほとんど渇水という状況にならないのです。

雪と出会えて、辛抱強くなったのも事実です。

「心に太陽を持て」です。感謝。

百島神話

2012年01月22日 | 百伝。
NHKの大河ドラマ「平清盛」も始まりました。

平清盛と言えば、宮島の厳島神社です。



百島の泊地区にも、厳島神社があります。

不思議なことに、本村地区には、八幡神社があります。

福田地区には、貴船神社があります。

本村の氏子によって創建された八幡神社は、源氏の守り神です。

それに対抗したかのような・・泊の氏子によって創建された厳島神社は、平氏の守り神です。



百島に、その双方の神社があるというのは、特筆すべきことでしょう。

さらに、泊の厳島神社の裏手には、「日御碕大神」を刻んだ石碑が立っています。

大正九年(1920年)の文字が刻まれています。

大正九年より・・日本全国の入学式は、桜咲く春に変更となりました。



日御碕とは、出雲の日沈宮(ひしずみのみや)を意味します。

陽は、伊勢から上り、天照大神が「日の本の昼」を護ります。

そして、陽沈む「日の本の夜」を護るのが、日御碕大神であります。

おそらく、当時、出雲地方方面に出稼ぎに行っていた泊の氏子有志一党が日御碕大神の石碑を建てたのだと考えられます。

およそ九十年昔・・百島の先達者の勢いを感じました。

あの当時、百年先の百島の未来は、明るく繁栄するのに違いない・・と考えたことなのでしょう。

故郷は、神話を求めているのかもしれません。

大寒

2012年01月21日 | 千伝。
今日は、大寒です。

満中陰(四十九日)法要を終えて、小正月、藪入り、そして、阪神大震災から17年目・・。

めくるめくように日々が過ぎてゆきます。

昨日は、病院での監査(検査)あり。

院長が、検査員の方々が帰る際、エレベーターまでお見送りしていました。

しばらく、その場を動かないままでいるので、近寄って様子を覗うと、エレベーターが1階のロビーに到着するまでお見送りしていたのです。

この院長、公立の大病院の院長を経て、定年後に民間の病院に雇われて現在に至っています。

院内会議では、いつもズレた天然発言をするので、存在感と言葉に重みがないのですが、昨日の御姿を観るにつれて「さすが」だと思い直しました。

かつての上司である社長も、お客さんが帰る際は、必ずタクシーの姿が消えるまで、不動の立ち姿のまま、お見送りをしていたのを思い出しました。

今、NHKスペシャルのテレビ番組「危機の時代、日本のリーダーを生み出せ」を観ています。

人生の最大の関心事は「自分」です。

自分がしたい事、自分がやりたい事を率先実行できる人間が、自然とリーダーになれるのではないかと思います。

自分の思いを社会に伝えられるかというメッセージ性の色合い(彩色)の強さがあるかどうかです。

だから、若い世代の皆さんに伝えたい・・。

受験は、第一第二志望校に入学したとしても、それが、成功や幸福に繋がると考えてはいけません。

就職にしても、希望の花形企業に入社できたとしても、満足してはいけません。

組織の中では、保身という波風の立たない「ありきたりの人生を過ごす」という不安な日々を過ごすことになります。

「人まかせ」ではなくて、「自分まかせ」です。

小生、高校受験も大学受験も入社試験も転職経験も起業経験も・・悉く失敗に終わっています。

否、失敗ではなくて、不合格でした。

人生に、失敗などありません。

不合格でも、自分色を強く押し通すか、あるいは何度でも塗り変える事ができるのが、人生の面白さという色合い(彩色)と楽しさです。

今日は、大寒です。

毎年、この時季になると大寒が、待ち遠しい楽しみとなります。

「無病息災」の不安定さよりも、「一病息災」の心構えの方が好いでしょう。

大寒過ぎれば、まもなく立春です。

百島 お弓神事

2012年01月11日 | 百伝。
毎年一月十一日には、八幡神社で「お弓神事」が、行われます。

毎年、地元のメディアも、この行事(百島 お弓神事)をニュースとして取り上げています。

数年前には、NHKの7時の全国ニュースで紹介されたこともありました。

ところで、案外、百島出身者は、この「百島 お弓神事」を観たこともない方が多いかもしれません。

実は、小生・・この「百島 お弓神事」を一度だけしか見ていません。

