百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

除夜の鐘 西林禅寺

2011年12月31日 | 百伝。
今日は、大晦日。

喪中につき、新年の挨拶は、控えさせていただきます。

以前は、年末年始になれば、温泉宿かホテルで過ごしていましたが・・。

ここ数年は、独身のような時間を過ごしています。

息子は、友人の家に遊びに行っており、「雪道が危ないので、明日の元日朝6時に迎えに来て欲しい」とメールが届いたところ。

はぁ!?・・です。

東京でも、広島でも、外国でもいいから・・親元を離れて進学して欲しいものです。

さて、先日、泊から本村まで、所謂、百島のメインストリートを散策して参りました。



百島郵便局の前を歩いていると、記念切手を買いに多勢の子供が集まっていた遠い光景を思い出していました。

この郵便局から、世界の果てまで、手紙もお金も送ることができる・・考えてみると、凄い場所です。

次は、百島支所(公民館)です。



この公民館の二階で、二月ぐらいの時季には、百島小学校の学芸会がありました。

学芸会当日、公民館の外では、赤松広望商店さんが、乾電池の摑み取りのコーナーを催したり、それはそれは、とても大変な賑わいでした。

運動会と学芸会は、百島のドラマでした。

子供が大人に見せる発表の場であり、子供が大人を観察するいい機会でもありました。

小学校何年生だったか・・上演されたのは「かぐや姫」。

小生の役は、かぐや姫を慕う殿様の家来の一人で、セリフが一つだけでした。

「東の空に・・」と家来Aが言うと・・

次に、小生が言ったセリフは・・「あっ! 月が出たぁ」だけの一言でした。

笑い話のネタにするのに・・とても、楽しい思い出になっています。



百島支所の中に入って見ました。

黒板には、11月末現在の百島の人口が、白のチョークで大きく書かれていました。

その他、自由に持ち帰られる資料が、いろいろとあり驚かされました。

英語版、中国版の尾道観光案内書、いのしし対策、悪徳リフォーム業者対策のパンフ等々・・活用できるものが多いです。

百島支所(公民館)の前に、曹洞宗 西林寺があります。

入口には、張り紙があり、1月12日午後12時半からの大般若会 講演 落語の案内がありました。



ひとかかえほどの盤石

風に揺らぐことなし。

かくのごとく

心ある者は、そしり(謗り)とほまれ(誉れ)との中に

心動くことなし。



百島の西林寺の正式名は、曹洞宗 萬松山 西林禅寺。

百島に、禅修行の場を設けても善いのではないかと考えた次第です。

あと1時間ほどで、今年も終わりです。

まもなく、西林禅寺も、除夜の鐘を鳴らすのでしょう。

これから、除夜の鐘を聴きに・・百島 西林禅寺につながる曹洞宗 大本山 永平寺まで出かけて参ります。

この一年間、この拙劣なるブログに訪問された皆さまに御礼申し上げます。

そして、ここに集う皆さまの来年が、より朗らかに、より楽しい一年となりますように祈念致します。

朗らかに、元気よく、強い気持ちで!

ありがとうございました。

御礼感謝。

紅一点 源助橋まで

2011年12月30日 | 百伝。
泊から本村や福田へ行くには、泊道(とまりどう)の坂を上って下って行きます。

何か梅の枝ぶりと見間違えそうですが・・泊道を下った脇にある旗手桜です。



泊道を下から見上げると、こんな上り坂になります。



途中・・振り返ると、こんな風景になります。



まだ、上って振り返ると、こんな風景になります。

小生の大好きな俯瞰図です。



そして、いちばんキツイ上りの坂です。

下り坂では、ありません。

昔は、梅雨やら台風の時季には、側面が崩れたものです。



泊道の頂上です。



右手の小脇の道・・何十年ぶりに上ってみたくなりました。



下り坂を眺めながら思い出しました。

中学校一年生の梅雨時季のある日、ここから自転車に乗って下ったものの・・。

全くブレーキが効かずに、そのままカーブを曲がり切れなくて、そのまま壁にぶつかってしまいました。

ハンドルで胸を強く打ち、しばらく息も出来ない状態でした。

あの時の傷痕は、まだ小生に胸に残っています。

さて、そこから本村方向に下りて行きます。

源助橋まで来ると、本村の領域に入ったという感覚になります。

今、コミュニティセンターの家があった場所に、上池(おかいけ)がありました。

そんな、昔の光景を思い浮かべていると・・。

源助橋の上に、赤い柿がひとつだけ・・紅一点ぶら下がっていました。


ねんきん波止場

2011年12月29日 | 百伝。
昨日の師走二十八日、一泊二日の短い時間・・百島へ帰省しました。

本日の午前中、百島を発ち、夕方には福井に到着です。

雪国から瀬戸内海に行くと、異国から異国(例えば北欧のスカンジナビアから南欧の地中海へ)への旅情よりも、遙かに別世界の環境地域に行って帰ってきたような感覚になりました。

瀬戸内海の陽射しは、強く、眩しく・・春のような陽気さで迎えてくれました。

陽射しが明るいぶん目立つのでしょう・・百島に帰省するたびに「髪の毛が薄くなった。無くなった」と身内の方々に言われます。

ともあれ、昨日は、母の誕生日でした。

叔父の菊おっさんの御霊前にも、お供えを持参することも出来ました。

小生が、小学校3年生まで生まれ育った泊の中小路です。



小生は、この中小路のいちばん奥にある家で生まれました。

この狭い道に入ります。



左手の家は、青野のさっちゃんが暮していました。

右手の家は、良ちゃん、ヒデ君が暮して、子供の頃、夏休みは、この家の庭でラジオ体操をしていました。

もっと、奥に入ります。



左手の家は、同級生のタカが暮していました。

右手の家は、つかちゃん、せっちゃんが暮していました。

さらに、奥に入ります。



この石壁の家には、すえちゃん、ちずちゃんが暮らしていました。

どちらかの息子さんなのでしょう。

彼のブログで、この家を事を「脇道の轍 - “日本家屋の解体 in 百島”」というタイトルで詳しく紹介しています。

昔、この家に暮していた生活風景を知る者にとっては、寂しいものです。

さらに奥に入ると、井戸があります。



小生が幼い頃、この井戸から釣瓶で水を汲んで運んだものです。

まだ、水道も冷蔵庫もない時代でした。



中小路の前から見た泊港です。

埋め立てする前の昔は、樹のある所から海でした。

潮が満ちたときの夏の時季には、そこから海に飛び込んで泳いだものです。

船を降りて、陸に上がった頃の菊おっさんが、言ったものです。

「ここは、年金受給者ばかりが集まって来て、ねんきん波止場になってしもうたぁ」

その「ねんきん」も消えて、「ただ」の波止場になってゆくような気がします。

こんな寂寥な気分を、希望の轍に変えたいものです。

上梓

2011年12月26日 | 千伝。
二十代の頃、編集者として仕事をしていた。

当時は、当然パソコンも無い時代なので、すべてが手作業による編集業務だった。

トリーミングと言って、記事の中に写真やイラストも入れるのも定規を用いての手計算。

文字数の級数や文体も・・すべて個人的な感覚で選択するのである。

印刷所に行っては、・カラー刷りの場合は何枚かのビニール(何ていう名前だったか忘れたが・・)を重ねて、色抜き、脱稿はないか・・原稿用紙と刷り上がった誌面をみながら、校正していたのを思い出す。

今は、パソコンでどのような編集機能があるのか判らないが・・。

おそらく、あのような編集作業ができる方は、今の時代は、皆無になりつつあるのではないかな?