それも、三年前、父の一周忌に帰省した折に見学したのみです。

勿論、子供の頃から、そういう「お弓神事」という行事があるのを知っています。

でも、学校から行事見学に行ったという記憶もありません。

当時は、この歴史的な伝統行事も、きっと、それほど評価されていなかったのでしょう。

父が、42歳の厄年の時に射手として参加しているのを記憶しています。

そう、昔は、厄年の男衆が矢を射てたのです。

百島の人口が減少し続けて、そういった百島の決まりごとの習慣も無くなりました。

伝統行事の垣根さえ、消えてなくなりそうです。

ならば、島外からの希望者があれば、どしどしとオープン参加型のお弓神事も楽しいかなと考えます。

一年一年、百年先まで・・。

百島に集う関係者全ての皆さんの開運良運、無病息災、大漁豊作、安心安全を祈念致します。


健康で長寿の秘訣

2012年01月10日 | 千伝。
スマートフォン(arrows z)を使用して、一週間近くになりました。

メールを書く時の不便さ・・悪戦苦闘です。

巧く画面に指タッチが出来なくて文章になりません。

携帯で書いていた時よりも、5倍以上の時間を費やしています。

「スマートフォンを買うのでは無かったかなぁ」と愚痴を吐いていると、i-phone4を使用している息子が言ったものです。

「百島のような所へ行くと、スマホはパソコンと一緒に使えて力を発揮するよ」

が、そのパソコンからのメールも、「エラー表示ばかり出て送ることができません」というメッセージが何度もこの頃頻出。

ここ数日間、試行錯誤の連続です。

さて、今日は、ちょっと不思議な体験と出会いがありました。

夕方、スーパーで買い物をしてレジに並んでいると、小生の前にご老人親子が居られました。

小生、天国に一番近いご老人には、なるべくして満面の笑みを浮かべます。

すると、上品な息子さんの方から・・。

「母は、今日1月10日は、105歳の誕生日なんですよ」と・・さすがにビックリです。

105歳の方が目の前を歩いて、ご丁寧にも挨拶まで頂戴致しました。

その息子さんから、「健康で長寿の秘訣」のご教示まで頂戴致しました。



まずは、「薬を飲まない」「医者と薬を信用するな」という事だそうです。

小生、私事ですが、自分の心臓の持病について・・

主治医からは、「薬を飲まないと命の延命保証は出来ない」と宣告されています。

運動もダメ、酒、たばこも勿論ダメ、食事制限もされています。

お世話になっている病院では、患者として処方箋も頂戴して、お昼は病院食も頂いております。

そして、その病院の介護現場での責任者として働いています。

ふと、今日は「薬を飲まず、少し運動をした方がいいですよ」という天からの啓示如きものを頂戴したような気持ちです。

かと言って、小生、ここ数年間、多くのご老人を介護をして、多くのご老人をお見送りさせて頂きました。

自分なりの死生観に対する覚悟と最低限の健康長寿の秘訣も備えておるつもりです。

別れ際に、八十歳前後になる息子さんから「健康で長寿の秘訣で検索してみてください。私のブログです」と言われました。

検索してみると・・百歳以上の長寿の秘訣を巡るネットワークが存在しているのにも驚かされました。

今日は、亡き父の誕生日です。

明日は、父の命日になります。

不思議な体験と出会いに想いを巡らしています。合掌。

「ぶじ」と「だいじ」

2012年01月10日 | 百伝。
成人の日に思うことあり。

レ・ミゼラブル・・。

最近の若い子は、ビクトル・ユーゴーもヘッセもスタンダールも興味はないようです。

ましてや、D.カーネギーの「人を動かす」もしかりでしょう。

人と重力を書いて「働く」と読みます。

物事は、重力に従って動いていくものです。

仕事は、目標というものに従って動いてゆくものでしょう。

目標さえ設定すれば、重力が導いてくれるというものでしょう。

歳をとるのは、仕方ありません。

でも、年寄りにはなりたくありません。

源基と元気があれば「道は開ける」ものです。

今年最初に読んだ本は、「潮の香りに乗せて 心をつなぐメッセージ」旗手安夫著。

若い人にも読んで頂きたいものです。

贈呈感謝です。

人生の目的は、「ぶじ」と「だいじ」かなぁ・・。

今日一日、楽しい事が、ひとつでも多くありますように。

朗らかに、元気よく、笑顔で、強い気持ちで!