そして、すぐにでも誌面に自分の文章を書けると思い入った仕事だったが・・。

上司だったTさんからは、なかなか許可が降りなかった。

Tさんは、小生にとっては天才的な編集者であり、社会流儀のイロハを教えてくれた恩人でもあった。

まずは、必要なモノ(筆記道具、カメラ、録音機等々の取材道具)を自分で選ぶようにと・・自由に領収書を切ればよいと言ってくださった。

それから、タクシー代、飲食代、食事代・・これまた、すべて領収証を自由に切ればよいと言ってくださった。

今では、信じられない鷹揚な時代であった。

何かの取材の人物ソースで、某新聞社の記者と口論になった時、「その人物名からするとユダヤ系ではないか?」と指摘された博学には驚かされた。

まだ、親殺し、子殺しが珍しい時代であった。

金属バットで一流企業勤務の父親を殴り殺した浪人生による東京での金属バット殺人事件が大きなニュースになった。

殺された父親は、Tさんの同級生だった。

Tさんは、中学生だった息子さんを病気で亡くした。

Tさんから教えられたことは・・「絶望しない自分まかせの人生」である。

Tさんから、よく外国の話を聞かされたものである。

東京の生活を抜け出して、海外で暮らしてみたくなった。

1年間の休職期間を頂いて、英国ロンドンに行くのを決めたのもクリスマスの日だったような気がする。

その1年が過ぎて、いろいろな出来事も事情も加わり、結局、3年も海外で暮らすようになった。

30代となり、その後、紆余曲折もあり・・ドイツの外資系企業に勤めるようになる。

小生の上司は、ドイツ人に変わった。

日常の仕事業務もコミュニケーションも英語使用。

英語力を試される日々に変わってゆく。

中国語もドイツ語も学ぶ日々に変わってゆく。

そして、いつのまにか・・

独身から結婚を経て、家庭を持ち、夫となり、父親になった。

もう会えないTさんのもとで働いていたならば・・

どんな人生になったのだろうか・・と時々思う。

合掌。

聖夜が明けて

2011年12月25日 | 千伝。
こちらは、雪景色のホワイト・クリスマスです。

今年、55度目のクリスマスです。

55回もクリスマスを迎えると、いろんな思い出があります。

百島でのクリスマスの聖夜は、満天の星を眺めていた記憶があります。

東京の聖夜は、夜景が美しかった記憶です。

北陸地方の聖夜は、やはり雪景色です。

英国の聖夜は、教会でのミサでした。

4月8日のお花祭りも、日本中が「清しこの夜」と祈り、祝う、楽しい聖夜になればいいと考えます。

春が待ち遠しい・・聖夜が明けたメリークリスマスです。

糞転し

2011年12月20日 | 千伝。
核兵器をちらつかせ援助交渉の具にする北朝鮮は、朝鮮民主主義人民共和国という世界一長いもっともらしい正式名とは裏腹の、独裁、ファショ、専制君主制を絵に描いたような、時代おくれの国体である。

が、まだ核兵器をどこかの国に落としたわけではない。 

落としたのは、自由の国アメリカ。

唯、一国である。

かつて朝鮮戦争の際、マッカーサーが原爆を使用しようとして、トルーマン大統領に更迭されたのは有名な話。

だが、核問題については、唯一の核爆弾使用国アメリカが、責任をもって、北朝鮮を哲学も含めて諭す必要があるのではないか。

また唯一の被爆国日本としては、掛値なしで核兵器なるものに反対の意を唱えるのは、当然至極の無条件態度であって、一縷の迷いのあることなしである。

拉致問題は、実際に北朝鮮が、いわゆる「人攫い(人さらい)」という犯罪を国家主導でやったと金正日が認めたものであるから、徹底的にディスクローズしてもらい、帰すべきは返してもらうのは、これまた当然の権利である。

他の問題と天秤にすべきことでもなく、それはそれ、これはこれで、交渉しなければ、豊臣秀吉の朝鮮出兵までさかのぼることになる。

A.J.トインビーは、「戦争の合間に平和がある」と言った。

歴史とは学ぶもので、過去の愚を繰り返さない為のものにもかかわらず、ますます各国のリーダーの素養が低下しているようです。

アメリカも軍需産業地域からでた議員が、親子2代にわたってブッシュ大統領になっていたこと自体、まるで北朝鮮同様の後進国の体裁であって、あの大国に人材がブッシュ親子以外にいないのか、頭をかしげた。

先進各国のリーダーたちは、何のためにサミット会議を開くのか、「人命は地球より重し」といった奢りが、逆に人命を軽くする。

ぼちぼち、人間は、他の動物同様に、地球という生命体の世話するための存在である事を自覚し、謙虚な政治哲学を展開すれば、争いというものも減ろうというものである。

「万物の霊長」という自我自尊が、人間を増長万にやってしまった事による悲劇。

宇宙、地球単位からすると、人間も糞転がしも、さしたる相違がないと自覚すべき時期でないのでないか?

それとも、「万物の霊長」として生きるのか?

濾過

2011年12月19日 | 千伝。
1855年生まれのドイツ人、テンニース(テニエス)は、社会が進行するとゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)に形状をかえると説きました。

日本において、戦前まで生きていた「村社会」が、まさにゲマインシャフト(共同社会)でした。

第二次大戦後の半世紀、農村とともに「村社会」は衰退の一途をたどり、農民の子供達は、都会へと大移動し、サラリーマンという姿に変えていきました。

一見、アメリカナイズされたゲゼルの到来かと思えましたが、どっこい会社組織の中に「村社会」が内包されていて、日本特有のゲゼル・ゲマイン折衷の社会様式を醸し出したのです。

エコノミックアニマルと揶揄されるほど、経済効果をあげることが出来たのも、会社の仕事を、あたかも自分の家業のように思う事が出来たからでしょう。

いわば・・会社は、第二の家族でした。

否、なかには、家族より優先した企業戦士さえ出没したのです。

それが・・どうでしょう。

バブル崩壊後、会社の中の「村社会」が葬り去られた感があります。

リストラの嵐のもと、正社員の首は、安価な契約社員やパート、フリーターにすげかえられていきました。

このまま、フリーターの社会構造が進めば、日本の職場から熟練者が少なくなり、マニュアルロボット素人社会に変貌してしまうのでしょう。

明らかに、マイナスの成熟社会です。

ドイツのマイスターのような、名人芸にまで至るような洗練された技術は、是非とも継続させねばいけません。

考えるに、最近の日本は、政治、経済のみならず、治安も軍備も・・節操なく仕入れている感があります。

以前は、諸国の良いとこだけを取捨選別していたにもかかわらず、水際のフィルターが機能不能のように映る現代日本です。

心臓が笑う

2011年12月17日 | 千伝。
今朝、目が醒めると、外は雪景色の白い世界でした。

今日は、小生の誕生日。

何に感謝すればよいのかと考えれば、この55年間、一秒も休むこともなく働き続ける心臓です。

最近、心臓が笑います。

言葉では説明しにくのですが・・「膝が笑う」という震える感覚に似ているのです。

おそらく、心臓も笑わないと、泣くばかりでは、悲鳴を上げて機能を停止するのでしょう。

今朝も夜も、お薬を服用しました。

また一年・・来年の誕生日が迎えられますように。

強く生きたいと思いますが・・何が「強さ」なのやら?

日々、安らかに、毎日が誕生日気分で!

朝に昼に夕に夜に感謝です。

心も笑わないと・・。

大きな学

2011年12月15日 | 千伝。
小生、子供の頃、母の会計簿を盗み読んで、大変心配したことがあった。

「お金がなくなったらどうしよう?」と、幼ない心が痛んだものである。

昨夜、息子から「月収と年収はいくらか?」

「俺が、大学に進学してもいいのか?」

・・と突然質問された。

早く社会人になって金を稼ぎたい・・息子は、そんなことを考えているのだろうか?

「金は天下のまわりもの。何とかなるから心配しなくてよい」と答えた。

何だか・・息子から「我が家の経済状態」と尋ねられたような気がした。

心配しなくても、借金はない。

家族の教育費ぐらいの蓄えはある。

だが・・実際、十年前の年収よりも少ない。

さらには、二十年前の年収よりも、はるかに少ない。

円高、株価下落・・資産もドンドンと減る一方である。

このままでは、ジリ貧の生活状態である。

それでも・・。

貧乏よりも、具合が悪いのは、肥満体質である。

志望先より・・希望に満ちた息子よ!