新しい感書

2012年01月06日 | 千伝。
昨年暮れ、小生の誕生日に発売されたスマートフォンを予約していたのが、昨日届きました。

軽く優しくタッチしないと、巧く文字文章が出来上がりません。

いやはや、使いこなすのに悪戦苦闘です。


昨日の日本経済新聞の両面広告・・君の お金で 国が建つ。宝島社

東京の大震災後に、こんな札が立っていたようです。

「君よ 散財にためらうなかれ 君の十銭で 浅草が建つ」


昨日の朝日新聞の声の欄・・テーマは、アイドル。

同年代の方が、若い頃のアイドルは、天地真理だったとか・・。

それにしても、天地に真理とは、凄い芸名です。


先日の産経新聞の産経抄コラム・・。

大晦日に自首したオウム真理教の元信者の平田容疑者は「教祖麻原の態度が情けなく心が離れていった。と述べているが、麻原を助けに自首してきたのではないか?」と深読みをしたコラムを書いていました。


昨日、お昼の某テレビ番組からのコメンテーターの声・・。

悪戦苦闘しながら、スマートフォンをいじっていました。

すると、テレビの方向から「今年は、何と言ってもスマフォンが売れるでしょうね。でも、どんどん新しいバージョンアップしたスマフォンが登場しますからね。まだ買わない方がいいですよ」

新しい感覚が、すぐに古くなる感覚に襲われました。

ここ数日間に、感じたものを書きたくなりました。

藪の丘庭園

2012年01月03日 | 百伝。
東京箱根駅伝のラジオ中継を聴きながら・・。

今年も我が母校は出場していないので、東海大学と明治大学と学連選抜を応援しています。

箱根に行くよりも、百島の方がいい。

母が元気なうちに、あと何度、百島へ帰れるのか・・?

出来ることならば、今年は、月一度は、百島に帰省しようと考えています。

百島の我が親類一族には、身内を束ねていた長老のような存在の藪の丘のおっさんがいました。

大学生になっても子供扱いされて、帰省して会うたびに「その髪型はなんだ?」とか「その格好はなんだ?」等々・・小言ばかり言われていました。

九十歳を過ぎても元気でバイクに乗っていたので、百歳まで生きるのでは・・と思っていました。

残念乍、二年前に、九十代半ばで静かに亡くなりました。

藪の丘のおっさんから、いろいろと話を訊くことができたのは、小生が社会人になってからでした。

藪の丘のおっさんが、生まれた頃の百島の昔話、日中戦争に出征した時のこと、船乗りの生き方・・腹の据わった方でした。

後悔していたのは、自分で船会社を興せなかったことかな?!

戦前、まだ帆船の時代・・船乗りからスタートして、現在の常石グループ(神原汽船、常石造船)を築き上げた創業者と知り合いだったようです。

だから、思う事があるのでしょう。

「戦後、親戚じゅうから金を借りて船を買おうとした時に、大反対したのが、みさ姉(ねえ)じゃ。おまえのおばぁさんじゃ」

藪の丘のおっさんは、親類中の甥やら身内を引連れて、船を動かすつもりだったのでしょう。

戦後の動乱を好機と捉え、さらに朝鮮戦争特需をきっかけで、あれほど常石グループが大きくなったのに、あの戦後の動乱時、自分の人生は波に乗れなかったのが、唯一の後悔だったかもしれません。

「元気であれば、ええんじゃ」

いつも、藪の丘のおっさん(赤松春一おっさん)が、声をかけてくれた言葉です。

百島に帰る度に、今は、空き家になった藪の丘のおっさんの家にある庭を訪問します。

小生、個人的には、藪の丘庭園と呼んでいます。

元気を貰えるのです。