決して、父さんのように志望と脂肪に満ちたような心と体にならないように。

心臓に負担がかかり、先行き不安の体調ではいかん。

自分を好きになるとよい。

世の中、ある人から好かれて、ある人から嫌われるというのは当然至極である。

「他人まかせ」ではなく、「自分まかせ」である。

「自分まかせ」ならば、生きて行くのが楽しくなり、人生が愉快に尽きる。

来年四月・・。

息子は、どこに進むのやら。

55歳の小生・・どこかの大学通信制への入学志望を考えている。

やり残した仕事や希望が山積みに沢山ある。

息子へ・・。

父の背中よりも、父の膨らんだ腹部を見なさい・・。

志望が先で、人生の希望や大きな学は、あとに続く。

ペスタロッチ

2011年12月15日 | 百伝。
少子化の時代。

尾道市と教育委員会によれば、数年内に百島中学校・小学校を、対岸の浦崎中学校・小学校に統合するとの事。

母校の高校名が消えた時は、寂しさも何も無かった。

だが、さすがに故郷の名を表した百島中学校が廃校となると悲しいものです。

尾道市内でも一、二を争うほど歴史伝統のある明治初期に創設された百島中学校・小学校です。

その故郷の母校名が消えるというのは、とても寂しいものがあります。

はて、さて・・。

気を取り直して、教育原理に関して思うことがあります。

消えてゆく大学があると思えば、生まれる大学もあります。

大学の近況を聞くにつけ、学部学科専攻の変遷は、随分あるとの事です。

とくに就職難の昨今・・就職し易い学部の新設は必至のようです。

最高学府である大学が、就職のため、また生き残るために迎合するのは、ある意味、専門学校化であり、ある意味での産学協同体でもあると考えます。

残念なのは、そのような傾向が深まれば深まるほど、学問からフィロソフィーが失せて行く事です。

「病気をみて、人をみない医者」

「判例に縛られて、自己判断を持たない裁判官」

「教師ながら、登校拒否の先生」

「投票率の低い選挙で、選ばれた政治家」

かつて、聖職と呼ばれた職業から仁術が消え、いまや「一億総算術」です。

「職業に貴賎なし」と言います。

ですが・・本当に貴賎がないのは良いけれども、貴の職種が消えて、賎だけになったのでは話になりません。

「道徳は善人をつくるが、法律は悪人がつくったもの」・・何を況やです。

「幹事長の一番の仕事は、選挙で勝つことです」の弁。

この言葉には、算術はあっても、哲学の匂いがしません。

世間も、政界も、大学も、社会も、人の世。

哲学を失っては、レベルの低下と言わざるをえないでしょう。

教授になった義弟へ・・。

もう一度、ペスタロッチに立ち返り、「教育の原理」を徹底すべきでしょう。

塞翁が馬

2011年12月13日 | 百伝。
昔は、弓矢の家とは、武士(もののふ)を表わす言葉です。

京の都や畿内から、都落ちした武家が瀬戸内海に逃れた例が多いので、政略的に窓際に立たされたときに「瀬戸際に立つ」という言葉が出来たのでしょう。

故郷の百島にも弓矢の神事があるのは、その意味のようです。

瀬戸内海は再起を睨む、海に守られた要塞だったと思います。

さて、その弓道にしても、剣道、柔道にしても、八段、九段というのは、一体誰が決めるのかということになると難しいのです。

昔、柔道に姿三四郎のモデルになった空気投げの三船十段がいましたが、人に触れずして投げ飛ばす小兵の「姿三四郎」といった人は、別格で、二度と現れないでしょう。

八段を決めるには、九段以上の人が相当ですが、その九段が、なかなかいません。

人生にも段位があったら、今、何段だろうと考えると心寒くなります。

これからは、瀬戸際から「塞翁が馬」の心で、プラスの人生階段を登りたいものです。

発心

2011年12月13日 | 千伝。
感謝の気持ちはどこから湧いてくるのかというと、「ゆとり」からでしょう。

気持ちのゆとりは、生活のゆとりから得られるもので、窮屈な中では、卑屈さしか存在しません。

だが、それらも一時的な現象で、恒久的なものでない事を知っておかなければ、「楽は短く、苦は長く」に陥ってしまいます。

「楽は長く、苦は短く」するには、ほんのちょっとしたラッキーな事でも「感謝のありがとう」を心で発すること。

マラソン選手が競技後、道路やトラックにもお辞儀をするように、日頃、自分をささえてくれる住居や車、茶碗や箸にでもありがとうを発します。

朝ご飯もおいしいおいしいと言葉に出して食べると不思議に美味しさが増すものです。

これを「摩訶不思議の力」と言います。

小生の浅い経験則からでも、ちょっとした出世で鼻が高くなった時に「感謝のありがとう」が薄れ、人生の下降ベクトルが始まります。

鼻高々になると、それを忘れてしまって、ユーモアもなく、相手の気持ちを無視した独断的な嫌な人間になっていた事すら気がつかない状態になります。

「感謝のありがとう」を心で発します。

幸せを求めるのではなく「幸せを感じる発心」です。

天窓

2011年12月13日 | 千伝。
おそらく、江戸時代の夜空は、現在よりは数百倍も魅力のある宇宙だったに違いありません。

満天の星の輝き、降るような、手の届くような星座は、まるで、今で言うオーロラのような神秘さで、地上の退屈な人間に語りかけていたことでしょう。

その宇宙に存在していた星の光りが、地上に降りてきた時から、天文学者以外の人間は、多くを星に語りかけなくなったのでしょう。

夜空を見上げなくなった人間は、一体何を見つめているのでしょうか?

神様ではなく「紙」ばかりを見て生きているのでしょうか?

人間の目は、「こころの窓」と昔から例えられます。

心で考えたことが目というレンズを結んで、虚像と実像の世界を映し出してはいないのでしょうか?

つまり、こころの中に現れた「夢」という虚像を絶えず暗示し続けます。

目の外の実像の世界に投影されるように、神様は人間を設計しているのではないでしょうか?

夢という虚像さえ持ち合わせのない人間は、実像は生じないのかも知れません。

昔の人間は、よく金星の観察が出来たものだと感心するのは早計でしょう。

人間の目というレンズは、その背後の頭脳とのアイコンタクトであり、ありとあらゆるものを発見したり発明したのかも知れません。

まず、小さくて、強い虚像を、こころの中に結びます。

必然的に実像が出来るのは、すでに数多の実験で証明済みです。

営業利益と経常利益

2011年12月13日 | 千伝。
従業員3000人程度の楽天が、売上1兆円企業になったとか・・。

売り上げから経費を差し引いた粗利を、営業利益と言います。

他に土地や有価証券があったり、本業以外の益だしがあれば経常利益が膨れます。

株券を持っていても、昔は売却益が無ければ経常しなかったのですが、時価総額で経常するようになって、かつてのライブドアのようなバブル企業の出現となりました。

値洗いの株価で、他の会社の株を買収できるのだから、大変です。

オリンパスの企業買収による損失隠し・・。

中国のバブル企業が、日本企業と同じ損失隠しの手法で乗り込んできたら大変です。

欧米のグローバル指標を推奨した経常利益の比率が高まった時代は、世界不況の中のバブルの時代だとも言えます。

一般国民を小ばかか、子供扱いの世界各国の首脳や経済人のやり取りです。

働いても働いても、幸せは遠くなるような国や企業はなくなって欲しいものです。

モダンタイムス

2011年12月12日 | 千伝。
チャップリンのモダンタイムスは、1936年作。

いろんな道具の進歩は、人間を横着にして、急激な変化は、人間から行動さえ奪い取り、堕落さえ与えるという警鐘は、素晴らしい先見だと思います。

パソコンもスマートフォンも、人間にその多くの機能を理解されないうちに、普及が先行されたので、ごく一部のオタクが、多くの利益を享受することになりました。

IT企業のような、途方も無い怪物を登場させることになったのです。

槍と鉄砲の戦いのように、常に時代を先行した道具を手にしたものが、勝利を得ます。

だが、すべてのものには寿命があり、賞味期限が永久ではなく、新たな競争相手がでて、その競争が激化すると、経済戦争状態になり、働くものに閉塞感を与えることとなります。

現在、大手の企業を尋ねると、必ずチャイムがあり、それを押すと受付嬢が出てきて、中の様子は目隠しされて、誰がどこにいるのか分からないようになっています。

職場が蓑虫状態でもあります。

カプセルホテルのような、養鶏場のような・・職場が増えてきているのが現実です。